ルーマン
ルーマンのやたら面倒臭い本を読む決意をした。ちょっと大げさだがこれは決意しないと読めない。フーコーなんて目じゃない。以前少し読み始めて全然歯が立たず3ページで諦めた(本文だけで518ページもある)。そこで今回は少し準備をすることにした。先ずこの本を読むために近くの文房具屋で大学ノートを買った。この本は目次の中に節が50以上ある。見開き2ページで一節のノートをとろうと思うと40枚のノートでは1冊に納まらないのだが適当に量を減らし1冊に納めることにした。そして先ずは節の表題をノートに書き写しながら、ストーリーを想像しようとしたが無理だった。そんな想像が可能ならこんな面倒臭い方法をとらなくとも理解できるのだろう。
とある人が本には「開いた」ものと「閉じた」ものがあると言う。フーコーの著作などが前者にあたる。つまり自分では結論を明示せず、読者にそれを委ねるもの。閉じたものはその逆だ。また本の内容のシークエンスには登山型とハイキング型があるという。前者は理路整然と結論へ向けて着実に展開するタイプ。後者は道すがらの風景を楽しむタイプ。そして読む本がこの二つの変数による4つのマトリクスのどこに位置するかを素早く見極めることができれば正確な理解が早く得られるという(高田明典『難解な本を読む技術』光文社新書2009)。節表題を全部写し終り、ここから軽く通読。気になる分からない言葉を抜き出す。10-ページで10くらいある。社会学辞典をひいても半分くらいしか出ていない。さてこの通読を10時間、精読を30時間で終わらせられるだろうか?うまく合間を縫って時間を確保できるだろうか?
夕方娘と東急ハンズヘ行って壊れた自転車のチューブバルブのゴムを買い、文具を買い、伊勢丹に行ってパンツを一本買い、四ッ谷で中華を食べて、帰宅。ノートが一杯になったので新調。新しいノートにスケジュール表を書きこみ、古いノートから必要なところをコピーして貼り付け、ペンを差す部分に和紙の補強をした。