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January 31, 2008

朝の須坂

朝、須坂市で会議。長野から電車で30分。朝の須坂駅には人もまばら。駅にあるミスタードーナッツでコーヒーを飲み会議が行なわれる郡役所(緑色板張りの擬洋風建築である)までぶらぶら歩く。長野よりも一層寒いのだが、古い町並みの中を歩くのは気持ちがいい。3年前から工学部は須坂市と協定を結び、須坂の蔵を教材にさせてもらっている。僕も2年の最初の製図課題の敷地を須坂の一角とし、優秀作を一般展示している。敷地を読み蔵の町から何かをもらう設計をと思っているのだが、2年生の課題でそうした高度な思考を求めるのはまだ無理である。
今日は卒論、修士論文の提出日。卒論は12時まで。皆無事に提出できたようだが、提出は学科の印鑑を貰う儀式である。内容はこれから精査される。修士論文は3時までに提出せよと言っていたのに出されたのは夜。時間を守らないのなら設計などやめた方がいい。計画性が無い人間が計画するということは自己矛盾だ。
夕刻茶室の見積りが届く。思った以上に高い。インテリアといえども馬鹿にならない。まだ一社なので本腰がはいらないのだが、、、、、やめる物、減らすべき業種を考える。ふー。
夜引き続きコラージュ論を読む。初期綜合的コラージュの重要なコンセプトの中に「技術の否定」と「技術的な個性の否定」があることを知る。この後者がその後のオートマチズムに繋がる。非作家性と一時期騒がれた概念も繰り返し出てくることなのだと改めて思う。そしてこの概念も例えばファッションではグローバリズム・コングロマリット(非作家的)後のチャラヤンのように芸術家的デザイナーを半ば必然的に招来するのである。波は繰り返し打ち寄せるものである。

コラージュ

1月31日
朝方事務所の雑用を片付けスタッフと話でもしようかと思うが、誰もいない。フレックスタイムというのもあまり事務所にいられない僕には不便なシステム?と思う一方、昨日聞いた日建のように寝るか働くか二者択一の過酷な状況もまた自分の事務所のクリエィティブな環境の中には持ち込みたくは無い。先日スペインの出版社から電話があったらしい。某住宅に興味があるようで情報が欲しいとのこと。なんでも1プロジェクトに20ページくらい費やしてくれそうで、サンプルを見るとかなりよくできたレイアウト。そこで説明の英文を作成。久しぶりに英作文である。その後スケッチ。最終一つ前のアサマに乗り長野へ。車中河本真理さんの『切断の時代20世紀におけるコラージュの美学と歴史』ブリュッケ2007を読む。註もいれると600ページを超す大著。彼女の博士論文だそうだ。なんでコラージュなんかに興味が?それはコラージュが作品の断片化、あるいは部分の反乱を企図するものである一方で、コラージュを制作した芸術家たちは「脆く危ういとはいえ、そこに新たな統一性がもたらせる可能性を、まさに逡巡しながらみいだしたのではなかろうか」という彼女の仮説に興味が湧いたからである。コラージュ概念はコリン・ローの『コラージュシティ』を挙げるまでもなく、建築と言う行為に内在している。つまりタブローとそれに貼り付けられたオブジェの関係は街とそこに差し込まれた建築の関係によく似ている。そしてオブジェが部分の反乱であるように差し込まれた新しい建築は往々にして街への反乱であるかもしれない。しかし建築家は決して反乱を意図しているものではない。河本さんが言うように、逡巡しながら新たな統一性を模索しているのである。こんな建築家の模索がコラージュを作る芸術家の中に見出せるのであればとても興味深いというわけである。

January 30, 2008

ヨーガンレール

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朝方一週間分たまった事務所の雑用を片付ける。今日来たdetail japanの最新号を眺める。今村君のアタッシュケースのような住宅が掲載されていた。伊藤君や木島さんと雑誌の詳細図を眺める。なかなかいろいろな工夫があるようだ。細い敷地にそれこそ棚に収まる鞄の如く綺麗にはまっている。見せてくれると言ってたのに見せてくれないのだろうか??午後中国の矩計図の進展をチェックして茶室のカラースキームを眺める。その時乾さんのヨーガンレールのショップ塗装が話題にでる。夜日建名古屋の後輩と東京駅で会うのでついでに見に行く。なるほど綺麗な塗装だが店としてはちょっと暗い。店にはいると素敵だが、道から見ているとややアピールが弱いかもしれない。しかし色使いの斬新さはさすが乾さんである。名古屋の彼は4月から名古屋大学の博士課程に行くと言うことだ。一度働いてから、大学に戻って勉強すると言う人がこれからますます増えるだろう。アメリカではそういう人専用のpost professinonalというコースがあり、僕もその修士課程にいった。日本にはやっとそういうコースが最近いろいろ登場してきているのである。僕の大学にもそういう社会人専用コースがあり、ぜひそういうところで生涯学習して欲しいものである。

January 28, 2008

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午前、午後と会議。その間を縫って梗概の最後のチェックをした。今回の論文や設計では複雑なものが二つあって、その梗概は何度読んでもすーっとは読めない。それは内容の複雑さなどからある程度は仕方ないとは思っているのだがもう少し読む人のことを思う気持ちが欲しい。たいした時間をかけたわけではないのだが頭が疲れ、帰りの新幹線は読書は放棄。週刊誌を買ってで読んでいたら、隣の席に座っていらっしゃるのが、大学の親しい先輩教授である。「集中しておられたのでお声をかけませんでした、、、」とおっしゃる。「いえいえただの週刊誌でして、、、」と私。「自分で書いたほうが早いのですが」と言いながら修士論文に赤を入れていらっしゃった。ああ頭が下がる。
帰宅後、でもやっぱり頭が痛い。先日買ったFRAMEの1996年の創刊号から2006年の50号までの重要ページを連ねた本The Back Issue the essential guide to FRAME`s 50 isssuesをずーっと眺めていた。その中に図書館のインテリア特集というのがあった。そこに見つけた一枚の写真。本棚の本が全部逆さまに置かれている。もちろんわざとなんだろうが、普段見慣れない逆側をこうしてみるとなかなか美しいではないか。物を逆さまに使うというのは結構新鮮だなあと思わせる一枚である。家具を逆さまに置くとか、カーペットを裏返しに敷くとか、タイルを裏返しにはるとか、タイルの蟻足なんて結構綺麗かもしれない。その場合釉薬を使わないタイルで無いともったいないが。

日曜日

1月27日
早朝230ページ分の原稿校正を終えた。終えたといっても実は編集者の要求にすべて応えられてはいない。登場人物の生没年を明記せよという指示があるのだが、どうしても調べのつかない人たちがいる。まだ生きている評論家や歴史家の生まれた年というのは個人が発表を控えている場合は調べがつかない。外人ならなおさらである。本書の性格上そこまでは要らないのではないかという判断を下し、速達で出版社へ送付。肩の荷が一つ降りたので目黒の庭園美術館に「建築の記憶展」を見に行く。この美術館は駅から少し遠く不便だが、門から玄関までの木立が素晴らしい。展覧会は19世紀末から現在までの建築写真400点をクロノロジカルに並べて見せるものである。既に見たことのある名作も多々あるのだが、こうして全部が一列に並べられていることに意味がある。ばらばらに見ているときは気がつかないことが、一気に見ることで見えてくる。(コラム参照http://ofda.jp/column/)。
帰宅途中に先日お会いしたクライアント候補kさんの家のアイデアがふと浮かんだ。kさんはアパートが付帯する長屋を作るか自邸だけを作るか迷っていたのだが、僕は少しリッチな貸室を一室だけ付けることを勧めた。その理由は一室なら、空き室がでるリスクが少ないのと、初期投資が少なくてすむこと。一方黒字に転ずるのが8年後くらいで定年の頃にはお小遣い程度の収入が定期的に入ること。それに一室なら、敷地をかなりゆったり使えて肝心の自邸のクォリティが高まること。そんなアイデアがふと頭の中で少し形になったので帰宅後スケッチを描く。まるで即日設計試験のようである。サインペンと色鉛筆で1/1ooのプランを描きスキャンしてpdfでメール。夕食をとって最終のアサマに乗る。

January 26, 2008

精神

今年最初のA0の勉強会。今日読んだ、ロマン主義の誤謬は分かりやすいところではあるが、1時から6時まで英文とにらめっこして疲労がたまる。夕食をとって風呂に入り、植田実の『都市住宅クロニクルⅡ』みすず書房2007をめくる。目に付いた記事だけ飛ばし読み。篠原一男のハウスインヨコハマに対する賛美が書かれている。徹底した生活空間の排除とその抽象性への驚嘆が綴られている。そうした空間性は篠原が数学者であったことと無縁ではないように思う。彼は心から数学の中に美しさを見ていた。つまり世界を理性の精神でつかまえようとしていた。デカルトのように。食べものとか、着るものとか、下手をすると住む所それ自体、その物体自体に彼は全く興味がなかったのかもしれない。彼の作りたかったのはその精神性だけだったのかもしれない。今となってはそう思えるのである。

楽しみ

今朝はまた一段と寒い、8時に研究室に行き雑用を片付け、原稿校正のためにツォーニスの英文論考を読む。読みきらずデザイン論の講義。リーテム東京工場の話をして、最終レポートの書き方を教えデザイン論最終講義終了。昼食を軽くすませ、2年生の製図の講評会ゲストの日建の中村晃子さんと阪根事務所の阪根宏彦さんを正門で待つ。
二人には先ずレクチャーをしていただく。中村さんは現在手がけている日本橋ビルの設計のプロセスを語っていただいた。建築家にレクチャーを頼むと、優秀作をずらずら並べて終りというのが多いので、こうした基本計画から竣工までのプロセスを講義してもらうと大変勉強になる。阪根さんは香山アトリエを出て独立してから木材の勉強で現在は東大農学部の木質材料学科博士課程に在籍しながら自らのアトリエを主宰している。そこで木質系の建築の話をしてもらった。sdレビューに入選し、新建築の表紙を飾った二ノ宮のアトリエから現在設計中のプロポで選ばれた東大ファカルティセンター、香山先生と共同設計の和歌山の神殿など木構造が実に美しい。以前もこのブログで書いたが、彼は本当に才能ある建築家である。
講評会はなかなか面白かった。突出した作品がいくつか見られた。審査員3人で佳作4点、審査員賞3点、そして総合1、2、3位の3点。計10点を選出した。それくらい、捨てがたい作品が多かったということである。阪根さんも言っていたが、数人のやる気のある学生がいる年代というのはその周りに輪ができて全体を押し上げるという傾向が見られるものである。今年の2年生にはそういう兆候がある。これが3年になって下降せずに伸びていくことを願う。二人のゲストも言っていたが、この2年くらいで人生が決まる。
振り返って総合1位になった作品を見ると、3人異口同音に一番いいという評価であった。その理由を考えてみると、どうもデザインをデヴェロップする能力にあると思われる。いい着想というのは2年生くらいだとビギナーズラックのような形で現れることがよくある。ちょっと見た雑誌の作品がたまたま課題の条件に上手くはまるというようなことがある。しかし2年生くらいだとそれを自分なりに消化しながらレベルアップできないものである。なぜかと言うと、改善すべき場所を見つける力がないからである。下手に触るとデザインは悪くなる。しかるに、この作品は実務で言えば基本設計レベルのデヴェロップができているということなのである。今後どう育っていくか楽しみである。
学生との学食での懇親会に顔を出し、駅前に行き、うちの部屋の院生とゲスト二人と食事。最終で東京へ。

January 24, 2008

思考実験

7時半のアサマは途中大宮と上田しか止まらない。あっという間に白銀の長野である。午前中就職リクルーターの方にお会いし、昼から会議。今日は睡眠不足で頭が痛い。会議後重い頭でツォーニス&ル・フェーブルの英文を読む。原稿校正でどうしてももう一回読まざるを得ない。彼の英語は比較的読みやすいのだが知らぬ単語が結構ある。夕食後、明日の講評会で発表してもらう学生作品の選択。60個の中から約半分を選ぶ。明日は坂根さんと中村さんの二人が来てくれることになっている。楽しみである。その後また頭痛がひどく英語は少しおいておき鞄に入れておいた竹内薫の『もしもあなたが猫だったら』中公新書2007を読む。竹内さんは科学ジャーナリストだが、科学史が専門分野だけあって哲学も詳しい。プラトンの国家を原文(ギリシア語)で一年かけて読んだそうだ。そしてカナダに留学したときは哲学科に入学。ところが先生が英文の『国家』を一週間で読んで来いと言ったそうで喧嘩して科学に移ったとか。
と言うわけでこの本にはプラトンのことが少し書かれている。竹内さんによれば哲学とは壮大な思考実験。そして『国家』の国家観は共産主義。マルクスによく似ている。プラトンの思考実験は共産主義国家として現実のものとなりそれは前世紀後半に瓦解した。しかし、それでも人のことをまるで考えない日本の政治家よりプラトンの方が魅力的だと竹内さんは言う。

January 23, 2008

東京も雪

長野から戻ったら東京が雪。雪に追っかけられている。朝方書斎の本を検索して残った校正部分に回答を書き込む。多くが引用部分の誤り等のチェック、修正。11時ごろ事務所に行き、溜まる雑務を片付ける。1時から中国見積図第一陣のチェック。竹内君の書いた図面を見てほっとする。図面は言語のようなものである。中国製の図面は中国語と同じくらい理解不能である。そこへ行くと日本の図面は日本語同様理解しやすい。日本製図面を見てやっと空間が明快になる。この調子で矩計図と平詳が終われば、気持ちは晴れるであろう。中国工場の後は茶室。見積り図をチェック。一通り図面が揃い、こちらもほっとする。壁面を塗り分ける微妙な色のサンプルができ上がってきた。こりゃ難しい。今回は4色使う色の差を極小にしようとしている。しかしあまりに微妙だときっと分からないだろうし、あまり差をつけると派手になりすぎる。知覚可能な色の差の閾値はどのあたりだろうか?多分それは内部の照度にもかかわるだろうし、隣接する色の量にも拠るのだろう。
午後某設計事務所の役員から電話を頂く。新卒採用の打診。優秀な事務所なのですぐに院生に電話し希望を聞く。行きたい人間は数名いるようだ。「いい学生はいるかい」と聞かれて「もちろん」と答えるのだが、果たして即日設計などでその期待にどこまで応えられるだろうかと一瞬不安が過ぎる。「坂牛のところには人材が豊富だ」と言われるようにみんながんばれ。

愚痴

午前中の講義を終えて、午後今年度最後のm1ゼミ。全員の発表を聞くと、後一がんばりして欲しい。と思うだけである。どれ一つとして完成しているものは無い。今年の後期m1ゼミは社会学的テーマをそれぞれに与えてパワポで発表させている。一人三回発表して完成させるというものである。例えば建築の永遠性と消費性というようなタイトルである。皆いろいろ考えているし、m1の頃はこんなことだったのかなあと自分を振り返るとあまり四の五の言えないのだけれど、もう少し人にわかるように話なさいとプレゼントは言えない。この季節になると卒業生、修了生相手にまるで異国の人と話をしているかのごとく意味不明の言葉に悩まされるのであるが、m1も差は無い。来年が思いやられる。もう少しこちらから相手のやることを限定するのが教育なのか?自由を尊重するのは結局彼等のためにならないのか?自分でもよく分からなくなる季節である。ぎりぎり最終に乗って自宅に戻る。東京は暖かい。

January 21, 2008

年度末の忙しさ

12月くらいから長野にいるときの方が帰宅時間が明らかに遅い。それは帰宅するモーティベーションが全く無いということにも起因するのだが、やはり大学というのは年度で動いているもので3月に向かってなんでもかんでも締め切りが来るわけである。今日は、大学内の某施設の設計会議。学生も皆必死の形相であり、誰にも頼めなく朝からスケッチ描いて模型作ってそしてカラーコピーして、それで4時の会議で説明である。まあたまに自分でスケッチかいて模型作るのは楽しくていいのだが、その時間分は他の仕事ができないわけで当然皺寄せは夜に来る。そして今日できなかったことは明日に回すことになる。事務所の動向も心配。送られてくるチェック用の巨大図面ファイルを今晩はもう開ける気になれない。
先日読んでいたある新書本に仕事は時間を決めてやれ、部下にも仕事には期限をつけろ。できないのは集中力が足りないだけの話である。no残業デーを作れなどと書いてある。そうかもしれない。と思う一方この言葉には限界も感じる。

January 20, 2008

校正チェック

大学の試験二日目もやっと終わった。とにかく何事もなく安堵する。
「建築の規則」出版校正原稿が昨日家に届いたとかみさんから電話があった。校正への回答を入れて返却しなければならない。何とか年度内に出したいのである。「どのくらい校正入っている?」と聞くと「1ページ2割くらいに、赤ペン、クロ鉛筆、ラインマーカーが入っていて大変そうよ」と言う。「嘘だろう??」と思うが確かめるすべも無い。来週は東京にそう長く入れないし結局こっちで作業することになりそうなので、すぐ宅急便してと頼む。ところが、日曜日は大学は郵便物を受け取らないとのこと。それを聞いて本日の受領は諦めていたのだが、昼頃クロネコヤマトから携帯に電話。大学を通さず私のところまで持ってきてくれた。ありがたい臨機応変な措置。そして中身を確認。どうもかみさんの表現はやや大袈裟。多くは引用文中の言葉遣いの確認。しかしそれでもチェック事項の仕分けをするだけで3時間くらいはかかったかな?それにしても本がないので確かめられないことばかり。やはり家に帰らないとこの作業は完結しない。時間が惜しい。

January 19, 2008

哲学と建築

昨晩帰るときに雪がちらついていたので心配だったが幸い今日は晴天。一日大学試験の手伝いであった。事故もなく無事終了し、一安心である。空いた時間に木田元の『反哲学』新潮社2007を読む。木田元の哲学入門書は本当に分かりやすいのだが、この本も実にいい本だ。哲学ってこんなに面白いし、楽しいし、分かりやすいということを教えてくれる。こういう本を高校の教科書にでもすればいいと思うのだが。木田によれば哲学とは何の役にも立たないもので、できることなら一生かかわらずに終われるものならそのほうが余程いいそうだ。「子供のための哲学入門」なんてとんでもないとのこと。確かにそうなのかもしれない。そういえば谷川渥さんも美学なんて何の役にも立たない学問だと言っていた。ただ好きだからやっているだけだとか。そうねええ。そうかもしれない。客観的にみて文学は工学やら、法学、経済学などに比べたら人のためにある学問ではない。しかし工学といえども建築なんてものもこと意匠に関して言えば、人の役に立つとか立たないとかいう問題とはちょっと違う。下手をすればとてつもなく個人的であり、また全人間的でもある。そんな両極を彷徨っている。そう思えば木田元の言っていることはよく分かる。できることなら子供にはなって欲しくない職業#1である。

January 18, 2008

日本の80年代

朝から学部生の梗概を読む。装飾論である。途中大学の行事の手伝いをして、また梗概を読み今日の一人分は終り。学生に修正を指示する。その後建築学科発足へ向けた書類作り。なんとか夕方までにとりあえず作れた。ほっとする。それから別の書類に手をつける。書類と言っても、これはなんだかしょっちゅう作っている個人の業績申告書のようなもの。あて先部局の違いで同じような内容のものを年に3回くらい作っているような気がする。会社ならこういうものは一本化できるのに大学と言うところは組織が複雑過ぎるよ本当に。昨日今日でなんとか90%終了。一休みしてから、中国図面の仕様書の日本語訳が出来上がってメールされてきたのでチェック。うーん、当たり前だが日本の仕様とは違うし、知らない材料がいろいろ出てくる。それからやたらと標準図参照指示が記されている。中国の標準図とは分冊になっており、日本のように、国土交通省の標準詳細図集一冊なんてものではない。数十冊に分かれているだろうか?どこに行ったら全部揃えられるのやら?契約している中国の設計院も全部持ってないのだから話にならない。とりあえずチェックして事務所に返送。
終わって植田さんの本を読み始める。この本は2巻本で今読んでいる1巻は1966~1986までの20年間。60年代から70年代の途中くらいまではなんとなく読む気を起こさせるものが並んでいる。そもそもよく知らない建物ではあるが設計者とか一枚の写真の雰囲気が読む気持ちにさせる。然るに70年代の後半から最後まではどうもげんなりする。先日建築雑誌に掲載する原稿で80年代の建築論というものを書いたときに僕は世界の建築論を少し調べた。ニール・リーチ、マイケル・ヘイズ、ジェンクスの建築論アンソロジーを見てみた。その結果、確かにこの時代はポストモダン全盛だが、しっかりとデコンの論文や複雑系の論文の準備がなされていることを確認できたのである。しかるに日本では五十嵐さんのブックガイドを見るならば、この時期見るべき建築論は無いのである。ジェンクス的なポストモダンには本気で組することは日本人には到底無理、この当時上梓された秀逸な本はもっぱら都市論である。もちろん建築自体はポストモダンという表層の流れにのっかる、あるいは後押しされたようなものが多発していた。それがこの植田さんの本を見ると一目瞭然であり、そうした建築のオンパレードなのである。しかしまあ欧米でも80年代にデコンも複雑系も殆ど実現には至っていないのだから同じかもしれないが。
疲れた脳みそはこてこてのPM建築などとても受け付けないというところである。

January 17, 2008

寒い

午前中かけてまた一つ修士の梗概を読む。内容を精査するためにシュマルゾー、リーグル、ハーバート・リードを読み返す。午後から松本でキャンパス計画の会議だが移動の車中でも読む。会議は1時半から5時頃まで。しゃべり疲れた。合計3キャンパスの説明をする。最後の詰めなので多くの意見続出。結構なことだ。松本のスタバで協力設計者の春原さんと院生の山田君とで一服。車中植田実の『都市住宅クロニクル』を読む。白沢さんの住宅を発見してうなる。かっこいい。昔懐かしい建築家オンパレード。毛綱、渡辺豊和、黒川哲郎、原自邸、磯崎群馬、室伏自邸、、、、、なんだか学生時代に戻ったようだ。長野駅からマンションに寄り、自転車をとって研究室に戻る。さあこれから月末にかけて、書類、書類、書類。それも内容は同じような物ばかり。非生産的な行為。
それにしても今日は朝から雪。1日零下だろうか?松本はまた一段と寒かった。

January 16, 2008

最後の追い込み

中国図面の追い込み。設計院の描いた構造図とにらめっこしながら、ナカジと意匠図を煮詰める。徐々にだけれど内部空間が見えてくる。茶室の図面を見ながら最終の仕上げ材を決めていく。山本さんがずらり並べたサンプルマテリアルを確認。畳の色がちょっとつまらない。と思っていたら白い畳があるようだ。発注のスケジュール、見積もる施工者を確認。打ち合わせを昼で終わらせ家に寄り、これから山篭りするための分厚い本を数冊鞄に放り込む。東京駅でおにぎりを買い昼のアサマに飛び乗る。植田実の集大成『都市住宅クロニクルⅠ』みすず書房2007を読む。建築案内的なこの手の書物は普通、リラックスして、楽にすらすら読めるものだがそうでもない。その理由は、ヴィジュアルなページが余り無く言葉で建築が組みあがっているから。そして1966年から始まるこの本の対象の中には知らない建築が結構あるから。言葉主体で説明されたまだ見ぬ建築は読者に多大な想像力を要求する。寝不足で満腹の頭にはやや過酷である。そのうち深い眠りに入る。(植田さんすみません)。軽井沢で目が覚め読書再開。夕方大学の会議。終わって梗概のチェック。今日から一日一人分を読んで直すことにする。どれもこれも多分、大鉈を振るわないと見られるものにはなるまい。時間をかけざるを得ない。ここで放棄するわけにもいかないし。フー。最後の追い込み。

January 15, 2008

松井さんの巨大抽象画

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シャネルのギャラリーで松井守男の個展が開催されている。オープニングに招かれ顔を出す。あたかも着物の柄のような油である。巨大なキャンバス地に描かれたその抽象画は、そのまま壁にホチキスで打ち付けてある。お金があったらいつか壁画を描いて欲しい。ポロックともサム・フランシスとも少し違う。彼独自の境地である。こういうパーティ常連の芸能人、医者、美術館の人。いろいろ紹介していただく。夕食に誘われるがこれから一週間東京を空けなければならないのでまた事務所にもどり打ち合わせ。お腹空いた。

January 14, 2008

富田玲子さん

ロンドン大学バートレット校から来たクリスチーヌ・ホーレイとその学生10人。千葉大の岡田さんとその学生20人につきあって東京巡りをした。クリスチーヌはバートレットのディーンでありエイドリアン・フォーティの同僚。もちろん岐阜で妹島さんや高橋さんといっしょに一棟集合住宅を設計した建築家である。何故か篠原一男のことをよく知っていて、その話しでもりあがり、またフォーティの翻訳をした件で話がはずんだ。フォーティーの本は英文でもなかなかエレガントなできで、バートレットでも教科書のような本らしく、学生は皆よく知っていた。クリスチーヌはさかんに僕がこの本を翻訳したのだと、学生に説明していた。原宿、青山、秋葉原で解散。一日歩いたら疲れた。帰宅後少し仮眠。読みかけの富田玲子さんの『小さな建築』を読み終わる。僕が高校時代、建築勉強しようと思って担任の先生に紹介してもらった先輩が富田さん。今でも鮮明に覚えているが、高校2年の時に行ったのが早稲田の寺の境内に建っていた2階建てのプレファブ小屋。富田さんは上品で静かでやさしい先輩だった。そこへ行くと大竹さんはスゴイ迫力。事務所にあるもので脳裏に焼き付いているのはサッカーボールとスパイクと一升瓶。建築家のいる大学に行けと進められた。その時あがった名前が篠原一男。でも大竹さんは篠原の建築を建築とは認めないと言っていたのもよく覚えている。その時富田さんはどう思っていただろうか?『小さな建築』には富田さんの実家の傍にあった篠原先生設計の谷川俊太郎邸を見せてもらった話しが出ていたが感想は記されていなかった。
富田さんは想像していたとおり、パワフルである。女性で建築家になるということは乗りこえるハードルがいろいろあるのだろうが、富田さんは事も無げに楽々とこなすようなひとなのだろう。プロにならないのにピアノを一日5時間弾いていたというのを読むとそうした資質を感じる。つまり努力を努力だと思わず出来る人である。建築家ってそういうバカみたいな力がいる。高校時代にお会いしたときに既に子供もいながら沖縄の仕事をしていたのだと思うが淡々と建築をされていたような雰囲気が漂っていた。5000ccくらいの車が静かに100キロで走っているという感じである。女性が建築家になるのは今だって大変だと思うが、富田さんのような資質と才能がいるのだと思う。一度信大にもお呼びしてレクチャーしてもらおうかしらん。

January 13, 2008

ソフィ・カル

のんびり朝飯を食ってから、クライアントに頂いた美味しい中国茶を飲んで、昨日の続きで原稿の校正。出版社に最終原稿を送った時に横書きを縦書きにしたせいか、変な間違いが散見される。しかしこうした間違いは編集校正で見つけられるのだろうからまあいいとして、注の間違いと図版を減らしたために起きた本文と図版の対応のずれが幾つか見られた。図版を抜いたのに、文章はあるものとなっているという間違いである。これはこちらで見落とすとちょっとまずい。
先日注文していたとエルンスト・ネトの新しい作品が掲載された雑誌とソフィ・カルのダブル・ゲーム(日本のギャラリー小柳で行われた展覧会)の記録集が届いた。ネトのあの鐘乳石のようなオブジェがところせましとパリのパンテオンにぶら下げられた作品はスケールが壮大である。こうしたインスタレーションをする場所があるというのがうらやましい。日本には思いうかばない。ソフィ・カルの記録集ははポール・オースティア(アメリカの小説家)との共作で小説にソフィカルが主人公として描かれ、描かれた自分を演じ、それを記録したものらしい。本を演じて本にするという、入れこ状の仕組み。フィクションのようなノンフィクションを作り出そうという試みである。この記録集は装丁が布張でとても可愛らしい。中の写真やレイアウトも素敵である。

January 12, 2008

建築写真

朝から本の原稿初稿の校正。何度読んでも間違いは見つかるものである。校正の合間に去年TNProbe主催で行われた「建築と写真の現在」記録集を読む。多木浩二「建築と写真」、畠山直哉「写真家と建築」、清水穣「現代写真作家による建築の表現:ルフ、ティルマンス、大島成己」。多木さんはこう言う「建築はジャーナリズムあるいはメディアに媒介されることによって普及されています。その時に、メディア独特のマナーに従って、写真家は建築写真を撮り、また建築家はそれに影響されながら何とかうまい具合に写真に撮られるように、あるいはそうは思わなくても、そういったものをつくってしまうことが多かったといえます。しかしそれももう終わりではないでしょうか・・・・」
そうだろうか終わるだろうか?格好いい建築写真の時代は終わったかもしれないが、違う建築写真の撮り方が生まれ、そしてその撮られ方を欲する建築家が現れる。あるいは新しい建築写真を啓発するような建築が登場し、そしてその写真がまたジャーナリズムを席巻し、そう撮られたいと欲する建築家が後を絶たない、、、、といういたちごっこのような状態は終わらない、、、、と僕には思えるのだが。スチルの力はいくら動画が普及しても減少することはない。

1月11日
正月に「のだめカンタービレ」を見た時に思わずクラシックのCDが欲しくなった。テレビで放映されていた曲である。その大半はその昔レコードで買っていたものなのだが、もうクラシックはあまり聞かないだろうと思い、全部実家に置いてきてある。それがどうなっているかは分からないのだが。テレビに流れていた曲を片っ端から買った。と言っても流れていた曲は全て大変メジャーな曲ばかりなのでアマゾンで検索すると同じ曲でも数多く候補があがる。そこで交響曲、協奏曲は全て小沢征爾で検索。すると欲しい曲で小沢が棒を振っていないものはなかった。さすが小沢である。メンデルスゾーン・チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトはムローヴァのものとスターンのものとを買った。指揮は両方とも小沢である。ムローヴァの音はとても美しいし、技巧的で上手い。しかし一生けん命弾いているのが感じられる。スターンのものは昔からそう思っているのだが、ヴァイオリンをおもちゃのように扱っている。事も無げに音を出している。全然無理をしていない様に聞こえる。この全然頑張ってないんだよという聞かせ方がよい。建築もそうなのだが事も無げに作ってみせると言うことがよい。無理をしない、手数が少ないというものがかっこよく見える美学はどうも音楽を始めいろいろな表現の中に見られることのようである。

January 10, 2008

ヘタうま

大学のとある施設のスケッチをしていたのだが、知っているようで周囲の建物の間隔や、周囲の樹木の位置などが思い出せない。研究室を出て敷地の周りをうろうろしながらぼーっとしていたら、うっかり委員会の時刻を失念しそうになる。会議が2時間くらいで終わって学生と夕食。委員会の内容を資料にするのに2時間くらいかかってしまう。その後椹木野衣の『なんにもないところから芸術がはじまる』の残りを読んでいた。その中にヘタうまの話が書いてある。ヘタうまの画家湯村輝彦が「ヘタうま」、「ヘタヘタ」、「うまうま」、「うまヘタ」というヒエラルキーを作ったという話(湯村の序列は最初が高価値でだんだん下がる)。ここで「ヘタうま」と「うまヘタ」は異なり、前者がヘタをうまく描くことであるのに対して、後者はうまいになりきれないことのようだ。因みにヘタヘタは子供の絵の如く自らの感覚と世界とのずれがナイーブに露呈することであり、うまうまうはそれを技術で隠蔽した所謂本当に上手いということである。このヒエラルキーはおよそすべての表現にあてはまるだろう。音楽、文学、そして建築にも。
うまヘタの建築家はきっと一杯いる。それは他のジャンルと同様である。うまうまは例えば、黒川紀章(と、篠原先生は言っていた)あるいは竹中や日建のすぐれたデザイナーたち。ヘタヘタは難しい。敢て言えば篠原一男、あるいは像設計集団。そしてヘタうまは?うーん本当は器用な坂本一成とか、、、、、まああくまで直感的な感じではあるが。

January 9, 2008

擬洋風建築のリノベーション

明治時代に建てられた擬洋風建築をリノーベーションしたいという依頼があった。場所は水戸。現場を見に朝一で出かける。依頼者の敷地は広大で敷地にはその擬洋風建築が道路に面して建っている。そしてその裏に昭和初期に建てられた瓦屋根の木造建築がある。さらにその裏に最近建てられた木造建築があり、その裏に小さな祠が建っている。これらの建物は既に誰も住んでいない。オーナーは中庭を挟んで逆側に賃貸マンションつきのRC住居を作りそちらに住んでいる。
今日の現調では、擬洋風の後ろに建っている昭和初期の建物は解体し、道路に面する擬洋風建築を曳屋して5メートルくらい道路から後退させる。その上でリノベーションしてギャラリーのようなものにし、その後ろに新しい住居をつくり、接続させ全体をくるむランドスケープを整備しようという方向付けを行なった。とは言っても明治初期のぼろぼろになった木造2階建ての擬洋風建築を曳屋できるものなのかどれほどのコストがかかるものなのかなかなか謎が多い。しかし僕の今までの経験を超えた未知のゾーンであり、なかなか面白そうである。午後東京に戻り、打ち合わせやらスケッチやら。

January 8, 2008

カート

7時半のアサマに乗ると9時に東京駅に着く。そして9時に丸善が開く。朝の誰もいない巨大本屋は図書館のようで気持ちが良い。丸善にはショッピングカートがあるので重い荷物を載せて暑いコートも脱いで身軽な姿で本を選べる。ここに来るとだいたい歩く経路は決まっている。先ず4階の建築の洋書に行く。今日は雑誌frameの全号のトップページだけを集めた本を発見。これはインテリアの流行が読み取れて面白い。カートに放り込む。sensual architectureという本を発見。ゼミで建築のsexualityを考えているのでタイムリーな本。カートへ。そしてアートの洋書へ。今日は何もない。次に3階にエスカレーターで下りると左横が写真。小林伸一郎の『最終工場』なる写真集がある。日本の工場の廃墟。なかなかいい。工場は形の宝庫である。カートへ。そして横の美術書のコーナーへ。河本真理『切断の時代―20世紀におけるコラージュの美学と歴史』が面白そう。こう言うとき内容もさることながら、新聞評につい惑わされる。カートへ。その隣に三浦篤の『近代芸術家の表象―マネ、ファンタン=ラトゥールと1860年代のフランス絵画』があり惹かれるがやはりどうもフランス絵画のこのあたりにはのめりこめそうにないのでやめる。美術を通り過ぎると社会学が現れる。ここでレッシングの新訳書を手に取る。訳者は山形浩生。サラリーマンやりながら多量の翻訳をする方である。歩く翻訳機だなこの人は。レッシングはおいて違う書を数冊カートへ放り込む。そこから折り返すと思想系。余り頭から湯気が昇りそうも無い本をカートへ数冊。そしてエスカレーターの方へ戻り、新書のあたりへ。竹内薫の『もしもあなたが猫だったら』を含め4冊くらいお気軽本をカートへ。疲れた時に読む本である。そして芸術と逆側にある建築のところへ。いつもは疲れて建築のところに行き着かないのだが、今日は来れた。建築写真の新しい本が出ていた。カートへ。植田実の新刊がある。それも分厚く字もたっぷり。なんと出版社はみすず。タイトルは『都市住宅クロニクル 』上下2巻である。面白そう。これは日本の現代住宅史として価値ある本になるでしょう。その横に私を建築に導いた富田玲子さんの新刊がやはりみすずからでているではないか。タイトルは『小さな建築 』。像設計集団の創始者富田さんの穏和な心が伝わるような本である。などなど全部で17冊。ちょっと買いすぎた。これはカートのせいである。スーパーにカートを使うことを考案した人間は賢い。スーパーと同じ原理である。もし暑いコートを着て重い鞄を肩からぶら下げた状態では絶対こんなに買わない。
ところでその後その重いカートを押して支払いのレジに行った。配送を頼むためにレジの女性と会話したら、僕の言っているることが余り聞こえないようだった。その上発音がおかしい。すると「私は耳が聞こえにくいのです」とたどたどしい言葉で話す。耳には補聴器がついているのが見えた。僕は「書きましょうか?」と言うと「大丈夫。大きい声でお願いします」とまた、たどたどしく言った。配送の手続きにはとても時間がかかったのだが、こう言う人が頑張って働いているのを見ると僕はなぜかとても胸が熱くなって嬉しくなるのである。帰りがけに「頑張ってね」と声をかけようとしていたら僕の本を持って配送の処理をするために姿を消してしまった。

初日は地獄

年明け大学初日、会議でいきなり大量なワークが降り注ぐ。きつー。まあ僕だけでなくほかの先生も皆あわてるわけでこういうことは仕方ない。クライアントに無理な注文をされたと思えば事務所でもうよくおこること。そう思えば大したこと無いのだが、それによってきっちりと組まれていたスケジュールがぶっ壊れ、学生に迷惑がかかることが申し訳ない。
初日は大学の雑務もさることながら、卒論、修論のチェックも年明けで全員と対決しなければならない。これは格闘だな。本当に。毎年毎年。卒論、修論の梗概には悩まされる。お願いだから国語を勉強してこいよ。書いてある文章の意味が分からない。いろいろ質問すると書かれていないことが前提となっていたりする。それじゃあ分からないだろう!!!やっとゼミが終り12時。メールをチェックすると事務所から、中国から、大学内外から多量のメール。やたらと「緊急、重要」と書かれている。締め切りは明日とか明後日とか。勘弁してくれ。
年明けの初日は地獄だね本当に。

January 7, 2008

綺麗さび

1月6日
NHKの日曜美術館で小堀遠州が特集されていた。夏に京都造形大に行った時に植南先生に是非見ていけと言われた南禅寺金地院の八窓の茶室が紹介されている。銀座松屋で展覧会をしているようだ。今日は友人の昇進お祝いが銀座近くであるのでちょっと展覧会を覗くことにした。会場は和装の女性が溢れんばかりである。日本には茶を習う人が多いのだろう。とてもゆっくり見ているどころの騒ぎではない。最近デパートと六本木近辺の美術館は大混雑である。いかに彼等が人を呼べる展覧会をしているかということがよく分かる。逆に言うと人の来ない企画はしないということでもある。こう言っては申し訳ないが、原美術館のピピロッティ・リストなんて丁度いいあんばいであった。
小堀は利休に幼少に出会うがわびさびを脱却して「綺麗さび」という新たな概念を生み出した人だそうだ。綺麗の概念とはそれまでのわびさびに品格、洗練、開放、明るさを加味したものだそうだ。と言われて茶器などを見ても僕にはよく分からない。が、茶室を思い浮かべるとこの「開放と明るさ」だけは少し分かる。それは八窓の茶室がそうだったからである。わびさびの茶室が薄暗いのに対して八窓の茶室は八つ窓があるというくらいのことはあってとても明るいのである。それに書院をくっつけて人を呼ぶことをいろいろ考えたようだ。少数の人間が対峙するなかで生まれるミクロコスモスを開放したのである。
今設計中の茶室もその意味では綺麗さびである。

January 6, 2008

研究室取材

午前中、原美術館にピピロッティ・リストを見に行く。どういうわけかピピロッティとピストレットを勘違いしていた。リストは名前を聞いたことがあるくらいだったが、いっしょに行ったかみさんは床に埋め込まれた小さなモニターとかリストが世界的に有名になった97年のベネチア・ビエンナーレの出品作品のビデオとかたまたま良く知っていた(なんで知ってんの?)。普通の女性がいきなり止まっている自動車のガラスを棒で叩き割るというビデオを見る前に説明されてしまった(言うなよ!!)。午後帰宅して原稿チェックしたり、韓国雑誌のインタビューへの返事の英文書いたり、雑用したり。
そこへ先月研究室の取材に来た雑誌の草稿がpdfで送られてきた。このインタビューでは、インタビュアーと意気投合して2時間くらい殆ど雑談したり、ヨーロッパの話したり、日本文化の話をしていた。そしたらインタビュアーが「じゃー帰ります」と突然言う。「えーこれで記事作るの?」と僕はとても心配していたのだが、できたの読んだら、なかなかいい。かみさんに読んでもらったら「さすがプロねえ」と誉めていた。確かにね。

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January 4, 2008

仕事はじめ

ofdaは今日から仕事始め。午前中12月頭から試用で来ていた山本さんと今後の働き方を相談。正式にレギュラースタッフとして働いてもらうこととする。ofdaに新風を巻き起こして欲しい。午後、さらに岩岡研究室出身の竹内君が試用で働き始める。先ずはautocadを使えるようになって戦力として頑張って欲しい。韓国雑誌のbobからメール。ofda特集は今月末に出版されるとのこ、そのためのインタビューがメールされてきたがハングル文字だったので英文を催促。送られてきた10の英文の質問を伊藤君、木島さんと回答を協議。なかなかユニークな質問があるものだ。ofdaというブランドイメージはどのように作り上げられてきたか?とか、世界で活躍する日本人デザイナーの文脈において日本のデザインとは何か?とか、そんなんことあまり真剣に考えてきたことは無かったが、ofdaの外、あるいは日本の外からはそういうことが気になるわけだ。なるほどね。
当面の仕事の進め方をナカジと軽く打ち合わせ、来週の水戸出張でどのようなことがリクエストされるのか?それによって今後の仕事の進み方がだいぶ変わりそうである。
10時頃帰宅。家族そろって「のだめカンタービレ」を見ている。先日塩谷に会ったとき、「アレは面白い」といわれたのでつい見入ってしまった。ちょっとうそ臭いところもあるけれど、芸大出身者から見てもリアルなのだろうか?と思いながら単純にのだめのキャラをエンジョイ。

January 3, 2008

読書

ミケランジェロ・ピストレットの展覧会があるとは知らなかった。原美術館に行かねばと思ったのだが今日は休館だそうだ。そこで本日は外出せずに家で読書。ジョアン・シェフ・バーンスタイン著山本章子訳『芸術の売り方』英冶出版2007を読む。主としてクラシック音楽のマーケティングの話。実は造形芸術の話と思って買った本だったのでちょっと期待はずれ。次に椹木野衣の『なにもないところから芸術がはじまる』新潮社2007を読み始める。こちらはかなり面白そうである。最初の飴屋法水の話から惹きつけられる。去年の12月あたりから落ち着いて本を読む時間がとれずにいたがやっと少し回復か。とはいいつつも建築雑誌に載せる原稿と、4月から始める早稲田の講義のシラバスの締め切りが7日で、どちらもまだ中途半端で落ち着かない。明日は事務所の仕事始め。次の日から休みだが、7日からナカジは中国主張だし、茶室の図面も今月にはけりをつけなければなら無いし、新しいスタッフも来るし、今年は最初からちょいと忙しそうである。

January 2, 2008

決勝は早慶戦

正月はサッカーにラグビーと目が離せない。私は早稲田出身でも無いのに早稲田ラグビーのファンである。一体何者?と思うのだが早稲田の試合はその昔から見逃さない。しかし最近は推薦で高校の有力選手を多くとり強くなりすぎたきらいもある。今日の試合では早稲田に高校ジャパンが9名もいる。かたや帝京は0。それにもかかわらず結果は12対5だから帝京は善戦した。前半だけはテレビで見ていたがなかなか帝京の攻めもあっぱれである。今日は大学選手権の準決勝だが、一試合目は慶応vs明治で慶応が勝った。関東学院が麻薬問題で部活動を停止しているため、なんと今年の決勝は早慶戦ということになった。3時頃新宿をぶらぶらしに出かける。家の周りには人は皆無だが、新宿に行くと凄いひとである。少々買い物をしてから三軒茶屋の義理の兄のところに年始の挨拶。義兄は塾を経営しており正月返上である。むしろ正月こそかき入れどきである。親族が8名集合。ピザとワイン。なんとその後はカラオケ!!!

元旦

1月1日
年賀状を取りにいった娘の手には多量の郵便物。一月前くらいに送ったデーターやインタビューがあっという間に雑誌の特集になって5冊送られてきた。今まで中国の雑誌に2度ほど掲載されたがそれらの雑誌は紙質もレイアウトも今ひとつだった。今回の雑誌はかなりレベルが高い。アジアのデザイナー特集ということで日本から3人、中国その他から5名、計8名が特集され、それぞれ6~8ページ割かれて紙面が作られている。日本からは前田紀貞さん藤本寿徳さんと私である。紙もレイアウトもかなりよくなってきている。これで一冊300円。日本の5分の一くらいだろうか?さて娘の手には更に巨大な封筒。ある本のゲラの初稿。まだ編集部の校正がはいってないということだが、こちらも早々にみてしまわないと。それにしても1月1日に着くとは!怖いもの見たさでとりあえず封をあける。きれいに全ページのレイアウトができている。嬉しい。夕刻浅草にお参り。凄い人。おみくじは吉。こりゃあ幸先の良いスタートである。