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December 31, 2007

親父

朝から建築雑誌の原稿のためにいくつかの洋書をひっくり返して飛ばし読みしてみた。テーマは80年代の建築論。ジェンクス、ニール・リーチ、マイケル・ヘイズ。日本では80年代は空白の時期と言うことになっているのだが、欧米ではそんなことはない。日本ではこの時代がポストモダンの時代として歴史から抹消されようとしている。そんな歴史観に少し前までは賛成していたのだが、今はちょっと違う。ポストモダン=バブル=空白と言う考え方は余りに歴史を図式的に単純化し過ぎている。それをどういう風に逆転したらよいのだろうか?と考えているうちに夕方になってしまった。
夕刻一年ぶりに親父たちや兄貴家族と飯を食う。親父は今年大病をしたのだが、だいたい直り上機嫌。毒舌が絶好調。最近の政治は?と聞くと、「小泉はただのあほだが、小沢はまだまし。あいつは東大三回落ちてやっと慶応。英語はおれが少し教えたが全くできない。福田は東大二回落ちてやっと早稲田。かわいそうなやつ。人間的にはまあかわいい」。この歳になると殆ど親父より年下なので誰でもかんでも阿呆呼ばわり。年上はいないのか?と思いナベツネは親父の先輩?と聞くと、「ふざけんなあいつはおれの二個下だよ」などなど。お爺さんの毒舌は延々と続く。この酔っ払いお爺さんに聞き入る孫三人。こんなお祖父さんをもった孫たちは一体この人は何者だろうと不思議に思うのではなかろうか??まあこういう変なおじいさんの滅茶苦茶な発言を聞いて世の中の不条理に文句を言える人間になってくれれればそれに越したことは無いのだが、、、

December 30, 2007

悪党

滝口範子『行動主義 レム・コールハースドキュメント』toto2004を読んだ。予測はしていたけれど、こいつかなりいい加減な奴であることが理解された。でもいい加減だからできるさまざまなことがあるということもよく分かった。コールハースの建築はかっこいい、、、のだが時として急に醒める。その理由を、この本の中のインタビューで伊東豊雄が言い当てていてる。「それは99%の建築家がたどっている『かたちを生み出すプロセス』を割愛するということです・・・・レムの場合は、その普通の建築的土俵を踏まない。プログラムのダイヤグラムが突然かたちに変わると言うようなこともあって、こんなグラフィックで描いている物をいきなりかたちに移してしまっていいのか、」。そう、意図的に彼は、ダイアグラムを直接、形に変換する。そのやり方を真っ向から否定はしないし、レムのことだから、直接形にすると言ったところでとんでもない量のスタディをしていることは分かっている。しかし時としてダイアグラムがややシンプルに過ぎないか?と感じる。あまり確信があるわけではないのだが、ダイアグラムと言うヤツは抽象の産物である、物事のメジャーな部分だけをぐっと掴み出したものなのである。それをそのまま形にするということがとてもモダニスティックにみえてしまうのである。ダイアグラムは否定しないが、ダイアグラムは可能な限り錯綜しているべきものである。
しかし建築はともかく、彼の不良のような生き方はぞっこん惚れ込んでしまう。人間は年嵩を増すと共に修得してしまうものがある。貫禄、衒学的な知性、権威、等などが倫理と言う隠れ蓑に包まれながら醸し出す雰囲気である。そのおかげで人間はどんどん醜くなっていくのだが、彼にはそうした余分な物がくっ付いていない。どういうわけかこうしたピュアな人間は大人の世界では悪党と呼ばれてしまう。しかし、その部分だけは文句なくカッコいい。

December 29, 2007

リニアモーターカー

朝一で現場へ。今朝までに完成させると言っていたのはどこのどいつだ。まあできるわけは無いと思ってはいたのだが。工務店の所長にいくつか注意、修正点を残し現場を後にする。飛行機の時間まで少し余裕があるので、昨日の本屋に行く。dongさんに、中国で今一番流行っているポップス、アイドルソングなどを店の人に聞いてもらい、10枚くらいdvdを買う。中国ではdvdもcdも値段は同じようである。一枚300円程度。海賊版ではなくてこの値段である。ついでに都市の観光dvdも購入。果たしてどんな映像か?
本屋を後にし、いつもならタクシーで空港だが、今回はリニアモーターカーを使うことにした。ところがこのリニアの駅が上海市の中心から少し遠い。15分くらいタクシーに乗り駅へ。30分に一本くらいずつ走っている。料金は40元(600円)。社内にはスピードメーターがついている。250キロを過ぎたところから未知のゾーンである。車体の揺れが激しくなる。周囲の風景はまさに流れるようである。時速430キロまで出た。秒速12メートル。と思ったのもつかの間。減速に入りおよそ5分くらいで到着である。
プードンは帰りもがらすきである。体調はあまりよくない。今日の忘年会は控えておこう。ここで体調を崩すとちょっとまずい。

December 28, 2007

衝撃的な日

現場の近くということで泊まっているHutaing hotel は、古いホテルだが五つ星。この季節はオフシーズンだろうか?一泊一万円くらいで朝食もついている。その朝食も数種類のバイキングでとても美味しい。朝、風邪気味なので薬がないかとマネージャーに聞いたら、ものの数分後に日本人のアシスタントマネージャーが体温計を持ってやってきて、近くの薬屋にポーターを買いに行かせてくれた。とても親切なホテルである。
朝食後現在設計中のリサイクル工場の敷地がある大倉市まで車で行く。薬のせいか眠気が襲う。午前中はプロジェクトマネージメント会社と入札管理の契約、敷地の雨水排水の方法などについて検討打ち合わせ。あっという間に1時。昼食後地元の設計院で細かい設計の打ち合わせ。この設計院はプロジェクトマネージメント会社が選び夏に紹介された。その後確認申請や実施設計を共同に行ってきた。ナカジが隔週で出張し、指導してきた。ナカジはもう何度も来ているのだが、僕は今回初めてその事務所を訪れた。そして余りの劣悪な環境に気持ちが悪くなってしまった。文化というような言葉が存在しない国にやってきたのかと思うくらいひどい。会議と言っても会議室があるわけでも無い。社長の部屋の応接セットで始める。換気が悪いので窓を開けて行なう。しかし余りの寒さに風邪が悪化し頭はボーっとなる。最初はいろいろ発言していたのだが、あまりに自分の発言が彼等の常識の文脈とずれていることに気付きもうしゃべる気がしなくなってしまった。その上、寒さと寒気で後はナカジに任せてさっさと帰りたかったがそうも行かずジット我慢して打ち合わせの席に居た。まあ彼等は確認申請を通してくれれば役目は終りなのだからそれでいいことにしよう。もう二度と来たくは無い場所である。
夕方ケーキ屋の現場にもどりクライアントと会い現場を確認。こうした現場は出来上がるそばからいろいろなことに気付く物である。相手が悪い場合もあればこちらのうっかりということもある。なんとか修正策を考案し、やってもらうよう説き伏せる。つらい一日がやっと終わる。

December 27, 2007

上海現場

7時半に東京駅でナカジと会い、成田エクスプレスで成田へ。10時半の上海行きに乗る。フルフラットになるビジネスシート。ナカジも僕も寝不足のためフルフラットで眠りこける。1時半に上海到着。いつもはひどく混む入国管理が全く待たされなかった。通訳のDongさんと市内へ。ホテルチェックイン後、ケーキ屋の現場へ。何点か図面どおりではないところがあり修正を依頼する。ステンレスの切り板が金属メラミンとなっている。いろいろ交渉したがこれだけは直らない。その代わりにライティングダクトにつけるハロゲン照明を塗装して欲しいと要望する。今晩塗って明日持ち込めるという機動力には驚いた。さらにその器具を20個追加してもらった。なんと塗装しても20個で僅か3万円。安い。現場を後にして上海一大きい本屋へ。我々の作品を載せるといってデーターを送ったのに送られてこない本を探す。みずから検索コンピューターをチェックしたが、結局見つからなかった。夕食を簡単にとってホテルへ戻る。風邪気味なのだろうか?さっさと寝よう。

大掃除

今日から大学は休暇を頂いた。朝一の新幹線で東京。9時半に事務所。茶室の打ち合わせを行う。うんなかなか思った色ができたし、ランダムさのバランスがいい感じになってきた。嬉しい。壁面のデザインはほぼいけそうになってきた。壁面ばかり気にしていたが、壁面のおおらかさに比べて床面がかなり硬い。畳が半畳を九つ正方形に並べるのが今ひとつである。そこで壁面と同様な、長さ2メートル70、幅50センチくらいでやや台形の畳が欲しい。できないだろうか?いずれにしても行けそうなので今日クライアントの社長をつかまえ見せてしまいたい。
その後事務所の大掃除を開始。毎年これが結構大イベントである。朝からやってしかり夜までかかる。先ずはカタログ室の年次の古いカタログの廃棄。これが半端な量ではない。そして材料室の材料整理。一年間に取り寄せているサンプルがこれもまた半端な数ではない。材料室は12月になると足の踏み場が無くなる。これも不要な物を廃棄する。そして模型室の整理。ここは年に2回整理しているのだが、ここも年末になると足の踏み場がない。プロジェクトごとに一つは残すが、後は写真を撮って廃棄する。そしてその後、床の白いビニール長尺シートにクリーナーをかけナイロンタワシでこすりきれいにしてからワックスがけである。やっと1年間の垢がとれた。6時頃やっと終わる。それから、かの有名な焼肉屋「羅生門」で忘年会である。明日から上海出張なので今日は酒を飲まず、ウーロン茶である。
数日前インド工科大学の3年生から来年の夏ofdaでインターンシップを行ないたいというメールが来た。あまり気に留めていなかったのだが、この大学は結構有名な優秀大学であることを知った。しかし建築はどのようなものだろうか?その頃席が空いていればokしても良いのだが。

December 26, 2007

へとへと

12月25日
今日はスケジュールが分刻みでアップアップだった。9時から会議、九時半から会議、10時半から講義、12時からランチを取りながら学生の相談を聞き、午後製図、5時半から会議、6時半から学科の忘年会。今日帰るつもりだったが、諦めて一泊。へとへと。

December 24, 2007

時間が、、、

朝9時に四谷で友人と朝食。彼女とは高校を出てから年に2回くらいは会っているだろうか。現在はニュヨークに住んでいるのだが、年に2~3回日本に新鮮な日本のアートシーンを探りにやってくる。クリエイティブな話をできる数少ない友人である。2時間くらいと思っていたら昼になってしまった。午後は年賀状の名前書き。終わって少々読書。10+1の49号が届いた。2編ほど論考を寄稿している。「モンスターは何を語るか?」と題して日本でのデコン建築の意味するところを問うた。もう一編は「モダニズム言語は死滅したのか?」と題して21世紀の言語の可能性を考えてみた。10+1が来たことで年明に『建築雑誌』に出す原稿のことを思い出した。締め切りが気になる。1月半ばと思っていたのだが、確認したら7日だった。うわー日が無い。年末年始予定が詰まっているのでゆっくり考える時間がとれない。

December 23, 2007

dvd

昼からA0の勉強会。健康がすぐれないメンバーが多く、今日も井上君と二人で粛々と行なう。落ち着いて英文を追いかけるのは楽しいが、なかなか進まないのは困りものである。この調子でいくと三年かかる。フー。夜家族の希望で新宿にdvdレコーダーを買いに行く。電機メーカーに勤める兄にどこのdvdレコーダーがお勧めか電話で聞いたところシャープを勧められた。値段が一番安いし良さそうである。ヨドバシで兄から聞いたビックカメラの値段を言ったところ、すんなりその値段で売ってくれた。dvdレコーダーなど買うとテレビ漬けになるのでは?と心配なのだが、兄に言わせれば、よくできたプログラムだけを全部録画して、くだらない番組が流れないようにしてしまえば価値はある。つまり自分なりのプログラムを作ってしまえと言うのである。まあ予約をするというのがそもそもキライな僕の体質には合わないのだが言うことは理解できる。

12月22日
午前中はスコットの本を読んでいた。午後娘が通知表を持って帰ってきた。少し成績が上がったようで歓喜の声。事務所に行き打ち合わせ。茶室の室内展開のカラースキームを見る。予想したようにはならないことが分かった。時間も無いけれど考え直しかな?夕刻setenvの入江君の新居を三軒茶屋に訪ね、最近のミュージックシーンについていろいろ教えていただく。更に東京工場で行なったvariations の展覧会のまとめ方や中国工場でのイベントの可能性について話をする。雨の中帰宅。久しぶりの雨である。

December 21, 2007

ちょっと疲れた

朝早くからゼミをした。今年最後のゼミ。この後冬休みをはさみ20日近くゼミは無い。もう、後のことは学生自身の問題。pass or no passはなんだかコインを投げるようなもの。僕の指導力も問われるけれど手取り足取り歩けるようになるまで付き添うことを研究室の通例とはしたくないし、現実的にできない。午後は製図。この大学に来て少し製図が面白いと思えるような学生が現れてきた。これは嬉しいことだ。到達点のクライテリアが上がってきたこともあるし、やはりここまで身につけて来た質の様なものもあるのかもしれない。
夜のアサマで東京へ。車中、大森荘蔵、坂本龍一『音を視る、時を聴く』ちくま学芸文庫2007(1982)を読む。東京に降り立つと5度の温度差が体に優しく感じられる。事務所に戻ろうかと考えたが、電話をして明日の打ち合わせ時刻を決めて家に直帰。ちょっと疲れた。ふー。

会議3連発

松本の朝は寒い。ホテルから出るとスキー場のようである。キャンパス計画の最後の詰め。これから大学の上層部に承認を得るのだが、このスケジュール調整がとんでもなく大変である。時あたかも大学が一年の内で最も忙しい時期。一人の理事は1月に空いている日が2日かしかない。しかし民間会社だと秘書なるものがいてそうした調整をしてくれるのだが、大学にはそういう仕組みがない。午後某委員会。「じゃー後は坂牛先生の絵を待ってます」と軽いのりでお願いされてしまった。みなさん設計はカレーライスを作るようなものだと思っていらっしゃる。やれやれ。その後も某委員会。朝から会議三連発。日建にいてもこんなものだろうなあと思って自分を納得させる。
ソニーのIさんからメール。ソニーの本社ビルがコールハースの言う典型的なXL建築の不気味さをかもし出していると指摘したことに対して、「6,000人が就労していながら、窓が開かず、半数以上はビルから一歩も外に出ることなく一日過ごすというのは、どうみても異常で、少なくとも私には耐えられません・・・・・」という返事が返ってきた。こう言う意見もやはりあるのだろうなあ、あのプランなら。と妙に納得。

December 19, 2007

巨大キューブ

ソニーのIさんと打ち合わせ。初めて品川の本社ビルに入った。今年大江さんの設計で完成したこの建物は外壁ブレース構造の巨大なキューブに見える。Iさんは一辺100メートルのキューブだと言っていたが、さすがに一層10000㎡は無いだろうと新建築を見ると、100m×50mくらいである。それにしたって日建の常識からすると考えられないようなプランである。僕等は執務室は窓から15メートル離れてはいけないと教わったものだが、もうそんなの関係無いというプランニングである。中に入れば確かにこれだっていいのではという環境ではある。しかしIさんは窓の無い打ち合わせ室は絶対使わないと言っていた。やはり人は自然光を求めるのか?コールハースの言うとおり、巨大なビルの外皮はもはや内部を示す何物も無い。ダブルスキンの透明性はまさにIMACである。透明な殻の中にあるブラックボック化したCPUのようなもの。透明なブラックボックスである。最先端テクノロジー企業の皮肉なメタファーであろうか?

December 18, 2007

リーテム

朝一のアサマで事務所へ。年末の事務所の収納大改革のために、多量に購入したエレクタが所狭しと並ぶ。一部梱包が解かれ組み立てられていた。溜まっている連絡事項を電話で片付ける。付属の後輩でもあるソニーのIさんからメール。僕等の設計したリーテム東京工場の取材依頼。話が複雑なので電話する。彼はソニーでいろいろな企画をしている関係で海外アーティストとのつながりがある。その一人、フランスの映像作家セドリック・デュプレが日本のミュージックシーンをからめた都市の心象風景を映像化したいという。テーマはリサイクルミュージック。彼は日本財団の支援を得て来日中。単に映像化するだけでなく、日本のトップミュージシャンのライブを交えて撮りたいようだ。午後リーテムに行くので打診すると返事。山本さんが打ち合わせに持っていく茶室モデル3案を見せに来る。モデルの一部をカットし庭に苔を植えるよう指示。リーテムでナカジと合流。リーテムにはセットエンブの入江君、井上君もいた。これは都合がいい。映像取材の件を彼等にも伝える。入江君が興奮して話に割り込む。この作家は知っている。ミュージシャンの候補があり是非提案したいと言う。それならソニーのIさんのところに行くように指示。話が面白くなってきた。中国も日本もリサイクルをアートする。
アートの話は早々に切り上げ、昼食をとりながら、工場の打ち合わせ。27日からナカジと渡中することを伝える。上海のケーキ屋さんは明日から工事でナカジが渡中。そして茶室。緑ランダム色で帯状の壁を作る狙いだが、黄色い壁がいいと譲らない。とりあえず聞いておく。その後100年たつ水戸にある実家の改築計画の現調スケジュールを決める。1月8日に行くことにする。一つのクライアント相手に4つのプロジェクトの打ち合わせをしたのは初めてである。

December 17, 2007

世界の2極

casabella japan の760号が大学に届いていた。美術館特集である。ズントーによるケルンの新しい美術館。青木さんの青森。コープヒンメルブラウのアクロン美術館。などが載っている。圧倒的に目を惹くのはズントーのものである。その解説はこう書いている。「新聞報道では、先ごろオープンしたピーター・ズントー(1943-)の設計によるケルン大司教区美術館は、すでに『反ーグッゲンハイム』との評価を得ている。全てのスローガンがそうであるように、余りに短絡的な見方ではあるが、この定義にはいくばくかの真理が含まれている」。更にこの文章は、ゲーリーのそれが鳥のような形態でホワイエを作り、展示空間を後景化させたのに対し、ズントーのそれはミニマルな形態で展示空間に再度展示物のアウラを呼び戻したと続く。更に加えて、ヒンメルブラウのアクロンはゲーリーのステレオタイプがいまだ健在であることを示していると主張する。
今日のゼミで現代の世界標準はミニマリズムとデコンであると発表した学生がいた。世界標準とまでは行かなくともこれらが世界建築の2極と言って差し支えないだろう。そしてこれら二つのイズムが今月号のカサベラで美術館の二つのタイプを体現していることがゼミの発表とだぶる。ゲーリー(ヒンメルブラウ)もいいけど、ズントーも痺れる。世界2極になるのは無理からぬことである。

December 16, 2007

ミラン強し

サントリー美術館に鳥獣戯画を見に行った。最終日なので入館待ち行列である。携帯メールを見ながら並んでいると、「サカウシさん」と声をかけられた。振り向くと構造の佐藤淳さん。家族連れである。彼とは仕事以外でもオープンハウスでよく会うが、何時でも家族連れである。ベビーカーがいつもある。本当に偉いなあと思う。展覧会は混んでおり、いつものように駆け抜けた。大江戸線で人に会うべく移動。帰宅後、年賀状の宛名印刷。120枚入り4パック。結果的には500枚くらい。年に一度のご挨拶。コンピューターのアドレス帳に出てくる順に印刷。時折まったく思い出せない名前が登場する。一度だけ会って名刺をいただいた人なのだろう。覚えていない人に年賀状を出すべきか??夕方娘がブロックフレーテの学校対抗コンクールのようなものから帰ってきた、残念ながら次の大会へは選出されなかったようである。夜は皆でトヨタカップをテレビで見た。ボカの個人技は高いのだがミランの守備が一枚上。そして決定的な場面を決めるカカの力は群を抜いていた。

weak tie

年賀状を刷り、アルバムを作る。そして本棚の整理。探す本が見つからない。恐らく無い本は大学にあると思うのだが、、、夕方マンションの管理組合の総会に出る。職業柄、理事をお願いされてしまうのだが、どうにもこうにもこの往復生活だと時間がとれないので今のところ辞退している。しかしこうした総会くらいはミニマムな義務として出席しないわけにはいかない。そう言えば、先日読んだ竹井降人の『集合住宅と日本人』平凡社2007は毎日新聞の書評に取り上げられ北田暁大が評価していた。竹井が言うように、現代のコミュニティはウィークタイ(weak tie)で結ばれる。そしてその結びつきはこうした管理組合などへの最低限の「参加」によって作られるという。同感である。参加者の少ない総会であるが、こんな時にしか離れた住戸の住民とは会えないし、共同で住む場所を議論するのはこんな機会しかないのだから。

December 15, 2007

保育室で忘年会

デザイン論と製図、夕刻の委員会に出て研究室に戻り雑用。15分後の新幹線に間に合うか?滑り込みで19時5分のアサマ。魯山人の本を読む。駅を走る抜けた疲れで思わず居眠り。東京駅のモロゾフで大型プリンを4つ買い、三田線で白山へ。駅近くのスーパーで苺とペリエを買う。何のことはない自分で食べたい物だけ買っている。保坂クリニックへ向かう。クリニックの保育室を借りての忘年会。中学高校の有志15名近くが集まっている。まさか50近くの親父やおばさんが保育室で忘年会とは思わなかった。しかし保育室もいろいろ聞くと財政はとんとん。殆どボランティアである。偉いものだ。今日は忘年会たけなわ。タクシーのあるうちに帰らねば。12時前においとまする。

December 13, 2007

魯山人

魯山人を支援する魯山人會の発起人に名を連ねていた山田了作の息子、山田和が『知られざる魯山人』という本を書いている。それによると、山田了作は魯山人と交友が深く、彼の家は魯山人の食器、書画で溢れていたそうだ。そんな彼が魯山人の器を欲する知り合いを前に、一つの名器を差し出し「この器はすばらしいが一つかけているものがある。何か?」と問うたそうだ。答えられない知り合いに、彼は「その器にのっかるべき料理だ」と言ったという。器は見るものではなく、使うものというのが魯山人の信念だった。
もともと僕は陶芸に興味を惹かれその勉強をしてみたかったが、違う道に進んでからは興味の中心にはなくなってしまった。しかし私の配偶者のおかげで結婚後少し見る目がついた。彼女は小学校の低学年のときから魯山人のようになりたかった人で嫁入り道具の代わりに、盛岡の古道具屋で買いあさった骨董品を食器として持ってきた。そして毎日のようにそれを使い、旅行に行けば骨董品屋は旅行ルートに常にある。骨董というものは数百年の使用に耐えているだけあって落としてもそう簡単には壊れないものである。盛岡から郵送したものの中には割れたものも多々あったようだが、壊れず着いて使われたもので20年間で割れた物は数えるほどである。
魯山人の言うように使うと器はいい物である。食材が引き立つ。なんて当たり前の言い方だが、そう思うことはある。建築もそうだと皆言うが、人を引き立たせるために建築を作っている魯山人のような建築家なんてそういるわけでもない。それは無理からぬことである。魯山人は料理人でもあったのだから。人を引き立たせる建築は魯山人以上の離れ業をやってのけなければ達成できないはずである。

December 12, 2007

アンビルトプロジェクト

年末恒例の今年の作品アルバムを作り始めた。と言っても今年できた建物は一つだけ。あー寂しい。本当はできるはずだったプロジェクトMもアルバムに入れることにした。模型写真をフォトショップで加工しながら、ああ、確認申請まで取れていたのに、、、と残念な気持ちが蘇る。写真を改めて見ると、本当にいい設計だったなあと自画自賛である。できていたらなあ、、、そういう仕事は今までにもう一つあった。台場のIデパートの仕事。コンペだっただけにかなり進歩的な商業施設の計画だった。今はデックス東京ビーチになってしまったヤツである。デックスだってできたときはまあまあ斬新な建築だったけれど、元の設計は前代未聞だったのだ。しかしこうしてできなかった建築アイデアを温存してどこかで使うというのはどんな建築家もやっていることなのだろう。気をとり直してプロジェクトとして大事にとっておこう。

December 11, 2007

ニューヨーク便り

FM放送のどっかの局のサムライUSAとか言う番組で塩谷陽子がニューヨークのアートシーンを語っていた。彼女の話では日本の伝統芸術を含めた様々なアートがNYで加工されて彼の地のアーティストによって演奏されたり、演じられたりするのがとてもクールだとか。それを彼女は料理の比喩で語っていた。「例えば茶碗蒸しがアメリカで美味しいと皆に賞賛されたとする。そこで誰かがその椀に入っていた椎茸の香りが茶碗蒸しのエッセンスだと見抜き、その椎茸を使った新たな料理を生み出す。そしてそこに茶碗蒸しの仄かな香りが漂っていたなら、それは日本の伝統の新たな継承であり展開であり文化のあり方としてとても素敵ではないだろうか?」と言うのである。そして今NYで起こっている日本の香りのするアートシーンはそんなことだと言う。そして彼女は自分がディレクターを勤めるジャパンソサエティでそうしたアーティストのパフオーマンスを企画運営しているそうだ。
なかなか素的な話である。と言うことを彼女にメールしたらものの3分で返事が返ってきた。ニューヨークは深夜かと思っていたら9時だった。明日は日本に来るとのこと。日本にいる間に会えるかな??

December 10, 2007

笛の音

さっきから部屋の外から聞こえるリコーダーの音。メトロノームのリズムに合わせ練習曲の旋律が聞こえる。途中で手が回らないのか、呼吸が続かないのか止まったり、リズムが狂う。そのうち「ブー」とヤケ気味な音が響く。また気を取り直したのかタカタカタカタカと刻んだ音が聞こえるが、スピードを上げるとつっかえるようだ。たまに吹いているそばを通ると、「どうしたら吹けるの?」と聞かれるので「3倍の速度から初めて、メトロノームのスピードを少しずつ上げたら」と言う。昔そんな風に早い曲を練習した記憶があるからなのだが。
こちらは「建築の条件」を厚みのあるものにするために関連本のスキャニングである。先ずは最近読んだ本を忘れないように、「視覚」関連の本ファッション関連のものについてスキャニング。重要だと思っていた部分を思い出すのは時間がかかる。アンダーラインしていると、今度は見つけるのは簡単だが、スキャニングしてocrが上手くいかない。これからはアンダーラインではなく、文頭に○をつけるようにしよう。

December 9, 2007

整理2

いつも12月になると、自分の見の回りの整理をする。別に人に自慢できるようなことでもなく、大掃除の一環である。ただそれは単純な掃除でもなく、昨日読んだ佐藤可士和のように身の回りの物の整理に加え、頭を整理して情報の整理を行なうということでもある。それは来年はどのようなことをテーマに情報を収集し(本を読み)それをどの程度行い、どのように蓄積しようかと考えることでもある。
あまり厳密で堅苦しいことではないのだが、家、大学、事務所の本棚を整理して捨てる本、買う本を考える。ノートやカードを買ったり、コンピューターの整理をしたり、どのように情報収集するか、どのくらいのペースでまとめるかを考える。今年は机の上にある性能の悪いスキャナーを買い換えることにした。スキャナーは情報収集の重要なツールなのだが、今持っているものは立ち上がりが異様に遅いのである。ヨドバシで新しいスキャナーとプリンターとオールインワンの機種を買った。2万円である。本をスキャンしてテキストファイルにするには2番目の機種の方が素早い。しかし2番目とはいえスキャンもプリンターもついて2万円とは実に安い。大量に売るつもりの製品は値段が下がるということだろうが。更に本棚を少し拡張するためにハンズでシナベニヤを切ってもらう。

December 8, 2007

整理術

佐藤可士和の『佐藤可士和の超整理術』を読んでみた。どうも広告代理店出身の人の言葉は上滑りしているようで苦手なのだが、彼の言っていることはとても基礎的である。彼はいい仕事をするには整理が必要で、それは空間整理、情報整理、思考の整理の3つだという。空間整理の基本は身の回りの整理。ものを捨てろ、鞄を持つな、机の上に物を置くな。と徹底している。情報整理は、1状況把握、2視点導入、3課題設定という3つが基本だそうだ。どれも企画をやるときの常道と思われる。企画に近道なしということだろうか。彼のヒット作は着実にこのプロセスの上で行なわれている。国立新美術館のロゴコンペで「新」をロゴにしたのもこのプロセスを丹念に繰り返した末のようである。あの美術館には10回以上行っていると思うが、「新」のロゴは網膜に焼き付いている。

ファッションと建築

12月7日
後期後半課題で敷地見学。僕の設計した長野県信用組合のはす向かいの敷地。県信の西沢さんにはあらかじめ60名くらいの学生が周囲をうろうろしますからと電話をしておいたら顔を出された。立ち話をしていたら当時の理事長(現在相談役)が偶然降りてこられた。長野に来てから最初にご挨拶せねばならない人だったにもかかわらずできなかったので赤面である。建物が10年たっても新品同様で今年の景観大賞部門賞を受賞したことを喜んでいらっしゃった。ほっとする。建物内のカフェで西沢さんとコーヒーを飲む。床はぴかぴか屋上庭園の植栽はきれいに剪定されており嬉しい限り。不具合は電動の可動部に多く発生しているとのこと。ブラインドやら排煙窓やら。竣工後のこうしたご指摘は貴重な情報である。
敷地見学が終り東京へ。車中、成実弘至の『20世紀のファッション文化史』をやっと読み終えた。19世のオートクチュール創始者ワース、10年代の優雅なポワレ、戦前を制したモダニストシャネル、30年代のアーティストスキャパレッリ、戦後アメリカの大衆消費社会に並走したマッカーデル、戦後のニュールックディオール、60年代若者の代弁者マリークワント、70年代のパンク、ビビアンウエストウッド、80年代の脱構築コムデギャルソン、そして90年代のグローバルブランド時代、それに対抗するマルタン・マルジェラ。この各年代ごとの特性にはそのまま建築家をあてはめることができるような気がした。ワースには世紀末の誰か、ワースにはアールヌーボーの誰か、シャネルにはコルビュジエ、スキャパレッリには未来派の誰か、マッカーデルにはイームズ、ディオールにはサーリネン、マリークワントにはアーキグラム、ウエストウッドには?、コムデギャルソンにはりべスキンドあたりか?、グローバルブランドは日建?som?,そしてマルジェラは青木淳あたりか?
この本自体かなり建築とファッションの相関関係を意識しているが、同じ表現の潮流として両者に関係がないわけがない。
7時新宿。仕事でロンドンから出張してきた友人を囲んでちゃんこを食べる。ヨーロッパではご多分に漏れず、東京のミシュラン指定のレストラン数が話題だとか。山本益博の息のかかったところが指定されているというのが某広告代理店の中での評判だそうだ。ロンドンのテレビには毎度彼が登場していたそうである。

December 6, 2007

中国でアート

ofdaの仕事にアートの側面から深くかかわったり、僕のシンポジウムの企画をしてくれたり、翻訳を一緒にやったりして、多分一生いろいろなことを一緒にやっていくだろう、若い僕の教え子から電話があった。いろいろな話をしていたのだが、話題の一つは中国のリーテム工場ができたときにそこでなんらかのアートイベントをしようというものだった。これは面白い。中国で人が呼べるものなら痛快だ。しかもあんな田舎に。更に彼の考えは、そのイベントに世界的ミュージシャンのSを呼び、全体を、かの有名なA社のレーベルからdvd+cdで出そうというものである。
彼の発想はその辺の出版社や広告代理店が考えそうな表層的な話題づくりではない、いつもとてもシリアスなのである。そんな訳でそのあたりのイベントのコンセプトとここ2~3年のミュージックシーンの変化をディスカスすることにした。楽しみである。
一昨日から一人試用のスタッフに手伝ってもらっている。今までの彼女が担当した現場では工務店が施工図を一枚も描かなかったそうで全て自分で描いてきたと言うことである。それは彼女のスケッチを一目見て分かった。ディテールの手描きスケッチがかなり早い。先ずは一安心である。ナカジの下で中国プロジェクトがこれで上手く進みアートイベントの背景として素敵な仕事になると嬉しい。来年はいい年になりますように。

December 5, 2007

試験勉強

娘の期末試験に巻き込まれ中学の理科を深夜付き合って勉強するのだが、この年になって中学の理科というのは結構ためになる。特に今晩付き合ったテーマ;飽和水蒸気量と露点などは建築設備の基礎知識:結露の勉強になるものだ。日常の普通の科学、つまり新聞に載る程度の科学知識が理系の僕でも覚束なくなることがよくあるものである。そういうあたりをもう一度思い出すのに中学生の勉強はとてもよい。英語だって、数学だって、この頃の勉強は思い出しておくと日常的に役に立つ。世の中はやはりこの義務教育までの知識で分かるようにできているし、逆にこの知識がないと分からないことが結構ある。高校になると正直言ってかなり専門的だし、そんな知識は不要である。
ちょっと眠いがそんなわけで娘の勉強に付き合うのはちょっと楽しい。

December 4, 2007

大衆との共振

電車の中で成実弘至のファッション文化史を読んでいて妙に腑に落ちることがあった。それはアメリカンカジュアルの創始者クレア・マッカーデルの部分を読みながらであった。マッカーデルはシャネル同様古典的な服飾を革命的に瓦解したと言われている。しかし二人には大きな差異があり、それは前者が上流階級を相手にし、後者は限りなく一般大衆の身体に結びついていた点である。そこを読みながら、僕は先日買った中野正貴の写真集、My Lost Americaを眺めていた時の気分を反芻していた。80年代のアメリカに感情移入しイカレタその気分をである。イカレタ理由は80年代自分がアメリカにいたからだろうとその時は思ったのだが、今日成実の本を読みながら理由は別だなと感じた。
少し恥かしい話だが、これはどうも僕の生い立ちの中で培われた精神性の中に原因があるように思われた。並みの家庭で育った僕は経済的には中流だが、60年代の日本の平均からすると文化的にはかなりレベルの高い親に育てられ、ある種の情操教育を受けていた。しかし一方でピュアなマルキストな父親の影響があったからだと思うが、根底に体制を嫌悪し権威をあざ笑う精神性が子供のうちから染みついてしまった。情操教育と権威批判は必ずしも矛盾するモノではないのだが、だからと言って相性の良いものではない。そもそも文化的情操教育なるものは権威のお墨付きを得てこそ達成されるものだから。
そんな矛盾が結局、自らの進む道を純粋な芸術から遠ざけ、建築などに向かわせたのかもしれない。そして、こうした精神性は高貴なハイカルチャーを志向すると同時に、そこに胡散臭さを見てしまう自分を生み出した。例えばヨーロッパの建築や文化の研ぎ澄まされた感覚を称揚しつつその中に虚構を見、アメリカの弛緩した空気に安堵を覚える自分を作り出したように思われるのである。マッカーデルの志向はそうした僕の」安堵」を思い出させた。つまりMy Lost Americaを見ながらイカレタ僕の気持ちとは「一般大衆の身体」が持つ精神性への本能的な共振だったと納得されたのである。

December 3, 2007

contemporary theory

今日中に帰ろうと思ったのだが、余りに雑用が多く諦めた。雑用を終えて、一昨日届いたCharles Jencks and Karl Kropf 編 Theories and Manifestoes of Comtemporary Architecture second edition Wiley-Academy 2006 の目次に目を通した。1950年代からの主要な建築理論とマニフェストの要約が並んでいる。この中に日本の建築家が四名入っている。黒川、磯崎、槇、安藤。彼等が国際的なのは、やはり彼等の作り方が国際標準に照準を合わせているからなのであろう。世界を相手に作るのか、日本を相手に作るのか、日本のある場所を相手に作るのか?作り方の照準を定めるのは重要なことである。ところでこの本は第二版であるが一版に加えられた理論の著者はCecil Balmont, Foreign Office Architects, Daniel Libeskind, MVRDV, Lars Spuybroekhttp://nl.wikipedia.org/wiki/Lars_Spuybroek, UN Studio, West8だそうだ。どうもジェンクス色が濃い。複雑系に偏っている。例えばこの中にはミニマル系は全く取り上げられていない。

シンポジウム

12月2日
京都造形芸術大学と東北芸術工科大学の合同展覧会とシンポジウムが、横浜のBank Artで行なわれ、そのシンポジウムに呼ばれて顔を出した。京都からは中村勇大さん高崎正治さん、東北からは竹内昌義さん元倉真琴さんが来られ、両校の3年生が20名くらいずつ3年の課題を持って集まっていた。両校は姉妹校ということで数年前からワークショップなどを開いているそうで、課題を集めて展覧会にしたのは今年が最初だそうである。遠いところから集まってこういうことをするのは大変だろうが、なかなか意味の濃いことのように感じた。特に僕のいる信大などは、井の中の蛙で大海を知らない。その意味で、卒業設計などではなく3年くらいのうちにこうした他大学との交流を持つことが望ましく、両校の交流を羨ましく拝見した。シンポジウムの後学生を交え中華を食しながら語らった。中村さんとは10年以上前にお会いして以来で懐かしかった。高崎さんとは初めてお会いしたが、あんな建築を作っているので怪物みたいな人かと想像していたがとても気さくな優しい方で建築家というよりか芸術家という風格の人であった。宴たけなわというところで僕は最終で長野に行くべくおいとました。なかなか楽しい日曜の午後であった。

December 1, 2007

散歩

近くにできたハンバーガー屋にかみさんとランチを食べに行った。我が家前面を走る津の守坂(つのかみざか)を防衛庁の方に下っていくと、先日ミシュランの一つ星をとった和食屋さん(この和食屋看板が無い)の隣の隣に、この店はある。ランチはBLT(ベーコン、レタス、トマト)サンドイッチかハンバーガー。飲み物がついて1000円。量はたっぷりあってかなりうまい。食後少し散歩。そのハンバーガー屋を出て靖国通りの一つ手前の裏道を左折し、外苑東通りの立体交差の下を潜り抜けて少し行くと敦煌という中華料理屋がある。ある人がこの店は美味しいと言って地図まで書いてくれた。美味しい店の通例で無愛想な入り口がついている。開けてみようとしたが昼はやっていないのか開かなかった。その隣に墨色の壁の日本酒バーがある。壁に小窓が一つ開いているので中を覗くとそばちょこが並んでいる。これはいけそうである。中華を食って日本酒を飲むというのもいいかもしれない。坂を上り外苑東通りに出る手前に遠藤政樹さんの円弧状の屋根の家がある。荒木町の杉大門通りを歩く。歌舞伎町の如く飲み屋が密集している。荒木町に300件近くある飲み屋の一角を担う通りである。今井屋本店というチェーン店の焼き鳥やがある。かみさんがそれを見て「焼き鳥を食べたい」と言う。新宿通りに出て左折しスターバックスに行きコーヒー豆を買い帰宅。丁度家の周りを三角形に一周歩いた。薄着で歩いたせいか体が冷えた。

講評会

11月30日
昼から2年生の製図の講評会。ゲストが偏らず、同じ穴の狢にならぬように、今回は千葉の岡田さんに来てもらう。半期に2度くらいずつゲストと一緒にクリティークしていると、ゲストが何と言うかを予想するのが楽しみになる。だいたいその人の設計思想から、予想は当たる。岡田氏の場合もだいたい心に思い描いたようなものであった。早稲田らしく先ずは建築の常識ができていること、プロポーションを見て、モダニスティックなデザインの構築力があることをきちんと見る。その上で飛んでいる作品を面白がるが、ちょっとトレンディな形には目もくれない。今年の2年生はなかなか頑張っていると思う。どこまで続くかわからないけれど、楽しみである。しかし製図ができることだけでなく、バランスや、正確性、言葉、などなど、つまりオツムの回転も、いや、の方が大事なのだが。
製図が終わって生協の喫茶室で懇親会。2年生の参加者が少ない。8時頃おいとまし8時20分のアサマで東京へ。車中、千葉大の様子をいろいろ聞いた、うちより進んでいることもあれば遅れいていることもある。
帰宅すると娘につかまり12時過ぎまで英語の本につきあわされる。仮定法過去?過去完了??結構、文法は忘れるもの。「未来形の過去ってどういうこと??」なんて言われてwouldの用法をさらっと説明できない、、、、、