« January 2008 | メイン | March 2008 »

February 29, 2008

有賀さん

2月28日
やっと午前中に校正原稿を返送。午後リノベーションのスタディを竹内君とする。コンセプチュアルモデルを一つ作る。家に帰ってイーグルトンの『美のイデオロギー』を読む。夕刻事務所に戻りそのまま有賀さんの送別会。彼女は長谷川逸子さんの所をやめてその後ofdaに来て2年半勤めて、家庭の事情で実家に帰ることになった。中華料理屋で送別。いろいろとofdaに貢献してくれたし、最後の一年に二つの竣工物件を完成させた。ofdaはスタッフを使い捨てにしたくない。その後立派に成長して欲しいと思っている。彼女なら今後きっと伸びる。2次会はブルースパブ。3次会は居酒屋。一人二人と帰ったものの最後まで10人くらいはいたようだ。有賀さんがお別れの言葉で「まだ住宅の仕事をしたかったけれど家庭の事情でやめざるを得ない」と泪を浮かべて語ったのには感無量。是非今後も自分の可能性を追い続けてください。

February 27, 2008

校正

出版原稿の第2稿の校正。奥付の校正も郵送されてきた。これによると残念ながら出版日は5月20日である。今年度中の出版はやはり無理のようである。ここまできても生没年の分からない人がいる。『塔の思想』を書いたマグダ・レヴェッツ・アレクサンダー。建築批評家、リアンヌ・ルフェーブル、ガブリエル・ロイトハウザー、マーク・ウィグリー。ルフェーブルのように生存している女性だと年齢を公表しないケースが多く知る方法はもはやない。

八潮

2月26日
午前中雑用。午後筑波エクスプレスに初めて乗り、そして初めて八潮という場所に行く。日工大の小川さん、茨城大の寺内さん、東北工大の槻橋さん、神大の曽我部さんに会い八潮市役所の方の案内で市内を視察。八潮市とは秋葉原から電車で19分のところにある市。筑波エクスプレスが開通したことで突如東京との距離が近くなり人口が急増している。そのためマンションが増加し、戸建住宅の乱開発などにより景観が崩れそうになっている。そこで市としては八潮市らしい街づくりを思案し小川君に相談したそうだ。小川君の研究室で1年くらい調査したようだが、2年目からはいくつかの研究室が集まり、ワークショップなどを開き、3年がかりくらいでモデル住宅を作るべく彼が計画を練ったようだ。今日は市長、副市長に会い、お話を聞いた。なんとも意欲的で素早い行動をとる行政があるものだ。やはり人口急増で潤っているからだろうか?
夜まで打合せ、北千住で夕食。ここに来ると遅くなる。

February 26, 2008

母性の喪失

2月25日
後期日程の入試。朝から雪かき、というか構内歩道にへばりついた氷割り。昼から晴れてきて一安心。
夜、江藤淳『成熟と喪失』河出書房1967再読。「江藤淳」、本名、「江頭淳夫」だったと思うが、僕は大学時代この先生のゼミをとっていた。ゼミのタイトルは忘れたが内容は日本の近代化を当時の外交文章(アメリカのもの)を精読することで明らかにしようとするものだった。今でも頭に焼き付いているのはmodernization(近代化)=westernization(西洋化)というテーゼである。
『成熟と喪失』は子が母性にそむかれ、そしてそむく中で成熟する精神的な成長を、安岡章太郎、小林信夫らの小説を分析しながら跡付けたもの。しかしそのこと自体はむしろ比較的当然の事実であり、ポイントはそうした母性との決別を通して日本のアメリカ化が日本文学の中でどのように表出してきたかを明らかにしている点にある。と僕には読める。なんでこんな本を学生時代以来再度引っ張り出してきて読んでみたかと言うとこの母性との決別という江藤のテーゼを「建築の他者性」というゼミの1テーマの中で議論の中心に据えてパワポを作った学生がいたからである。しかし繰り返しになるが、僕の読む限り、子が母との葛藤のなかで成熟すること自体は別に江藤の専売特許でもなんでもない。そうではなくてそこにアメリカとの関係を持ち込んだことが彼の卓見である。昨日読んだ大衆消費社会との関係で言えば、戦後日本に怒涛の勢いで流入されたアメリカ的豊かさに敏感に反応し、消費の海の中で平衡感覚を失った日本人を察知したことが江藤の慧眼だったと言ってもいい。建築においてもし母性と言うような言葉使うのならば、こうしたコンテクストをどう関連させ得るのか?そここそが問題なのだと思う。さてそれではこのパワポをどう修理しら良いものやら??

大衆消費社会

2月24日
午後からA0勉強会1年半ぶりにロンドン留学中だった光岡君が復帰。彼にロンドンから送ってもらった「倫理的誤謬」の章をまだ読み合わせているのだからこの本はなかなか面倒臭い内容である。『言葉と建築』より難しいのではと僕が問うと、彼も実例が出てこない観念的な話なのでなかなか内容が掴みにくいと同意していた。勉強会終了後帰宅。風呂に入ってリラックスして飯を食い大学へ出かける。東京駅で初めて気付いたのだが、長野新幹線は強風で大幅に遅れているようである。9時半なのに出発する電車は7時半の遅れた電車である。そのせいか社内は満員。車中、犬田充『大衆消費社会の終焉』中公新書1977という古い新書を読む。地球上に消費を美徳とするような文化が生じたのはこの数世紀のことであり、こうして生まれたホモ・コンスメンスのヘドニズム(快楽主義)から人類は決別しなければいけないという問いを著者は投げかけている。今から30年前僕が高校3年のときにそういう発言があったということを再認識。長野は雪。明日の入試が心配である。北大は既に一日延期を決めいている。

February 23, 2008

今日は寒い

朝、明日の勉強会の予習。その後事務所で打合せ。ナカジと青山のヴォリュームスタディ。小倉君は黙々と中国の模型を作っている。今日が最終日。ご苦労様。3人で昼食。午後また明日の勉強会の本を読む。その後早稲田のパワポのためのスキャン。出版社から第二稿が速達で届く。またもや原稿280ページの殆ど全ページに赤が入ってきた。前回の初稿も真っ赤でそれを校正して次は確認程度かとおもいきやさにあらず。その上「第三稿では索引を入れます」という手紙も入っている。この出版社は丁寧に本を作ると以前東大の西村先生が言っていたがその意味がやっと分かった。文字の大きさから図版の位置まで本当にそのチェックの密度は衰えない。4時頃かみさんと家を出て「赤の家」に向かう。夕食に招待された。日建の先輩後輩が10名ほど集まった。今度信大の建築学科分離独立の際に外部評価委員になっていただく亀井さんもいらっしゃった。構造の小堀さん、そして奥様。後輩の中村さん、同期の西村。などなど。自分の設計した建物に他の建築家がくるのは少し赤面だがまあ仕方ない。クライアントが日建の人なのだから。
10時頃全員でおいとま。今日は風が強く本当に寒い。

February 22, 2008

リノベーション

午後上田の繊維学部でcmpの説明を行い。上田から夕刻のアサマに乗る。五十嵐太郎編『リノベーションスタディーズ』INAX出版2003を読む。水戸のリノベーションの参考にと思って研究室にあるその方面の本を鞄に突っ込んだ。その中の一冊である。連続シンポジウムの記録なので、さまざまな体験談が記されている。なかでも青木淳のコメントは面白い。曰く、リノヴェーションでよくありがちな材料へのフェティッシュな思い入れは意味が無い。それは受容者側に発生している意味作用に過ぎず、建築の形式が持つ価値では無い。もちろんそういう言い方も可能かもしれないが、そうとも言えないだろう。建築の素材が持つ絶対的価値だってある。
事務所で茶室色彩検討。少しづついい線に近づいている。その後水戸のリノベーションブレスト。スタッフ4人とバイトの工藤さんを入れて意見を出しあう。まだまだ形にはならない概念的な話。10時には終える。

February 21, 2008

建築と階級

昼の電車で松本へ。松本地区のcmp説明会。40分ほど説明を行い、質問も比較的建設的で前向きなものが多くほっとする。残りは明日の繊維学部。大学に戻り雑用を済ませ内田さんの『近代日本住宅史』の残りを読み終える。なんでこんな本読んでいるかというと、建築表現と社会の階級制度との相関を見るためである。もとはと言えばファッションの表現が階級性の表現であるというヴェブレンの指摘に始まり、ファッションの一般化、大衆化が市民社会の成立と大衆消費社会に後押しされたことを読み、その類比として建築を語れるだろうと考えたのがきっかけである。近代住宅も明治初期は階級制度の表現として上流社会の住宅と中流住宅ははっきり異なる様式で作られ始めた。そして上流階級の住宅は洋風か和風かそのオーセンティックな表現だった。ところが上流階級のそうした表現はそれ以上の発展を見なかった。それは上流階級が減少し、日本にも近代市民社会が徐々に成立したからだと思われる。圧倒的なニーズは中流階級の住宅であり、更に戦後日本においては住宅の大量供給に大半の建築家は従事せざるを得なかった。ここにおいてもはや上流階級の建築の表現はテーマとなる資格も意味も失ってしまった。もちろん現在であろうと豪邸は存在するし、誰かはそうした建築を作っているのだが、それは極めて特殊解として議論の対象になりずらくなったということであろう。更にいえばこうした上流階級の住宅が上流階級を記号化して表示する動機を失い、またそうした記号としての様式が消滅したことにより、もはや建築が階級を示す記号ではなくなってしまったのである。というのが内田さんの本を通読した範囲で分かった建築と階級の相関関係である。
しかし話は続きがある。それは昨今の格差社会と建築の関係である。格差社会の上のほうにいる人たちは実は建築好きが多い。しかし彼らはもちろんもはや過去のものとなってしまった上流社会建築の記号を振り回すこともできないし興味も無い。彼等が欲しいのは記号ではなく実体としての上質な生活であろうと思われる。そしてそれはある程度の差異化も求めている。しかしそれが何かとネーミングできるほど僕には分かってはいない。またそうしたリクエストが新たな表現に繋がるかも目下不明である。

February 20, 2008

セイムスケール

午前中のアサマで大学へ。車中、内田青蔵他による『近代日本住宅史』鹿島出版会2001を通読。午後二つの会議。学生と夕食。夕食後学生に頼んでいたセームスケールを眺める。これは春休みの研究室の宿題で20個のプランを暗記しようというもの。
①サボア邸、②落水荘、③ファンズワース邸、④レイクショアドライブ、⑤シュレーダー邸、⑥小篠邸、⑦白の家、⑧代田の町屋、⑨シルバーハット、⑩角窓の家、⑪ユニテ、⑫東京ミッドタウンギャラリー、⑬岩崎美術館、⑭浮世絵美術館、⑮ギャラリートム、⑯アトリウム、⑰パレスサイドビル、⑱日建本社、⑲メディアテーク、⑳青森美術館
これらのプランを見ているとその大きさの差に驚く。例えば白の家は10メートルの正方形。サボアは20メートルの正方形。面積は4倍である。レイクショアドライブのワンユニットは12×20くらい。ファンズワースの屋根のある部分は9×23くらいでレイクショアのワンユニットと似たようなスケールである。白の家が二つ入る。メディアテークは一辺50メートル。白の家が25個きれいに並ぶ。ギャラリートムは13×10白の家と同じ。パレスサイドは巨大。構造的に平面が25×25弱の正方形で11に分割されている。サボワ邸が11個並んでいるような物。ということは白の家が50個くらい入る。
セイムスケールは日建時代からよく作った。しかし大体何かプロジェクトをするときにそのビルディングタイプの類似事例で作ることが多かった。今回のように住宅からオフィスまでやってみるとスケールの差が如実にわかって不思議な発見があるものだ。

打合せ

2月19日
午前中は早稲田講義のパワポ作り。ヴェブレンの『有閑階級の理論』ちくま学芸文庫1998を読む。お昼前、事務所に。3時から茶室の打合せ。信大工藤さんの作った1/20の模型に着せ替え人形のように内壁の5パターンの色を貼り付けながら最終的な色彩の検討。黄色系か緑系か、そしてどの程度の色の差を作るのか、さらにそのパターンがポイント。色の問題は様々な知覚要素が絡むので1/20の模型でも分からない。しかし直感的に黄色系を選択。そして色の差をもう少しつけること。さらにあまり細かなパターンにしないことを確認。細かな判断は担当山本さんに一任。色は合議制で決めると失敗するというのが僕の自論。目がくらくらすような打合せ終了。次に信大小倉君の作った1/200の中国工場の模型と竹内君の作った矩計図、平詳図を検討。図面が大きくなると気にしたくなることが様々出てくる。終わって8時だが勢い青山のヴォリュームスタディの打合せ。等価交換してデベが参入したくなるモーティヴェーションの閾値はどこにあるのか???分からないことは沢山あるのだが、とにかく可能性を検討する。こうした検討の最初はいつもひどくプラクティカルなもの。形が見えてくるまでは仕方ないとはいえども、、、、、、
終わって10時。信大の学生、事務所の面々と夕食を。そして夜の荒木町でジャズ・ロックめぐり。

February 18, 2008

農学部

9時から会議、10時半から会議、11時から会議、その後メールチェックして学食で昼をとり長野駅へ。特急しなので松本へ。そこで本部施設課の課長や理事のf先生たちと合流し車で伊那の農学部へ。農学部の先生へのcmp説明会。農学部は来るたびに思うが本当に美しいキャンパスである。癒される。急遽決まった説明会なのに大勢の先生方が集まられた。せっかく遠くまで来たし多くの方に聞いて欲しいと思う反面。大反論に巻き込まれたらどうしようかと心配だったが、質疑も好意的なものが多くほっとした。1時間ほどの説明会を終え、車で松本まで戻り夕刻のアズサに飛び乗り新宿へ。事務所から送られてくる様々なメールを見ながら、憂鬱になったり、喜んだり。未だに終わらぬコラージュ論を読み続ける。今日はエルズワース・ケリーのコラージュである。ケリーの転写の概念はユニークである。それは三次元的な現実を扱わず、視覚の中で2次元で現れるもののみを対象として写し取るという手法である。ルネサンス以来の絵画は3次元を2次元に変換することに様々な工夫を凝らしてきたわけだが、そうした変換を必要としない対象の選び方にケリーの発送の転換を感じた。
夜事務所に戻り、打合せ。信大の二人は黙々と模型を作っている。だいぶ形が見えてきた。頑張れ。

分析的コラージュ

2月17日
早朝、皆起きてくるまでその辺に転がっている洋書を飛ばし読み。遅めの朝食。そろそろ本気で早稲田で行なう講義のパワポ作りを始めないと間に合わない。下地は後期ゼミで学生といっしょに作ったもの。先ずはこの作業に何日費やせるか確認。多くて正味12日。厳しいなあ。一つを完成させるのに1.5日というところ。今日は階級論をやろう。しかし考え始めて買っていたつもりのウェンブレンの本が無いことに気付く。アマゾンに注文。目次を作り変えてとにかくシンプルで無理の無い論理構成へ変更していく。結論のあたりがやはり難しい。学生の結論はひねりをきかそうと苦労しているのだが意味不明。かといって気の利いたオチが作れるかと言うとそう簡単にはいかない。結論は後回し。最終のアサマにのる。車中再びコラージュ論。今日はジャン・アルプのコラージュ。ダダイストアルプのコラージュは「偶然の法則」で有名。著者の分類では分析的コラージュと呼ばれるもので、自分の作品を切断して再度継ぎ合わせるものである。クレーの場合は直線で切断(鋏で切断)していたが、アルプは手でちぎってそれを床にばら撒くという手法を多用したようだ。また曲線が集積したような版画を切断していくつかのつぎはぎを作っている。そこに完成した作品はあたかも最初からそうであるかのような偶然の驚きがなく、むしろ計画的な美が感じられる。
クレーやアルプの作品をみていると、建築においてもこうした分析的コラージュの手法が有効に思えてくる。今度どこかで試してみたいものである。

February 16, 2008

NATURE

高校時代の同級生メイリングリストがある。時たま風の便りが届く。年に一度くらいは飲み会をやっているのだからあえてメールというほどでもないのだろうが、まあ仲がいいということだろう。数日前、そんな風の便りで同級の女性が子育ても終わらぬうちから母校の地学の先生になったというめでたい話が届いた。それに皆がお祝いの言葉を送る。そして近況をひとこと加える。その中で、筑波で物理の教授をしている青木慎也の近況は画期的だった。 彼が昨年発表したParticle physicsにおける論文 Hard-core calculationsがNature誌の選ぶ自然科学分野における2007年のハイライト研究21件の一つに選ばれたとのこと。日本から選ばれたのは2件で、もう1件は今をときめく京大の山中教授の(分子生物学)のiPS細胞だそうだ。いやはやたいしたものである。先日運動部仲間と会った時、少なくとも同学年に一人、下級生に一人ノーベル賞候補がいると話題になった。それにも唖然としたが、青木もこれなら相当いい線いくのではかなろうか?頭のいい奴というのはいるものだ、青木は高校時代、授業中に異様な集中力を発揮し、授業だけでテストは殆ど満点をとるような奴だった。後はパチンコ・マージャン。「勉強はしないでできるのが粋」とする母校の校風を地で行く男だった。そういう天才に比べると、自分はとても普通の人である。

February 15, 2008

追っかけられる

朝一でクライアント打ち合わせ。御茶ノ水に行く途中、大学から電話。打ち合わせの途中、大学から電話。打ち合わせ終り、大学から電話。追っかけられ続け。来週。月曜日○○学部におけるCMPの説明依頼。同じ日に他学部で説明の依頼、一方は断る。水曜日○○学部における説明の依頼。金曜日午後○○学部における説明の依頼。もうだれかやって------。僕一人で作ったわけではないのに、説明するのはいつも僕では体がいくつあっても足りない。これからどうなってしまうのだろう。
茶室の工務店が決まった。山本さんの努力でスパッと決まった。素晴らしい。工事金額に僕自身がこれほど悩まなかったのは始めてである。事務所に戻る。赤い家のクライアントが来所。仕事になるかもしれない話を持ってきてくれた。ヴォリュームスタディをすることにした。場所は最高。青山の昔イデーがあった場所の隣。かっこいいカフェの前である。ここで仕事できたら楽しいだろうなあ。と思わせる土地である。
夕刻M1が半年かけて作り上げた社会学的建築の探求、題して「建築の条件」ゼミのパワポを眺める。うわーやはり分からないことばかり。このまま使えそうなのは写真論くらい。あとは厳しい。書いてあることが当たり前すぎて馬鹿らしいもの。逆に何を言いたいのかやっぱり全然分からないもの。そして目の付け所だけは面白いのだが、展開が余りに飛躍しすぎて意味不明なもの。少しテーマが難しすぎたかなあ?自分で考えたって難しいのだから仕方ないか?
飯を食って中国の平詳図のチェック。通り芯を少し動かしたくなる。確認申請中だが、安全側のずらしだからなんとかならないだろうか?

cmp

2月14日
キャンパスマスタープランも佳境。大学の上層部への説明。各学部長、理事その他。いろいろな意見も出る。会社と違って、本当に大学というところはいい意味でも悪い意味でも民主的である。もしこれが民間会社で、全国の支店建て替やらリニューアルに際して、その計画を本社の営繕が作り社長が決裁したらそう文句をつける人間はいない。しかし大学と言う組織はそうではない。各支店長がいろいろと社長に苦言を呈することができる場所なのだ。というか場所だったのだろう。しかし大学は徐々にいい意味でも悪い意味でも民間会社化され始めているのである。当然それに際して、ものの決め方のルールも変わってくるのだろうが。
松本で会議を終えてあずさで新宿へ。車中、なかなか終わらないコラージュ論を読む。この本はさっさと読み終えないと重くてしかたない。今日の範囲はパウル・クレーのコラージュ。著者の分類ではクレーのコラージュは分析的コラージュと呼ばれ、自らの作品を鋏で切断してずらしたり反転したりして再接合するものである。僕はクレーのコラージュなど全く知らなかったし、こうした方法をコラージュと呼ぶこと自体とても新鮮に感じた。
夜9時半頃事務所に戻ると小倉君が模型作成中。これから10日間彼は事務所に泊まる。毎日7時間寝るとして17時間働ける。10日でも170時間。すごい。でも風邪引かないように。金箱さんからカルトラーバの講演翻訳本が届く。人のことは言えないが、忙しいのによくこんなことしている。respect。中国は大雪で春節の後に帰省した人々が帰れないとのこと。困った。作業が滞る。茶室は減額交渉でb社がクライアントの予算範囲内に入ってきた。これで決まるか?明日クライアント打ち合わせ。

February 13, 2008

公聴会

昨晩は2年生や3年生、普段研究室では会話できない学生たちといろいろ話しができて面白かった。「建築家は思い上がっている」という2年生の指摘はちょっとびっくりした。建築デザインをやろうと夢を膨らませている学生の考えることではない。でも的を射ているし、4年生のゼミにでも来ればそんな話は聞き飽きるほど耳にすることになる。ハイデッガー、多木浩二。今から読んでもいいけれど、2年生にはちょっと早い。もう少し建築家とは何ぞやということを分かってから、さておもむろにその思い上がった建築家像を叩き壊せばよいのではなかろうか?
今日は朝から会議、午後は独論の公聴会。木質バイオマスの研究だが、学会の特別委員会のテーマでもあるので勉強になった。しかし、間伐材の需要も供給も低下する中で再度このニーズを活性化させるにはどうしたらよいのだろうか?一建築家が闇雲に間伐材を使いますと高いお金払って使うことに意味を感じなくなってきた。もっと社会のシステム整備の話のように思えてきた。
終わって雑用、雑用。雑用と言ってはいけないのだろうが、仕事は梅雨空から降り注ぐ雨の如く止まることを知らず、気がつくと溢れている。

修論発表会

2月12日
本日は修士論文発表会。僕の部屋からは装飾論の論文一名と山岳景観研究の設計一名。どういうわけか発表は最後。卒論と異なり、修士の発表時間は倍以上の12分ありそれなりに論理的な説明が可能なせいかあるところまではよく分かる。しかしあるところ以上になるとその専門性で煙に撒かれるところもある。夜は卒論、修論の打ち上げ。手伝いの後輩たちもあつまり総勢50名くらいで慰労会。今晩は冷えるとの予報だったが急に雪が強くなる。去年のブログを見ると2月15日に卒論発表会があり、打ち上げをして駅前の屋台のラーメンを食べて帰ったとあるが、今年も駅前でラーメンを食べた。雪降る中一人歩いて帰宅。寒さが心地よい。

February 11, 2008

身体という文化

一昨日神保町で買った身体論叢書の第一巻、野村雅一・市川雅編『技術としての身体』大修館書店1999を読んだ。技術としての身体とは人間の身体の所作は決して生まれながらのものではなく、文化的に形成されたもの。すなわち技術として修得したものというという視点である。文化人類学、民族学、体育学、ダンス、等広範にわたる15編の論考が掲載されている。自分の専門に重ね合わせて最も興味を惹いた論文は野村雅一の「坐の文化と安楽な姿勢」である。そもそも椅子は座るために作られたものではないという椅子の象徴性に着目し、椅子の発祥地である西ヨーロッパにおいても椅子が生まれた当時でさえ床に座る人たちが多くいたことなどが書かれている。その論考はバルトのエッフェル塔からの引用で始まる。「物の有用性とは、実のところ物の真の意味をおおいかくしているものにほかならない」。つまり椅子の有用性は本来(そうであったかどうか僕は知らないが)権威の象徴であったその意味を覆い隠してしまったというのが著者の主張である。そしてこのように、生み出された「物の有用性」は逆に身体の所作を規定するようになるのであろう。
野村はそこまで言及していないが、もちろんここでの物には「建築物」も含まれるのであろう。建築物の真の意味はその有用性によって覆い隠されてしまう。だから僕等はなんとかしてもとの意味を剥き出しにしたいがためにこの有用性という文化的に作られたものを剥がしにかかるのだが、それがなかなか上手くいかない。でもなんとなくこう考えると自分のやっていることが少し整理できるし、それに応じた考え方や説明の仕方が見えてくるようにも思う。特に建築全般ではなく、身体の所作ということに絞ってその社会構築的側面と、慣習的な無意味さを正確にあぶりだせるのなら、もっと安楽な建物というものを考えることができるのかもしれない。

February 10, 2008

放置自転車撤廃

朝、面白いテレビ番組があった。放置自転車はどうすればなくなるかという実験番組。放置激減の一例として自転車が置かれそうなあたりにベンチを置く方法が紹介された。これをやるとベンチに座る人が監視人の役目を果たし、停められないそうである。これは東京自由が丘の例。次に紹介されたのは駐輪場に停めると特典が付くというものである。駐輪場の駐輪券があるとラーメンの替え玉がただになったり、デパートの買い物が1割引になったりというもの。これは福岡天神の例だそうだ。どちらも大成功でまったく路上放置自転車はなくなったそうだ。なるほど勉強になる。それでは大学の放置自転車はどうしたらなくなるだろうか?キャンパスマスタープランでどこのキャンパスでも発生する共通問題である。マスタープランでは門脇の駐輪場に停めて構内へ乗り込まないことを原則としているが、そのルールをかいくぐり講義棟まで乗りつけ放置する学生が発生することが危惧される。どうしたらこう言う学生は減るだろうか??お得感を植えつけるか罪悪感を刺激するか???お買い得感は大学には馴染まないし、罪悪感はそもそも彼等には余り無いようだし、、、、
午後読書。夕刻娘と買い物。東急ハンズへ。久しぶりに東京のデパートへ足を踏み入れ、人の多さに圧倒される。それにしてもいつも思うのだがこう言うデパートと長野のように人のいないデパートが同じ時代に、世の中に存在していることが不思議で仕方ない。土地代の差だけがこの状態を正当化できるとも思いにくい。なぜ同じような商業施設があるのかというのがそもそもの疑問である。だからと言って今のところ名案はないのだが。

February 9, 2008

bob

IMG_0008.jpg

午前中事務所で打ち合わせ。このところ、入試、卒論、修論、に追いかけられ、平日事務所にいられず。土曜日打ち合わせ。週末はなんとなく皆ゆったりしていて(僕だけの問題?)時間を気にせず考えることができて気持ちがいい。
打ち合わせ後、東京都現代美術館で川俣正を見る。ちょっと期待して言ったのだが、それほどでもなかった(内容はコラムに書きましたhttp://ofda.jp/column/)。
帰路神保町で降り古本屋をぶらつく。三省堂で身体論の3巻セットの叢書を買う。身体論は恐らく概念的な話を幾ら読んでも聞いても身につかない。もっと具体的な局面を実感として感じ取れないと理解できない。この本には身体の訓練とかコミュニケーションなど、それぞれの分野の専門家が実験や、フィールド観察に則って書いているようである。三省堂から数軒となりの、リニューアルした南洋堂へ行く。これが月造さんの仕事か。なかなか綺麗。三階の洋書売り場で素的な本を発見。Claessonと Kovistoと Runeという北欧の3人組の作品集。出版社はBirkhauser。A4より一回り小さい白い布装丁.。ロゴが黒くシンプルで2冊組。一冊はプロダクトデザインで一冊は建築作品。写真がとてもよい。衝動買い。帰宅するとナカニシヤ出版から本が届いている。自分の本がもうできたのかと思って驚いたが、さにあらず。小田部さんからの謹呈本であった。坂部恵・佐藤康邦編『カント哲学のアクチュアリティー』ナカニシヤ出版2008である。カントと聞いて先日ふと読み返した『純粋理性批判』における思想のカテゴリーを思い出した。量・質・関係・様相というこのカテゴリーが今までよく分からなかったのだが、結局これらは人間がものから直感として空間と時間の座標にかかわるものを受け取り、それを思考し規定結合するアイテムであるということが分かってきた。つまりカントに言わせれば人間は現象界の物をこの4つのアイテムで思考するということである。なるほどこれは建築設計とは質と量と関係を考えることであるという僕の論考の前提と同じである。もっと言えばカントは様相も考えざるを得ないよ、といっているわけだ。そしてそれは原広司が書いている。うーん僕が一生懸命考えていることが時代遅れなのか、カントがまだアクチュアルなのか??
昨日事務所に届いていた韓国のインテリア、建築雑誌『bob』をまだゆっくり読んでいないのだが、40ページを使ったofda全体の紹介である。インタビューでofdaはどんな組織かと聞かれて、「複雑系のサンタフェ研究所のようなもの」と格好つけて返事をしたら、最初のページになにやらそんなことが書かれていて気恥ずかしい。

3日ぶり東京

2月8日

朝から大学の雑務に追われる。午後留学生との面接などしてあっという間に夕方。昨日卒論発表会を終えた4年生と夕食をとり、夜のアサマに乗る。社中コラージュ論とにらめっこ。グリーンバーグからクラウスへ時代が変遷する。3日ぶりに東京。事務所に立ち寄る。bobマガジンが届いていた。ofdaを特集してくれた。英語でなんて書いてあるのだろうか?なにやら難しいことが書いてあるようだ。

February 7, 2008

卒論発表会

今日は卒論発表会。僕の部屋は論文2名、設計3名。設計者は巨大模型とA1 15枚(ミニマム)のドローイングを朝から発表会場に搬入。小雪がちらついていたが、本降りではなく助かった。論文は写真論と装飾論。かたや新建築の1万枚近い写真を分析。かたや善光寺表参道の数百メートルの街路立面の線分数をすべて計測。両方とも気が遠くなるような作業だっただろう。しかしその甲斐あって最後は4年としてはそれなりなものに仕上がったと思う。設計は「私私」の境界に着目したもの。自然概念を導入したもの。空間と空間の連結空間に着目したもの。それぞれ意義深いテーマである。デザイン自体はもうひと頑張り。論文つき設計なので最後まで僕が論文にokしないので設計時間が短いことが原因である。でも最後の設計くらい、概念をしっかり固めてから設計するという訓練をさせたい。デザインに加えプレゼンももうひと頑張り欲しい。写真で簡単に逃げられる。意味の無い紙が多いように感じた。このコンピューター時代、15枚という数字になんの意味もなくなってきた感じがする。枚数減らして一枚一枚の意味づけを考えるように指導するべきなのかもしれない。また人前での発表はまだ練習不足。つっかえたり、口ごもったり、他の先生からの質問に今ひとつピントがずれる。代わりに答えたくなるようなことばかりだった。
発表会が終り、雑用、雑用。建築雑誌の原稿校正。読書。またあの分厚いコラージュ論の続きである。グリーンバーグのコラージュ論がとりあげられる。グリーンバーグにかかるとコラージュもその平面性とメディウムに価値が見いだれている。それゆえネオダダのアッサンブラージュには見向きもしないところが面白い。2月に入り建築棟は夜間の使用は申請制になり滞在者がぐっと減った。そのおかげで実に静かである。いいんだか悪いんだか?

February 6, 2008

卒論前日

7時半のアサマで長野。最近は本当に寒い。長野はもちろん寒いが東京も早朝は寒い。大学に着いて早速明日の卒論発表会のリハーサルを聞く。2日前に彼らの発表を最初に聞いたときは、すんなり頭に入ってこないからいろいろと修正するように指示した。それが完全に直っているわけでもないが皆よく短期間に修正してきていると感じた。しかし実は2回目だからこちらの理解力が高まっているだけなのかもしれない。あるいは発表は明日なのだからこの期に及んで四の五の言っても始まるまいという気持ちも作用しているのであろう。いやいや、そう否定的にならず、やはり学生の努力の賜物と思うことにしよう。
午後新三年生に研究室ガイダンス・就職ガイダンスをする。そして研究室の志望調査を行なう。僕の研究室志望は8人。丁度いい数字かもしれない。それでも5人に絞らなければならないと思うと可哀想である。できれば志望通りさせてあげたい気もする。本当は意匠の研究室がもう一つあればいいのだが。
修論の副査を4名から頼まれており歴史系、環境心理系の論文を読んだ。たまにこうした他の分野の論文を読むのは新鮮で楽しい。歴史の論文は書き方がしっかりしている。内容はピンキリ。読む側としては多少論証の危うさはあろうとも結論がスリリングなものの方が楽しい。

February 5, 2008

打ち合わせ

7時半の新幹線で9時に東京。秋葉原で朝食。歩いてリーテムへ。茶室と中国の見積りがいっぺんにあがり、今後の進め方を協議。概略の方針を素早く決定していただいた。また、水戸の擬洋風建築のリノベーションにおいてはこれを信大の卒論の教材にするべく、実測調査をさせてもらうことにした。現在敷地の測量中。そろそろ動き出すだろうか?終わって末広町で有名な親子丼を皆で食す。山本、中島はクライアントと引き続き打ち合わせ。僕と竹内は事務所に戻る。パートナー二人と今後の仕事と人の話をする。あと一人スタッフが要るか要らないか?微妙な選択である。夕刻pen編集部来社。3月に発売の建築間取り特集のインタビュー。木島と1時間ほどインタビューに応える。間取りなのか?町並みなのか?聞かれていることがやや不明な不思議なインタビューだった。3月の次にはまた10月ころに建築特集だそうだ。何かないですか?と聞くので、茶室の面白い素材と色サンプルを見せ、模型を披露。是非見に来たいとのこと。できたら連絡すると約束。見ごたえあるものになるかどうか。正念場である。

February 4, 2008

見積り

朝は長野、午後は松本で会議。夜は長野で卒論と修論の発表練習。その間隙を縫って東京から送られてくる見積書のファックスに目を通す。茶室はインテリア設計のせいか高いのか安いのか今ひとつ勘がうまく働かない。中国工場は中国価格なのでこれまたピンと来ない。地道に分析するしかないのだが。

大雪

2月4日
朝方事務所に行き雑用を終わらせ、大雪の中かみさんと近所に買い物。よりによってこんな日に買い物しなくてもと思うのだが、重いものを買うので僕が家にいるときでなければだめなのだそうだ。余りの寒さに帰宅して風呂につかり新聞を読む。夕刻、早めの夕食をとって長野へ。車中、コラージュ論は一休みして、岩淵功一『文化の対話力』日本経済新聞出版社2007を読む。文化のグローバリズムは「文化力」という名のもとに政治戦略の武器となっている。国境を超え、様々な共同体が文化発信や受信をしている一方で、文化の流動化が人々に国を意識させる。あるいは帰属先を欲求させると著者は言う。それを利用し、あるいはそれとは一見無関係に現代社会は世界的に国家の境界を堅固なものとしてナショナリズムへ向かう傾向があると言う。なるほどそうかもしれない。ブッシュはカリフォルニアとメキシコの国境に更なる強固な壁を建造中だそうだ。
車窓から外を見ると絶え間なく雪である。長野も雪。しかし、雪のときのほうが気温は高いようだ。

February 3, 2008

篠原パーティー

2月2日
六本木でロートレックを見てから南北線で東工大へ。2時から篠原先生の『住宅図面』彰国社2008の出版記念パーティー。司会なので1時頃行きスピーチの方の名前、肩書きなどを確認。130名くらいの方が百周年記念館に集まられた。スピーチは長谷川さん、に始まり、八束さん、北山さん、萩原さんなどなど皆さん篠原一男にまつわるとても楽しい話をしてくれた。また今村君、田路さん、など東工大ではない、他大学の多く方にお会いした。
2次会、3次会と宴は続く。造形大の学長である白澤さん、坂本先生、からかつての篠原一男の話が聞けた。もののついでに、「篠原一男という建築家は、器用かそうでないかと2分するならどちらですか」と聞いてみた。お二人ともあの人は器用なひとではないとおっしゃっていた。もしかすると上手さを殺していたのかもしれないと思っていたがそうではなかった。湯村の分類で言えばやはり「へたへた」な建築家なのだろう。それにしても器用なことを良しとしない建築教育をしていた(る)のは世の中広しといえども東工大くらいかもしれない。

February 2, 2008

中国の価格

2月1日
今日は敗北感だなあ。自分の研究室の学生が某設計事務所の社長面接まで行って落ちてしまった。相手の話では最後に常務が反対したそうだ。曰く「何をやりたいのかまだはっきりしていない」ということだそうだ。まあそう言われて反論はできないところが弱い。つまり自分の一番好きなものが建築で、建築と心中しますというくらいでないとダメなんだよな。それでそういうことは相手にはすぐ分かるのだよ。こればっかりは教えられないし、それはすぐに表れる。それで別に建築が一番ではないということが自分の性だとすれば、設計事務所に行くべきではないということなのかもしれない。僕の研究室でおまえ「三度の飯より建築好きか」と聞いて何人yesと答えられるのだろうか?yesでなければ建築は続けられないだろうなあ。建築というのは職業ではなくて生き方だから。
今日は夕方の大学の会議を終えて急いで東京に戻り打ち合わせ。昨日の茶室の見積りに続けて、中国の工場の積算があがってきた。当初の提示額に比べて3割アップ。ちょっと高い。もちろん振れ幅はあるだろうが、その振幅の一番高い数字であり、ちょっと怪しい。帰りの電車で田代秀敏『中国に人民元はない』文春新書2007を読んでいたので、どうも中国のこうした価格に対して疑心暗鬼である。一体中国におけ価格というものにどれだけ意味があるのだろうか?