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コラージュ

1月31日
朝方事務所の雑用を片付けスタッフと話でもしようかと思うが、誰もいない。フレックスタイムというのもあまり事務所にいられない僕には不便なシステム?と思う一方、昨日聞いた日建のように寝るか働くか二者択一の過酷な状況もまた自分の事務所のクリエィティブな環境の中には持ち込みたくは無い。先日スペインの出版社から電話があったらしい。某住宅に興味があるようで情報が欲しいとのこと。なんでも1プロジェクトに20ページくらい費やしてくれそうで、サンプルを見るとかなりよくできたレイアウト。そこで説明の英文を作成。久しぶりに英作文である。その後スケッチ。最終一つ前のアサマに乗り長野へ。車中河本真理さんの『切断の時代20世紀におけるコラージュの美学と歴史』ブリュッケ2007を読む。註もいれると600ページを超す大著。彼女の博士論文だそうだ。なんでコラージュなんかに興味が?それはコラージュが作品の断片化、あるいは部分の反乱を企図するものである一方で、コラージュを制作した芸術家たちは「脆く危ういとはいえ、そこに新たな統一性がもたらせる可能性を、まさに逡巡しながらみいだしたのではなかろうか」という彼女の仮説に興味が湧いたからである。コラージュ概念はコリン・ローの『コラージュシティ』を挙げるまでもなく、建築と言う行為に内在している。つまりタブローとそれに貼り付けられたオブジェの関係は街とそこに差し込まれた建築の関係によく似ている。そしてオブジェが部分の反乱であるように差し込まれた新しい建築は往々にして街への反乱であるかもしれない。しかし建築家は決して反乱を意図しているものではない。河本さんが言うように、逡巡しながら新たな統一性を模索しているのである。こんな建築家の模索がコラージュを作る芸術家の中に見出せるのであればとても興味深いというわけである。

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