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January 31, 2006

歴史に想像力を

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胃の痛くなる梗概のチェックの話しはもうしません。誰も楽しくないし。
さて副査をしなければならない他研究室の修士論文が6つ到着しました。全て日本建築史関係。ちょっと勉強になりそうです。その昔、大学4年の時、西洋建築史の研究室の無かった東工大で英語の先生だったDavid Stewart(英語の先生ですが彼は西洋美術研究では世界で一番名高いロンドン大学のコートルード研究所でコルビュジェ論を書いた人だったのです)のもとで論文を書きたいとお願いしたのでした。英語の先生は専門課程の卒論の指導資格が無かったのですが、当時の学科長だった篠原一男は「よろしい」の一言で我々の要望を受け入れてくれました。
しかし、なにせ研究室の伝統も何もない0からの出発。とりあえず、参考になりそうな他の研究室のゼミに参加せよと言われて、日本建築史の平井聖先生のゼミにも参加してました。そこでは毎週一冊日本建築史の定番の本を読むというゼミで最初で最後半年間日本建築を真剣に勉強し、その夏には民家の実測調査もしたのでした。そのゼミで唯一覚えているのは、大田博太郎先生の本で唐招提寺か東大寺の建物プロポーションが素晴らしいといきなり書いてあったことです。そうした主観的な感想をこうした学術書(とりあえずゼミに使われていた本ですから)の一番最初に書いてあることに驚きました。平井先生は特にコメントしませんでしたが院生の上の人が太田先生だから許されると言っていた様な気もしました。でもそれ以降、歴史研究はとにかく実証的を良しとするのだという考え方を教わったのです。
さてその後僕の歴史観を大きく変えたのは、八束はじめ著、『ル・コルビュジエ』岩波書店を『A+U』で書評を書くチャンスが来た時でした。八束氏の論考は実証的ではありません。想像に満ちていました。そしてそれを確信犯的にそう書いていたのでした。それは八束さんの歴史に対する挑戦であったように思いました。その書評を書くに当たり、平井研究室の当時助手、現東工大教授である篠野さんは歴史とはもう少し考古学的な発掘のようなものであり、緻密な断片の集積だとおっしゃっていました。そのことの是非は別にして、僕にはこの歴史(あるいはこの物語)は実に楽しいものだったのです。

さて長くなりました。ここに到着した6つの歴史の修士論文は歴史の論文であろうからきっと実証的に綿密なものであろうかと思います。それはそれでよいのですが、それに加えて、八束氏が示した豊かな想像力のいくばくかでも忍び込まされているのでは、いやそうあって欲しいと願うものです。単なる史実の羅列に終わらないことを期待します。明日目を通します。

複雑な世界

昨日は朝川崎のエスキス模型を作ってみた。母屋側の建物を100分の1で作り、それに沿って離れも作ってみる。なんだか久しぶりに模型作った。やはり住宅はこの100分の1模型を自分で作ると、やっと設計している気になるし、そのスケールや内部やいろいろなことが自分の頭の中に入ってくる。それは毎回この100分の1模型を山のようにつくるので、実際と模型の間を繋ぐ想像力の回路が自分の頭の中にできているからなのである。
夕方某クライアントと打ち合わせ、某社に見積もりを出すということなので、少し時間のゆとりが生まれそうである。その間を狙ってポートフォリオを完成させ、できればコンペをしたいところだ。
夜長野に来る。車中坂本論文を読む。その全貌が見えてきた。昔読んだときのあいまいな理解が鮮明になってきた。坂本建築の中で異化作用がこれほどまでに重要であったとは知らなかった。
長野についてマーク・ブキャナン著、阪本 芳久訳 『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』2005草思社、を読む。友達の知り合いのお姉さんの元彼のという風に6人間に入ればあなたは世界中の誰とでもつながるという一見とても不思議な事実を説明するのである。この理屈は数学のグラフ理論で説明されるらしい。この理屈はインターネットでも証明され、世界中のどのようなページにも一桁の回線を経由するとたどり着ける。これはグラフ理論では規則的な結節とランダムな結節の和によって成立するというものである。面白いよ。4794213859.09._OU09_PE0_SCMZZZZZZZ_

January 29, 2006

before after

今日は少し暖かですごしやすい日だった。朝一で上野にぶらりでかけ昼ごろ帰宅(バークコレクションと書の至宝展を見てきたcolumn参照http://ofda.jp/column/)一休みして事務所に。川崎の家のエスキス。少しは形ができたかな?明日模型を作ってみよう。ある図式にはめることとその強引さとの狭間で悩むのであるが、最終的にはその強引さに勝たせている自分がいる。7時ごろ帰宅。焼きそばをおかずにご飯を食べるという不思議な夕食を食べテレビを付けるとbefore afterをやっている。おっ、よく見ると、荒木町の家が出ている。よく行くとんかつ屋の親父さんが、荒木町の早稲田の教授の家がこのテレビに何時か出るよと言っていたが今日だった。荒木町の下の方は昔池(今も小さな池があるが)だから湿気が多いらしく土台が腐っていたそうだ。

January 28, 2006

奇想

積読して読もうと思っていた辻惟雄の『奇想の系譜』が『奇想の図譜』というよく似た名前の違う本であることに4日前に気づき、奇想の系譜を再注文していた。それが今日同じ辻氏の『日本美術の歴史』と一緒に届いた。別に日本美術史の教科書のような本をは巷に沢山あるけれど、これは一人の人が書いた教科書なので筋が通っているような気がして購入した。奇想の系譜は20年近く前の文庫本化でオール白黒(カラー3ページ)そこでこのオールカラーの同じ筆者の教科書を片手に読むとうまく補われるわけだ。奇想の図譜を読むときにも丁度良い。さてこれで予習をして明日は朝バークコレクションを都美館に見に行ってこよう。
「明日は朝ちょっと上野に行ってくるよ」と行ったら「あらあたしも上野に用事があるのだけれど」と言う「書を見に行くの?」と聞くと「それも行くけれどバーク・コレクションを見に行く」と言うではないかそれでは一緒にとも思ったが、8時に行くと行ったら、「どうぞお一人で」と言われた。
四方田犬彦『日本の女優』岩波書店を読む。この間の『かわいい論』のかわいいと美しいの差が原節子と李香蘭を分析しながら語られる。その差は坂牛用語では妖怪と人間というところであろうか?

January 27, 2006

コンヴァージョン建物を探す

製図の授業の後、非常勤講師の広瀬先生と春から始める新しい課題、conversionの建物選びに出かける。この課題のポイントは日本のモダニズム建築で半世紀ほどたった建物を対象にして、半世紀の時間で建物の価値が増した部分と減った部分を見極め、減った部分は除去して現代を刻印する。増加した部分は保存する。その総合で新たな用途を入れて現代建築を作ろうと言うもの。広瀬先生の愛車に乗せていただき4つほど見て回る。最初は三沢浩さんの設計した鉄筋コンクリート造5階建ての建物、善光寺の裏手城山公園の横にある。すでに用途は変わっているのだろう、今は事務所のようであった。その後信大教育学部のレンガ倉庫を見て、警察の剣道場。最後は広瀬先生が倉庫をコンヴァージョンした建物。2階が地元長野の雑誌編集オフィスで一階がカフェ。これがとてもよい。長野にもこんな建物があるだとびっくり。その編集オフィス(30人くらい働いていたから結構大きいし倉庫だから天井も高く気持ちよい)の編集長の市川さんとお話。面白い建物があったら連絡しますと言ってくれた。
カフェを後にして新幹線で東京に。帰宅したら、まだ妻の「書」の稽古中で桑原君(東大の美学の修士生で2004年の建築のモノサシの聴講生)がいた。稽古終了後、昨今の大学の問題など少し雑談。教養主義の没落を二人で嘆いた。しかし全国で唯一しっかり教養の残っている東大はましである。郵便物をを見ると、小田部先生(東大美学)から『芸術の条件』東大出版会が届いていた。前著『芸術の逆説』の姉妹本である。時間のあるときにじっくり読もう。

丸山

朝の日課の『判断力批判』は下巻になると突如よく分からない。そもそも目的論的な判断力という言葉の定義自体が矛盾をはらんでいるように僕には感じられる。とは言っても少しずつ読み進む。不思議なもので、この手の哲学書(言葉の定義に繊細な正確さを期す文章)をじっくり読んでいると、普通の文章がなんだかすべてあいまいでいい加減に見えてくる。まあ世の中というものはそれほど厳密ではないし、良い、加減に動いているからそれでいいのだけれど。
ポートフォリオチェック。時間をかけると良くなっていくもの。でも結構時間がかかる。川崎のエスキス。むずかしいなあ。2時間くらい打合せしてから、また一人で終電まで考えていたが、そう簡単に名案が浮かぶわけでもなく。久しぶりに終電で長野へ。終電というのは混むもので、立っている人多数。ただ高崎で8割は降りてしまうのだが。車中で『丸山真男の時代』を読み終えた。著者竹内洋のブルデューの社会場を使った分析はとても分かりやすい。僕も10+1で塚本氏をブルデュー理論で分析したので、竹内洋の分析は手に取るように分かる。つまりブルデューの指標は文化資本と経済資本はベクトルが逆向きであり経済資本が高いところは文化資本が低く、つまり、お金持ちの社長は文化度が低く、あるいは政治経済に強い人は文化に弱い。文化に造詣の深い人はお金が無いということなのである。そしてその指標を竹内は日本の大学に当てはめる。そうすると丸山のような法学部教授は前者であり(経済、工学もそちら)、文学部は後者(理学なども)となるのである。
どうも僕等建築設計やってる人間はもとは工学だから前者の分類にはいりそうだがさにあらず、所詮お金と無縁な職種でありどちらかというと、文化の一角を担うものであり、後者なのである。そうすると勢い政治的にも後者を応援したくなる割と短絡的な思考回路があり、どうもこういう丸山のような人間は好かん。理屈は理解できてもやはり選ぶのなら吉本となってしまう。
まああまり深く考えたわけではないが。

January 26, 2006

あわただしく

「建築空間論」最後の講義、『言葉と建築』第二章を全て終わらせることができた。翻訳もして授業もするとかなり理解が深まるものだ。改めてこの本の特性がよく分かった。午後大学院の2次入試面接をして、終わるや否や車で須坂に。「蔵のまちキャンパス計画」協議会に参加。その後、3月に須坂で行う講演会の日程、その他を決め、また大学に戻る。夕食後雑誌『a』の分析ゼミ。最終の新幹線で東京へ。車中坂本先生の博士論文を読む。なんと東工大に提出されている博士論文はpdf化されており全文一般公開されている。250ページ近い先生手書きの論文が画像データーで入手できた。読むのは二回目だが、やはり面白い。一週間ぶりの東京である。やはり東京は長野に比べればそれほど寒くはない。

January 25, 2006

竹内レクチャー

「デザイン論」最終講義にみかん組竹内登場。NHK長野放送会館を中心にレクチャーしてもらった。「牛さーん」今朝9時半頃、恐怖の電話がかかってきた。何か起こったか???不安。「今どこ?」「今高崎、一本乗り遅れちゃったー」だから昨日も電話したじゃないか!何時の電車に乗るの?と注意を喚起したのに。「10:20分には長野に着くから」と明るく話している。仕方あるまい。
とまあ遅れはしたもののかろうじて10:40分にはスタートできた。コンペの話、八代の保育園の話、愛知万博のトヨタ館の話、みかん組の話。そして質疑。20分くらい皆の質問が続く。竹内の気さくな人柄が多くの質問を生んだのかな?と思うと嬉しくなった。きてもらったかいがあったかな。
近くのスパゲッティ屋さんで坂牛研の面々と食事を共にした。食後に彼はティラミスパフェ、僕はクリームあんみつを食べ、別れた。またね。
その後は会議会議、そして胃痛を引き起こす卒論修論チェック。ああ語りたくもない。

January 23, 2006

大学時代に考えない人間がいつ考えるというのか?

昨晩も駅前の本屋に立ち寄った。『丸山真男の時代』竹内洋、中公新書 を買って蕎麦を食べながら読んだ。これはちょっと内容が濃いのでまだ読み終わっていない。ところで同じ著者の『教養主義の没落』を読み始めた、とこの日記で書き、その没落を嘆き、果たして読み終わる頃には、納得がいくのだろうか読み終わったら再考してみようと記した。そして先日読み終わり考えてみた。結局教養主義の没落は教養主義を生み出していた、いくつかの社会的要素が消滅したことに起因しているというのである。その理由の最大のものは、誰でも大学生になれるようになったということである。大学進学率が15%を超えるともはや、大学生は社会的エリートではなくなるそうだが、日本は60年代(だったかな)にその時期を迎えたとのことである。それまではエリートとして教養を身につけることは誇りだったのである。しかし60年代のマス教育の中での大学生にとって、もはや大学で勉強することは誇りでもなんでもなくなってしまったのである。大学は、学問をする場ではなく、サラリーマンになるための技術を磨く場へと変貌したというのが著者の分析である。

そうした時代分析はきっと正しいのであろうし、自分たちが大学生であった80年代大学は既にそういう状況だったのかもしれない。

しかし私の個人的な意見で言えば、やはり大学とは学問するところであるべきであり、サラリーマンとなるための技術を磨く場所では無い。断じて無い。建築に限って言わせてもらうならなおさらそうである。その昔日建設計において、尊敬すべき林昌二は大学でもっとプラクティカルな技術を身につけさせるべきであり、わけの分からないドローイングを練習させても仕方ないという発言をしていたが、僕はそれには賛成できなかった。わけの分からないドローイングを良しとするものではないが、プラクティカルな技術など就職してから鍛えればよいし、その方がはるかに効率が良い。大学でいくらプラクティカルの真似事をしてもそれは真似事に過ぎない。プラクティカルというのはそれに付きまとう責任の重さも背負ってこそのプラクティカルである。
大学とはものごとの表層を獲得する場所ではない。とことん思考した上で頭に残るものを探す場所なのである。それは一般にものごとの原理原則のようなものになることが多く、その意味で哲学だということも可能だと思う。つまり大学とは哲学を学ぶ場所なのである。林昌二のように旧制一高で既に哲学を学んできた人間にとって、大学がプラクティカルなものを獲得する場所であるべきだというのはそれも一つのあり方かもしれない。しかし現代っ子がモノの原理を考える時間を大学時代に持たなければ、一生そういうことを学ばずに終わるのである。それはどんなことがあっても僕には納得がいかないのである。その意味でやはり教養主義の没落は必然であっても放置できることとは思えない

January 22, 2006

蕎麦を食って本を読む

昨晩は長野駅前の大きな本屋平安堂へ足を運び、あまり考えず目についた本を4冊買って、一階の蕎麦屋「油や」にはいって蕎麦食べながら、早速買った本を読んだ。谷川浩司『集中力』角川新書、将棋の指しては多くて三種類を考えて、それぞれに2~3十手くらい読むそうで、その過程の枝葉をあわせれば千手くらい読んでいる。その中からどれを選ぶかは感性だそうだ。そしてその感性は身体化された思考の蓄積によって生まれる。将棋に才能はないそうで、十代に10年間で一万時間将棋をすることだそうでそれは平均すると毎日3時間。音楽家より楽かもしれない。蕎麦屋を出て自宅に帰り風呂で次の一冊。山平重樹『ヤクザに学ぶ組織論』ちくま新書その葬式には世界中のメディアが集まったと言う山口組三代目田岡一雄は30人の組織を1万人にした。その組織論は、義理人情、信賞必罰、力と金、だそうでこれを見ると日本の企業理念と重なって見えるところが不気味なくらいである。風呂上りは四方田犬彦『かわいい論』これはかなり面白い。プチ芸術社会学である。かわいいはその昔の松岡正剛の『フラジャヤイル』につながる日本的美意識に基づいている。さて実はもう一冊買った本がある。今日試験監督の合間にぺらぺら読み始めたのが、レイモンド・ウィリアムズの『キーワード辞典』これは『言葉と建築』の著者がとても意識したという社会学的言語分析の本なのである。言葉の歴史的意味の推移を知らしめる内容である。
二日間の試験期間は快晴であった。東京は雪だったようだが。ところが、終わった瞬間に大雪である。明日は積もるだろう。さて今日もこれから駅前の蕎麦屋に行くかな?

January 21, 2006

センター試験初日

一日センター試験の試験監督。僕は共通一次試験を最初に受けた年代。もう何もかも忘れたけれど一つだけ覚えているのは、国語の試験問題の文章の中に(誰の文章か覚えてないが)コルビュジエの「住宅は住むための機械である」という言葉があったこと。
今年からリスニングテストがあるということでそれに備えて皆緊張。僕はタイムキーパーという役で、受験生と一緒に試験を受けて、途中で万が一事故があった場合試験がどこまで進んだかをチェックする仕事をした。機械は鮮明な音で聞き取りやすいし、はっきり言うと初年度ということでかなり簡単。これから徐々に難しくしていくのであろう。
今日はちょっと神経使ったので、これから駅前の本屋にぶらりとでかけ、蕎麦でも食って家で本読もう。明日も待ち受けるこの試練に備えて。

エスキス

引っ越したことで発生するいろいろな変更雑務、(銀行とか税金とか)がまだ終わらない。もうすぐ一年たつというのに。銀行やら郵便局を駆け巡り、昼食をとって、川崎の打ち合わせ。昨日の続きでヴォリューム模型のチェックをする。この線でもう少し進めてみよう。2棟が連続した一連の流れを作るような、シンプルな形。そして表裏の無い形。昨日cad図の上にスケッチしていた絵を描いてスタッフに渡す。cad化しながら寸法をおさえ、スタイロのヴォリュームチェックをして良ければ、スチボで中もさくっと作りこんだ模型を作成するよう指示。一端帰宅し、夕食をとってから長野に、研究室に来て明日の試験マニュアルを少し読んで、『ゲーテ美術論集成』を読みはじめた。ゴシックは、理性とロマンの両面から捉えられる不思議な側面を持っている。

January 19, 2006

取材

昼前のアサマに飛び乗る。東京駅からホタルイカ(イル・リストランティーノ)へ直行。ランチタイムぎりぎり焦って飛び込む。まだ大丈夫。久々に美味しいスパゲッティと野菜スープを味わった。何時食べてもここのイタリアンは美味しい。さて今日はこの後TOTO通信の取材である。2時ごろ取材クルーがやって来た。中原・大久保編集室の大久保さん。カメラマンの浅川さん。そのアシスタントが2名。TOTOの方、インタビュアーの加藤さん。総勢6名。まだ客がいるので外で立ち話。冬の陽が落ちてきたので外観の撮影は即スタート。大久保さんはTOTO通信を全て編集されているそうだ。非売品だが13万部も出ている。カーサブルータスが8万部であることを思うと、すごい。内容だって旭硝子のGLASS & ARCHITECTUREと並んでその辺の建築雑誌より上質である。この建物は4月号の「レストランのしつらえ」という特集用だそうでに3つのケーススタディの一つであり他のレストランは結構高そうな有名なレストランだという。名前を聞いたけれど忘れてしまった。しかしそういうのと並んで載せていただけるのは光栄である。僕のインタビュー。オーナーの田伏さんのインタビュー、そして内観の撮影などを済ませ、最後は、オーナーと私のツーショットで終了である。どんな紙面ができるのか楽しみだ。
事務所に帰り、5時に入江君他2名来所。3月にリーテム東京工場で行う、某ブランドのプレス向けイベントの打ち合わせ。リーテムの2階にステージを組んでドリンクを出し、関係者500名近くを呼ぶ壮大なものらしい。ミュージックやダンスも本国からアーティストを呼ぶらしく、私もこっそり覗きに行こうと思う。かなりすごいものになるようだ。
打ち合わせ後、入江君と雑談。A0次の勉強会を2月後半くらいから始めようと話す。テキストを何にするか考えよう。
その後川崎のエスキース打ち合わせ。どうも少しずつはまらない、もうちょっともうちょっとという感じ。来週クライアントにプレゼンしようかと思ったがもう少し練ってからにしよう。その後某賞への応募ボード用のテキストを考え、ポートフォリオの進捗チェック。時計を見たら11時半。ご飯食べて無かった。

January 18, 2006

long day

もう夜中の11時だと言うのに、まだエスキスが終わらない。まあ事務所だと思えば普通か?!今日は長い日だ。朝の日課のカントをさらりと読んで、終わってなかった、言葉と建築講義の予習して、そして講義。今日はついにtransparency,とtruthまで進んだ。この本、いろんな章で同じ人が何度も登場してくるのである。当たり前だけど、一人の人が一つの概念の専門家ではないから、概念と人がかぶっている。それが面白いと言えば面白いが、混乱をきたすし覚えにくいのである。教える方がそうなら聞くほうは大混乱かもしれない???
午後、昨日終わってなかった卒計の梗概チェック。今日のほうがまし。3時頃T工務店が某プロジェクトの件で来校。40分ほど話しを聞く。なかなかいい感じではある。「うちは他社の1割から3割安い」の言葉に眼が点。その後、センター入試の監督指導説明会。なんだか面倒くさそう。先輩の話だとこれが結構疲れるとのこと。仕方ないね。これも仕事だから。

さてそれが終わり夕食後、今度は修士の梗概チェック。今度は再び昨日と同じ状況。意味不明脈絡なしの梗概に胃痛。まあ時間が無かったと思ってあげよう。死人に鞭打つようなことをブログに書いても仕方ないしね。それが終わり、ラッシュアワーの電車のような製図室で4年や修士の模型、図面のチェック。まあこの混み方は活気があって良いけど、ちょっとかわいそうなほど狭い。製図室はもう一つくらいあるといいのだけどなあ。私立大学ではないのだし。

January 17, 2006

不調

2こま目。デザイン論の講義。と言っても今日はレポートの書き方の説明。先週見たnhk長野について4~5千字のレポートを書かせるもの。書く方も大変だが、見るほうも大変である。来週ゲストできてもらう竹内(みかん組)にも読んでもらって、竹内賞を選出してもらうためにも、200字のサマリーをつけるように指示した。さてどうなることか?楽しみでもあるが、がっかりする時は疲れもたまりそうな量である。(60人分くらいはありそうだし)。
午後卒論の梗概のチェック。本当は6人分見る予定だったが、3人分見たら気分が悪くなってきたので、続行不可能となった。お願いだからもう少し推敲してから持ってきて欲しい。英語で書けと言っているのではないし、高々A4で2枚。教師は間違い探しマシーンではない(いや間違い探しなどという高度なチェックさえしていない)。
夕刻雑誌『a』の検討ゼミ。
明日の予習をしてから帰ろう。早く帰らないとまた今晩から降ると言ううわさ。オー怖。

エスキス

昨日は一日エスキス。川崎の案をじっくりと考えてみる。よくあることだけど、最初の一手を間違えてスタディし始めると、途中で何しているのか分からなくなる。そこでずっと最初の一手を考えていた。それがまた最初の一手というのはとても概念的だから、スケッチもカタチにならない。つまりカタチは頭の中で想像表象として浮かんでいるだけ。そんなカタチにならないスケッチは描きためても蓄積にならない。なんとなく生産的にはみえない。自分の中にも焦りのようなものも出てくる。生半可な一手で最後までやって見事に敗北し、それでも戦ったという達成感を得ることはできるのだが、結局時間の無駄遣いになってしまう。というわけで夕刻の打ち合わせまでに指示できるような絵はできず。口で説明しただけ。木曜日の打ち合わせに期待。
家で夕食をとり、9時28分のアサマで長野へ。車中『教養主義の没落』を読む。かつて最もできる奴は哲学をやり、金が欲しい人間は法学や経済や工学に進んだ。と親父が言っていたが、同じことが書いてあった。文学に進む人間は「武士は食わねど」の誇りがあったようだ。確かに僕の勉強会に来ている連中にはそういう気迫もあるが。むしろ親が裕福という方が正確かもしれない。
長野はあまり寒くなく。

January 15, 2006

教養主義の没落

竹内洋の2冊の本が売れている。『丸山真男の時代』、『教養主義の没落』。今日の朝日の書評でも橋爪大三郎が薦めていた。昨日買ってきた教養主義を読み始めた。日本の教養主義は旧制高校が作ったと書いてある。旧制高校出の親父からそんな昔の話を聞いて育った私は、バンカラ、自由、教養といったものに単純に憧れていた。そんなわけで信大に来たときにせっかく一年は旧制松本高校を受け継いだ松本本部キャンパスに全員集合して授業を受けると言うのに、教養が無いというのを聞いて愕然とした。その上教員会議などでも僕より若い先生たちはそんなの当たり前という風に語るのにはもっと驚いた。3年間で専門を教えるのは大変だから1年から教えないとというのが彼等の理屈である。それはそうかもしれないが、第二外国語も無い4年生大学なんて僕には到底信じられないのだが。さてこの本を読んで教養の没落を必然として理解可能となるだろうか???

January 14, 2006

k projekt現場定例

朝10時kprojectの現場。壁の型枠が上まで完成。鉄骨の子供部屋をコンクリートの箱に貫通させぶら下げるその箱が立ち上がっている。外形の輪郭が見えた。空間は大きい。コートハウス形式の内外均等開口がどの程度均等になるか?未だよく分からない。施主定例。今日は夫婦そろってお見えであった
。工程表がやや甘い。客の前だが木島が甘さを指摘。所長ももう少しつめを厳しくやって欲しいものだ。昼ごろ定例終了。帰りがけ渋谷のブックファーストに寄りウンベルトエーコの『美の歴史』というちょっと高い本とその他いろいろ買って帰る。帰宅するとベーメ『感覚学としての美学』の方法論となっているヘルマン・シュミッツの著書『身体と感情の現象学』がアマゾンの中古で届いていた。さらりと目を通したがあまり面白くないのできちんと読むのはやめた。
強い雨が降っていたがそろそろ弱くなってきた。明日は3月上旬の暖かさになるという。長野もかなり暖かくなるようだ。

January 13, 2006

Done is everything! Done is beatiful!

研究室7時半。暖房は全然効かず凍えそうである。羽毛のロングジャケットをはおって読書。11時から設計系の就職ガイダンス。昼食後1時から2年生の製図のエスキス。2年の課題はオフィスで敷地は僕の設計した長野県信用組合の道路挟んだ逆側である。この敷地は僕が選んだのではなく、非常勤講師の広瀬先生が選んでくださったもの。規模もご丁寧に同じである。というわけで僕には手に取るように分かる大きさだが、学生にとってはいきなり巨大な建物かもしれない。間に正月が挟まっているせいか去年の暮れからあまり進展が見られない。2月2日の講評会には山本想太郎君に来校していただくのにお見せできるものに仕上がるのだろうか?
中休みに坂本先生と電話で会話。新年のご挨拶をした。坂本先生からは『言葉と建築』献本へのお礼とお褒めの言葉をいただいた。ありがとうございます。
夕食後、製図室を覗く。さすがに年明けると、2年からm1まで沢山の学生でごった返している。信州大学には製図室は一つしかないので早い者勝ちである。課題の締め切りも近くなってきたので皆必死である。卒業を目指すものはあと少しハイになって頑張るしかない。
僕がuclaで修士設計をしていた20年前、製図室では深夜になると誰とも無く叫び声が上がる。‘done is everything! done is beatiful!‘「終わらせることが全て、完成は美しい」。
21時の新幹線に乗ろう。

打ち合わせなど

朝の日課『判断力批判』宇都宮訳、はやっと上巻が終わり下巻にはいった。下巻は目的論的判断力の批判である。10時半に事務所。ごちゃごちゃと雑務。プロスペクターの面白そうな座談会シリーズ、全部行きたいのだが、山本さんの時しか時間がとれない。早速(というか遅きに失したのだが)ジュンク堂に電話、案の定満席。残念。
昼行きつけのとんかつや「鈴新」へ。「長野は雪どうですか?」と聞かれて「落ちて人に当たると死ぬ、と思われるつららが学内にいろいろ見られます」というとさすがにびっくりしていた。
午後アーキラボ用のポートフォリオ、中国プロジェクト、川崎の家、打ち合わせ。ポートフォリオ、面白いモノになりそう。中国は少しゆっくり進むかな?川崎は土質調査が終了。15メートルくらいまでいい地盤がでないので杭だとかなりコストアップになりそう。少し土をとって半地下を作る案が浮上。月曜までに模型を作成するように指示。
家で食事を採って長野へ。車中ベーメを読む。

January 11, 2006

竹内

空間設計論の講義「structure」を終えて、センター試験の英語ヒアリング試験監督講習会を受け、研究室で雑務。すると携帯が鳴る「牛さーん」というこのとろけるような、鼻音。聞いたことのあるこの甘ったるい声はもしや竹内「17日変更できませーん?」やっぱり竹内。だから昨年暮れに念を押したのに、大丈夫?17日で?「いやー17日こちらの講評会だった」そんなことは知りませんよ。もう工学部長へ書類出しているし、無理無理、日にちの変更なんて。「ごめんなさーい」。とりあえず聞くだけ聞くよ。と言って不愉快に電話を切る。しかし理由が向こうの講評会じゃこっちを変更しない限り、断られるだけだなと頼んでいる側の弱みで、庶務の堀江さんと、会計の長井さんにお詫びの電話をしたら、明るい声で「大丈夫ですよ」と言われほっとする。しかし相変わらずルーズな性格は直ってない。
夕刻の電車で東京へ。車中いろいろ考え事。

January 10, 2006

手伝うことは学ぶこと

白銀の長野は晴れても寒い。デザイン論の今年最初の授業は「NHK長野放送局」の見学。近くに見学できる施設があって良かった。60名くらいの学生を二つに分けて誘導していただく。みかん組のこの建物は竣工直前に見せてもらったが、はや10年近くたつ。ちょっと建物に疲れが散見されたが、ファサードはスマート。しかし2年生主体のこのクラスだと未だ建物の見方を知らないのか、腹が減ったのか寒いのか知らないが、解散したら一目散に大学に帰っていく。建物というのは周囲を一周して、近くから遠くから眺めなければいけないのだが。言わない僕が悪いのか、そんなことも知らない学生がアホなのか??
午後製図室で卒計、修士設計のチェック。図面の細かいチェックをしたいのに図面がない。一体どういうこと?あと一ヶ月で締め切りという時に図面が無かったら設計事務所なら夜逃げだ。どうしてこうみんな計画性がないのだろうか?段取りは設計者の基本的資質だぞ!!!と憤ったところで図面が完成するわけでもない。
2年生3年生は是非上級生の作品作りに協力してあげて欲しい。設計しているところにわいわい野次馬的にインヴォルヴすることも設計者の資質である。見て見ぬふりする奴は僕の部屋には要らない。設計があれば加わる、模型作っていたら手伝う。そこから見習うこともあれば批判精神も養われるのだ。自分の作品作りも大切だが、ぎりぎりまで手伝うこと打算的な奴は伸びないよ。何故かと言うと、社会に出て5年くらいは設計の仕事はひたすら手伝いなのさ。そこから吸収するのが仕事であり、その吸収の遅い奴、そこに批判精神のない奴はもう駄目なのだその時点で。だから大学時代からそうした訓練をしておかなければならないし、そうした行動が苦手な人は端から設計はあきらめなさい。向いてないよ。

January 9, 2006

松林図屏風が見られるぞ

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国立博物館に国宝の部屋があるが、今は長谷川等伯の松林図屏風が見られる。こういうものは出てるときに見ておかないと一生その機会に出会えないわけで、とにかく行く。よく言われていることだろうが、この絵は本物を見ないと分からない。何が分からないかというと、遠目から見た筆触と、近づいた時のそれがまるで違うというところである。遠目ではとても柔らかな濃淡の塊に見えるのだが近寄ると、とても荒々しい筆遣いが見て取れるのである。赤瀬川的に言うと「乱暴力」である。これは竹を割って作った竹筆も使っているとのこと。この荒々しいタッチは竹であろう。しかし、竹を使ってこれだけ荒々しく描くと紙が破けるのではと想像するのだが、どうもそこが素人の浅はかさのようである。書をやっている人間に言わせると、荒れた線こそ渾身の力を腕の筋肉に蓄えながら、筆は紙の上をまるで小動物をなでるかのごとく優しく運筆させるのだそうだ。なるほど。
さてこれもよく言われることだが、桃山の当時、狩野・長谷川は2大デザイン企画事務所だったそうで、電通対博報堂のようなもの、仕事を取るためには必死で時の権力に取り入ったようである。そうした生々しさがこの絵には伺えないが。

国博を駆け抜け、東海大の岩岡さんのオープンハウスに行く。木造三階建130㎡くらいの住宅である。平面中央に螺旋階段があり四葉のクローバーのようにその階段の周りに床がある。床は全部で13枚くらいくっついている。しかしそんなこと理論的に可能?4分の1層上がるごとに床があったら頭がぶつかるでしょう。そうぶつかるような収納室と呼ぶ階高の低い階があるのだ。それら13の床は風呂とトイレを除けば空気は繋がっている。この連続感は眩暈がしそうである。岩岡さんらしい。岩岡さんは松本出身の人。今度信大にも遊びに来てもらうようお願いをして退散。

3時頃帰宅。読書。ベーメの『感覚学としての美学』を読む。7時頃かみさんがピザを買って帰宅。夕食後長野に。寒いので億劫であるが、朝出かけるよりまし。

January 8, 2006

読書

ナタリー・エニック著、三浦篤訳、『ゴッホはなぜゴッホになったか』、藤原書店を読み終える。ゴッホは還元すればトマス・クーンの新しいパラダイムに位置しているという。ではどのようなパラダイム転換を図ったのか?その最大のものは「異常なものが規範化されて芸術における規範性とは規範の外部にあることだとされるようになった」ということだ。ゴッホがその最初なのかなあ?とふと疑問にも感じたがそうなのだろうか。その後、熊倉敬聡のエッセイ集『脱芸術/脱資本主義論』、慶応大学出版会を読む。がんばらなくてもいい社会を目指そうという話である。昨今多いこの手の話は雰囲気は分かるのだが、まだ実感としては共感できないでいる。夕食後ゲルノート・ベーメ著、井村彰他訳『感覚学としての美学』を読み始める。これは読み始めたばかりだがちょっと面白そうだ。美学をその原義であるところの感覚の学に戻せという議論(岩城見一の『感性論』とかW.ヴェルシュの『感性の思考』など)の一つだが、芸術批評の基礎となっているこれまでの美学を、芸術以外の二つの分野に適用しようというところから始まる。それはデザインと自然である。論旨が明快なスタートとその二つはたまさか今の僕の興味のあるところであり、その意味で期待したい。

January 7, 2006

寒い建物を暖かくする

少し寝坊をした。午前中読書。某建物の漏水調査結果がメールされてくる。文章だけでは分からないので工務店に夕方事務所に来てもらう。昼食は娘とうどんを煮て食べる。昨日言われた食物分類表で1日2000キロカロリーを過度に上回らないように食事をしようと決める。そのために1週間くらいは意識的に食べ物のカロリー数を計算してみようと思う。
その後ヤマのクライアントと電話で話しをする。ヤマは開口部が多い建物なので夜の熱逃げが多くかなり冷えるとのコト。対策を考えて欲しいと頼まれた。
これは住宅に限らなずオフィスでもそうなのだが、いくら高性能のガラスを使っても、ガラス面の多い建物は外部の影響を受けやすい。つまり夏暑くて冬寒い。これはある程度仕方ないことである。開放感の代償なのである。しかしもちろん対策が0なことはなく、カーテンでコールドドラフトを窓際で食い止めるとかペアガラスを使うとか、断熱シートを貼るなどの方法はある。しかし根本的にはやはりガラス面は開放性に優れた素材であり断熱性には劣るものと考えざるを得ない。
食事後事務所に行って工務店と打ち合わせ。その後伊藤君の面白そうなプロジェクトの模型を見ながら少し雑談。木島さんのN/Eの写真が上がっていてポジを見せてもらう。撮影は西川さんだそうだ。その後帰宅。夕食後また読書。

大寒波

寒い。東京も長野も寒い。数十年ぶりの大寒波が来ている。長野は数十年ぶりの豪雪だそうだ。例年のことが分からない僕にとっては、これがどのくらいすごいことか分からなかったが、早朝の学科会議で他の先生方からそう聞いた。住まいから大学までの道は雪がスキー場のように積もっている。大きな道は車が渋滞。
学科会議の後研究室で雑務。昼食後、某役所の方と会い市の施設の相談を受ける。ソフトウエアの技術者を育成するインキュベーション施設とメディアテークのような図書館を作りたいとのこと。大変積極的に挑戦的なことをしようとしている姿勢に心動かされる。協力しようと思う。
その後卒計、修士設計の様子を製図室で見る。模型は徐々にであるが進展している模様。3年生が手伝っている。2年3年はもっともっと手伝わなければ、ここで見たことやったことは必ずや+になるのである。
その後更に雑務。夜の電車で東京に。某新年会に顔を出す。小児糖尿病が専門の医者に酒を飲まずに甘いモノばかり摂ると危ないと警告を受ける。日本人は粗食の民族だから、現代の飽食の時代にはあっというまにインスリンが欠乏して糖尿になるとのこと。恐ろしい。研究室に栄養表を貼っておけと注意された。この間の高橋睦郎さんのレクチャーの教え「一汁一菜に戻れ」は正しいようだ。

January 6, 2006

Felice Varini

朝、2時間ほど読書。10時半頃事務所に行く。今日はスタッフ全員10名そろった。午後一で中国プロジェクトの打ち合わせ。その後川崎の家の打ち合わせ。基本正方形案と台形案の図面と模型ができている。なかなかうまく解けている。いい感じだ。それに僕が午前中スケッチした第三案の模型と図面を作るように指示した。20日頃にはクライアントと打ち合わせができるかな?。
その後長野に向かう途中で東京駅の丸善洋書アートコーナーに立ち寄る。ここは大学の校費で買って届けてくれる便利な書店なので、月に2度くらいは立ち寄り、洋書の新刊をチェックする。しかし最近は校費で本を買うのは止めた。最終的に退官時、大学に返却することを考えたら、校費で買うのは、本当に資料的なものか、そのときどうしても見たいけれど将来は不要というものに限らないと後で悲しい思いをする。校費はだから、本ではなくコンピューターとか、模型材料とかそういうものに使うほうが賢い。
さてそこでFelice Variniという建築に絵を描くアーティストの作品集を発見して購入。中世の城とか、街並みとか、インテリアも含めてある視点に立ってみるとある形が見えるように描くのである。例えば手前の城壁、その向こうの塔、そしてその隣のパラッツォを含めて大きな円が描かれているように見えるように計算されて描かれる。もちろんそれはある一点からしかそう見えない。しかし逆に違う視点から見ると不思議な線や色の断片が方々の建物に飛び散ったように見えるのである。そしてそのほうがむしろ面白い。そして、そこにいくつかの建物に網がけされた関係性が見えてくる。
そう川崎の家では2個の家の関係がすべてなのである。二つのものは兄弟だけど2卵生でありぱっと見は違うけれど話してみるとああ兄弟、似てないけれど近い。例の矛盾を秘めたテーゼとなることを狙っている。
と、この日記を打ち終わって、トイレにたったら同じ車両に構造の五十田先生が乗っていた。新年の挨拶をする。

January 4, 2006

仕事始め

仕事始めである。10時頃事務所に行く。これまで来た年賀状、戻ってきた年賀状を整理。住所録の書き換え、そして12月の経理チェックなどして、新宿の銀行で雑務を処理。まだ4日の新宿はそれほど混んではいない。世界堂により、小さなスケッチブックを買いだめする。事務所にもどり、秘書と打ち合わせ。その後、ナカジと中国プロジェクトの打ち合わせ。どうも中国からは理解困難な返答が返ってきて困ってしまう。このゼネコンは一体仕事をする気があるのだろうか?しかし、まあ責任ある仕事にはそれだけの金をはらえということか?安かろう悪かろうで後で泣くのは設計事務所。その意味では、バナナのように安くなっても信用できないのだが、こちらは理詰めで話しているのに、ある時開き直るというのは大人の会話とは思えない。
川崎プロジェクトのスケッチをする。するのだが、今日はとてつもなく寒い。ガスヒーターつけてエアコン2台つけているのだが、足元が寒くてもうだめ。夕食をとっていないのも響いて震え上がり帰宅。窓側で仕事をしている人たちはきっと僕より寒いだろう。かわいそうに。

January 3, 2006

衣・食

朝、日課の『判断力批判』を少々読む。私の読んでいる宇都宮訳においてはasthetischが崇高概念を含むときは美学的とは訳されず、情感的と訳されている。だから第一編は「情感的判断力の分析論」となっている。(これが篠田訳では、「美学的判断力の分析論」となる)
食後午前中は読書。『ゴッホはなぜゴッホになったか』はおいておいて、先日ヴィヴィアン・ウエストウッドの展覧会の時に買ってきたファッションの本、ミッシェル・リーの『ファッション中毒』を斜め読みし続いて、スーザンフランケルの『ヴィジョナリーズーファッション・デザイナーの哲学』を読む。
ディオールの若きデザイナー、ジョン・ガリアーノは僕と同い年、ジバンシーの若き天才、アレクサンダー・マックイーンは10も下である。すごいものだ。しかしそんな中で色あせないのは川久保である。真摯にファッションは創造の発露の場であると考えている。著者も、ファッションをお金と無縁なものと考えるデザイナーは世界に二人しかいないと書いている。それは三宅と川久保だそうだ。

そんな本を読んでいたら洋服が欲しくなった。バーゲンの伊勢丹にふらりと出かける。殺人的な人ごみで長野用に暖かいパンツを1本買って退散。お米を買ってきてと言われたので地下で奮発して宮城産ひとめぼれを買ってきた。これはうまい。何か違うものを食べているようだ。

January 2, 2006

美食家

1月2日に雨が降るのはあまり記憶にない。ラグビー大学選手権を少しテレビ観戦。雨中戦を制したのは関東学院と早稲田。、同志社、法政を破り決勝進出である。それにしても早稲田は圧倒的に強い。準決勝だというのに50点台の得点であった。優勝は確実だろうか?
先日の銀座のレクチャーで薦められた谷崎の『美食倶楽部』を読む。短編なので30分で読んだ。5人の美食家たちのグループが毎月美味しいものを食べるのだが、手に入るすべての美味しいものを食べ尽くしてしまった。そこで考え出された新たな料理とは味覚だけでなく触覚に訴えるような料理、という話である。いかにも谷崎らしい官能的な美食芸術である。
さてそれを読んでから、家族で河豚を食べに行く。私は美食家ではないので河豚で十分味覚を満足させて帰宅した。『ゴッホはなぜゴッホになったか』を読みながら就寝。

目指せ3割打者

今日は家族で初詣。3回拝んだ。これで今年は少しはよいことが増えるだろうか?去年はコンペに2連敗したが、賞を3つもらった。3回悪いことがあると一つは報われることもあったから、勝率2割5部ともいえる。プロ野球選手ならかろうじて解雇にはされない成績かもしれない。しかしなんとか3割打者になりたいものだ。元旦の明治神宮はさほどの混み合いでもなかった。天皇杯は清水の健闘むなしく、レッヅが優勝した。しかし監督初年度の長谷川健太は大健闘である。勝てはしなかったが、決勝まで駒を進められたことに拍手だ。
今年はやらなければいけないことが山のように頭を駆け巡り、元日から気分が晴れない。去年はうつ病になると騒いでいたが、今年もあまり変わらない。まあ開き直るもいけないし、くそまじめだけでやってられないし、やはり中庸であろうか。頭を精一杯使ってだめなら仕方なしである。