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August 31, 2011

便乗値上げか?

久しぶりに見積書の査定。このところ査定などせずに比較的すんなり決まる仕事が多かったのだが、今回はちょっとしんどい。建設物価が上がっているというのがゼネコンの言い分だが本当なのだろうか?電気代もガス代も上がる昨今なんでも値上げしていいという風潮が世の中に蔓延している。そう不満をぶつぶつ独り言のように呟きながら数字の森を迷走する。ただただ事務的な作業ではあるが、結構これもスリリング。突出した数字に目を見張りふっと見つける異様な高単価や数量の拾いミス。それはそれでちょっとした発見の快感。潮干狩りのようなものである。

August 30, 2011

槇文彦の立ち位置

久しぶりに古河に打ち合わせ。納図してから入札、見積もりが上がるまで2カ月近くかかった。そして結果は結構高い。どさっと分厚い見積書をもらって帰りの電車で眺めるのだが、果たして上手くいくか?毎度のこととはいえども憂鬱な時である。
行き帰りの車中『メタボリズムとメタボリストたち』を読む。その中に「群造形と現在、その四十五年の軌跡」という槇文彦の論考がある。その中で槇は他のメタボリストと自らの違いをこう記す
「私の立場が明らかにほかのメタボリストたちと異なっていたとすれば、私自身、形態やシステムによって支配されるほど、我々の環境は単純なものではなく、意志のある個の支配が究極的には強いという立場を当初からもっていたことにほかならない」。それがメガフォームでもなく、コンポジショナルフォームでもなく、グループフォームに思い入れる槇の根底にある思想であり、それは45年間変らぬ彼の意志なのだと思う。
昨今街づくりや地域でのトークセッションなどで常に物理的環境の問題以前に人々の意識や住まい方の問題が持ち上がる。それは槇たちが半世紀前に気付いていたことである。そしてその問題意識の重要性は未だに変わらない。
夕刻事務所にクライアント来所。6つの案の模型を前に3時間半の長丁場の打ち合わせ。最初に模型を見せる時は毎度緊張する。そしていろいろ意見を聞く中でまったく別の案も思い浮かぶ。しばらく寝かせておくかな。

August 29, 2011

大高事務所でバイトしていた頃

実家のスケッチをする。候補地がいくつかあるのだが、有力候補の土地を相手に考える。80/300の近隣商業はさすがに庭が取れないものである。法規制は建築をかなり規定するものだと再確認。
大学がやっと開校。夕刻コンペ等の打ち合わせ。成績入力。たまった作業に追われる。夜大高正人・川添登編『メタボリズムとメタボリストたち』美術出版社2005を読み始める。学生のころ大高正人の事務所で長くバイトしたのを思い出す。作っていたのは大高が生まれ育った三春町歴史資料館の勾配屋根の天井である。スケールは1/50だったような気がする。目地の納まりが見たいということだったが方形勾配屋根の角度が上手く合わず1ミリくらいずれるたびに作り直しを命じられていた。
バイトの頭のような芸大の院生に「おまえ1ミリっていうのはなあ、誤差とは言わねえんだよ。違うものって言うんだ」と冷たく怒られたのを覚えている。その後その先輩とは仲良くさせてもらったが学部2年生の当時は所員よりはるかに恐ろしい人に見えた。当時は何処の事務所にもそんなバイト頭のような院生が居座っていたような気がする。

August 28, 2011

都心でまわりを考える

八潮ワークショップに少し遅れて参加。いつもはつくばイクスプレスの八潮駅から行くのだが今日は会場が市の北端なので武蔵野線の越谷レイクタウン駅に回る。ここにはイオンの作った日本でも1、2を争う巨大ショッピングモールがある。祭日には家族連れで賑わうと聞いていたが噂にたがわずそういう人たちが沢山降りて行く。先日のワークショップで会った地方の学生は高校時代の遊び場はイオンだと言っていたがこの辺りも同じかもしれない。
午後は6大学(筑波、日工大、茨木大、神戸大、神奈川大、理科大)の懇親会。各大学ちょっとした出しもの。夕方帰宅。昨日朝1時間ほど走った疲れが出て床で眠る。夜マンションの理事会。二月に一度くらいずつあるのだが毎回2時間くらいべたっとやる。とんでもなくまじめである。共用部の雨漏りとか、床石の割れ。自転車置き場が足りないとか宅内持ち込みの可否など。喧々諤々の議論となる。さぼろうと思えばさぼれるのだが比較的真面目にきちんと出て意見している。都心に住んでいて公共を考える数少ない機会なので。

August 27, 2011

日本人はどこまで小さな家に住めるだろうか?

とある人の住宅の土地を見に中央線沿線の不動産屋に行く。いろいろな土地の図を見せてもらい、どうも7000万辺りで土地の形が変るような気がした。何故だろう??
相続のことを考えると子供二人が相続する場合相続税の控除は5000万+相続人×1000万となる。つまり7000万までは相続税がかからない。土地の相続税評価は路線価なので3割目減りすると考えると約1億ぐらいの実勢価格の土地まで無税ということになる。しかしこのくらいの土地持ちは他の資産もある。仮に2000万くらいの資産を持っているとすれば路線価5000万くらいの土地まで無税である。これは実勢価格に直せば約7000万である。
つまり7000万近辺の土地を相続しても相続税がかからず土地を切り売りしないですむのである。しかしそれは売る側の論理であり、買う側の論理としては7000万で土地買ったら一億プロジェクトである。そんな購買力のある人はほんの一握りである。となればこんな土地はディバイドされて売られるが普通である。なんて勝手な理屈を考えた。

今日トウキョウ・メタボライジングをオペラシティで見てきた。塚本氏のビデオ「アーバンヴィレッジ」「コマ―ジデンス」「サブディバーバン」は塚本氏らしいおもろい分析だった。この「サブディバーバン」という概念はまさに上記の相続税が土地を分割していくと言うストーリーである。日本の土地は相続税によってディバイドされ、それによって日本の建築家は狭小住宅の天才になった。
今年の税制改革は相続税の基礎控除額をぐーんと引き下げた。これによって果たしてディバイドは加速されるのだろうか?日本人は更に小さな家に住む能力を磨くのだろうか?

「内藤とうがらし」って知っている?

今年は東京ではゲリラ豪雨が少ないと思っていたのだが突然滝のような雨が降ってきた。そんな雨が小ぶりになって荒木町のお祭りがなんとか開かれた。盆踊りの音が響く舞台の脇にあるいきつけのトンカツ屋に行ったら店先にトウガラシが栽培されていた。これは何かと聞くととりたてのトウガラシが出てきた。オリーブ油につけたものもある。とうがらしオイルである。七味に加工したものも登場。
いろいろ聞くとこれは「内藤とうがらし」というものだそうだ。江戸時代に新宿御苑あたりに屋敷を構えた信濃高遠(たかとお)藩主の内藤家が栽培して周囲の農家も真似して作っていたというもの。現在新宿御苑から新宿高校のあたりは内藤町というのだが内藤家から来ていたと言うことを初めて知った。新宿区は昔の町名が残っているのでこんな歴史に出会って楽しい。
そんなわけで四谷全体がこのトウガラシを復活させようと皆で栽培しているのである。では我々も何か協力せねば、、、トウガラシのボンボリでも作ろうかと検討中。

August 25, 2011

「ぐずぐず」の理由

学会の建築意匠小委員会というのに新たに参加することとなりその初会合に出席。これで今年の学会は3日とも会場に足を運んだ。まあ近いから苦ではないが。帰りに奥山先生と遅い昼食を一緒にする。その中で彼の大学の某先生の話になる。この先生は実に頭が切れる、判断は明晰で早い。異様に早い。彼が何か言うと殆ど序を話し始めたころには結論を予想してそれに対するコメントが飛んでくるとのこと。「いやそうではないのだが、、、」なんて思っているころには話題は次に移っていたりする。
世の中にはそんな素早い人がいる一方なんとも「ぐずぐず」していてまどろっこしくて結論へ到達しそうでしない人もいる。結論を先延ばしにしているのではなく熟考しているのである。僕の先生もそうだったかもしれない。
鷲田清一『ぐずぐずの理由』角川選書2011はまさにそんなぐずぐずを積極的に評価してその大事さを強調する。「滑りのよい言葉には、かならず、どこか問題を逸らせている、あるいはすり替えているところがある。ぐずぐずしながらも、逡巡の果てにやがてある決断にたどり着く・・・その時間を削ぐことだけはしてはならないとおもう。その時間こそが人生そのものなのだろうから」だそうだ。

デザイン発表会

事務所で打ち合わせ後早稲田本部キャンパスへ。学会デザイン発表会の司会。場所は15号館。少し古くて陰気な建物である。昔この部屋で講義した記憶がよみがえる。論文発表と異なり、デザインは発表4分質疑4分なので結構話せる。と言っても会場からの質疑は少ないので司会と発表者の対話のようになる。
自分のセッションが終わって隣の部屋へ。こちらは観衆が多い。テーマセッションで招待講評者(新谷先生)がいるからである。誰かがしっかり講評すれば聞く方は興味深いし、発表者もやりがいがあるだろう。
運営委員の堀越さん萩原さんから運営、方法、問題点、、、などを聞く。いろいろご苦労もあるようだ。僕は全てのセッションで講評者がいることが重要だと思う。会員はこの8分のために下手すれば泊まりがけでやって来る。発表して良かったなと思えないと意味が無い。加えて人の発表も興味深い。ゆえに系統だって分類された発表順序はとてもよいことだろう。

August 24, 2011

美学のテキスト分析とは

朝事務所で打ち合わせ。午後建築学会のため早稲田へ。意匠論のセッションで司会。次のセッションで信大の学生が発表したが練習をしていないせいか他の発表に比べて見劣りする。何言っているんだか全然わからない。
終わって駆け足で東大へ。美学芸術学のA君の博士論文審査会。博論の審査って大学によって(あるいは学部によって)全然違うのに驚いた。信大工学部では先ず本人の発表が40分くらいあって、その後質疑に入る。加えてそれは公開で多くの学生や研究者の前で行われる。そう言うものだと思っていたらここでは小さな部屋で審査員5人が提出者に対して2時間程度質疑するという形式である。
論文は分離派建築会の全体像を言説だけを頼りに浮き彫りにしようとするものである。言説分析のあるべき姿、運動の境界の見定め方、分離対象に対する既往の論者の態度。この3つに対して意見した。私の後に質疑したN先生の発言がためになった。曰く、美学のテクスト分析は抽象的言葉の意味をすべて具体化する作業である。抽象的な言葉を抽象のまま使っている人などいない。なるほどそうかもしれない。
夜学会で東京に来ている信大の教え子たちと食事。

August 23, 2011

長野市庁舎がコンペになっていたとは露知らず、、、

午前中事務所で雑用。盆明けでまた新しいオープンデスクの学生が数名来ている。午後コンペの打ち合わせで九段下のロイアルホストへ。今週も大学は閉校状態。特別の許可が無いと入れない。一番奥の8人掛けの大テーブルに敷地模型から各自作ってきた模型まで広げて議論。ここ結構いいなあ。涼しいし、静かだし、コーヒー飲めるし、2時間ほど議論して2案に絞った。
コンペと言えば自分が少なからず関わっていた長野市庁舎の建て替えがいつの間にかコンペになり昨日提出締め切りだったようだ。全く知らなかった。それにしてもあんなに反対がありながら本当にやるわけだ。僕も反対派のひとりである。その理由は二つ。どんな理由があるにせよこれにより宮本忠長の初期名建築「長野市民会館」が解体されること。その2は耐震補強のリニューアル案の検討が甘いこと。
先日千葉さんに「やってる?」と聞かれて初めてそんなことになっているのを知った。「一体審査員は誰?」と聞いたら北河原さんだと言う。まあ長野市出身の建築家だから押しも押されもせぬ当然の成り行きかもしれない。それにしても、、、、、(涙)
コンペ情報はネットに転がっているものでは落ちがある。有料で買わないと正確で全体の情報は把握できないことが分かった。ネット新聞も有料、無料では大きな差がある。しかし昨今、普通のニュースをお金を出して買う気にはとてもなれないけれど。

August 22, 2011

都市と田舎の流動性を作るには

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●建築トークイン上越2011のフライヤー(こういうものはやる前にアップするのでしょうが、備忘録なもので、、、とほほ)建築トークイン上越2011フライヤー
遅く寝たのだが起きたのは6時ころ。外は雨だが空気がうまい。朝食をてい山荘でいただき9時ころ学生の待つ公民館へ。川口としこさん僕、トムヘネガンの順でショートレクチャーをしてから昨日の議論の続きを行う。2時までぶっ続けトークをして各班まとめの発表。去年は「土地に潜在する力」というテーマで今年は「都市と田舎」だが出てきた話は去年とかぶるところも多々ある。つまり「都市と田舎」のネットワーク流動性がこれからは必要で、そのためには「土地に潜在する力」が鈎になると言うもの。
今年はコーディネーターとして北山恒さんが広井良典の『コミュニティを問いなおす』ちくま新書2009を読むように勧めていたが、広井氏の著作の中では前著『グローバル定常型社会』も重要で、この2冊を読むと現代は歴史的に見ても成長の時代ではなく定常の時代であることが納得される。そうなると限界集落に近い場所のあるべき姿も違って見えてくる。作るではなくメンテナンスであり、活かすか殺すかではなく維持。人を呼ぶではなく人を流す。流動性をつくるというものである。
人々が都市や田舎を流動的に生きるにはもちろん田舎の価値を見出し顕在化する必要もあるが加えて、地縁血縁、一生涯一職場、家族同居というような固定概念から解放されないと難しい。こうしたことは昔の話しというわけでもなく学生に聞いても十分その呪縛のなかにいることがよく分かった。
すべてが終わり先生たちは2台のレンタカーに分乗して越後湯沢を目指す。急いでいる2人を除いて駅前で珈琲を飲んでから夕刻の新幹線に。ひどく混んでいて席はばらばらである。

August 21, 2011

上越トークイン初日

昨晩はひどい睡眠不足状態。9時半のマックスときで越後湯沢へ。車中来週審査をする博士論文を読む。テーマは分離派だが美学からの視点も入った美学の学生の論文である。自分は歴史の教員でもないから適任かどうかは分からないが、論文の現代的なアクチュアリティという視点から読み込ませていただいている。1時間で越後湯沢。渡辺真理さん、千葉学さん、山城悟さん、川口としこさん、古谷誠章さん、トムヘネガンさんと合流してレンタカーで浦川原へ向かう。現場で北山さん、篠原聡子さんと合流。
午後から学生を含めた上越トークイン。テーマは都市と田舎。夕方までみっちり学生とのトーク。夜は学生が小学校を宿舎にコンヴァージョンした月影の里で懇親会。利き酒大会優勝。

August 20, 2011

日の丸アイス

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夜F先生の学会論文賞のお祝会食。市ヶ谷のフランス料理屋に出向く。食べ慣れないものだがフランス料理っぽくない素材の味を大事にした作り方が好みである。ほっき貝、ムース、冷パスタ、そしてメインディッシュのヒラメと豚ロース。クライマックスである、そしてデザートが三種類。この日の丸デザートはアイスクリームの詰まった桃にフランボワーズのソースがかかったもの。実に美しく最後を締めくくるにふさわしい。
食事の流れも音楽の流れも人の心を徐々に高めるようにできている。それが普通だよなっと考えながら今朝見た読売書法展のことを思い返した。
書の選抜展はどれも1000以上ある作品が巨匠のものから入選回数の多い順に並んでいく。日展もそうである。なので最初の部屋はなかなか見ごたえがあるがだんだんしぼんでいく。メインディッシュから始まりオードブルに進むのである。
順番がそうだということを知っていると後ろに進むほど見る方も力が入らなくなるし、展示も3段重ねくらいに密度が濃くなり注意散漫となる。本来逆に並べるべきなのだろうが、なにせ数が多いからそんなことしているとメインディッシュ食べる前に満腹になってしまう。しかし目を凝らしてみているとオードブルにもメインに負けない作品が多々。料理も同じだが。

August 18, 2011

形や構成の操作の仕方

事務所で一日模型を作る。今週は小さなプロジェクトをひたすらスタッフと一緒になって考えている。世の中お盆だし、大学へは入れないし、あまり邪魔もされずに、雑用もなくとてもいい時間である。
昨日の続きだが、設計者は設計する時に形や構成を考えている。そしてそれはできた時の現れを予想しながら操作している。でも現れを予想するとはどういうことだろうか?それはできた時の像を想像するということなのか、できた時の雰囲気を言語化すると言うことなのか?
前者は可能であるが言葉の助けが無いと通り一遍のものになる。一方後者は現れを指示する語彙があやふやなので言葉が浮かんでもそれが適当な像に結び付かない。つまりこの作業はあまり生産的ではない。
そこで思うのは形や構成を考える時の思考方法である。形や構成は「現れ」よりか、遥かに言語化しやすい。そしてその言語はAに対して非Aという物差しの中で考えることができる。例えば直線的か曲線的か、広いか狭いか、太いか細いか、長いか短いか。構成であれば連結か分割か、包含か接続か、などである。こうした物差しの上で操作していくとその目盛の半ばくらいでその物差しとは違う次元の物差しが現れたりする場合がある。曲線か直線かを操作していると蛇のようなにょろにょろした感じとか、糸くずのような感じとかである。それらは比喩だったり、形容詞だったり、あるいは形の次元から現れの次元に飛ぶ場合もあるかもしれない。それはその時々で異なる。いずれにしてもこうした基本的な形や構成の操作の目盛を回しながら以外な場所に飛びだせるような気がする。
そんなことは恐らくだれでも自然にやっていることなのだと思う。もっと言えば、料理だって服飾だって、音楽だって表現のファクターの目盛を少しずつ変えることでいい味を出しているわけだ。スパイスの量を変えたり、生地の長さを調節したり、ビブラートの掛け方を変えたり、、、だからこんなことは当たり前なのだろうが、それを少しばかり意識的に方法的にやってみると展開がスムーズになるということである。

August 17, 2011

構成と現れの非平行関係

建築の構成を単純な言葉で2分化してしまうと、それに対応する表現(現れ)も二つで終わってしまう。例えば開くか閉じるかなどという構成の分類を単純に2分するだけだと表現も二つ以上を探求せずに終わってしまう。しかし実は開くにも数種類の構成があるわけでそうなるとそれに対応する表現(現れ)もその数だけあるはずである。
例えば中野本町の家は閉じた住宅でシルバーハットは開いた住宅である。でも例えば中野本町のFL+400までが全周にわたりガラスだとこう言う空間は閉じていると呼ぶのも変だし、開いているというのもちょっと違う。こういうのは被(かぶ)さっているとでも呼ぶのがいいのだろうか????
日本語では(恐らく他の言語でも)対義語の中間を表す語彙は少ない。だから間は程度を表す形容詞をくっつけて表現してしまう(少し開く、開く、非常に開くetc)。確かに構成はこういう程度問題として片づけることができる。しかし問題は中間に現れる空間がその対義語の程度以外の別の質を表す時に生じる。先程の例もそうである。400の帯が回る時それは開くとか閉じるというような水準とは違う水準において現われているのである。つまり構成と現れは、あるところで言葉の対応が乖離する。その乖離するところが表現の操作としては重要なように思うわけである。

August 16, 2011

後藤新平の震災復興

震災後によく後藤新平を見習えという言葉を聞いた。後藤新平とはもちろん、関東大震災後に発足した山本内閣の内務大臣であり、帝都復興院の創設に尽力し自らその幹事長となった人物である。後藤はそこで様々な人物を適材適所に配置して稀有壮大な提案をする。因みにその時建築局長に任命されたのが佐野利器である。
しかし後藤の提案は当時野党の政友会に財源の問題などの追及を受け大きく修正妥協した。山本は政友会の妥協案を蹴って衆院の解散をするほどの勇気を持たず、後藤も否定するほどの信念は無かった。山本内閣消滅と同時に後藤も120日間の在任期間を終えて職を辞し、その末に復興政策の実行は山本内閣を継いだ清浦内閣によって行われた。
後藤新平研究会編著『震災復興―後藤新平の120日』藤原書店2011を読みながら後藤の瞬発力は確かに凄かったものの、結局弱腰の総理大臣のもとで壮大な計画は打ち上げ花火に終わったと感じた。政治はいつの時代もこんなものかと少々期待はずれ。当時の政治情勢などをよく知らぬものが偉そうに発言できるものでもないのだが、90年前の復興が果たして現在の姿よりはるかに優れていたものかどうか僕にはよく分からない。

August 15, 2011

雲海を持って帰る

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吉岡徳仁のデザインが好きである。三宅一生のところでプロダクトや店舗をデザインしているくらいに思っていたのだが、去年ネイチャーセンス展で羽毛を風で吹き散らすインスタレーションを見た時に妙に共感した。表現方法はとてもストレートだし、なんの捻りもないのだが逆にそれが気持ち良かった。最近彼の書いた『みえないかたち』アクセス・パブリッシング2009を読んだらこの人の考えていることが僕もよく思うことであると分かった。
例えば飛行機に乗っていて窓から見える雲海を自宅に持って帰りたいと言う。自然の一部を切り取りとろうという発想である。僕もよくそう思うのだが建築屋はそこで終わってしまう。でも彼は実際にそんなことを感じさせるようなものを作ってしまう。凄いなあと思うし彼のテリトリーはそんなことを現実化する可能性を持っている。
しかしそんなあきらめを持たずに建築でもそんなことができないか?チャンスがあったらチャレンジしてみたい。

いろんな学生と会う

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朝、防衛省の周りをジョギング。暑い。途中で事務所の鍵を空けエアコンつけてから家へ。シャワー浴びて再び事務所へ。理科大研究室の学生が来てコンペの打ち合わせ。節電で大学入れてもらえないので仕方なく、、、、。結局事務所で電気使っているのだから節電になってない???
午後白金にお墓参り。かみさん方の甥っ子と会う。バークリーから一時帰国中。女の子のような長髪になってすっかりミュージシャン風である。バークリーでの授業風景を動画で見せてもらう。凄いミュージシャンが沢山教えに来ている。さすが。
夕方事務所に早大で建築勉強中の別の甥っ子が来る。いらない洋書や雑誌をあげようと思って品定め。ついでに我が家にも来て要らない本の品定め。とりあえずなんでも欲しいと言うことなのでなんでもあげることにする。夜は甥っ子と一杯。3分遅れてビハインドとなった課題を見せてもらう。テーマは30年後の自分の小学校。少し新しい課題の作り方である。

August 13, 2011

自分のやりたいことが分かっていること

週末がなんやかんやでつぶれていたので行けなかったジェクサーに行ってみたらお盆休みだった。しかたなく地下鉄で外苑前に出てギャラリーワタリで草間弥生を見るhttp://ofda.jp/column/。この人の打ち込み方は半端じゃない。凄い人だ。
昨晩夕食をともにしたニューヨークの友人が「私は自分のやりたいことが分かっていてそれをしている人が好きだ」と言うので「同感」と言って盛り上がった。草間はもちろんそんな人だ。しかし我々の周りを見回してそういう人がそんなにいるわけでもない。
オンサンディーズで草間弥生『無限の網―草間弥生自伝』作品社2002と中原昌也『死んでも何も残さない』新潮社2011を買う。面白そうな写真集がいろいろあったが重そうなので買わない。ワタリウムの隣のFUGAという植物屋を覗いてからぶらぶらと歩いて家へ戻る。ジェクサーが休館だったので少し小走りで運動した気になる。帰宅後シャワーを浴びてサラダを食べてから買った本を読む。草間も中原も自分のやりたいことが分かっている人だしそれをやっている。こう言う人には実際会って話をしてみたいものだ。

August 12, 2011

篠原一男の論理性

本田勝一は日本語の通説となっている非論理性に反論し、「非論理的言語など存在しない」と主張した。黒木登志夫は(『知的文章とプレゼンテーション』中公新書2011)この主張を非論理的であるとして「『完全に論理的な言語』は存在しないというのであれば、納得がいく、もし、完全に論理的な言語を求めるのであれば、それは数学であろう・・・」と述べた。そして改めて主語欠乏症を日本語非論理性の要因として、自らの文章の3割に主語が欠けており、その7割が私、我々などの1人称であることを明らかにした。
それを読みながら篠原一男の文章指南を思い出した。卒業後何度か氏に文章の赤入れをしていただいたが、その時によく言われたのが主語(私)を入れろであった。この時は自らの主張を明確にせよと言う意味だと思っていたのだが、上記黒木の話などを読んだ後だと、これは数学者篠原の論理性の表れかもしれないと感ずるしだいである。

August 11, 2011

創造的破壊

タイラーコーエン『創造的破壊』作品社(2002)2011を読む。グローバリゼーションがもたらす文化的破壊を一般には否定的に見る風潮がある。それは世界が画一化されるという理由からである。しかし著者が示すようにこれまで世界は局地的なグローバリゼーションによって文化の多様性を作ってきた。それはそうである。鎖国していた日本が開国したことで日本は多様な文化を生みだした。選択肢を広げたともいえる。そして日本文化がすたれたかと言えばすたれた面もあっただろうが、豊かになった面も確実にある。文化的帝国主義があるからナショナルな文化意識は高まるわけである。これは八束さんが言っていたことでもある。
僕らは現在のグーロバリゼーションにかつてとは異なる脅威を感じている。それは経済に裏打ちされた全世界規模を持っているからである。しかしそれは正しい判断なのか?これも文化の多様性を生みだす一つのカウンターエレメントとしてとらえてよいのではないかと著者は主張する。
著者の主張はにわかに賛成も反対もできないのだが、世界中でマックを見ながらもそれで世界が覆われることは無い、あるいはそうしたマックに常に批判的な人間が登場してくることも世界的原理であろうと感じている。そうなるとこうしたグローバリゼーションの力学の持つ多様性の創出力に目をつぶり闇雲にローカリティ―の肩を持つのもおかしな話だろうと言う気にはなる。
それにしてもこういう話を語る著者は一級の経済学者であるということが素晴らしい。文化を語れる経済学者が日本にはあまりいない。

August 10, 2011

ドライミストは辻本先生が開発したんだ!!

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●8月10日朝日新聞朝刊

あれ、秋葉原や六本木ヒルズでひんやり効果を生み出しているドライミストって、辻本先生が開発していたとは知りませんでした!!同じ学校で頻繁に顔合わせている先生のやっていることを知らないもんです。お互い何やっているかお伝えする会なんていうのをやった方がいいかも。辻本先生の多彩さに脱帽。尊敬の念。
辻本先生言うように家庭用ドライミストなんて開発されたら嬉しいですね。

August 9, 2011

高圧洗浄機の威力

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高圧洗浄機を手に入れたのでベランダの床、壁、プランターを徹底掃除。しかしこのマンションは30年の年季もの。壁タイルは磁器タイルで汚れが落ちるが、どうも床は滑らないようにざらざらの陶器製が貼られているように見える。今ならこんなタイルを床には使わないだろう。吸水率が高いので汚れがすでに30年分染み込んでいて目地周りの汚れはもうとれない。風呂の水垢は浴槽に染みこんでいるように見えたがこれはとれた。すごい威力である。これから水垢のクレームはこれを買うことを勧めよう。
午後事務所でスケッチ。夕方研究室でオーストラリアハウスの議論。6時から延々4時間。お腹が減ったので終了。明日から節電の為入校禁止。家に持ち帰るものが多い。
外国の本に載るホタルイカのゲラが届くきれいなレイアウトである。

August 8, 2011

21世紀の社会とは?

午前中事務所でスケッチ。午後打ち合わせ。夕方大学で10月アートフェスタのプロジェクト打ち合わせ。夜研究室で読みかけのジェイン・ジェイコブズ『都市の原理』SD選書(1969)2011を読む。有名な『アメリカ大都市の死と生』の8年前に書かれた本書は未来の都市が当時の都市計画家たちが描いていた単純で合理的な姿にはならないことを主張したものである。出版から40年経ち少なくとも東京はそうなっていない。いや世界中そんな風になった都市は人口都市のキャンベラ、チャンディガール、ブラジリアなどである。そして少なくともそんな都市に僕は全く魅力を感じない。
続いて落合恵美子『21世紀家族へ』ゆうひかく選書1994を読む。両方とも篠原聡子さんの推薦書である。著者は僕より一つ上の京大教授。家族にまつわる様々な概念を僕らは古来からの既成のもののように感じているがそうではないということを改めて実証してくれている。
たとえば戦後家族体制の変化として女性が働かず主婦をやるようになり、画一的に2~3人の子供を生むようになることが示されている。1952年に結婚した母がまさにこれを体現した。そしてそんな傾向は21世紀にはかなり変化している。
歴史にたらは禁物だが母が今ころ生まれていたら全然違う人生を歩んだろうと思う。まあそれが幸福なのか不幸なのかは分からないけれど。
20世紀後半にかけて家族とそれを包む環の双方はドラスティックに変化している。21世紀とはどんな時代になるのだろうか?

スーパージュリー

国士舘大学のスーパージュリーに中村、大西、百田さんらとともにゲストで呼ばれる。これに常勤の国広さん、南さん、非常勤の丸山さん前田さん木島さんらが加わりなんやかんやで10人以上で講評する会である。

朝10時にスタートして先ず2年生。全員(恐らく50くらい)の作品を並べて15分くらいかけてまず発表者を選ぶための投票をする。それは教員とゲストだけではなく学生も行う。そして6名が発表し講評する。
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○二年の課題はアトリエ付き住宅

昼食をはさみ午後は3年生。同様に全員の作品をならべ(3年は選択なので作品数は20くらいにへる)発表者6名を選び発表講評。
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○三年生の課題は幼稚園

最後は修士。修士ともなるとさすがに作品が充実してくるので発表は全員である。
発表した後に再度投票して順位を決定する予定だったようだがそれがで来たのは修士だけ。講評者が多いので時間管理が難しいようである。

先ず全員の作品を並べ、学生も投票させるというのがよくできている。学生のモーチベーションがあがる。これはどこかで取り入れたいことでもある。

朝から夕方までやってとても優れた案に二つ三つ出会い驚いた。何処の大学でもやる子はやるということだ。もちろん指導者の力も大きいのだと思う。それにしても一昨日の理科大の講評会でも思ったが模型に比べて図面が余りに稚拙なのはどうしたものか。とりあえず今のところ建築は図面で表現するものだからこれはきちんと描かないとどうしようもない。

August 7, 2011

ろばの道、人間の道

研究室でル・コルビュジエの『ユルバニスム』(1924)1967SD選書を読む。「ろばの道人間の道」という有名なフレーズがある。ろばは道草食って気紛れだからまっすぐ進まず人間は目的に従ってまっすぐ進む。これからの都市は人間のための都市であり、よって道は直線と直角で構成せよいという主張である。コルの近代的理性人という側面がここにある。しかし同じの本の中に「感情は溢れる」という章があり民族固有の感情とは意志を越えて溢れだし、それはそれで絶対だとする。
カントは人間の理性の力とその限界を見定めようとした人であり、人間の限界を超えたところに崇高と言う名の美的なものを定めた。そうである人間の理性をアプリオリに設定すると言う近代的な態度は必然的にその超越を将来する。カント、コルビュジエetc.
院試が終わり夕刻東工大に行き坂本、安田、奥山先生らにお会いし供花のお礼をする。夕食をともにしお話しながらふと坂本先生の詩学について思う。これも結局そうなのかもしれない。理性の限界を越えた所のものである。精巧な概念操作があるからこそそれでは表現しきれない詩学が発生する。つまり詩学というものが方法論として意識されるためには理性に基づく精巧な概念操作があるわけで決してその逆ではない。詩人と言う人たちも実はそうなのではないだろうか?明快なロジックで表現しきれないストレスがついに詩という形態を招来する。勝手な想像だが。

August 6, 2011

脱近代か超近代か??

朝から大学院の院試。試験開始から研究室に。午前中、西部邁、佐伯啓思編『危機の思想』NTT出版2011を読む。今震災について9人の識者の論考が載る。概ね震災を契機に技術(近代)の無力を見直し、技術の危険と危機を再認し(脱近代)、復興、地方のあり方をどう考え、その際グローバリゼーションとどう手を切るか考えるものである。ここで脱近代とは近代の技術偏重の思想から脱すると言うことである。それは下手をすると不便になるかもしれないし、経済停滞になるかもしれないしそんなリスクも踏まえた思想である。
僕はしかしどれもこれもその通りだと思う。殆ど共感する。これが日本の識者のすべてだとは思わないが、恐らく大半の人はそう思っている。しかし一方で経済界、政界の多くは真逆のことを考えている。脱近代ではなく、今回の震災を技術への挑戦と受け止めこれを乗り越える方法を模索する超近代の思想の持ち主ばかりなのである。その方が経済が活性化するからである。そしてそれを後押しするのが経済産業省である。彼らの役目であるから仕方ない。しかしそう言っているとこの本の識者のような思想にはたどり着かない。
この本の中には通産省OBで京大教員である中野剛志さんのような人もいる。彼など、「単に戻すだけの復興では問題の克服にはならない」という今回の震災の特徴のように言われる言葉に痛烈な批判を浴びせる。この言葉には被災者への思いやりのかけらもないとする。被災者を見捨て孤独に貶めているという。重要なのは彼らの記憶であり、彼らの意志であるとする。僕はこれまでの復興への態度としてこれほど正鵠を射ている言葉を知らない。こんな言葉が元官僚から出てくるのである。経産省という役所の舵を誰かが修正しないことには日本の国は再び不必要な超近代への努力に駆り立てられることになる。こんなOBの力に期待したいところである。
夜3年生の製図の合評会。TNAの武井さんにゲストとして来ていただいた。彼の巧みなコンセプトメークとその形の作り方を堪能。富岡の優秀案も説明いただく。うーんなるほど。学生の発表はなかなか面白いものが数点あった。最優秀賞は秀逸である。形の作り方もさることながら、プライバシーが徐々に変化するシェアハウスの提案が斬新。これを見ながらとある著名な社会学者が奥さんとその彼氏の3人で住んでいるのを思い出した。そんな時代にこういう集住はリアルかもしれない。

August 4, 2011

すべての原発の耐震性能を開示せよ

研究室で夏休みのスケジュールを助手の田谷君と決めて行く。ワークショップ、トークイン、新宿のアートフェスタ、オーストラリアコンペ、卒論、卒計、盛り沢山。今夏の理科大は2週間半節電の為入校禁止なのでその間のゼミは大変だ。
病院で親父の様子を見る。トイレに杖をつきながら行けるようになっている。元気で結構。先日吉本隆明の『老いの幸福論』を買ってきたら(親父は吉本と同年)その内容に共鳴していた。人生意志が2割で運が8割だそうだ。運命は自分では決められないと達観していた。
親父が寝ている間「科学」編集部編『原発と震災―この国に建てる場所はあるのか』岩波書店2011を読んでいて目から鱗。原発の耐震性能は一般の3倍と言われる。一般の設計は「100ガルで損傷せず、400ガルで倒壊せず」なのだが、例えば柏崎刈羽では1号機の原子炉建屋底面では一次設計に相当する値が273ガルだったそうだ(確かに約3倍)。そして地震時の観測値は680ガルである。柏崎でこの値である。たしか東日本では1000ガルを観測したところもあったはずである。となるとこの3倍の想定値とはどれだけの意味があるのかと思わざるを得ない。しかし何よりもそうであるならば、現在稼働中の原発の耐震設計は一体想定値いくつなのか??浜岡は既に停止の方向にあるが、2005年に1000ガルに耐えられる補強工事に着手していたそうである(それが完成しているかどうかは知らないが)。福島は津波と言う想定外で破損したと片付けられているが、本当なのだろうか?実は地震だけでも致命的な打撃を受けていたのではないだろうか?それも福島の耐震性能を開示すれば明らかなことである。即刻すべての原発の耐震性能を開示すべきではなかろうか?そういうことを建築学会は指摘すべきである。建築の安全性を謳うなら今こそ言うべき時である。

August 3, 2011

鎌倉の古い家

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鎌倉から江の電で少し行ったところにある古建築を見に行く。100年経っている見事な和建築。これに何かを足してしてパブリックな場所を作りたいというのがクライアントのおぼろげな希望。わくわくするような話である。昼食は海岸通りの食堂で鯵の刺身といわしを焼いてもらう。
行き帰りの車中広瀬隆『東京に原発を』集英社1986を読む。チェルノブイリ爆発の年にこの本は出版されているがその年に僕は大学院を修了した。因みにスリーマイル事故の年に僕は大学に入学している。この本を読みながらいかにそうした事故の他にも世界中で多くの原発事故が発生しているかを知る。それらの多くは自分の怠慢もあろうが一般の日本人には届かないように規制がかけられているものもあったそうだ。
これを読むと以前読んだいくつかの本同様、使い終わった高レベル放射性廃棄物の処分方法が無いと言う問題にたどり着く。加えて健全と考えられている原発からも昔の公害工場同様に毒物が垂れ流しになっているのではないかという疑いが頭をもたげる。
イタイイタイ病にしても水俣病にしても国を含めた被告たちは数十年否定してきた挙句の果てに垂れ流しを認めざるを得なくなった。今後原発周辺で白血病や癌の発症率の上昇が明らかになりその挙句に垂れ流しを認めざるを得なくなるようなことは無いと言い切れるのだろうか?技術に危険はつきものであるから原発も仕方ないと言うような理屈をまことしやかに言う人もいるがそういう人の頭には原発のリスク規模が頭に入っていない。飛行機が一機落ちるのとはわけが違う。技術と言う一語の中に何でもかんでも入れるのは乱暴である。
そんなことを考えていると一時的な火力発電所の地球環境の汚染(火力に代わる創発エネルギーが登場することへの期待を含め)と原発の危険性のどちらを排除するかは明らかなような気がしてならない。

August 2, 2011

お得なアメリカ留学

『米国製エリートは本当にすごいのか』の最後に日本人の留学生減少について書かれていた。そして若者の内向き化をその原因とする一般論に異を唱え、日本の少子化、貧困化、そして成熟化を挙げていた。つまり日本の成熟は昔ほどのアメリカ(ヨーロッパも含め)への憧憬を生まなくなったというのである。確かにそうかもしれない。こう言うと軽薄に聞こえるかもしれないが、UCLAに行きたかった理由の一部にポパイ創刊号に掲載された優雅なキャンパスと最新のファッショに身をつつんだモデルまがいの学生の姿が無かったと言ったらウソになる。
しかしここにも書かれているがアメリカ留学は今ならお得である。1ドル250円だった僕の時代に比べ今は3分の1。当時1年間で恐らくトータル450万くらいかかった費用が今なら150万くらいなのかもしれない。嘘みたいな話である。もう一回行きたいくらいである。日本は成熟したかもしれないが一度死ぬほど勉強して異国の強敵とあいまみえる意味で留学はやはりお勧めである。加えて言えば私大などが用意している学部時代の1年間の単位認定交換留学は勧めない。戻って留年する逃げ場があるからである。逃げ場なくがっつり単位をとらなければならない大学院への留学が理想的である。

アメリカエリート学生の勉強量ははんぱじゃない

事務所、病院、大学でゼミ。夜、第一工房で上越トークインのミーティング。移動の合間に佐々木紀彦『米国製エリートは本当にすごいのか』東洋経済2011を読む。著者は日本のリーダー不足はエリート教育の欠如によるものと説く。自らのスタンフォードに留学体験を通してして世に流布する通説のうそと本当を記す。その中に知識量の差を生むものとして読書量のことが書かれている。スタンフォードの学部生は少なくとも4年間で480冊のそれも骨太の本を読まされるそうである。これは誇張ではないと思う。僕の知り合いもスタンフォードに企業留学した時自由にできる時間は1年に数日しか無かったと言っていた。UCLA時代に僕はこれほど本を読まされなかったけれど、授業、図書館、スタジオ、下宿の繰り返しでしかなかった。一生のうちで一番勉強している(させられている)と痛感した(受験勉強より勉強していると感じていた)。だからこそ帰国後4か月で修士論文を書くのに何の抵抗も苦も無かった。米国製エリートが凄いかどうかは置いておくとして(まだ読み始めなので)彼らが日本の優秀な学生の数倍勉強しているのは確実である。日本では勉強しなくても要領で卒業できるがアメリカでは本当に勉強しないと卒業できない。

August 1, 2011

仕分け作業

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妻有オーストラリアハウスコンペの敷地見学会が豪雨で中止となった。十日町の皆さまお気の毒です。
というわけで実家の整理に向かう。やってもやっても終わらぬ。今日は兄夫婦、我々夫婦4人で遺品仕分け。もう捨てるものは捨てた。ごみ処理費の見積もりが17万。だから残るは
① 4人の誰かがもらう
② 古美術商に売る
③ 新しい家に持っていく
のどれかしかない。

1、津軽塗の漆器新品 30箱(盆、はし、下駄 等)気に言ったデザインはもらい残りは 古美術商に売る
2、新品タオル50本 4人で適当に分ける
3、宝石本物 80個 4人順番に欲しいものをとっていく
4、アクセサリ 100個近く 気に言ったものはもらい残りは古美術商に売る
5、鞄 10個くらい 奥さんどおしで分ける
6、着物 羽織 襦袢など数十枚 奥さん通しで分ける
7、洋装 もう数え切れない うちのかみさんはサイズがあわず殆どを兄嫁へ
8、オフクロの絵画、写真その他 半分捨ててまともなものは新しい家へ持っていく
両家段ボール6箱に仕分けたものを詰め込んで宅急便で送る。

帰りがけテーブルの上にごちゃっとあった母のメガネの中に使えそうな老眼鏡発見。母は鷲鼻だったせいか鼻あての部分がとても小さく僕がかけると落ちてくる。でも老眼鏡だからちょうどいい。度数もどういうわけかぴったりである。