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大高事務所でバイトしていた頃

実家のスケッチをする。候補地がいくつかあるのだが、有力候補の土地を相手に考える。80/300の近隣商業はさすがに庭が取れないものである。法規制は建築をかなり規定するものだと再確認。
大学がやっと開校。夕刻コンペ等の打ち合わせ。成績入力。たまった作業に追われる。夜大高正人・川添登編『メタボリズムとメタボリストたち』美術出版社2005を読み始める。学生のころ大高正人の事務所で長くバイトしたのを思い出す。作っていたのは大高が生まれ育った三春町歴史資料館の勾配屋根の天井である。スケールは1/50だったような気がする。目地の納まりが見たいということだったが方形勾配屋根の角度が上手く合わず1ミリくらいずれるたびに作り直しを命じられていた。
バイトの頭のような芸大の院生に「おまえ1ミリっていうのはなあ、誤差とは言わねえんだよ。違うものって言うんだ」と冷たく怒られたのを覚えている。その後その先輩とは仲良くさせてもらったが学部2年生の当時は所員よりはるかに恐ろしい人に見えた。当時は何処の事務所にもそんなバイト頭のような院生が居座っていたような気がする。

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