後藤新平の震災復興
震災後によく後藤新平を見習えという言葉を聞いた。後藤新平とはもちろん、関東大震災後に発足した山本内閣の内務大臣であり、帝都復興院の創設に尽力し自らその幹事長となった人物である。後藤はそこで様々な人物を適材適所に配置して稀有壮大な提案をする。因みにその時建築局長に任命されたのが佐野利器である。
しかし後藤の提案は当時野党の政友会に財源の問題などの追及を受け大きく修正妥協した。山本は政友会の妥協案を蹴って衆院の解散をするほどの勇気を持たず、後藤も否定するほどの信念は無かった。山本内閣消滅と同時に後藤も120日間の在任期間を終えて職を辞し、その末に復興政策の実行は山本内閣を継いだ清浦内閣によって行われた。
後藤新平研究会編著『震災復興―後藤新平の120日』藤原書店2011を読みながら後藤の瞬発力は確かに凄かったものの、結局弱腰の総理大臣のもとで壮大な計画は打ち上げ花火に終わったと感じた。政治はいつの時代もこんなものかと少々期待はずれ。当時の政治情勢などをよく知らぬものが偉そうに発言できるものでもないのだが、90年前の復興が果たして現在の姿よりはるかに優れていたものかどうか僕にはよく分からない。