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脱近代か超近代か??

朝から大学院の院試。試験開始から研究室に。午前中、西部邁、佐伯啓思編『危機の思想』NTT出版2011を読む。今震災について9人の識者の論考が載る。概ね震災を契機に技術(近代)の無力を見直し、技術の危険と危機を再認し(脱近代)、復興、地方のあり方をどう考え、その際グローバリゼーションとどう手を切るか考えるものである。ここで脱近代とは近代の技術偏重の思想から脱すると言うことである。それは下手をすると不便になるかもしれないし、経済停滞になるかもしれないしそんなリスクも踏まえた思想である。
僕はしかしどれもこれもその通りだと思う。殆ど共感する。これが日本の識者のすべてだとは思わないが、恐らく大半の人はそう思っている。しかし一方で経済界、政界の多くは真逆のことを考えている。脱近代ではなく、今回の震災を技術への挑戦と受け止めこれを乗り越える方法を模索する超近代の思想の持ち主ばかりなのである。その方が経済が活性化するからである。そしてそれを後押しするのが経済産業省である。彼らの役目であるから仕方ない。しかしそう言っているとこの本の識者のような思想にはたどり着かない。
この本の中には通産省OBで京大教員である中野剛志さんのような人もいる。彼など、「単に戻すだけの復興では問題の克服にはならない」という今回の震災の特徴のように言われる言葉に痛烈な批判を浴びせる。この言葉には被災者への思いやりのかけらもないとする。被災者を見捨て孤独に貶めているという。重要なのは彼らの記憶であり、彼らの意志であるとする。僕はこれまでの復興への態度としてこれほど正鵠を射ている言葉を知らない。こんな言葉が元官僚から出てくるのである。経産省という役所の舵を誰かが修正しないことには日本の国は再び不必要な超近代への努力に駆り立てられることになる。こんなOBの力に期待したいところである。
夜3年生の製図の合評会。TNAの武井さんにゲストとして来ていただいた。彼の巧みなコンセプトメークとその形の作り方を堪能。富岡の優秀案も説明いただく。うーんなるほど。学生の発表はなかなか面白いものが数点あった。最優秀賞は秀逸である。形の作り方もさることながら、プライバシーが徐々に変化するシェアハウスの提案が斬新。これを見ながらとある著名な社会学者が奥さんとその彼氏の3人で住んでいるのを思い出した。そんな時代にこういう集住はリアルかもしれない。

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