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鎌倉の古い家

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鎌倉から江の電で少し行ったところにある古建築を見に行く。100年経っている見事な和建築。これに何かを足してしてパブリックな場所を作りたいというのがクライアントのおぼろげな希望。わくわくするような話である。昼食は海岸通りの食堂で鯵の刺身といわしを焼いてもらう。
行き帰りの車中広瀬隆『東京に原発を』集英社1986を読む。チェルノブイリ爆発の年にこの本は出版されているがその年に僕は大学院を修了した。因みにスリーマイル事故の年に僕は大学に入学している。この本を読みながらいかにそうした事故の他にも世界中で多くの原発事故が発生しているかを知る。それらの多くは自分の怠慢もあろうが一般の日本人には届かないように規制がかけられているものもあったそうだ。
これを読むと以前読んだいくつかの本同様、使い終わった高レベル放射性廃棄物の処分方法が無いと言う問題にたどり着く。加えて健全と考えられている原発からも昔の公害工場同様に毒物が垂れ流しになっているのではないかという疑いが頭をもたげる。
イタイイタイ病にしても水俣病にしても国を含めた被告たちは数十年否定してきた挙句の果てに垂れ流しを認めざるを得なくなった。今後原発周辺で白血病や癌の発症率の上昇が明らかになりその挙句に垂れ流しを認めざるを得なくなるようなことは無いと言い切れるのだろうか?技術に危険はつきものであるから原発も仕方ないと言うような理屈をまことしやかに言う人もいるがそういう人の頭には原発のリスク規模が頭に入っていない。飛行機が一機落ちるのとはわけが違う。技術と言う一語の中に何でもかんでも入れるのは乱暴である。
そんなことを考えていると一時的な火力発電所の地球環境の汚染(火力に代わる創発エネルギーが登場することへの期待を含め)と原発の危険性のどちらを排除するかは明らかなような気がしてならない。

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