ろばの道、人間の道
研究室でル・コルビュジエの『ユルバニスム』(1924)1967SD選書を読む。「ろばの道人間の道」という有名なフレーズがある。ろばは道草食って気紛れだからまっすぐ進まず人間は目的に従ってまっすぐ進む。これからの都市は人間のための都市であり、よって道は直線と直角で構成せよいという主張である。コルの近代的理性人という側面がここにある。しかし同じの本の中に「感情は溢れる」という章があり民族固有の感情とは意志を越えて溢れだし、それはそれで絶対だとする。
カントは人間の理性の力とその限界を見定めようとした人であり、人間の限界を超えたところに崇高と言う名の美的なものを定めた。そうである人間の理性をアプリオリに設定すると言う近代的な態度は必然的にその超越を将来する。カント、コルビュジエetc.
院試が終わり夕刻東工大に行き坂本、安田、奥山先生らにお会いし供花のお礼をする。夕食をともにしお話しながらふと坂本先生の詩学について思う。これも結局そうなのかもしれない。理性の限界を越えた所のものである。精巧な概念操作があるからこそそれでは表現しきれない詩学が発生する。つまり詩学というものが方法論として意識されるためには理性に基づく精巧な概念操作があるわけで決してその逆ではない。詩人と言う人たちも実はそうなのではないだろうか?明快なロジックで表現しきれないストレスがついに詩という形態を招来する。勝手な想像だが。