« February 2008 | メイン | April 2008 »

March 31, 2008

年度末の仕事片付け

3月30日
年度末で事務所の書類を整理。午後出版原稿の索引作り。この間ざっと書き出したら300項目くらいあった。再度見直す。350項目くらいになる。人名が150くらいある。人名を拾い上げていくと、生没年と綴りが抜けているものが20くらい新たに見つかる。今更挿入するとレイアウトやり直しだろうが仕方ない。夕刻来週の学科創設記念パーティーでのプレゼンパワポを作る。jもう少し私自身の作品を入れたらという諸先生方のアドバイスを取り入れる。k氏からメール。先日の要望とは異なる方向へ展開しそうである。分からないものである。夕食後、早稲田講義のホームページ用のデーターをまとめる。読み返すと稚拙なところもあるのだが、もう時間切れ。部分的に修正をし、ホームページを作るsetenvにメールする。夜『明るい部屋の謎』の続きを読む。アヴェドンの焼付のための指示書が掲載されている。一度焼いた人物の顔の上に細かな明暗(と思われる)の指示が書き込まれている。こうなると写真はもはや絵画に近い。
仕事が片付けば今日は上野にでも行って国博で薬師寺の仏像でも見ようと思っていたのだがとても終わらなかった。そうしたら偶然「情熱大陸」でこの国博の展覧会のディスプレー、照明などのデザインを行った木下史青という人が紹介されていた。国立の美術館、博物館では初の専属の展示デザイナーだそうである。去年か一昨年の伊藤若冲の展覧会で脚光を浴びたという。時間で変化する光を屏風にあてていた。僕も鮮明に覚えている。展示デザインの役割はとても大きい。これからもっとこういう人は増えるでのではなかろうか。

March 29, 2008

松原の家

%E4%BC%8A%E8%97%A4%E9%82%B8.jpg

午後A0勉強会。あまり予習をする時間が無かったのだが、なんとか予習範囲で今日は終わった。相変わらずなかなかてこずる文章である。留学帰りのm君と読み込むのだが困難な箇所はそう簡単には進めない。夕刻桑沢デザインから電話、4月に始まる篠原一男展での対談を依頼される。日程があえば参加する旨伝える。今日は5時終えて、ofdaのパートナーである伊藤君の最新作である松原の住宅を見に行く。A0の参加者を誘ったら結婚式にいくA君以外は参加。
予算との格闘でかなり設計変更の末の完成。めでたい。外壁はinaxの塗装ケイカル版を馬に貼っている。なかなか個性的で一瞬金属板張りかと思わせる。エントランスからスキップフロアで水周りを入れると6枚くらいのレベルの異なる床が階段で繋がる。スキップにしているおかげか天井高が十分にとれていて広がりを感じる。また素材や色が伊藤君らしく、キッチュぎりぎりの選択になっている。鉄の階段や手すりは今時なかなかのいい仕事である。
帰りは明大前から。笹塚で都営新宿に乗り換えようと思っていたら、気がついたら新宿。昔の通勤路だったのにもう慣れぬ路線となってしまった。

k-project

朝一で茶室の現場。30分くらい現場でうろうろしていると、いろいろと気になるところが頭を過ぎる。しかし、こうするべきだと言う確たる何かに結びつくわけでもない。ただもやもやしているだけ。現場に来るとよく起こることである。昼に来るk-projectのクライアント打合せ資料が気になり、そそくさと事務所に戻る。クライアント夫妻が12時に来て、数案ある模型と図面を見せる。相手は建築のプロであり理解は早い。奥様はなかなかユニークな方で、思った意見をずばりおしゃる。歯に衣着せぬ言い方は小気味よい。2時間ほどで帰られた。その後チームメンバーで案の議論。まだチームは4人体制である。方向性が見えたら、スタッフを絞るのだが、未だなかなかいい線に到達しない。夕食を食べてから、一人でスケッチ。なんとなく、コストに見合った面積の中に、コンセプトがはっきり見える絵がおぼろげに現れてきた。夕食に食べた一心ラーメンの#3激辛のせいでせきが止まらなくなった。そこへ新年度に向けて大学からの書類作成のメールがいろいろと届く。もう頭が働かない。明日やることにする。

March 28, 2008

歓迎

3月27日
午前中はたっぷり会議。来週の学科創設式典と外部評価に対する準備会議。午後は長野市の景観審議会に出席。この会議で初めて宮本忠長さんにお会いした。会議後、あまり皆様とお話するまもなくタクシーで長野駅。夕刻のアサマで東京。車中セルジュ・ティスロンの『明るい部屋の謎』人文書院2001を読む。題名で分かるとおりこれはバルトの『明るい部屋』へのアイロニーである。著者は精神医学者であり映像を単純に記号的に言葉に還元するのではなく、①感覚-感情-運動②映像③言葉という3つの領域で並行的に象徴化のプロセスが進むと主張する。このイントロはとても魅力的に響く。じっくり最後まで読みたくなる本である。東京駅から事務所に直行。今まさに、皆、歓送会のために事務所から出ようとしているところ。荒木町じゃあ老舗のフレンチビストロへ。最初はシャンパン。そして赤、白、ロゼ。オードルブもメインも美味しい。歓迎する新人は、ofdaでは初めての大学でたての新人。一人は京都工芸繊維大学の岸研究室から、一人は東工大の奥山研から。彼等の加入で事務所の平均年齢は一気に若くなった。2次会は荒木町のディープな大福という名のバーへ。初めて行ったが割烹着をきたお上さんの店で細いが天井の高いしゃれた店。気持ちがよい。伊藤君は明日役所検査。僕は明日朝一の現場定例と昼からクライアントとの打合せ。新人とはゆっくり話したいが、また今度。今日はここでお開き。

March 27, 2008

第三稿

出版原稿の第3稿が届く。いよいよ校正箇所は減ってきたものの、編集部での微に入り細にわたる校正が続く。細かい赤字でレイアウトやキャプションの字の大きさ等細かな指示が入っている。そして、 鉛筆書きで私の拙文への修正の提案が書き込まれている。頭が下がる。そして同じ校正紙がもうワンセット。索引用。400項目程度の索引を作らねばならない。これには参った。ちょっと大変な作業である。しかしありがたいことでもある。
山積みの事務所の打合せ。中国の進捗を聞く。再度の補完的な土質試験を行なわざるを得ないようである。日本なら必要も無いことなのに。建物位置とボーリング位置の微妙なずれを役所は問題にしている。そんなことを問題にするなら、問題にすることはもっといろいろあろうにと思うのだが。茶室は最終の色決め。もはや迷うことは無い。床のモルタルには多少の墨をいれることにする。kプロジェクトは模型が4つ並ぶ。やはり要求内容に対しての予算に余裕が無い。どうしてもプランが窮屈になる。金曜日の打合せに向けての修正内容を決める。帰宅。夕食。最終で長野へ。

March 26, 2008

遠い東京

3月25日
ソウルの国立古宮博物館を訪れる。日本語の音声ガイドがありなかなか楽しめる。宮廷音楽の部屋があり演奏がプロジェクターで再現されているが、日本の雅楽と同じ響きである。雅楽における高麗楽というのがこのあたりのものを指すのだろうか?しかし展示品は全て李朝時代のもので高麗時代のものは一切ないことになっている。2時間くらいゆったり見入ってしまった。天気は曇りで肌寒いが地下鉄で隣の安國駅でおりギャラリー街を歩く。
午後の飛行機で成田に戻る。帰りは西風に乗って飛行時間は1時間40分。長野新幹線と同じだが、ホテルを出たのは2時半で家に着いたのは11時である。いやはや国際線というのは本当に時間がかかる。

March 24, 2008

ソウルの夜景

ビジネスセンターから事務所にファックス。昨日もらった図面とにらめっこして少し新たな案を作るべく指示を出す。ホテルの外に出てスタバで朝食。そのまま焼け落ちた南大門まで歩く。仮囲いされている。そばには有名な市場がある。外部の市場と建物内のそれといろいろである。ワンフロア40店舗くらい全部似たような洋品店という場所もある。
南大門から地下鉄で10分くらい北に行くと、宋廟という李氏朝鮮時代の王の廟がある。世界遺産である。その隣に同じ李氏朝鮮の3代王の王宮昌慶宮がある。これも世界遺産。どちらもそれなりのものだが、背後にソウルの超高層が屏風のように建ち並んでいる上に、都会喧騒が伝わり、興ざめである。やはり重要建物の背後を守る東京都の景観条例のようなものは必要か?そこから西に10分くらい地下鉄にのると大学町がある。この一年キャンパス計画をしてきたので、キャンパスを見るのは興味深い。名門女子大である梨花女子大、韓国の慶応といわれる延世大、韓国の芸大、弘益大。どれも韓国の起伏のある地形の中に立ち並ぶキャンパスである。サンフランシスコ近郊のバークレーを彷彿とさせる。梨花女子大の学食で昼食。キムチシーフードラーメンは150円と安い。韓国の物価はタクシー、地下鉄などを除けば、殆ど日本と同じだが、学食は安い。夜は都心の丘に立つソウルタワーに上る。ケーブルカーで丘の上まで上りそこから展望台へ。ケーブルカー往復700円。タワー展望台700円である。眺めは改めて町の起伏を感じさせるものである。夜景の美しさが加わりサンフランシスコを髣髴とさせるものである。

March 23, 2008

ソウル

昨日は謝恩会の後、研究室でまとまって2次会。恒例なのだが学生から先生はプレゼントをうける。恒例といってもどの研究室もそうなのかは定かではない。初年度は冷蔵庫、去年は空気清浄機、今年は最新のスキャナーを頂いた。スキャナーは自費で買おうと思っていたところだったから、本当に嬉しい。私からは卒業生、修了生へ一人づつお手紙を書いた。一昨日夜、プリントしたものである。4年生、m1はそのまま3次会だそうで僕は先に失礼。今朝は8時のアサマで東京、ちょっと丸善により、成田イクスプレスで成田、1時55分の大韓航空でソウル。初めての朝鮮半島である。ソウルは日本の真冬。最高気温は10度以下、最低気温は0度近い。天気は雨。金浦ではなく仁川国際空港というソウルから少し遠い遠宗島にある飛行場に着く。ソウル市内まではバスで1時間半。あまり予習もせずに、春休みの数日どこかに行こうと思い、やってきた。先日韓国雑誌bobにofda特集をしてもらった時にインタビューをされ、韓国建築をどう思うかと聞かれた。その時皆で顔を見合わせた。誰もこの国に来たことはないし、知識もない。それはまずいよな。日本から飛行機で2時間なのだから、隣国の建築もちょっとは知っておこうとやってきた。この丘の連なりは東京というよりは横浜。比較的高い高層マンションと低層の長屋のような建物が作る風景は上海のようでもある。
ホテルに着き昨日送ってもらったkプロジェクトのpdf図面と模型写真2案をダウンロードしてビジネスセンターでプリントアウト。なるほど。なかなか面白い。さて飯を食ってから考えよう。雨の中タクシーで宮廷料理とやらを食べに出かける。延々と出てくる料理の山。これは決してうまいものではない。しかし健康的である。食後メールを見たら3案目が到着。プリントアウトしよう。

March 22, 2008

欧米

大学の近くに長野県民文化会館という建物がある。レンガタイル張りで屋根が背景の山を模してなだらかな斜面になっている。ファサードは三つの階段コアを構造にしガラスカーテンウォールで大スパン構造であるかのように見せた建物。日建の設計である。若き日の坂田さんの代表作だろう。その建物で卒業式が行なわれた。去年僕も学位記を頂くべく出席したのだが、あれからもう1年たったわけである。早いものである。午後は卒業証書、修士の修了証書の授与式を行なう。
夕刻謝恩会までの時間。珍しくぶらぶらする。昨日読み始めた『現代民主主義の病理』を読んでいてヨーロッパとアメリカを人くくりに「欧米」などと呼ぶことのナイーブさを知らされる。といってもその差はもちろん日本国外にいる時は身にしみるのだが、日本にいてボーっとしているとつい対日本文化圏として十派一からげに欧米などと片付けてしまうこともあるものだ。
また例えばインターナショナルという概念はヨーロッパではそもそもヨーロッパ列強が非ヨーロッパ世界に進出し、第3国を統治し管理する概念だった。それがアメリカ的な文化相対主義、世界的なデモクラシーの思想が出てくる時「世界的」という意味合いに変換されたのである。言葉の意味も欧発米での変遷ということも多々ある。うーん、そう要は、自分の専門分野の話の時は欧と米の差は明晰に分類されるのだが、そうじゃないところに話が移るとその差が急にぼけてくることを改めて気がつかされたということか。気をつけないと。

March 21, 2008

マスタープラン

午前中会議、午後は教員の皆様にキャンパスマスタープラン工学部編を説明。農学部、繊維学部、松本と説明してきたが、最も出席者が多くて、最も質問が少なかった。同じ工学部の人間が作っているから信用されているのか?あまり興味がないのか?これでとにかく全ての説明を終えた。長い作業だった。これからまだ延々と続くアクションプランがあると思うと少々困惑である。
会議終了後、工務店としばらく電話。その後クライアントと電話、起こりかけそうな問題を消火。ほっと一息。その後4月頭の新学科発足にかかわる外部評価での意匠設計系の説明パワポをつくる。最近暇さえあれば何がしかのパワポ作りをしているような気がする。プレゼンが仕事といえども少々食傷気味である。少しk-projectoのことを考える。うまくいくだろうか?昨日の路線は?夕食後読書。建築美学は満腹の頭に少し負荷が大きい。佐伯啓思『現代民主主義の病理』日本放送出版教会1997を読む。民主主義の病理=民主主義建築の病理かもしれないと思いつつ。

建築美学

長雨である。風も強い。午前中は講義のパワポ作り。事務所においてあるロースの作品集が必要だが、雨が強いので後回し。作るそばから少しづつ、内容の深みが見えてくる。午後事務所でkプロジェクトのスタディ。4人がかりで一つの住宅をスタディすると言うのも実に贅沢であるが、時間がないので集中してやらないと可能性が見えてこない。3時頃から始めて8時まで。とりあえず3案くらいの可能性に絞る。まだあるのだろうが。
帰宅、夕食、最終一本前のアサマに駆け込む。車中、上松先生の退官記念『建築美学』中央公論美術出版2008を読む。なるほど、これは前著『建築空間論』にかなり近いストーリーである。信念というものか?ただ建築美学の西欧及び日本における系譜やら、美学と建築のかかわりなどが講義形式で分かりやすく書かれている。数十年前の早稲田講師時代の講義を録音されていたらしく、それを起したものだそうである。建築美学の入門書としては類を見ないのではなかろうか。

March 19, 2008

アルツハイマー

長野の行き帰りでアルツハイマーの本を読んでいた。これはれっきとした病気だとよく言われる。でもどういう病気か気にしたこともない。もちろん、そうなったらどうしようと思ったわけでもない。たまたま一昨日なんとなく丸善で手にとっただけである。原因は3つあるそうだ。一つは脳みそ内の細胞中で21番目の染色体にあるアミロイドというたんぱく質が溜まってシミができる。二つ目はやはり脳みそにある細胞中で17番目の染色体にあるタウというたんぱく質が溜まって神経線維が変化をおこす。三つ目は脳みその萎縮だそうだ。その対策としてこれらのたんぱく質を除去するワクチンが開発されているらしい。どうもそれはピーマンの葉っぱにあるということでねずみへの実験が行なわれたとか。
へー。すごい。こんなことまで分かっているのか。親の友人がアルツハイマーだと言う話を小さいころ聞いた。その頃はなんだか訳の分からない難病のように言われていたものである。科学者とはたいしたものである。特に人間のミクロな場を研究をする人たちには恐れ入る。

March 18, 2008

エスキス

レニ・バッソの北村さん、というか信州大学の北村さんから公演来場の御礼メールを頂く。いつかお会いして直にいろいろとお話を聞いてみたいものである。しかし案の定シラバスを見ると北村先生の講義やら演習は見事に水曜日の午後に固められている。そうだろうなあ。水曜日は僕も午後製図である。接点がないなこれじゃ。hプロジェクト(新しい家)のエスキスして模型を作る。久しぶりに自分で模型を作るこの快感。夕方から4人がかりで配置のスタディ。ヴォリュームを手当たり次第切り出しておいてみる。途中おにぎり食べながら10時まで。可能性のある配置を考えていくと「大小の窓」のようになってきた。それもそのはず敷地条件が似ている。敷地面積が60坪、角地、一種住専、南北軸に縦長。コストや工期から考えて木造二階建てしかないのが形状にかなりの制限を与えているがそれは仕方ない。クライアントの要望で構造は金箱さんということだが、今日は電話をしてもつかまらなかった。明日またしてみよう。

March 17, 2008

事務所の今後

午前中の会議が長引いた。午後はその会議で出た作業の資料作り。スチュワートさんからまたダンボール6箱の本が送られてきた。学生に開けてもらって書架へ並べる。ポストモダニズムの建築言語の原書があった。なかなかの貴重本だが手伝ってくれた学生が欲しがっていたのでプレゼントした。夕方のアサマで東京。丸善により20冊くらい手当たり次第面白そうな本を買って宅配。谷川先生の新しい本が金色の袋に入って売っていた。思わず微笑む。上松先生の『建築美学』なる本が中央公論美術出版から出ていた。先日鼎談した時に今退官までに本をまとめているといっていたがこのことだったのか。スラヴォイ・ジジェクの『ラカンはこう読め』。北田さんが朝日の書評にとりあげていた。とはいってもラカンはもう分からんとほっといたが、めくってみるとなかなか読めそうなので購入。事務所に戻り、パートナーと今後増える人員の席やらコンピューターやら決める。総務、経理、その他いろいろやってくれる人がいるといいなと思うが、こうやってパートナーで話て決めるのがアトリエのいいところか?どうも事務所は風邪のうつし合いで今日はふたりダウンしている。我が家も娘が一昨日ひどい熱だった。また流行っているのだろうか。

作法

3月16日
午前中あちらこちらにメールを打ってから、新しい住宅の総事業費の予算の枠組みを作り契約書の案を作成し、スタッフにメール。この事業費の枠組み作りを間違えると後々自分の首を絞めることになる。最初にクライアントとしっかり予算の全体像を認識しておくことがプロジェクトの進行にとても大きな影響を持つ。
午後は講義のホームページ作りのために写真を選び、イントロの文章を8講義分一気に書く。飯もそこそこに書きまくったらさすがにへとへと。そのまま長野に行こうかと思ったが一風呂浴びてからでかけることにする。ゆっくり風呂で新聞を読む。車中身体論叢書の第二巻『コミュニケーションとしての身体』を読む。挨拶行動の分析を読んでいると昨日のダンスにおけるコンタクトインプロビゼーションが蘇る。また音声コミュニケーション論では、音声-応答と同時発声という二つのコミュニケーション形式が何故起こるかについて分析している。それによれば、その理由は文化の中にこうした二つの形式が身構えというカタチで埋め込まれているからだと説く。身構えとはつまり社会における所作の作法ということなのだろう。日本文化はこうした作法をストイックに洗練させてきたところがある。しかしそうした洗練は何時の時代でもそうだろうが重視している人もいれば疎んじている人もいる。僕はどちらかと言うと自分の身に降りかかれば後者であるが日本文化という広い意味で見ればどこかで継承されるべきだと思っている。まあこう言う考えは所作に限らず伝統といわれるもの全般に対してそうなのだが。

March 15, 2008

レニ・バッソ

午前中に講義のパワポ作り。ジェンダーの話をもう少し深める。夕方新宿のパーク・タワーホールにレニ・バッソの舞台を見に行く。このダンスカンパニーの主宰者である北村明子さんは最近知ったのだが、信州大学の常勤講師。一体こんな世界中で舞台やっている人がどうして大学の常勤の先生やれるのだろうか?同じ大学なのだから聞いてみたいものである。その上、最近高校の同窓会名簿が送られてきたので見ていたら、そこに載っていた。本当にびっくりである。身近にこんな方がいるとは!!!公演後新しい住宅のクライアントの家を訪問。設計期間は3ヶ月ということでちょっと眩暈である。そんな経験は今までにはない。でもやってみるか。暇で悩むより、忙しくて悩む方がまだましだ。

March 14, 2008

久しぶりの雨

朝現場、午後読まなければならないコピーに目を通して、夕刻人に会う。久しぶりの雨。しかもかなり強い。疲れがたまっているのか?早々に帰宅。ジョウ・シュン+フランチェスカ・タロッコ 松田和也訳『カラオケ化する世界』青土社2007を読んだ。グローバリズムは必ずしもアメリカナイゼーションではないという著者の意図はよく分かる。土井たか子は初期カラオケの名人だったとか。へー。一冊本を読んで調子をつけて大学の仕事をしようと思ったが、余り頭が冴えない。積んどいた本の中から松原弘典『中国で作る-松原弘典の建築』toto出版2007を読む。今中国で起こっている多くの戸惑いがこの本を読むとなるほどそういうことかと少し理解できる。中国で7年仕事をしている人でも日本のようにはとてもいかないしそれだからこそ面白いと考えているようである。

テスト

3月13日
一週間分たまった打合せ。中国の報告、茶室の進捗、水戸のリノベーションのブレスト。夕刻早めに帰宅。夜、娘が期末テストを持ってきて見せてくれた。夜中に教えた理科1の電気は公式を間違って使って減点されていた。英語もどうしてこんな凡ミスをするの?というのが多い。分かっちゃいるけれど間違いましたというものばかりである。でもテストの間違いとはそんなものだったなあとわが身を思いおこす。全体としては2学期と似たようなもの。「少しでもいいから前より上がらないと」と苦言を呈すると、あるレベルを維持するというのはそれなりの努力をしているからこそ可能であり、それを評価せよと主張する。なるほどね。それも一理ある。どのレベルをキープするかという問題はあるのだが。

March 13, 2008

犀北館

3月12日
昼は入試。夜は送別会。久しぶりに犀北館に来た。長野では由緒あるホテルである。現場があったときは日建割引があったのでよく泊まった。しかし今思うとなんだか不便なところに建っているホテルだ。駅から遠いし、ちょっと裏通りの寂しいところである。でもその分静かで落ち着いた風情なのかもしれない。

March 11, 2008

アートと建築

カーサ・ブルータスの最新号が届いた。アートと建築特集である。アートが建築のようなものを作るようになったと長谷川祐子さんが言っている。というようなことは2005年のsdの特集内容でもあるので別に目新しいことでもなく21世紀に入り顕著である。オラファーのone-way colour tunnel 2007などクラブのエントランスのようだし、ダニエル・ビュレンのThe coloured screen 2006-2007はその字の如く簡易間仕切りスクリーンとして売れそうである。 ホルヘ・パルドの House Installation view 2007もタイトルの通りインテリアデザインと呼ばれるものとどこが違うのかまるで間違い探しである。関係性の美学においては社会に開かれたアートが尊ばれ、そうなるといきおい、都市や建築と関係することが自然なのだそうだ。アートと建築のボーダレス化は私的には凄く面白いし、興味深いのだが、一歩引いてみた時にはこういう時代もいつか終わるだろうと冷めた視線で見ざるを得ない。それは何かというのが早稲田の講義の最終回。アート的なるものvs?なのである。そんなものがそう簡単に語れるのなら苦労しない。そういうものがあるのだろうなと語ることくらいで講義は終わるのだろうか?

金沢

3月10日
学会の役員会で金沢に行く。長野金沢というのは電車の便が悪い。直江津まで各駅停車に2時間揺られ、そこで北陸本線の特急に乗り換えまた2時間。乗り換えが悪いと4時間から4時間半はかかる。年度末の役員会なので各支所の予算の収支が報告される。昨今どこもお金がなくて大変である。
帰りは6時50分に金沢を出て長野に着いたのは11時半である。行き帰りで8時間。こんなに電車に乗っていたら日本中どこへでも行けそうである。
幸いパソコンでいろいろ仕事ができたので電車も悪くないのだが北陸本線というのは実に揺れる。もう少し使いやすいポインターを開発できないものだろうか?電源が切れ、『抱擁家族』を読み終える。小説なるものを久しぶりに読むし、だいたい読むとなると最近の芥川賞だったりする。こんな古典を読んだのは本当に何年ぶりだが、今でもとっても新鮮である。またこんな小説に出会いたいものである。

March 10, 2008

女性性

23月9日
朝の特急しなので松本へ。山岳科学総合研究所での研究発表会。2日目ということもあって会場は人もまばら。「質料を顕在化させる設計手法」という昨年の中尾君の論文を紹介した。なかなかいい質問があった。建物表面の質料性と山の質料性をフラクタル次元を揃えることで調和させようというのが中尾君のオリジナリティなのだが、それはあくまでパターンの次元で終わっていた。質問は色もランダム配置させて周囲の色と建物のそれのフラクタル次元を考察できないか?というものだった。なるほどそこまで考えていなかった。思わず「とてもいいご意見ですね」と口をついた。今後の課題としよう。
午後大学に戻りジェンダーと建築のパワポを作る。先日ブログにジェンダーのことをかいたら竹内氏から新建築に真壁さんがカワイイ論を展開しているという貴重な情報を貰った。さっそく読んでみた。なるほど。四方田犬彦の『かわいい論』ひいては松岡正剛の『フラジャイル』から脈々と連なる「強い」へのアンチテーゼは世を席巻していることがよく分かる。更に真壁氏のカワイイ論は昨今の使う学生の言葉に注目している。曰く、もはやそこには理路を導く道具としての言葉ではなく、感覚を吐露する言葉が溢れているという。さらにそうした言葉が新たな建築に繋がる可能性を示唆している。これは僕がこの間の10+1で書いた「モダニズム言語は死滅したのか」と全く同じ主張である。思わず我が意を得たりと嬉しくなった。再度『言葉と建築』のジェンダーの項を読み直し、西洋の男性優位、日本の父権の崩壊、ハイパージェンダーの登場、そして現代の女性性の反逆へとつなぐストーリでまとめることにした。夜レイトショーで「エリザベスゴールデンエイジ」を見た。フォーティー(『言葉と建築』)によれば西洋ではギリシア以来男性性が圧倒的に優位であり、その例外はライトまで登場しないのだが(ライトはラーキンビルを男性的ジョンソンワックスをその娘と呼び女性的建築と位置づけた)果たしてエリザベスの時代においても建築は男性性優位だったのだろうか?Virgin Queenと呼ばれた彼女が統治した国においても?

March 8, 2008

山岳研究

信大には山岳科学総合研究所というものがある。その中の山岳景観研究部門の教員を兼任している関係で明日松本で研究発表しなければならない、その準備のため去年の中尾君の修士論文を引っ張り出して読んでみた。「質料を顕在化させる設計手法の研究」というタイトルである。これは去年の東京コレクションで「塚本賞」を受賞したもの。1年たって自分が発表する立場で読み返すと気になるところやら、分からないところが結構ある。まあ仕方ない。先日再読した江藤淳の『成熟と喪失』のメインの主題であった小島信夫の『抱擁家族』1965を読んだ。この頃の小説のスタイルなのか小島信夫のスタイルなのか分からないが、会話の言葉がひどく不自然で、ぎこちなく感じられる。人間ってこんなふうにしゃべるだろうか?というような違和感がある。早稲田の酒井先生から携帯に電話。ゲストスピーカーの希望日を出すように依頼されていたのを失念していた。うーん。木曜日の夜。どこがとれるだろうか??

OB

3月7日
茶室の施主定例。初めて現場を見る。解体が終り、小上がりの木下地を大工が作っている。ビルの6階にたかだか10坪の空間を作る仕事だが、実に贅沢である。様々の条件で天井をかなり低くすることとなった。小上がりのところでは2000を切る。クライアントはそれをとても歓迎してくれたのが嬉しい。身体的なストレスを感ずる空間であるべきだというコンセンサスが作れた。
事務所に戻りプロポーザルのプレゼン資料を作る。最後は手描きのパーススケッチをレターヘッドつき良質紙便箋にコピーしマーカーと色鉛筆で色付けした。それにcgのヴォリュームスタディと詳細図スケッチをクリアービニールで閉じた。クライアントのオフィスはなかなか素敵である。1時間ほどプレゼンしたり、ディスカッションしたり。結果は来週半ば頃通知されるそうだ。
6時の44分のアサマに研究室ob2名と乗るべく東京駅で待ち合わせ。車中近況を聞く。一人はJR一人は医療系の設計事務所に勤務している。それぞれプロっぽくなってきているのが嬉しい。1年前の学生さんではない。

March 7, 2008

新宿~銀座~四ツ谷

3月6日
8時半に事務所に行ったら早朝帰ったと思った竹内君がまだ居るし起きていてぐったりしている。どうしたのかと思ったら図面を2部打ち出して最後の一枚というところでwindowsが立ち上がらなくなり、リカバリーしているのだと言う。なんという悲惨な。凹む気持ちが想像できる。あまり慰めの言葉もかけられず、事務所を出て9時に新宿のスタバで金箱さんと会う。サザンテラスのスタバは混んでいる。1時間ほど打合せをして別れ、僕は銀座の敷地を見に行く。朝の銀座は殺風景である。建物は余程大きな通りに出ないとどれも影になって暗い。銀座はやはり午後から夜の街である。事務所に戻り撮ってきた写真の上にトレペをかぶせてイメージスケッチ。この手のスケッチはucla時代朝から晩までやっていた。リカバリーが終わった竹内君と明日の資料作りの相談。彼はフォームGでパースを、僕は手描きで詳細スケッチを描く。夕刻山本さんが現場から帰ってきた。茶室の模型を改良中。出来上がったのを覗く。既存天井を剥がしててでてきた冷媒管のために計画より天井を下げざるを得ないのだがかえってタイトな空間を作り上げていていいのかもしれない。明日は初めて現場でクライアントに会う。この低さを主張しよう。
夜中一度家に帰り娘と約束していた理科の勉強。電流と電圧と抵抗。かろうじてまだ覚えている。終わってまた事務所に。手描きスケッチの続きを終わらせメールを見ると中国からナカジがいろいろ報告。「銀座はやろう!」というやる気の言葉が書いてあるので、こちらもだんだんテンションが上がって来た。加藤さんの作ってくれた事務所のプロファイルも素敵なデザインに仕上がった。さあ、、、、でもデザインがまだこれならというものじゃないんだよなあ。どうしよう。???帰宅後大学ではできなかった本の校正。引用文献中の数字の書き方のチェック。10冊くらいあり見つけるのに時間がかかる。ああまた3時。最近連日3~4時間睡眠である。よく耐えている。

March 6, 2008

悶々

朝松本へ。車中、昨日送られてきた図面のチェック。駅で朝食。バスで本部キャンパスへ。9時、10時と会議。学食で昼食をとりバスで長野へ戻る。夕刻会議。終わって東京へ。銀座のプロポを考えるがちっとも考えがまとまらない。短期決戦を最近したことがないのと、高級感とか清潔感とかどうも俗っぽいキーワードを並べられると弱い。こうした言葉の持つ社会的なイメージをそのまま作る気はないのでどうにかわそうかと頭をひねるのだが上手くいかない。独立してからクライアントからは機能的なリクエストはあってもデザインはこちらで考えていたわけで、相手からデザインキーワードを与えられることに慣れていない。さらにあまりやりなれないビルディングタイプなのでひねるそばから法的な問題やらなにやらデザインと関係ないことばかり気になり考えがまとまらない。うー。ナカジは明日から上海だし、その図面を竹内君はまだ作っているし、山本さんも茶室の施工図描いていて終電で帰ったし、久しぶりに一人悶々である。でもとりあえず帰ろう。

March 4, 2008

なんだか急にいろんなことが動き出す

午前中会議。午後も会議、僕が設計した全建物を他の偉い先生に説明。業績検査のようなもの。その後、銀座の商業ビルの設計プロポについて考える。場所もいいし、せっかくのお誘い。一つ奮起するかと思う反面、余りのタイトスケジュールに少し気持ちが萎える。でもやろう。金曜日にクライアントと会うことにする。諸条件から構造の工夫が必要。金箱さんに電話。木曜のアポをとる。お互いピンポイントでしか時間がとれず。早朝新宿の談話室滝沢で会うことにする。しかしネットで場所を確認すると滝沢はもはや無くなってしまっている。場所を変えないと。
夕刻、明後日ナカジが上海に持っていく見積り追加図面が大量にメールされてくる。A2、36枚。A3でプリントアウトして背張りする。大体よく描けているがまだ未完のものが数枚ある。また、これはそうせざるを得ないのだが、仕上げやらディテールがこれから金の調整があることで余り厳密に描けない。更に中国流がわからないので曖昧に終わっている部分もある。そのあたりがなんとももどかしい。やはり現場はちょっと大変かなあ。
その後青山のヴォリュームスタディのコンセプト図がメールされてくる。分かりやすい図である。このレベルで相手に渡すか、もう少し手を入れるか???少し考える。
更にに茶室の現場記録が届く。まだ解体後現場に足を踏み入れていないのがじれったい。記録を読む限り、大きなトラブルはなさそうだが。
一偏に来るときは来る。それらに返信などしながら、銀座のスケッチを描く。クライアントの欲するネット面積をとると見事にただの箱になる。どうしたってファサード建築になるのだろうが、何かできるだろうか?スケッチを事務所にファックス、ファサードアイデアを事務所でも搾り出してもらう。
見事に今日やろうとしていたことは何もできずに終わった。明日は6時台の電車で松本に向かうので今日は帰ろう。

March 3, 2008

建築と法学の類比

今日は会議漬け。本当に漬物のようにつぶされてエキスがしみ出て脳みそが動かない。こんな時に何か大事なことをするといいことがない。夕食後明日の会議(又)資料を作った後は休憩。今日届いた『建築雑誌』をぺらぺらめくる。南さんが編集したコールハース特集である。僕も一編書かせてもらった。1月から編集長が五十嵐さんに変わり、『建築雑誌』も結構楽しい雑誌に変身した。そういえば今日昼ごろ庶務から電話があり、僕に荷物が届いていると言う。「何ですか?」と聞くと「ダンボール箱が5つ」と言う。まったく身に覚えが無い。「どこからですか?」と聞くと「外国語研究所」と言う。ますます身に覚えが無い。そうは言っても要らないとも言えず。学生と取りに行く。行って分かった差出人は東工大のスチュワー先生だった。3月で退官なので研究室の本の整理で僕に一部を送ってきたのであった。とりあえず学生に僕の部屋の本棚に並べてもらった。その本を夕食後見渡す。洋書古本屋を渉猟するような楽しさである。PalladioもSelrioもある。スチュワート先生の部屋はとにかく図書館のようだった。その中の本当にごく一部を送ってくれたわけである。ありがたいことだ。なかでもちょっと気になったのはPeter CollinsのArchitectural Judgementなる本。コリンズと言えばChanging Ideals in Modern Architecture(1965)が有名だが、このjudgemntはその6年後71年に書かれたものである。judgementとは彼が建築学を法学のアナロジーで読み解き、建築の判断と法の判断の類似性を指摘したもののようである。前著Changingでも彼は1章を異分野との類比に使っているが、そこでは法学は無かった。彼の新たな興味のようである。今読んでいるスコット(1917)は近代における類比の誤謬を解いたのだが、それでも類比はモダニズムに延々と語り継がれたというわけである。しかし法学との類比とは意外!時間があったら読んでみたい。

建築とジェンダー

3月2日
書類を取りに午前中事務所に。渡辺さんが一人仕事をしていた。午後早稲田のパワポ作り。夕飯を食べて長野に向かう。新幹線で移動中、ロンドンの友人から電話。来週飲もうとの誘いだがあいにく両方の都合がつかず、また今度。車中、熊倉敬聡、千野香織『新たなジェンダー批評に向けて、女、日本、美』慶応義塾大学出版会1999を読む。早稲田の授業で建築とジェンダーをとりあげたいのだが、一体そんな問いは可能なのか?アートはジェンダーとの関係が強いが建築はそもそも社会構築的とは言えジェンダーとは少々かけ離れている。そう思ってこのテーマを諦めかけていたのだが、少しヒントを発見。例えば、「モダニズムとは異性愛、白人男性こそが『主体』である」というような指摘。確かにそうかもしれない。アメリカのゲイアーキテクトが大量にカミングアウトしたのは70年代だったように思う。ムーア設計の恋人と住む家には一階の真ん中にジャクジーがあった。ジェンダーが住宅プランを自由にしたか?また目を日本に転じれば、家父長制が崩壊していく過程はそのまま戦前戦後の住宅プランの変遷に対応している。父の接客スペースが南、母の厨房は北という平面は、家族のldkが接客スペースにとって代わり、そして父の居る場所はもはや無いのが現代の住宅である。またもう少し観念的に考えれば、フォーティーが言うように有史以来、建築は男性性に支えられてきた。女性的で良い建築など少数の例外を除いて存在しなかった。しかし堅固で頑強という建築本来の男性的属性はフラジャイルな女性的「美」に追い抜かれた感がある。例えば「透明建築」が世を席巻したのはガラス技術の進化のみならず、女性性の優位あるいは男性性の後退と関係しているのではなかろうか?
などなどやはり建築もジェンダーに構築されている部分は多々ありそうである。

March 2, 2008

差異の根源

3月1日
家でお手紙を書いたり、早稲田のパワポを作ったりしていた。夕刻、烏賀陽弘道『Jポップとは何か』岩波新書2005を風呂で読む。jポップという言葉の由来は洋楽しか流さなかったJwaveで始めて和楽を流すときにJwabeで流していい和楽を呼ぶ呼称として考え出されたものだそうだ。時1988年。バブルの真っ只中だった。それから音楽業界は様々な変身をとげるようだが、その一つに音楽製作技術がある。それはアナログからデジタルへの変身である。そしてその変身の最大の効果は音楽製作がコンピューターで行なえるようになったことだ。一枚のアルバムを作るのにスタジオを800時間、4千万かけるオフコースのようなアーティストはいなくなった。しかし、それによって音質がどんどん画一化していったという。というのも、音楽がコピーペーストできるようになってしまったからである。
はてさて88年とは僕がアメリカでcadを学び帰国して日建に入った頃である。日建には一台数千万するcadの機械が置かれてはいがた、誰も本気でこれが製図の主流になるなど思っていなかった。ところがいまやどうだろう、製図はもちろん、三次元ドローイングも殆どがデジタル化されている。ここでも音楽同様、コンピューター能力がデザインを決定するような画一化が進行している。かろうじて建築界が救われるのは、最後の制作の現場が建築家に委ねられていないこと。まだまだローテクな職人芸に任せられていることである。そして逆に言うと、建築の差異をかろうじて保てるのはこの部分でしかなくなっていく可能性があるという点である。ちょっとお寒い話である。

March 1, 2008

隈さんの文章

2月29日
大学の委員会の所用を済ませ急いで夕刻のアサマに、車中隈研吾の『負ける建築』を飛ばし読む。この人の文章を読むのは『10宅論』以来2回目だが、物事の抽象的な掴みは天才的にうまい。しかし余りに一掴みなので、掴んでないところが気になって仕方ない。こういう言説は小泉的でインパクトがあるし、分かりやすい。こういってはなんだが小泉同様、右も左も分からぬ輩はすぐに食いつく。隈さんもそこを狙っているのだから、それを分かってこの掴みの鋭さを読みとらねば。どうもこうした文章を学術的に真に受けるやつがいるのには困ってしまう。夜、事務所で打合せ。茶室は天井を剥がしたらいろいろ予期せぬ臓物が現れたようだ。デザイン案を修正。リノベーションブレスト、ヴォリュームスタディチェック。