建築と法学の類比
今日は会議漬け。本当に漬物のようにつぶされてエキスがしみ出て脳みそが動かない。こんな時に何か大事なことをするといいことがない。夕食後明日の会議(又)資料を作った後は休憩。今日届いた『建築雑誌』をぺらぺらめくる。南さんが編集したコールハース特集である。僕も一編書かせてもらった。1月から編集長が五十嵐さんに変わり、『建築雑誌』も結構楽しい雑誌に変身した。そういえば今日昼ごろ庶務から電話があり、僕に荷物が届いていると言う。「何ですか?」と聞くと「ダンボール箱が5つ」と言う。まったく身に覚えが無い。「どこからですか?」と聞くと「外国語研究所」と言う。ますます身に覚えが無い。そうは言っても要らないとも言えず。学生と取りに行く。行って分かった差出人は東工大のスチュワー先生だった。3月で退官なので研究室の本の整理で僕に一部を送ってきたのであった。とりあえず学生に僕の部屋の本棚に並べてもらった。その本を夕食後見渡す。洋書古本屋を渉猟するような楽しさである。PalladioもSelrioもある。スチュワート先生の部屋はとにかく図書館のようだった。その中の本当にごく一部を送ってくれたわけである。ありがたいことだ。なかでもちょっと気になったのはPeter CollinsのArchitectural Judgementなる本。コリンズと言えばChanging Ideals in Modern Architecture(1965)が有名だが、このjudgemntはその6年後71年に書かれたものである。judgementとは彼が建築学を法学のアナロジーで読み解き、建築の判断と法の判断の類似性を指摘したもののようである。前著Changingでも彼は1章を異分野との類比に使っているが、そこでは法学は無かった。彼の新たな興味のようである。今読んでいるスコット(1917)は近代における類比の誤謬を解いたのだが、それでも類比はモダニズムに延々と語り継がれたというわけである。しかし法学との類比とは意外!時間があったら読んでみたい。