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一昨日最近の自分の建築への考え方を整理すべく思っていることを佐河君に話してみた。話すことで頭が整理されるが、それをもう一度ここに文章にして整理してみたい。
僕は建築のコンセプトを事前的にではなく、事後的にやったことを回収して考えることも多い。一体自分はここで何をしたかったのだろうかと作ったものを見ながら反省するのである。そしてそこに見いだせたものをその次に事前的に設定する。しかしそこでも無意識のうちに発露することは様々あるわけでそれらは事後的に回収される。コンセプトはその繰り返しの中に見え隠れするものと考えいている。
おそらく今僕の興味は3つある。それらは一言で言うと、質料性、脱対象性、不連続性ということになる。漢語を使うと難しそうに聞こえるが内容はそうでもない。ひとつずつ考えてみる。
1) 質料性
これは日建をやめて美学を学び、造形が質料と形式で構成され、質料がモダニズムでないがしろにされてきた歴史を鑑み、質料の復権を考えようと思ったところから始まる。質料とは肌理、色、透明性のことであり、これらが建築の表面で持つ力を発揮させたいと常常思っている。そしてそれが五反田のアルミホイルなどにも現れている。
2) 脱対象性
これは見田宗介の社会学に端を発し、資本主義を正常な軌道に導くために必要な消費性、情報性の転回の必要性から生まれた概念である。対象そのものよりその外側との関係に表現のポイントをずらすという考えである。これは僕が2010年に著したArchitecture as Frameという考え、すなわち建築それ自体よりもそこから見えてくる、自然、人、家具、場所などに重点を置くことというコンセプトに整合している。そして実際昨今の僕の建築作品。例えば内の家、パインギャラリー、勝浦の家などがこのフレーム概念の上に乗っており、対象それ自体よりもその外部との關係にデザインの力点が置かれている。
また都市レベルで考えると去年から今年にかけてウィーン工科大学においてエルンスト教授と行っているワークショップIn-between(都市の中での隙間、間に注目すること)のコンセプトとも合致するのである。
3) 不連続性
これは建築レベルで言うと、2009年に作った高低の家の明るい廊下と天井の高い広間の間に挟まれた天井の低い暗い空間、2011年に作った三廊下の家の中央に背骨の如く横たわる天井の高い中央廊下、2013年に作った内の家の白いボイド、そして今年できた(仮称)勝浦の家の赤いギャラリー。これらはすべて二つ以上の空間に挟まれたつなぎの空間でありそして両側の空間とは全く異質な不連続な空間となっているのである。これは強く意識してきたことではないが、結果として不連続性を強調する空間としてこれらの作品の主要な要素となっている。これを都市レベルで考えると都市の中での不連続性が最近の興味となっている。先日のウィーンでのレクチャーDiscontinuous Tokyoは東京の不連続性を強調した。
不連続性は建築、都市双方において場のアクセントとして人々の意識を覚醒し、建築、都市を実感させる契機として重要な要素だと思っている。
これら3つの興味は実は微妙に相互の関連性を持っているのだが、まだ明快な説明はつかないのでこれはまた時期をみて考えてみたい。
東大に移られた岡部明子さんを訪ね本郷へ。岡部さんは20年ごとに行われる国連ハビタットのアーバンアジェンダを作成する世界の委員200人の一人である。国連ハビタットとは世界の居住環境向上を考える世界機関で毎年フォーラムが行われ20年に一回大会が開かれる前回はイスタンブールで行われ、今年はエクアドルのキトで行われる。
というのは前段で、せっかくキトに行くので彼女はそこでプロジェクトを計画している。エクアドルの設計集団アルボルデの廃墟を改装した事務所に場所を作ってアビタットで紹介し、かつそこをハブにしてラテンアメリカで二つのプロジェクトネットワークを作ろうとしている。一つはスラムのソーシャライズ、もう一つは先住民とローカルな建築を考えようというもの。そこで僕、中川大起くんなども一緒になってラテンアメリカネットワーク作りましょうということになったのである。
そもそもラテンアメリカに本気で入って行こうなんていう人はアカデミックセクターのなかにはほとんどいない。理由の一つは言葉、二つ目は距離、三つ目は金にならない、しかし何より一番大きいのは日本のアカデミックセクターの上層部が留学した先が欧米であり未だに欧米コンプレックスなのである。簡単に言えば「知らない」のである。イングリッシュネイティブの国でイングリッシュでディベートしたってたいしてコミットできるわけでもないのいイングリッシュスピーキングの国が好きな日本人ってもう病気???
世界は広いということを知らしめるためにもこのネットワークを確立したく思う。頑張ろう岡部さん。
午前中前期大学院製図の打ち合わせでコンピューテーションの竹中さん、構造の小西さんを迎えて打ち合わせ。
学部を卒業して最初の製図に対して何を教えるのかは大きな問題。学部から一方前進するとはどういうことなのか?前期は構造、後期は環境という方針のもとに去年より前期はコンピューテーションを一つの補助線としている。しかし重要なのはコンピューターを使った構造の知識を増やすことでもなければ、環境のテクニックを身につけることでもないと僕には思える。ではなく、そういう技を使う使い方、使う哲学をまず考えることであろうと思っている。ではいったいそういう技を使う哲学とは何か?
昨日コンピューテーションの考え方を学部生に教えてくれている木内さんと話す機会があったのだが、彼は都市の中の背景をデザインしたいと言っていた。都市に離散する装置をコンピューターを使いながら模索するものなのだが、そこには必ずや都市に生まれたunplaned なものとの衝突、溶融、利用ということが起こる。これは僕らがウィーンでやっているワークショップin-betweenの目指すところでもある。そこでは都市のunplanedな不連続面との邂逅とその利用による人々の覚醒が意図されている。また昨今の建築デザインではコンヴァージョンが大きな比率を占め、ここでもunplannedな既存物との調合が建築を大きく左右するのである。つまり総じてここに計画しながら計画されないものとの衝突、取り入れ、融合が必要なのである。ここに昨今の建築の必然と前提が隠れていると僕は考えている。
そこでコンピューターがこうした学問的前提あるいは哲学の上にどう成立するのかが重要だと思っているのだが、竹中さん曰く、それこそがまさに現在のコンピューテーションであるとおっしゃっていた。つまり、現在のコンピューテーションはあるコンセプトから発生したロジカルで演繹的な展開の上に解を導き出すことではない。そうではなくて様々な状況を放り込みながら事後的にその状況(unplanned)のオーダーを取り出しそれをもとに解を取りだすことでグーグルがやろうとしていることはそういうことだという。
さて、、、自らunplannedとの距離の取り方の重要性を指摘しおきながら煮え切らないのだが、それはそれであまりにunplanned よりだという不安がある。、、、常に状況は事後的にしか把握できないのだろうか?、、、オーダーをplanすることは不要で無意味なことなのか?AorBではなくAとBの比率の問題にするべきなのではないのか?
このあたりは助手の佐河君とドゥルーズの話をしなが考えていたことでもある。
planed, planed accident, unplanned これらの要素を状況に合わせ、文化に合わせ、法律に合わせその比率を考えることが一歩進んだ設計の哲学の基礎においてみるのはどうだろうか?
木島さんと坂牛と伊藤博之さんで始めたOFDAは方南町をスタートしたのが1998年そして荒木町に引っ越したのが2003年くらいかな?そしてどんどん場所が狭くなりどうしようもなくなり、坂牛と木島は昨年末荒木町から歩いて5分の四谷坂町に引っ越しました。そしてそこに日本女子大の先生になられた宮晶子さんがもはや横浜は少々遠いということで参戦してくれました。ここに四谷坂町に新しくなったOFDAと宮さん主宰するSTUDIO 2Aが同居することになりました。その名もOFDA2A。暗号のような名前です。外国の方にはわかりやすいのかどうなのか??
そんな事務所はコンクリート打ち放しで(床も)天井を銀色に塗り、家具を学生と一緒に作りかっこいい場所となりました。お披露目をしなければと思いつつはや3ヶ月この花見シーズンを逃すとまずいだろうということで花見を企画したのですが、だいぶ前から今日は寒波で雨でもはや花見どころではないという予測となりあまり宣伝しておりませんでした。しかし本日朝起きると晴れているしそんなに寒くない。
ですので、皆さんもし散歩がてらお花見をと思い都心に足を運ばれた際には是非お寄りください。2時から夜までやってます。
場所は
新宿区四谷坂町6−1
最寄り駅はJR、南北線、丸ノ内線四谷から徒歩5分
四谷の小さな路地をはいったところでわかりにくいのでできれば下記のURLを頼りにおいでください。
http://ofda.jp/contact/index.html
迷子になったらお電話を。03−3358−4303
今日は娘の卒業式で明日から家を出るので今日は晩餐。という約束をだいぶ前にしたのだが、普通卒業式の後には飲み会があるのではと今朝思った。しかし文系というのは寂しいもので研究室飲みなどもなくみな静かに帰るらしい。早稲田大学ともあろうものがそういうものであろうか???
というわけで久しぶりに家族3人で夕食をとり卒業祝いをあげ感謝のプレゼントをもらった。自分が卒業した時はいったい両親と卒業を祝ったりしただろうか?そもそも卒業式は出たのだろうか?全く思い出せない。大学院の卒業式は確かにアフリカ旅行から帰って次の日出た気がするが、、、、
兎にも角にも娘は明日我が家を出て自活する。貯金をできる限りして夏の渡米に備えて欲しい。自律して社会に出る娘に送る言葉は「誠実さ」である。
先日の学会の歴史意匠小委員会で意匠論の方法論を検討する中で大工大の朽木さんが作家論の方法論について語ってくれた。彼は二つの方法を提示してくれた。一つはその作家の創造の根源に迫りそこにいかなる作ることへの萌芽が読み取れるのかを問う方法。もう一つはむしろ作られたものの細部に迫り、その作った物の実体から作家を作家たらしめている物を把握解釈する方法である。
そこで問題となるのは時間軸でありその作家を時の流れの中で追うのか、ある時の断面で切り取るのかという見方である。一般的に時の流れで切り取ればそれは歴史論であって意匠論ではないと判断されがちだが田路先生は時間軸で切ってもそこから抽出しようとしているものが創るという行為にねざす未来への指向性を持つものであるかどうかが問題であるとおっしゃっていた。
さて来月の29日にバルセロナでエンリック・マッシプ–ボッシュの博士学位論文である「FIVE FORMS OF EMOTION KAZUO SHINOHARA AND THE HOUSE AS A WORK OF ART」の審査会がある。私は5人のジャッジの一人であり、これからこの300ページを超える大部の書を英語で読む。私がこの役を引き受けたのは、英語の審査会に出て篠原論を判断できる人間がそうたくさんはいないということもあるが、それ以外に積極的に二つの興味がある。一つは海外の大学において建築意匠論がどのように審査され評価されその評価ポイントが何なのかという点を見極めたいというのが一つ。もう一つは日本でも海外でもまだ新しい建築家の作家論がどのように書かれそしてどのように評価されうるのかを見極めたいというこの二点である。
早速今日から少しずつ読進めたいと思う。
来年度の研究室キックオフミーティングを行った。総勢39名で部屋はパンパン。研究室の目的を自覚して皆で主体的に研究室のレベルをアップさせたいと思う。
目的
本研究室は国際的視野を持ち、広く異分野の学問の統合として、建築の設計を考え、建築の設計者になることを目的とした学びの場である。それ以外に目的はないしそれ以外のことを前提とした教育もない。そして設計とは知性と感性と体力で行う行為であり、そのどれかが欠けてもできないものと心得よ。
教え
人にものを頼まれたら断ってはいけない。あなたが何かを頼まれるのはあなたが信頼されているのであり、その信頼を裏切れば次はこないと思ったほうがいい。それは人生のチャンスを失うこととなる。
研究室
研究室とは上記目的に向かって、個と全体をそれぞれリスペクトする集合体である。目的がずれた行為は研究室外で行うこと。そしてそれを統率し、運営するのは各自であり、誰かがやってくれると思わないこと。自分が研究室の一主体であることを常に心して行動するように。
ゼミ
遅刻厳禁、途中退出厳禁、無言厳禁。ゼミは皆が知恵を出し合って議論する唯一の場である。集中して徹底して内容に参加すること。顔を出す程度の気持ちの者は出席不可。修士は今まで1年時はお遊び程度だったが今年からM1で論文の骨格を作るつもりで行う。
見田宗介の『現代社会の理論』では資本主義の矛盾(無限の供給と限定された需要)を解消するために消費化と情報化を取り込んだと記されている。簡単に言えば、毎年デザイン(情報)を変えることで新たな消費を誘発するということである。こうして資本主義の矛盾は解消されたがこの消費と情報は環境問題南北問題をひき起こしてきた。しかしかといってこの消費欲求とデザイン欲求を否定していいかというとこれは人間の本能なので真っ向から否定してはいけない。これを肯定しつつ転回する方策がないかというのが見谷の理路である。そしてでてきたのが物質消費から精神消費への転回つまり脱物質化である。また(これは私の論理展開だが)対象デザインから関係デザインへの転回つまり脱対象化である。僕の中で今この二つはキーワードである。
脱物質化は建築における様々な局面での再利用につながるのだが、それだけではない。脱対象化が脱消費を促せばそれは究極的に脱物質にもつながっていくことになる。その意味で脱対象化は重要なデザイン概念である。ここであえてデザイン概念と書いたのは、脱対象化が非デザインを意味するのではないことを強調したいからである。それは対象ではなく対象と対象周辺との関係性を徹底してデザインしいくことを意味しているからである。
これは事後的な観察ではあるが、勝浦の家では当初「普通の家」が欲しいと言うクライアントの要求からスタートしている。その意味で建物の少なくとも外観においてはそれが強く対象化されない所謂家の原型のようは形を踏襲している。しかしランドスケープとの関係においてスラブの形や外壁の納まり、手すりの透明化、外構の砂利と芝生と屋根の関係性などはとてもこだわっている。内部でも陶芸をされるクライアントのものの置き場とその背景にはかなりの気を使っている。つまりは間のデザインである。もちろんその間を構築するためにその対象のデザインもしている。対象の図像性が消えることも消すこともないのだが、どちらかというと間をデザインすることで生まれるデザイン性に興味が移っているのである。もっと言うとこの対象の形を後10回違う場所で使ってもその間をデザインできればその魅力は失われないということである。もちろん建築には様々な条件(環境、クライアントの要望、予算)などがありそれは現実的に可能かどうかはわからないが原理的には可能だと思うのである。そうなるとここには所謂今まで言われてきたようなデザインの消費には直結しないし、またそれはリノベーションの可能性も高めて脱消費にもつながるのではと期待するのである。
ちなみに今ウィーン工科大学で行っているスタジオの大きなテーマはIN-BETWEENである。これは対象ではなくその対象と対象の間に注目しようという意味である。
勝浦のオープンハウスは無事終了。残念ながらアクアラインが大渋滞となり車で来ようとされた方はあまりの渋滞に来場を断念した方がかなりいたようです。電車組は無事到着されました。大野二郎さん夫妻、渋田さんありがとうございます。国外からは同済大学教授の支先生夫妻遠路はるばるありがとうございます。時代建築への掲載のオファーをいただきました楽しみです。研究室OBも多く来てくれてありがとう。プチ同窓会のようで楽しいものです。
外構、植栽も終わった姿を初めて見たがやはりいいものです。朝4時から上田さんに撮影いただき朝に夜景を撮り昼に終了しました。こちらもどんな写真があがるか楽しみです。朝の光の方が赤くなくてきっといい写真になるのではと期待しています。
したくないことをするのは時間の浪費ということをいろいろなところで言ったり書いたりしているのを配偶者が発見して若い人は誤解するので訂正せよと言われた。誤解するやつにはさせとけと思ったが、そういう風に誤解されて、アホだバカだと言われている人が世の中には多くいるのでやはり言動には気をつけようと思い一応正確に記すことにする。
したくないことをしないようにしないと人生は限られているので時間はすぐになくなってしまう。しかししたくないことをしないでしたいことを行うのはほぼ不可能に近い。特に若いうちは。よってしたくないことを最も効率的に終えるよう考えよ。
なのである。
さらに僕の研究室には矛盾するようなもうひとつの不文律がある。それは「人にものを頼まれたら断ってはいけない」という教えである。この言わんとするところはものを頼まれるということはそれだけ信頼されていることであり、それを断るということは人生のチャンスをひとつ失うということである。そして一度断ると次は来ない。
頼まれごとはもちろん自分のしたいことではないかもしれない。そうなると二つの教えは真っ向から矛盾するが、頼まれたことをすることはしたいことができるためのステップでありそれなしにしたいことはできないのである。
という前段がありYou must not do what you don`t want to do があるのである。ということを一応言っておく。
学会の歴史・意匠小委員会に出席。久しぶりに多くの方が集まれて、しかもかなり建設的な議論となり、来年の展望も明確になりとても満足である。会議という会議がいつもメールで済むよなあと思う昨今。いい会議だった(変な言い方だが)会議後。委員会主査の京都大学西垣先生から「都市のディスコンティニュイティを調べられているようで」と声をかけられた。フェイスブックでつぶやいていたことを取り上げていただき光栄である。続けて「60年代、70年代に前田愛や奥野健男が文学と都市を議論する中、奥野は都市近代化の中でこぼれ落ちた都市の不連続面が自分を成長させたということを書いておられます」と教えてくれた。
簡単に言えばそれは原っぱなのだそうだが、不連続面の価値づけとしてとても参考になるお話である。ありがとうございます。早速読んでみたい。奥野健男は文学評論家だけど、吉本隆明同様東工大出身である。母校は不思議な人を排出する。
学会の歴史・意匠小委員会に出席。久しぶりに多くの方が集まれて、しかもかなり建設的な議論となり、来年の展望も明確になりとても満足である。会議という会議がいつもメールで済むよなあと思う昨今。いい会議だった(変な言い方だが)会議後。委員会主査の京都大学西垣先生から「都市のディスコンティニュイティを調べられているようで」と声をかけられた。フェイスブックでつぶやいていたことを取り上げていただき光栄である。続けて「60年代、70年代に前田愛や奥野健男が文学と都市を議論する中、奥野は都市近代化の中でこぼれ落ちた都市の不連続面が自分を成長させたということを書いておられます」と教えてくれた。
簡単に言えばそれは原っぱなのだそうだが、不連続面の価値づけとしてとても参考になるお話である。ありがとうございます。早速読んでみたい。奥野健男は文学評論家だけど、吉本隆明同様東工大出身である。母校は不思議な人を排出する。
今回は忙しくて建築本屋を見て回る時間もなかった。最近はネットで買えるので本屋で買うことは減ったが、本物を手に取る意味がある。
いつも異国の都市に行くとその都市の成り立ちの歴史がわかる本を探す。ウィーンでもそういう本を探してエルンストに聞いたら、彼がそういう本をくれた。素敵な本で多くの歴史的な図版が掲載されている。ウィーンも城郭都市だったわけである。近代に入り都市を拡張し、道路を整備するのにこの城郭は取り払われたが、日本も同じである。江戸城の見附は新しい道路整備で取り払われた。しかしその残滓が今もある。ウィーンにもそういう遺跡がのこっているのだろうか?(この本もアマゾンで買えるのだが)。
一週間のワークショップのレビューが朝9時から始まり終わったのは夜の7時
約10時間のロングレビューだった。何人の作品を見たのか准教授のアントンに聞いたら50だそうだ。アントン、エルンスト、ムッフ。そして数名のアシスタントと僕の5人でクリティークをした。最後にワークショップの印象をコメントした。ヨーロッパのしかも歴史が長く伝統を重んじ、クラシカルな建築と都市の考え方に満ち溢れたこの場所で果たして僕に都市空間を教えられるのか???30年ぶりにウィーンにやって来て都市の厳格なルールを感じるにつけ、いやいや僕にはこのルールが被せられた場所を教えるのは難しいと感じた。だから僕が彼らに探して来させたのはそういうルールからはみ出てしまう。Discontinuous Viennaである。彼らが見つけてきたウィーンの不連続面は面白かった。こんな古典の街にもこんな場所があるのだということに再度都市という人工のなかにある自然を再認した。
50人のうち17人が4月に日本にやってくる。彼らと東京で再会するのが楽しみである。
⚫クンストハウスの真鍮模型。目の見えない人用。
⚫クンストハウス最上階で叫ぶ
⚫グラーツ街中のいいファサード
週末仕事休憩でウィーンから2時間半のグラーツへ足を延ばす。オーストリア第二の都市。と言っても人口25万人。松本ぐらいの大きさの街。古代ローマ帝国の時代に砦が作られた街である。
美術館、博物館、大学が多く文化の街である。その美術館の一つがあのナマコのような形をしたピータークックの数少ない実現作品クンストハウスである。入口脇に目の見えない人ように触って形を知る美術館の模型が置いてある。クンストハウス正面を流れるムーア川にはムーアインセルという名の川に浮かぶ橋兼カフェがあり雪解けで水流の強い川の中にとどまっている。
街にはいいデザインの照明屋、モード、食器、カフェなどがあるのだが、日曜日でどこも空いていないのが残念。
というわけでさっさとウィーンに戻り、アルベルティーな美術館と近代美術館の二つを急いで駆け抜ける。うーんこれだけいてもまだ見るところがたくさんあり、どれもがあまりに充実している
⚫️プレゼンテーションの講義 好評でした
⚫️区役所行って住所認定書をもらう。
⚫️オフィス脇の不思議なドライエリアに構造を挿入する案
今日はロングディ。午前中最後のレクチャーであるプレゼンテーションのプレゼンテーションをした。相手は建築学科での建築のグラフィックスの授業を取っている学生に対してである。そんな授業があるだけ進んでいるかもしれない。その授業の先生が僕のレクチャーを賞賛。英訳を作ったらとなんども言う。4つの分類とグラフィックデザイナーによる修正は実に画期的との嬉しいコメント。午後は区役所行って住所認定書をもらい、銀行行って口座を作る。大学から交通費をもらうのにこんな面倒臭いことをしなければならない。まあいろいろと良い経験。その後大学に戻り、7時半までエスキースチェック。ふらふらである。
33年前にウィーンに来た時にはロースを見て回った。今回は時間がないがヴィットゲンシュタインだけは見たかった。谷さんに予約を頼み入ることができた。今この建物はブルガリア文化会館になっている。
だいぶ前だがバーナード・レイトナーの書いたヴィットゲンシュタイン邸の本を読んだことがある。アドルフロースに指導されて姉の家をデザインしたのがこの建物である。ややロース的なラウムプランを感じるが、ポイントはそこにはなくあくまで数学的な比例関係で窓と壁と天井高が決定されているところにある。そのプロポーションの意図はエントランスホールで徹底されるが、他の部分は意図が希薄である。「語りえないことについては人は沈黙せねばならない」という彼のマニフェストが建築となっているような風情である。「表現し得ないことについてはデザインしてはならない」。と言っているように見える。
10年前にインターンシップ学生としてOFDAを訪ねてウィーンからやってきたのがウィーン工科大学4年生だったオンディーナである。勘がいいデザインの上手な学生だった。当時山名さんに呼ばれて理科大でやった講演会を聞きに来てその後のクリティークにも出てもらったのを思い出す。ウィーンに帰り大学を卒業しRIPL RIPLの事務所に入り程なくして結婚しウィーンに住み子供が二人できて仕事をやめた。というところまでは知っていた。2年前に中川君がお世話になった。今回どこかで会う予定が旦那さんが盲腸で入院したり子供の幼稚園への送り迎えなどで定まらなかったが今晩建築写真展のオープニングセレモニーで会うことにした。10年ぶりに会ったが全く変わっていない。(ぼくは変わっただろうが)すぐにわかった。子供が病気とのことだがポジティブに生きて行くといっていた。
たかだかワークショップの指導とレクチャーとたかをくくっていたら書類が山のようにありやたらとサインをしてその上パスポートを見たいとセクレタリーに言われたので何を見るのかと聞くとヴィザ。日本人がオーストリアに来るのにヴィザは要らないと言うとそれはツーリスト。一応働いて旅費を出す以上はヴィザがいるらしい。一体僕は何?契約書を見るとぼくは客員教授である。しかし、、、、別に給料もらうわけではないのだからヴィザがいるとは思えないが。結局結論は出ないでセクレタリーが最も簡単な策を調べることになる。
客員教授だからかどうかわからないが朝10時から1時間のランチタイムを除いて夕方6時までハードなエスキスチェック。1日の楽しみはランチ。大学そばのカフェで日替わりランチのズッキーニ。
昨日はは午前中、今日は夜7時からのレクチャー。「東京の不連続性」という問題について話をした。30分で話す予定が1時間になってしまった。申し訳ない。そもそもこの日本の状況を理解してもらえるのか?東京は不連続面が地形的にも歴史的にも階級的にもスケールにおいても発生しており、これを感じるのが大切であると説明した。加えて資本主義の発明である消費と情報の方向を転回するには関係のデザインが大事でありその時不連続面を感じる建築を作る可能性があると説明した。
終わってから河野先生と交流のある木構造専門のヴィンター教授が来て、少しお話をしたが僕の言っていることは難してく理解困難とおしゃり、いろいとろ話が展開。こんなえらい先生が聞きに来てくれただけでも光栄。そのひとがコメントまでしてくたのだから喜ばし。理解できないのは仕方あるまり。学生と話しても一回ではなかなか理解してもらえない。やはり、ウィーンには不連続面など殆んどないのだと思う。
昨日はは午前中、今日は夜7時からのレクチャー。「東京の不連続性」という問題について話をした。30分で話す予定が1時間になってしまった。申し訳ない。そもそもこの日本の状況を理解してもらえるのか?東京は不連続面が地形的にも歴史的にも階級的にもスケールにおいても発生しており、これを感じるのが大切であると説明した。加えて資本主義の発明である消費と情報の方向を転回するには関係のデザインが大事でありその時不連続面を感じる建築を作る可能性があると説明した。
終わってから河野先生と交流のある木構造専門のヴィンター教授が来て、少しお話をしたが僕の言っていることは難してく理解困難とおしゃり、いろいとろ話が展開。こんなえらい先生が聞きに来てくれただけでも光栄。そのひとがコメントまでしてくたのだから喜ばし。理解できないのは仕方あるまり。学生と話しても一回ではなかなか理解してもらえない。やはり、ウィーンには不連続面など殆んどないのだと思う。
WS1日目。エルンストがホテルに迎えにきてくれてウィーン工科大学の建築学科の建物に行く。建築学科は、幾つかのインスティチュートに分かれていて彼のインスティチュートはサスティナブルスペースである。彼自身はそれほどサスティナブルオリエンティッドではないのだが、彼が引き継いだ教授がそうだったというわけである。彼のインスティチュートで約1000人近くの学生の面倒を二人の教授と10人のアシスタントで見るのだそうだ。ちょっと信じられない。加えてなんと建築学科に在籍する学生は7000人。入学試験を課していないから学生数は多いが卒業できるのは2割程度だそうだ。
ワークショップの初日は駐オーストリア竹歳日本大使が来られてお話しされた。竹歳大使はもともと国交相の事務次官をなさっており都市計画に精通された方である。というわけで日本とオーストリア(理科大とウィーン工科大学)都市、建築の問題を共有することに応援をしたいと述べてくださった。ありがとうございます。
今回のWSは学生が100人以上いるようで、毎日が戦場らしい。というわけでそんなに自由になる時間がなく初日の今日(日曜日)だけがゆっくりできると知り。建築を見るのはほぼ諦めて、徹底してクリムトとシーレを見て回る。ベルベデーレ宮殿のクリムトの部屋は圧巻である。行ったり来たりして4回くらいみて、模写してそれでもなぜこの絵がここまで魅きつけるのかその答えがなかなか出ない。その一つの理由は(建築家が考えそうな)抽象的な部分と具象的な(写実的な)部分が微妙にコラージュされている。粗な部分と密な部分がこれも微妙に混合している。画面に様々な技法が散りばめられている。人間がとりそうでいてとれないポーズを描いている。そんなことだと思う。
抽象・具象、粗・密は十分建築に応用可能である。
いいところまできたんだけれど英語の原稿にまでたどり着かない。これは飛行機の中でやりますか。一昨日、ウィーンでやるレクチャーのサマリーをネット上に載せるので送って欲しいと頼まれた。そんな、、、、そもそも日本語でやるとしたってまだ整理付いていない話なのに、英語のサマリーは無理無理。本日やっと二つのレクチャーをリンクさせる5000字の日本語の文章を書いてみた。まあまあ納得のいくような話にはなったのでさてこれを早急に英語化したいところである。
ところで話の筋書きは、フレーム建築の他者性に3.11と中心市街地空洞化の話が入り建築は人を受け入れるものと考えたときに、αースペースにたどり着く。αースペースが人々を受け入れ都市のパブリックネスを上げる。ところで社会学的見地から資本主義を完成させたものとして消費化と情報化が指摘されているが、この二つは人間の本能につながるものとして否定はできないが資本主義の矛盾を排除するためにも転回が要請される。そこで消費の脱物質化、情報の脱対象化が望まれる。それを建築に照会するとき、αスペース特に改築のαスペースには脱物質化と脱対象化が内在する可能性が高いことに気づく。
こうした建築の脱対象化すなわち建築と建築外の關係性に着目したとき、都市の狭間と建築の関係に建築を見る新たな視点がありそこに建築を操作する上での新たな方向性があるのだろうと考えている。そんな話をウィーンでするために今日も近所を撮影してみた。都市の狭間シリーズである。こういう場所をもう少し都市に開示する形で建築化できないかと考えているのだが。
来年度の研究室運営を考える。今年度は留年、留学の院生が多くM2、12名、M1、6名、4年2部16名、1部3名 計37名。おそらく学科の中では最も大きな所帯であろう。人数が多ければ多様性もありそれはそれで楽しい。完全なる社会人が2名、留学生が2名、他大の学部から来た院性が4名である。
まずは役割分担を考える、来年も富士吉田、茨城との共同研究は続き、トークイン、新宿アートは継続する。輪読、1時間設計の担当も考える。
次にゼミの進め方、今年から院生の進め方について抜本的な改革をすることを考えている。もっときちんと設計を考えるゼミにする。そのために、M1は2年前期で論文を終わらすようにスケジュールを組む。M2は10月で論文を終わらす。加えて11月以降のゼミでは毎回必ず模型を持ってくるようにする。それは小さいものでいい。大室くんの作った川崎長太郎小屋の模型の大きさでいい。とにかく建築を持ってくること。概念と形は常に並走するようにする。さらに11月からはOBも呼んでエスキスチェックを行う。それによって先輩後輩の繋がり、就職のアドバイス等もでき一席二鳥と考えている。
さて輪読だが前期は以下の本を読むことにする。
1デザイン 坂牛卓 他 建築プレゼンのグラフィックデザイン 2015 鹿島出版会
2芸術 椹木野衣 後美術論 2015 美術出版社
3音楽 渡辺裕 聴衆の誕生-ポストモダン時代の音楽文化 1989 春秋社
4経済学 宇沢弘文、内橋克人 始まっている未来-新しい経済学は可能か2009 岩波書
5経済学 水尾和夫 資本主義の終焉と歴史の危機 2014 集英社新書
6経済学 宇沢弘文 社会的共通資本 2000 岩波新書
7社会学 ジグムント・バウマン リキッド化する世界の文化論 2014 青土社
8社会学 見田宗介 現代社会の理論 1996岩波新書
9、10建築 エイドリアンフォーティー 言葉と建築 2006 鹿島出版会
11建築 山崎亮 ソーシャルデザインアトラス 2012 鹿島出版会
12、13 建築 エイドリアンフォーティー メディアとしてのコンクリート 2016 鹿島出版会
手前味噌だけれど、どれも基礎的な本である。
東京からバスをチャーターして富士吉田に向かう。製氷工場コンヴァージョンのお披露目その1である。貯金箱財団(クライアント)の理事長である斎藤さんと僕の都合のつく日がここしかなく、火曜日に行うことになった。多くの着たい人が来られなくて残念なのでまた外構が出来た頃にいろいろとお招きしたいと思っている。さてそれはさておき、こういう改修工事を行うことの意義を再度考えてみる。もちろん勿体無いし、お金も無いしだからコンヴァージョンだというのは半ば必然的な流れである。しかしもう少し突っ込んで考えてみると、資本主義が有限の需要と無限の供給可能性という自己矛盾を孕みそれが恐慌と戦争を必然としてきた。しかしこれに対して、消費力をあげ、情報操作によって消費欲望を掻き立てることでこの有限需要を無限に拡大することでこの資本主義の矛盾は解消されたかに見えた。これが80年代後半のバブル経済だったと言える。しかしそれもつかの間バブル崩壊とともにこの消費と情報に疑問が提示された。しかし見田宗介は『現代社会の理論—情報化・消費社会の現在と未来』1996岩波新書で書いている。消費と情報は人間の自由の本能として必然でありこれを除去することはでき無い。しかしその方向性を転回することは可能であると述べている。
消費と情報が人間本能の必然であるという指摘がここではとても重要である。我々はともすればこの要素をモダニズムが産み出した悪弊であるとして無視しようとする。しかしそうでは無いという見田の指摘は卓見であろう。しかしさらに重要なのは今までの物質的な消費ではなく、単に消費を誘導する情報(差異化)を乗り超えたところに我々が豊かになれる真の自由があるはずだという見田の洞察である。
つまり金がなくて勿体無いからという受け身の理由で工場をコンヴァージョンしているのでは無いのである。むしろ積極的に、物質的な消費である新築の建物を作るより古い建物を継承するほうがはるかに精神的で、土着的で、地元の人々の記憶が刻まれた建築が生まれると考えるべきなのである。さらに一見昔の建物と建物自体は変わりのないように見え(差異化がないように見えて)建物の随所に建物を貫く穴があきそこから見える風景が建物を違うものに見せているのである。これは今までの建物自体の情報ではなく建物に絡む周囲の情報を取り込むことで建物が変化するという新たな情報(デザイン)の扱い方なのだと思う。
21世紀においても消費と情報は消えない。しかし転回するという見田の指摘をどのように咀嚼して建築のデザインに展開するか。今年の課題であもある。