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消費と情報の転回

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東京からバスをチャーターして富士吉田に向かう。製氷工場コンヴァージョンのお披露目その1である。貯金箱財団(クライアント)の理事長である斎藤さんと僕の都合のつく日がここしかなく、火曜日に行うことになった。多くの着たい人が来られなくて残念なのでまた外構が出来た頃にいろいろとお招きしたいと思っている。さてそれはさておき、こういう改修工事を行うことの意義を再度考えてみる。もちろん勿体無いし、お金も無いしだからコンヴァージョンだというのは半ば必然的な流れである。しかしもう少し突っ込んで考えてみると、資本主義が有限の需要と無限の供給可能性という自己矛盾を孕みそれが恐慌と戦争を必然としてきた。しかしこれに対して、消費力をあげ、情報操作によって消費欲望を掻き立てることでこの有限需要を無限に拡大することでこの資本主義の矛盾は解消されたかに見えた。これが80年代後半のバブル経済だったと言える。しかしそれもつかの間バブル崩壊とともにこの消費と情報に疑問が提示された。しかし見田宗介は『現代社会の理論—情報化・消費社会の現在と未来』1996岩波新書で書いている。消費と情報は人間の自由の本能として必然でありこれを除去することはでき無い。しかしその方向性を転回することは可能であると述べている。
消費と情報が人間本能の必然であるという指摘がここではとても重要である。我々はともすればこの要素をモダニズムが産み出した悪弊であるとして無視しようとする。しかしそうでは無いという見田の指摘は卓見であろう。しかしさらに重要なのは今までの物質的な消費ではなく、単に消費を誘導する情報(差異化)を乗り超えたところに我々が豊かになれる真の自由があるはずだという見田の洞察である。
つまり金がなくて勿体無いからという受け身の理由で工場をコンヴァージョンしているのでは無いのである。むしろ積極的に、物質的な消費である新築の建物を作るより古い建物を継承するほうがはるかに精神的で、土着的で、地元の人々の記憶が刻まれた建築が生まれると考えるべきなのである。さらに一見昔の建物と建物自体は変わりのないように見え(差異化がないように見えて)建物の随所に建物を貫く穴があきそこから見える風景が建物を違うものに見せているのである。これは今までの建物自体の情報ではなく建物に絡む周囲の情報を取り込むことで建物が変化するという新たな情報(デザイン)の扱い方なのだと思う。
21世紀においても消費と情報は消えない。しかし転回するという見田の指摘をどのように咀嚼して建築のデザインに展開するか。今年の課題であもある。

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