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February 29, 2016

川崎小屋

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昼、TSUTAYAのスタバでサンドイッチを食み、大室君たちが企画した川崎長太郎フェアを覗く。川崎長太郎はいろいろな人に影響を与えた(知る人ぞ知る)小説家であり、私も大室くんや佐河君に聞いて興味が湧いてやってきた。そのフェアに並ぶ、つげ義春、平出隆、もちろん川崎長太郎、そして彼が晩年住んでいたと言われる小屋の模型(大室くん作成)などをどさっと買い込んだ。すでに何軒か売約済(青木淳さん、橋本純さんなどの名前が見える)。クソ忙しくて面白そうな本をいつ読めるのか分からないが(明日の富士吉田のバスの行き帰りあるいは週末の機内となるでしょうか????)帰ろうと外に出ると川尻さんと遭遇。「今日は休みをとったのですよ」と言っていた。本屋さんが休みをとって本屋さんに来るって病気と思ったが、建築家も休みとって建築を見に行くのだからこっちも病気??

心の支え

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助手の佐河君が昨年の皆川明の展覧会の時にメモった皆川の言葉を送ってくれた。こんな気持ちで建築を作るといいものができそうだという。全く100%そう思う。思わず鳥肌がたち目頭が熱くなり心が燃える。今年一年の心の支えにしようと思うし、事務所の、研究室の片隅に貼っておきたい。

February 28, 2016

昨日のオープンハウス

昨日坂牛研究室で改修計画をした五反田のスタジオが竣工致しオープンハウスを行った。アルミホイル天井、和紙サラダオイル仕上げなどローコスト、日常素材の転用を試みた。(品川区西五反田2 丁目1 7 - 8 管野ビル3 階)。高橋堅さんに大変共感いただいた。ありがたい。
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京都で思う

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新幹線の中で昨晩の配偶者との会話を思い出す。性格温和な配偶者が教え子のことで珍しく少々剣幕。理由は「教えてもなおらない問題」である。
あれあれそんなの僕なんかしょっちゅうである。それもそんな難しいことを要求しているわけではない。「線を真っ直ぐ引け、字を綺麗に書け」だけである。それができないのは「俺の教え方が悪いのかお前のやる気がないのか。二つに一つ。間はない」と怒る。それでも治らないのである。自戒を込めて言うけれど、やる気があってできないことなんて世の中にそう沢山あるわけではない。

京都に着いて桂まで乗り継ぐ。そこからタクシー。京都のタクシーの運転手さんが、やっと中国の人がいなくなったとほっとした表情だったので思わず言った。日本人も30年前は世界の嫌われ者だったのだよと。84年にバーゼルの事務所で働いているたころ、週末になるとよくツェルマットに行ったらとからかわれた。当時ツェルマットは日本人御用達のツーリストプレースであり、ちょうどその頃日本人お断りのホテルが続出していたのである。「マナーが悪い」がその理由である。もちろん僕はそういう観光地に行かなかったがその理由の半分は恥ずかしかったからである。きっと今の中国の若い人にもそういう感覚の人がいるのだろうと思う。

京都大学桂キャンバス着いて最初に感じたのは「理科大みたい」打ち放しコンクリートとレンガタイル、リン酸処理したスチールサッシュ。聞いたら基本設計日建。担当は京大OBのKさん。理科大と同じ設計者。同じ風になるのは必然。

コンディション

12764785_957159301042434_9045411025491278493_o.jpgコンペ今朝やっと出した。そのあとオープンハウス。袴田さん、本田、岡崎、松浦、中東、京谷、高橋堅さん、森さん、塩入、長田、中川、山下、伊丹、増田、鈴木、武田さん、安森さん、塩ちゃん、宮さん、木島さん、高塚夫婦、竹内親子、他たくさんの方においでいただいた。少しいてすぐに帰ろうと思ったけれど話しこんで気付いたら5時。
コンペの最後は体のコンディションが悪くなるので、さっきまでジムでゆっくり長く走る。体重増えているのだが、体脂肪は下がっている?

一面的

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京都大学桂キャンパスに初めて来た。京都駅から結構遠い。煉瓦タイルと打ち放しのコンビネーションは理科大を彷彿とさせる。京都への車中で『東京2005—ポスト五輪の都市戦略』市川宏雄東洋経済新報社2015と『現代思想』2016年1月号見田宗介特集を読む。前者の著者は森記念財団都市戦略研究所の理事である。論調は東京を世界都市の中で順位づて(上位に登場するのはニューヨーク、ロンドン、パリ、シンガポール、香港などである)そのトップであることの戦略と方法を問うている。トップであるために起こるであろうダウンサイドに全く無頓着なこの論調に少々疑問。一方現代思想の見田宗介と加藤典洋の対談を読むと見田の『現代社会の理論』が加藤の見田との出会いでありその時に感じたのは見田が当時(1996)において情報化消費社会の光と闇の双方を相対化していたという点だったという。恐らく社会を語る上で一方的な視点はあり得ない。言えばこの東京論者の視点はあり得ない。デベロッパーの作る都市戦略研究所などやはりあてにならない。

February 26, 2016

Sci Arc

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SCI-ARC( Southern California Institute of Architecture 南カリフォルニア建築学校)の2014~2015のView bookが部屋の片隅から出てきた。いつ誰からもらったのか買ったのか忘れた。サイアークはMITのファブラボをはじめ世界のファブラボの一つと先日バルセロナのファブラボであるIAAC(International Advanced Architecture of Cataluna)のディレクターが言っていた。要は設計から施工まで徹底してコンピューターを使い、そして今までできなかったような不定形な形を建築デザインのボキャブラリーとするあるいはそのような形だから可能なプロダクトやインダストリアルデザインの領域に制作の範囲を拡張しようとしている。3Dプリンターが普通にそのへんで買える時代である。小学生の工作が普通に建築となる時代も間近かもしれない。

February 25, 2016

あと少し

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コンペも佳境。あと少し。3D画像が立ち上がり、これを水彩で仕上げる。これからはしばらくこれでしょうか?

February 24, 2016

建築雑誌展

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建築雑誌展という展覧会が3月1日から学会のギャラリーで行われる。案内を篠原先生からいただいた。6日のセッションにはいけないが、展覧会は見に行ってみたい。

February 23, 2016

力石

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市ヶ谷の亀岡八万宮に江戸時代に力比べした時に使った丸い石(力石)が奉納されている。時代も彫り込まれている。昔の人の娯楽が忍ばれて愉快である。

February 22, 2016

コロミーナの未翻訳本

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ビアトリス・コロミーナの『戦争時の家庭的なるもの』2006は軍需産業がいかに戦後の住宅を作り上げていったかを説明している。よく言われるようにケーススタディハウスは軍需産業を生活産業に変更することで生まれたものと言われている。

February 21, 2016

皆川明の生き方

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去年末にカーサブルータスの特別編集号で皆川明が特集された。その中の西谷真理子の文章を読んでいると皆川明の人となりが浮き上がる。
もちろんファッション界ではとても有名なデザイナーではあるけれど、ちょっと変わったデザイナーである。肩肘張らない、ファッションだけではなくて生活、生き方全てにある哲学を感じさせる人である。そして何よりもその精神がとても豊かである。
こういう人物像に人は憧れる。建築もそうなのだろうと思う。よく建築家や建築の社会的地位は低くて、日本の民度は如何なものかと疑問視される。オリンピック問題でも建築業界はまったく力不足のように言ったり、書いたりする人がいる。しかしそういう人がいくら騒いでも結局民度なんて上がらないだろうと思う。そういう風に騒ぎ立てる人たちは、政治家と同じようなものにしか映らない。人々はそんな評論家のプロパガンダを見たいのではない。建築や都市を作る人が実際豊かな精神を持って豊かに生きている生き様を見たいのである。

いや社会的使命を負った建築はそれではいかんという人もいる。半分賛成である。しかし騒ぐ裏には政治的胡散臭さが漂うのである。その胡散臭さを人々は敏感にかぎ分けひいてしまうのである。建築はあっという間に政治商品になり、イデオロギーになるのである。先ほどやっと全校生が終わったコンクリートカルチャーの一章はそんな内容に割かれていた。

皆川明のような建築家が豊かな精神と、豊かな生活を実践している姿こそが社会を変える最も大きな力なのだと西谷の文章を読みなが思うのである。

February 20, 2016

さらに進化を

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理科大二部全学年合同講評会を行った。今年は僕が理科大来て初めて4年の作品が一位、3年二位、2年三位と学年順になった。これは奇跡。1位増田おめでとう。「いつもその時、その時を精一杯努力してきた」と言っていたが。その通りだと思う。今後さらなる努力を期待したい。

Nakaoka congratulations!!

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坂牛研の理科大での初代の院生が結婚した。新婦は(新婦です)設計事務所に勤め将来の建築家の卵であり新郎は大学で博士課程で学ぶ学徒である。祝辞を頼まれ祝辞だか説教だかわからぬことを話したら、坂牛研OBたちにその話は僕らの卒業式でも聞きましたと言われた。2年おきくらいに聞くのも悪くあるまい。つまり建築も伴侶も好きでい続けるには努力がいるという話である。
披露宴の後に皆で近くでお茶。松浦、山田、中川、金沢、門井、小林、堀江、久しぶりに奥田。いやー皆バリバリ建築やっていて嬉しいな。

February 18, 2016

娑婆に戻るとやることが山積み

一週間ぶりに娑婆の空気を吸った。山積になったto do listを少しずつ切り崩す。そして夜10時頃帰ったら風がぶり返すと配偶者に叱られた。少し良くなると調子に乗って治った気になるのがよくないのは十分承知。しかしコンペのいい案が出ないもので、、、、明日午前中にコンクリートカルチャーの校正を終えたい。これを出してしまえば「建築の条件」6章以降のリライトに手をつけられる。こちらの目処も昨日なんとなくたってホッとしている。明日午後は来年度の製図の打ち合わせ。夜は全学年合評会。明後日は教え子の結婚式。夜はコンペの打ち合わせ、日曜日は学会の原稿を書いて、オーストリアでの講演の内容を詰めたい。来月のオーストリアから戻ると茨城町最後のプレゼンをしなければならず、それを終えるとバルセロナに飛ぶ。

February 17, 2016

東京の限界はどこに

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体が完治していない我慢の日々。都築響一の『tokyo style』ちくま文庫版2003(1993)をベッドから出られず眺めていた。氏の東京紀行としてはこれに続く(その間にも何かあるのかもしれないが)『東京右半分』ちくま書房2012を読んでみた。これは500ページを超え、カラー写真満載。ちくまで6000円という豪華本である。内容は超ニッチな情報に溢れている。この本のタイトルの意味は、東京の今面白いところはその右半分に偏っているという意味。曰く、エネルギッシュな街が生まれる要素はなるべく都心から近いこと、なるべく家賃や物価が安いこと。これを満たす場所は東京の右半分だと著者は言う。最初に地図が出ているが、「東京右半分」に認定されているのは一番左側で新宿区、そして文京、台東、荒川、北、足立、葛飾、江戸川、江東、墨田である。現在進行形の東京はこういうところにあるという。SOHOもイーストエンドもバスティーユもその昔はこんな場所だったと著者は言う。そうなのかもね。しかしニューヨークはすでにそんな若者が住み着く場所はマンハッタンの外になってしまった。東京ももはや右半分を飛び越えて、富士吉田あたりまで飛んでいくのかも。右半分でも十分高い。でも富士吉田まで行くともはやエネルギッシュ東京の香りは失せるのであり、、、

February 16, 2016

アーバンヌード

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⚫RCRの橋は向こう岸の街の裏側を露出する。
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⚫トヨタ東京本社ビルは背後の後楽園の緑を外堀に捧げる。
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⚫みなとみらいの吹き抜けは地下鉄の電車が動いているのをショーのように見せてくれる。
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⚫バックミンスターフラーラジオ時代の建築
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⚫ガラスの向こう側で何が起こっているのか
Mark Wigley『バックミンスター・フラー、ラジオ時代の建築』Lars muller publisher Zurich 2015 という本がある。きちんと読んでないけれど先日、本人に中国で会った時に聞いたところによれば、電波(ラジオ)が建築あるいは我々を包囲することで、我々の周りにある様々な境界が本来もっていた意味を希薄にしていった。ということのようである。内部と外部、パブリックとプライベート、仕事と生活、つまり本来そこにあるであろう、あったであろう意味や行為や視覚の切断線がラジオによって取り払われたという主張である。
ニューヨークビジネスマンんの半分はベッドの上で仕事をし、携帯テレビ電話は私的空間を破壊する。もはやそんな秘密は秘密でもなんでもない時代である。本当の秘密はラジオにも乗らない、視覚に乗るようなものは秘密でもなんでもない。都市はますます裸になっていくのだろう。そうされることを人々が望み、そしてそうされることで金が儲かる、住人の意識もよりオープンになり、皆で何かを共有することに価値を抱くことが必然的に境界を破壊する。都市はますますヌード化する。古都ウィーンでもそれを考えたい。果たして通用するか?

February 15, 2016

建築の設計をしよう

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本日は修士論文、設計の発表会。毎年なんとなく思ってきたことだが、やはりその気持ちははっきりとしてきた。つまり、、、釈然としない。これは信州大学時代からか10年そう感じ続けている。
これはいい論文だと思えるものは設計がつまらないし、設計がいいと思うものは論文が意味不明となる。両方がそれなりの美しさを共鳴するようなものは残念ながら未だかつてない。一つ確実に言えるのはスタートが遅いということ。みなゼミで増やした知識を発揮させるべくテーマをなるべく遅く決めようとする。そうしたい気持ちは分からなくはないけれどそれも限度がある。だから設計にかける時間が1ヶ月ないわけである。そうするとみななにをするかというと建築の設計を諦めて、プレゼンテーションの設計をするのである。それももちろん修士ともなれば重要だけれどやはり本質ではない。今年の案の中では都市の迷路のようなコンプレックスの見通しについて4つのタイポロージーを設定して設計を行った渋谷のキューブが僕の興味を惹いた。都市は常に何かを開示してくれるそんな可能性を感じる案だった。

よく眠った

先週の木曜日の午後、ちょうど新幹線で静岡についたくらいから調子が悪いなと感じ、レンタカーを借りてコンペの敷地についてロープーウエィーで東照宮に降りて寒くなってきた頃ああこれは確実にどっかおかしいと思った。静岡駅で薬を買って飲んで帰宅後ベッドへ直行。次の日の朝医者に行き薬をもらい、1日死んだように寝て、そして次の日の朝も熱が下がらずまた医者に行き新たな薬をもらいそしてベッドへ直行。家族にうつしてはいけないというので寝室は僕が独占。この寝室のドアは100平米区画なので常閉鉄扉。病人隔離室にはぴったりである。この家の人は暑いのがきらいだが私は寒いのがきらいなので隔離室であることをいいことに隔離室の温度は27度くらいに上げ快適である。食事、トイレで部屋から出てベッドに戻るとまた死んだように眠る。通算すれば3日と半分のうち食事時間以外は眠っていた。80時間のうち70時間、ベッドにいたのではなく眠っていた。人間はこんなに眠れるのだと驚くほどである。寝るのに飽きたら読もうとベッドサイドに置いておいた本はほとんど不要であった。都築響一のtokyo styleの写真をぺらぺら眺めるくらいだった。この3日間で出席すべき、会議、講評会、理事会を全部欠席した。ものによっては年に一回のイベントでもあり欠席したのは心苦しい。
一方この3日間を当てにしてやろうと思っていたことは消えて無くなったわけではなく綺麗に平行移動している。それを思うとちょっと憂鬱であるがまあ大した話ではない。今日も年に一度の修士のイベントである。学生も2年の総力を見せてくれる。それをきちんと見定める日でもある。頑張って行かねば、、

February 14, 2016

数十年ぶりに完全にダウン

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ここまでダウンしたのは本当に数十年ぶり。ベッドサイドに体温計、メガネ、本、携帯などおいてあるがほとんど使わずひたすら寝ている。もう3日寝ているのだが、、、、、寝すぎて体が痛い。

February 11, 2016

寒桜

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早朝ホテルをでて、学生の車で、近江八幡をとおり陶器さん、芦沢さん、藤森さんの建物を見学。昼の新幹線で静岡へ。佐河、中島と落ち合い車を借りて日本平へ。コンペ敷地を見てから、ロープーウェイで下山し、久能山東照宮に行く。あっ桜!と思ったら寒桜。

寒桜

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早朝ホテルをでて、学生の車で、近江八幡をとおり陶器さん、芦沢さん、藤森さんの建物を見学。昼の新幹線で静岡へ。佐河、中島と落ち合い車を借りて日本平へ。コンペ敷地を見てから、ロープーウェイで下山し、久能山東照宮に行く。あっ桜!と思ったら寒桜。

February 10, 2016

見えない都市を見る

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先日買った東京本の一つ。なぎら健壱『東京路地裏景色』ちくま文庫2011を読みながら年の不連続とその顕在化をメモる。そのうち不連続である必要があるのかと思うようになった。今まで見えなかったものを見せてやる装置としての建築というのでいいのではないか?つまり「見えない都市」を見せるである。たとえばRCRの橋は河のこちら側から向こう岸の街区の裏側を見せてくれる。日建のトヨタのビルは外堀通りから後楽園の緑を見せてくれる。フューチャーシステムのニューヨークコムデギャルソンは古いビルの内側と最新ファッションのギャップを見せてくれる。などなどまだありそうである。

February 9, 2016

滋賀県立大学の卒論を聞く

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滋賀県立大学に呼ばれて卒論の審査。さすが内井照蔵が設立に奔走して、作った人間科学部。卒論がヴァラエティに富んでいて楽しい。苔があったりゲルノート・ベーメがあったり。その上13人の先生が投票して最優秀賞を決めるというのも面白い。それもかなり本格的で5名程度を選んでからパネルで再度プレンゼンをさせて再度投票。残ったのは全て女性。最優秀賞は苔の研究。全てが論理的で納得いくそして面白い結論にたどり着いているわけではないけれど、着眼点の多様さは校風ということだろう。

February 8, 2016

中曽根

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中曽根が首相だったのは僕が大学生のころ。30年以上前のことである。そんな人の話が今ころ中公新書『中曽根康弘 -「大統領的首相」の軌跡』2015になった。戦後の首相として取り上げられるに値する首相のひとりであることは間違いないだろう。その当時は知らなかったが、田中がロッキードで情勢不利になった時に宿敵中曽根は田中に(田中の秘書の佐藤に)便箋10枚を綴り辞任を迫っていた。しかしそれを読んだ秘書の佐藤はこれは田中に見せたところで拒否するだろうと言ってやはり便箋10枚に拒否の内容をしたためた。しかし驚くべきはこの書簡は封を開けたまま佐藤に渡されていた。拒否されることは予想されていたようである。政治の世界とはかくのごとき。

February 7, 2016

東京の不連続

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朝から理科大入試の試験監督。今日は薬学部である。4時すぎに終わり、六本木での甥っ子のライブの前に時間があるので青山ブックセンターで本を探す。3月のウィーンでのワークショップで東京とウィーンをテーマにする。主として東京の街中コンテクストの中での不連続に注目したい。ここで街がガラッと変わるという場所を探し、その場所にその差を強く意識させる装置としての建築をデザインせよということを考えたい。できることならウィーンでそういう場所を発見したい。エルンストはこれと逆のことをやった。つまり都市のスムーズな流れを壊す、壊れている場所を見つけてそれを繋げよというWSをやったのだが、僕はその逆に興味がある。都市の中で人々が不連続と感じる傷口をさらにこじ開けたい。そうすることで人々が否応なしにその場所に覚醒して都市を感じるからである。そんな傷口を示す写真や文章や詩や絵を探した。適切と思うものは少なかったが、高校の先輩である都築響一がtokyo styleの次にだした『東京右半分』や、やはり付属の先輩である越沢明が書いた『東京都市計画物語』などが目を引いた。それ以外にも成実弘至、なぎら健壱、皆川明のカーサブルータスの特集などを買い込んだ。一気に来週読もう。

February 6, 2016

STEWART LAB. IN OFDA

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毎年だいたい春節の頃にスチュワート研の新年会をやるのだが、毎年シンガポール鹿島にいる岩下と北大小沢のスケジュールに辺見、藤田、坂牛そして先生が合わせる。そして二転三転して今日に決まり引っ越したばかりのOFDAでやることになり、料理は持ち寄り。辺見が辺見お手製のコールドチキンと鎌倉とれたての鯛のカルバッチョ。藤田がイタリアハムとバゲットに冬にしかないという金の山チーズ。小沢は北海道スイーツ。名前忘れたけれど美味しかった。岩下はシンガポールの燻製。出し忘れた。そしてスチュワート夫妻はキッシュとサラダ。僕は飲み物。チリのマルベックにスペインのソヴィニヨン。デザートはトップスのチョコレートケーキ。コーヒーと中国茶。このコースは外で食べると1万は固いね。各自スライドを持ち寄り酒の肴に。藤田は毎冬シーランチに行っているという話にびっくり。ではこれからスチュワート研の合宿をシーランチでやりますか。

February 5, 2016

最終的には安倍批判

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朝日新聞経済部編『老人地獄』文春新書2015を読むと老後の沙汰は金次第という最終章のタイトルがしみじみと伝わるのだが、現場の実態を映像のように描写されると身につまされる。日本にはすでに福祉という言葉は消え失せたのか?消費税率のアップは本来こういうところに使われるためのものではないのか。しかしもっと問題だと思うのは日本はこれでも福祉予算の中で老人に使われている予算比率は子供のそれに比べて高いのである。老人してにこれなのだから子供の状況はもっとひどい。一体今の政治はこういうところに回すべき金を集団的自衛権に持って行こうとしている。いやすでにしているし、そのための法制化を着実にしようとしているのである。知性の欠片も感じない首相のいる国に住むことが恥ずかしい。

ゲストクリティークの帰りに敷地に行こう

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新しいコンペの最初のミーティングをした。まずは過去の事例を見てみることに。こんな施設は滅多にないだろうなんて思うと結構あるもんだ。そしてなかなかの名作もある。しかし機能からヴァリエーションが生まれるタイプの建物ではなく、敷地が形状を大きく左右する建物である。
そこで敷地であるが、来週滋賀県立大学に二日に渡るクリティークに御呼ばれしているのでその帰りに見てこようと思う。どうも敷地を見ないことにはさっぱり分からんというのが今回のコンペの特徴かも。

February 4, 2016

奇跡の納まり

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コンペが終わった次の日は出張から帰ってきた次の日のようである。一日中、溜まった雑務に追われる。返していなかったメールに返信、放っておいたあれこれの処理、忘れていてリマインダーが来た結構大事なお仕事などなど。そして12月のワークショップのブックレット作って、ポートフォリオの編集して、それで3月のウィーンでのワークショップに向けてエルンストと調整して、そのためのレクチャーのパワポ二つ作らねばならぬ。僕も助手もくらくらするような仕事量。それでいて次のコンペの参加登録してしまった。ほとんどマゾ。
というわけで最近のちょっとした楽しみは新しく買った電化製品などがOFDA2Aのいろいろなところにキレイに納まるのを見たりすること。この冷蔵庫の納まりもほとんど奇跡的。

February 3, 2016

10代の心と体

昨日は人を(作品)を評価して賞を与える側に居た。著者が数年かけた思いが結実した著書を読み込んでそこに見える価値と思われるものを抉り出して評価する。大変なことである。
今日は逆にコンペの提出日。数年はかけていないので昨日の著者ほどの血と汗と涙がこもっているとは言えないけれど、ここ1ヶ月燃焼させたエネルギーを評価してもらう作品の提出日である。去年の12月に事務所を引越し宮晶子さんと事務所をシェアして早速一緒にコンペをやろうということになった。もちろんどこの誰かも知らない人とコンペなどできるわけもないが、すでに理科大で非常勤をしてもらったこともあるし、台湾に建築を一緒に見に行ったこともあるし、その建築観を共有する部分があることは分かっている。そしてそういう他者と仕事をすることは僕の常々思っている仕事の仕方なのである。そして佐川君が入りこの3人の力に加え研究室の中川、宮前、大村、増田、長谷川、平野素晴らしい活躍。出してしまったものには常に後悔が付きまとい、そしてそうではなかったかもしれない未来が妄想となって脳裏をよぎる。毎度のことである。それは建築だけではなく著作でもそうである。八束はじめがそういうことをある本のあとがきに書いていた。八束さんほどではないけれど私にも同様な感覚は生まれてくる。
朝最終のプレボに宮さんと私で赤を入れて佐河君に後を託し、宮さんも私も大学へ向かう。入試の監督である。国語の問題では好井裕明『違和感から始まる社会学 日常性のフィールドワークへの招待』の一部が使われており、日常性と向き合うことにおいて他者への眼差しの重要性が書かれていた。他者と向き合うことが日常を感じ取ることなのだと改めて思いコンペの意味を再確認したわけである。
午後の英語の試験を終えて生徒たちは今日の入試が終わった。朝はいささか緊張気味だった表情も緩み、弛緩、脱力、あるものは満足げ、あるものはちょっぴり後悔も混じった表情を見せていた。生徒たちは一年あるいは数年の努力をここに結実させてその評価を大学に委ねるわけである。良くも悪しくもこれが子供たちの成長の一過程である。しかしそれを評価するぼくたちもついさっきコンペを出してその評価を先輩後輩建築家に委ねるのである。その構図は全く同じである。僕は今事務所に戻りひとり女性ボーカルの音楽を聞きながら少々脱力、弛緩しながら掃除して、コンペの垢を物理的にも精神的にも拭き取りそしてこの文章を書いている。
ああ50過ぎても10代の生徒たちとその人生を通過していくその仕方は変わらない。10代の心と体(?)がある限りこのプロセスは続く。

February 2, 2016

コンペ追い込み

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学会の著作賞審査委員会があり田町へ。今日で最後である。2時間でなんとか著作賞候補を選んだ。3月には表彰委員会でこの候補を認めていただく。私は委員長として出席しなければならないのだがその日はウィーンである。幹事の京大の鉾井先生に代理出席をお願いして快諾していただいた。やっと2年間のこの仕事も残すところ審査評を書いて表彰式で総評を述べるのみとなった。大変だったけれど、本の価値を考える本当によい勉強の機会であった。事務所に戻りさてコンペ提出まで後24時間。最後のプレゼンの追い込みをしながら最終案を見ながら赤入れ。

February 1, 2016

四谷の広場

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大学院の留学生試験を終えて大学へ。そろそろ日本語ができなくても優秀な学生が受験するようになった。本気で授業を英語でやるようにしないといけないという空気が学科に湧いてきて素晴らしい。四谷に戻って駅を出ると大勢の人だかり。片手にロウソク、片手にハンドマイク。よくよく聞いていると反戦署名活動だった。各新聞社テレビ局などが集まっている。こういう広場があるところが四谷駅の魅力。