振り切ってはいけない
午前中前期大学院製図の打ち合わせでコンピューテーションの竹中さん、構造の小西さんを迎えて打ち合わせ。
学部を卒業して最初の製図に対して何を教えるのかは大きな問題。学部から一方前進するとはどういうことなのか?前期は構造、後期は環境という方針のもとに去年より前期はコンピューテーションを一つの補助線としている。しかし重要なのはコンピューターを使った構造の知識を増やすことでもなければ、環境のテクニックを身につけることでもないと僕には思える。ではなく、そういう技を使う使い方、使う哲学をまず考えることであろうと思っている。ではいったいそういう技を使う哲学とは何か?
昨日コンピューテーションの考え方を学部生に教えてくれている木内さんと話す機会があったのだが、彼は都市の中の背景をデザインしたいと言っていた。都市に離散する装置をコンピューターを使いながら模索するものなのだが、そこには必ずや都市に生まれたunplaned なものとの衝突、溶融、利用ということが起こる。これは僕らがウィーンでやっているワークショップin-betweenの目指すところでもある。そこでは都市のunplanedな不連続面との邂逅とその利用による人々の覚醒が意図されている。また昨今の建築デザインではコンヴァージョンが大きな比率を占め、ここでもunplannedな既存物との調合が建築を大きく左右するのである。つまり総じてここに計画しながら計画されないものとの衝突、取り入れ、融合が必要なのである。ここに昨今の建築の必然と前提が隠れていると僕は考えている。
そこでコンピューターがこうした学問的前提あるいは哲学の上にどう成立するのかが重要だと思っているのだが、竹中さん曰く、それこそがまさに現在のコンピューテーションであるとおっしゃっていた。つまり、現在のコンピューテーションはあるコンセプトから発生したロジカルで演繹的な展開の上に解を導き出すことではない。そうではなくて様々な状況を放り込みながら事後的にその状況(unplanned)のオーダーを取り出しそれをもとに解を取りだすことでグーグルがやろうとしていることはそういうことだという。
さて、、、自らunplannedとの距離の取り方の重要性を指摘しおきながら煮え切らないのだが、それはそれであまりにunplanned よりだという不安がある。、、、常に状況は事後的にしか把握できないのだろうか?、、、オーダーをplanすることは不要で無意味なことなのか?AorBではなくAとBの比率の問題にするべきなのではないのか?
このあたりは助手の佐河君とドゥルーズの話をしなが考えていたことでもある。
planed, planed accident, unplanned これらの要素を状況に合わせ、文化に合わせ、法律に合わせその比率を考えることが一歩進んだ設計の哲学の基礎においてみるのはどうだろうか?