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間(IN BETWEEN)のデザイン

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見田宗介の『現代社会の理論』では資本主義の矛盾(無限の供給と限定された需要)を解消するために消費化と情報化を取り込んだと記されている。簡単に言えば、毎年デザイン(情報)を変えることで新たな消費を誘発するということである。こうして資本主義の矛盾は解消されたがこの消費と情報は環境問題南北問題をひき起こしてきた。しかしかといってこの消費欲求とデザイン欲求を否定していいかというとこれは人間の本能なので真っ向から否定してはいけない。これを肯定しつつ転回する方策がないかというのが見谷の理路である。そしてでてきたのが物質消費から精神消費への転回つまり脱物質化である。また(これは私の論理展開だが)対象デザインから関係デザインへの転回つまり脱対象化である。僕の中で今この二つはキーワードである。
脱物質化は建築における様々な局面での再利用につながるのだが、それだけではない。脱対象化が脱消費を促せばそれは究極的に脱物質にもつながっていくことになる。その意味で脱対象化は重要なデザイン概念である。ここであえてデザイン概念と書いたのは、脱対象化が非デザインを意味するのではないことを強調したいからである。それは対象ではなく対象と対象周辺との関係性を徹底してデザインしいくことを意味しているからである。
これは事後的な観察ではあるが、勝浦の家では当初「普通の家」が欲しいと言うクライアントの要求からスタートしている。その意味で建物の少なくとも外観においてはそれが強く対象化されない所謂家の原型のようは形を踏襲している。しかしランドスケープとの関係においてスラブの形や外壁の納まり、手すりの透明化、外構の砂利と芝生と屋根の関係性などはとてもこだわっている。内部でも陶芸をされるクライアントのものの置き場とその背景にはかなりの気を使っている。つまりは間のデザインである。もちろんその間を構築するためにその対象のデザインもしている。対象の図像性が消えることも消すこともないのだが、どちらかというと間をデザインすることで生まれるデザイン性に興味が移っているのである。もっと言うとこの対象の形を後10回違う場所で使ってもその間をデザインできればその魅力は失われないということである。もちろん建築には様々な条件(環境、クライアントの要望、予算)などがありそれは現実的に可能かどうかはわからないが原理的には可能だと思うのである。そうなるとここには所謂今まで言われてきたようなデザインの消費には直結しないし、またそれはリノベーションの可能性も高めて脱消費にもつながるのではと期待するのである。

ちなみに今ウィーン工科大学で行っているスタジオの大きなテーマはIN-BETWEENである。これは対象ではなくその対象と対象の間に注目しようという意味である。

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