« January 2012 | メイン | March 2012 »
東工大に行って塚本さんの設計した環境エネルギーイノベーション棟を拝見した。緑が丘の駅のすぐわきに駅より長い細長い建物ができている。こんなに駅に近いと普通の人は東急線に関連する建物だと思うだろう。と言うくらい線路、駅に近い。なぜ駅にこんなに近く建てられるかと言うと建物のファサードと思しき太陽光パネルが山と取り付けられたファサードが工作物だからである。そしてこの工作物は太陽光パネルの熱を逃がすために本体と大きな隙間を持ってとりつけられている。この敷地にこのブログラムを与えられた時にプログラムで最も望まれていることを工作物でくっつけようとするところが塚本さん的だと思う。大学側のプログラムをあえて捻じ曲げることもせず、敷地も受け入れて愚直とも言えるほどにそれをそのままに表現するところが彼らしい。
この建物を見た後に未だ見ていなかった安田さんの図書館を案内していただいた。この建物はキャンパス計画の中で重要な場所を占め、それを上手に使いながら徹底的に作りこんである。先程の塚本さんの建物とは好対照である。隅から隅まで悪く言えば息苦しいほどに、よく言えば完璧なまでにデザインされている。2人の個性がとてもよくでている。
一日の内にこれほど対照的な二つの建築を見たのは初めてである。少々興奮した。
Iphoneのアプリにもあるのだが、江戸時代の地図と現代の地図を比較できるマップを買った。『東京時代MAP』新創舎2011。この地図は江戸を東西南北のグリッドで22に分割し、1セクションA4見開き1ページ。縮尺は1万分の1。その江戸地図にトレペの現代地図が重ねられるようになっている。この地図で事務所の周りを見ると江戸時代に無かった外苑東通りが現代強引に南北の道を斜めに繋げているのが分かる。それ以外は家の前の津の守坂、それに直行する三栄通りも含めてこのあたりの現在の道はほとんど江戸時代からあるしその後増えたものもそんなに多くは無い。
実はこの地図で荒木町の江戸時代の様子も分かるかなと思ったが、そこは松平範次郎とだけ書かれた広い屋敷としか分からない。屋敷内の建物配置は昔の軍事機密のようなものだから地図には現れない。荒木町の道の形成は明治の地図を見ないとだめである。
午前中国立新美術館で野田裕示個展を見る。久しぶりに心に響く絵を見た。http://ofda.jp/column/午後社会人大学院の試験をしてから一部(昼の部)の卒制講評会。常勤教員によって採点された37作品の中から選ばれた上位12名が今日発表される。教員の採点は既に終り優秀賞を含め順位は既についているので今日はOB会(それを築理会と呼ぶ)による採点の場である。会場にはOB20名、常勤非常勤20、学生100名くらいいただろうか熱気と緊張感。司会は宇野さん。
講評自体は常勤も非常勤も行うが最後の審査は選ばれた5人のOBによって行う仕組み。4人の建築家(薩田英男、川辺直哉、野田郁子、佐藤勉)と1人の構造家(加藤政寛)により12の中から先ず4つが選び出され議論の末に2つが残りそして一位が決められた。
一位を決める過程で最後に残った二つは日生劇場のコンヴァージョン計画と石切り場の再生計画。いずれも今ある何かに手を加えるというもの。新たにザ・ケンチクを作ると言う案はそもそも余り無かったし最後に残らなかった。でも実は僕の採点で一位はこの両者ではなかった。今日の12名の発表にさえ残らなかった。吉祥寺の路地に屋根をかけるという案だった。とてもコンセプチャルな試みだったので誰にも理解されなかったようだ。教員の採点表を見ても僕だけ95点で後は皆70点台。惜しいなあいい案だったのだけれど、、、、
講評会の多い年度末。これで全部終わった(と思う)。
新聞作っている友人と会う。もはや現役の記者は引退して新人を教育する立場。そんな彼が新人の為に書いた文章を見せてもらった。その中にいい言葉があった。「記者になったばかりのみなさんは、わからないことはわからない、という勇気をもっていてください」その通りだと思う。そしてそれは新人の為だけの言葉でもない。
彼に新聞で一番大事なことは?と聞いたら「嘘を書かないこと」と言っていた。そうだと思う。事実がねつ造されたり、出所不明の情報が飛び交う中。新聞だけは頼れると思いたい。新人記者さん頑張って。
去年甲府に作った住宅の一年目検査に向かう。あいにくの雨だったけれど着いたら晴れてきた。暖かい。一年目検査ではいつもいくつかの不具合が見つかり、それはそれで僕らのとてもためになる勉強の場である。しかし今回は到着して「不具合が何かありますか」と聞いても殆ど何も無い。中は実にきれいに使われている。トイレはまるでギャラリーのようである(上の写真)プラスターボードにも全くクラックが入っていない。平屋だと言うのもあるのかもしれないが、一応3.11では震度5強だったそうである。
この建物はクライアントがそれまで住んでいた中廊下の形式を現代的に蘇らせるというコンセプト。そして平屋の瓦ぶき。伝統的な形はそれなりに無理が来ないということでもあるのだろうか???
外国の建築紹介サイトを見た方がこんなコメント書いてくれている。
http://cotoba.jp/2011/07/06/three-corridors-house/
甲府の往復で三浦展+SML『高円寺―東京新女子街』洋泉社2010を読んだ。昨日は吉祥寺、今日は高円寺。二つの本を読んでいると急速に中央線沿線に惹かれていく。
高円寺はモノの消費の場ではなく、人の交流の場だと言う。飲み屋で出会った者同士が仕事を融通することがあると言う。そう言えば確か高円寺のワインバーのマスターから仕事をもらったことがある。それもその人の何かではなく、その人の友達の建物である。そんなつながりができるなんて確かに素晴らしい。
さらに高円寺の魅力の中で外部階段があげられていた。外部階段はだいたい木賃アパートにつながるのだが、アパートやめてブティックになっていたり飲み屋になっていたりもする。都市の立体性やアクセシビリティが高まると言う。さらに重要なのは外部階段が直接個室にアクセスできることこそが住人の自由を保証すると言う。マンションのように、エントランスホールを通って個室に向かうのは中央集権的建物だと言うわけだ。
この発想って坂本先生の集住のキーコンセプトである。都市へのダイレクトアクセスこそが都市的な住まい方だと坂本先生は言う。江古田の集合住宅はそのコンセプトでできている。三浦展と坂本一成が共通の価値観を持っているというのも面白い。
『吉祥寺スタイル』文藝春秋2007という本がちょっと気になって手にしたらなかなか面白い。著者は三浦展なのだが内容は吉祥寺の特徴を4つに分けてそれらの構成要素抽出と言う建築屋っぽいモノの見方。よくよく見るとこの本は三浦展の横に+渡和由研究室(筑波大学)と少々小さなロゴで書かれている。なるほど合点が行った。
渡さんは八潮で一緒に街づくりをする人。最初に会ったときから、なんだか意見の合う人だと思っていたのである。この本を読んでなぜ意見が合うかが分かった。
僕が街を評価する基準は前世紀末にアメリカで生まれてきたニューアーバニズムと呼ばれる思想に立脚している。まあ簡単に言えば「都市は歩いて楽しいこと」というような考え方である。そうしたらこの本で渡さんもニューアーバニズムが大事だと言っている。思想の根底が同じなのだから意見が合うのは当然である。
渡さんはニューアーバニズムに基づきながら吉祥寺の四つの特徴を1)歩ける、2)透ける、3)流れる、4)溜まると分類している。なるほどこの辺りも僕の研究室で今年アメ横研究をしていた分析概念と似ている。僕の学生はアメ横の通りの流れを滞留させるような要素である看板や、商品、オーニングと歩きながら店の奥が透けて見える開口の大きさを調べ上げ、アメ横周辺の6つの通りの特徴を明らかにした。
渡さんの吉祥寺の特徴で言えば、透ける要素、溜まる要素を定量化したわけである。ニューアーバニズムをもとに学生と右往左往しながらやっていたことは果たして意味のあることだろうかとふと疑問に思ったこともあるけれど、この本を読んで少しほっとしたし、未だやることがあるなと少し勇気もわいてきた。
2年生から4年生までの各課題の一等の作品の合評会を行った。一部では昔からやっているが二部では今年初めて。今年から元気のある学生が発起人となって始めることとなった。非常勤の先生も10人くらいボランティアで来ていただくこととなり学生が集まるのか少々心配でもあった。なにせ既に休みだし学生の自主活動でもあるから。蓋を開けると結構集まりいつもよりゆったりとした広い部屋でのびのびと行えた。逆にこのくらいの人数(恐らく40人くらいだろうか?)の方が適量かもしれないと感じた。
最後に学生も先生も一人一票の全員投票を行った。それぞれ課題が違うし、もちろん低学年と高学年では表現のテクニックが違う。そこでプロダクトのモノとしてのクオリティよりも考え方のクオリティを評価してくださいとお願いした。
その結果なんと一等賞は2年生の住宅。二等賞も二年生の図書館。やっと三等賞が三年生で集合住宅である。そしてこの順位は学生の票を取り除き13人くらいの先生方の票だけでも同じだった(と思う)。学生も見る目があるということだ。
最後に先生方から自分が入れた作品とその理由を語ってもらった。それぞれに納得のいく理由である。学生にとってはとても勉強になる合評会だったのでは。
二部は社会人も多いからこのての会は原則6時以降にしか始められない。なのでなかなか多くの学生に発表の機会が与えられないのだが、できれば各課題一等、二等くらい発表してもらうと課題のイメージが担当してなかった先生にも伝わるし、もしかすると二等が一等を抜くこともあり得て面白いのだが、、、、、
娘が大学受験中。今日は既に合格した第二志望の大学の入学金払い込み締め切り日であり第一志望の大学の合格発表日。運よく第一志望に合格。素晴らしい。入学金を無駄にせずに済んだ。親孝行もの。
夜N設計のM先輩と高校の同級生Aと3人で会食。世の中不思議なもので、同級生のAがN設計のクライアントになっている。ということをFace bookでM先輩が知らせてきた。それで3人で食事と言うことになった。
指定された神楽坂のレストランに行ったらさすが大企業のお二人が会食する場所は違う。和風のテーブル席でフレンチ。ワインもたいそう美味しかった。
同級生のAはM不動産に勤めているが現在系列会社の取締役。その会社はN設計が設計した東京駅の大丸の上。家から殆ど外を歩かず会社に行けてとても便利だと言う。
そうか、、、、駅に大学作ったらこんな便利なことはないなあ。考えて見れば駅の上にあるのはデパートやホテルとは限らない。大学だって図書館だって(そんな卒計があったなあ)病院だってあっていい。なんでも駅の上にあると町が活性化しないからやり過ぎはまずいけれど、理科大のように社会人相手にするなら駅の上は最高だな。東京駅の上に大学作ったら小田原、軽井沢、辺りからも通学できる。
午前中の新幹線で長野へ。久しぶりに信大に来た。そして初めて入る武道場。木造の小屋組みが素晴らしいここで修士設計と卒計の講評会を行った。彼らは大学の中では講評の機会が与えられなかった可哀そうな輩である。論文付き設計のつもりだったが、指導教員から論文だけで修士修了レベルに持っていくことという義務が課せられ、設計にかけられる時間がとても少なかったようである。そのハンディキャップの中ではよく頑張ったと思う。そしてこういう会を学生だけで企画したのは素晴らしい。ゲストには僕と、僕の研究室OBで現在中国のMAO設計でディレクターをしている神山君(その昔東京コレクションで2賞をとったツワモノである)そして藤本事務所OBの加藤比呂史君の3人。発表者なんと5人。
先ずはゲスト3人のショートレクチャーを行いその後講評に移る。彼らは心理学、歴史の研究室で視覚、色、触覚などの空間把握テーマで論文を書いている。よってコンセプトの部分がとても厚い。しかし残念ながら建築の構築で時間切れとなっている。そんな中アルゼンチンに留学していた香川君が最終的な議論の末最優秀賞。マッピラに行っても修士でやったことを忘れずに。論文に振り回された他の諸君も論文でやったことは必ずや役立つはずである。がんばってください。
長野への車中で三浦展の『郊外はこれからどうなる?』を読み終える。第四山の手論に続き第四下町論が面白い。それによると下町拡張の四段階とは次のようなもの。
① 江戸期―日本橋
② 明治期―浅草
③ 大正昭和初期―玉の井、千住(隅田川の西)
④ 戦後―江戸川、葛飾(荒川の西)
さて東京は江戸以来山の手は東へ、下町は西へ拡張する。しかしその拡張の仕方は少々異なる。西はアメリカ型、東はヨーロッパ型だそうだ。アメリカ型とは中心に低所得層を残し、郊外に富裕層が移り住むタイプ。ヨーロッパ型は城壁に囲まれた都市部に富裕層を残し、城壁の外へ低所得者層を追い出すタイプ。
即ち東京の場合、山の手は拡張しながら中産階級(富裕層とは言い切れないが)が多くそこへ住み、一方下町は拡張しながら低所得者を西へ西へ追い出していったということである。
そこでまた理科大の引っ越しの話。以前所得の最も高い千代田区から最も低い葛飾区へ引っ越すと述べたが、この下町拡張論と併せて考えると合点がいく。すなわち千代田から葛飾への移動とは第一の山の手(というか、日本の中心)から、第四下町への移動なのである。
ところでこの移動はその昔西郊外へ大学が大量移動した時のそれとは少々違う。その昔の西移動は単に都心に拡張の余地が無くなったからだけではなく、郊外二ユータウンが大学を必要としていた。しかるに第四の下町には残念ながらそうしたニーズは無い。この移動が生み出すものは何か???
三浦展『郊外はこれからどうなる―東京住宅地開発秘話』中公新書クラレ2011によると東京は山の手の拡張という視点から四段階に発展した。
① 第一山の手時代(明治半ばまで)本郷周辺が山の手―その西側が郊外
② 第二山の手時代(20年代手前まで)山手線の中が山の手―西側私鉄沿線が郊外
③ 第三山の手時代(60年代半ばまで)私鉄沿線、田園調布、成城、吉祥寺あたりまで山の手―その西側が郊外
④ 第四山の手時代(現在まで)二子玉、たまプラ、新百合、所沢までも山の手
東京の人口増加は地方からの流入による。そしてその流入人口が処理できなくなったこと。また一億総中流化でだれでも山の手に住めるようになったこと(その昔山の手は武士、下町は工商人が住んでいた)で山の手は拡張した。
僕の両親も20年代に青森から駆け落ちしてきた流入組である。そういう人たちは少なくとも第三山の手かその郊外にしか住めない。江古田(第三山の手)に生まれ大泉学園(ぎりぎり第三山の手)に引っ越した。
大泉学園に引っ越したのが小6。文京区の国立大学付属中学校に入り附属小学校から来た生徒がとてもお金持ちに見えた。彼らの多くは学校の近く、即ち第一山の手でうまれ育っていた。そういう親はやはりそこで生まれ育つ。こう言う家の多くは家を買う必要が無い分可処分所得が多いわけである。お金持ちに見えたのではなくお金持ちだったのである。そして今でも第一山の手出身の輩と会えばその羽振りの良さにびっくりしたりする。
僕は江古田に生まれ西に向かって大泉に移り住むものの、結婚して東へ向かい日建そばの早稲田(下町)に賃貸。子供が生まれ、早稲田では手狭だがこの場所では大きなところに住める余裕もなく西に向かって移動。方南町、下高井戸と西へ進む。しかし信大赴任を契機に一念発起東へ向かい第二山の手の四谷に住む。これは僕に限らず現代的な傾向とも思える。都心空洞化とともに住宅供給が都心で増えており、郊外からのリターン組が結構住み始めているのではないだろうか?
水戸から車で30分。水戸市に隣接した茨木町役場に到着。町長さん以下3名にお会いする。茨木町の今後の街づくりについて町長さんの考えを聞く。一言で言えば農業を中心とした新たな町を作りたいと言うことである。茨木県は農業県で日本の農産物の生産高第二位という品目が沢山あるそうだ。
びっくりしたのは長野小布施の栗製品はとても有名だが、あの栗の多くは茨城から送られているとのこと。役場の人が北海道で美味しいジャガイモを食べたらそのジャガイモは茨城産だったとか。笑い話のような本当の話をいろいろ聞かせてもらった。
農業は風景を作るし、茨木町には国立の大病院もあり、特養、老研などの老人福祉施設も沢山あるそうだ。農業と福祉をつないだヘルシータウンを作ることができるのではないだろうか。
先ずはじっくり町を見せてもらうということからスタートしようと決める。年度末はお互い忙しいので5月頃からスタートするとして、今日は町の要所を案内してもらった。ここには涸沼と言う美しい沼(湖)がある。大きさは1平方キロ。皇居より少し小さいくらいである。行って見てびっくり。実に美しい。そしてここは海につながっていることもあり、多くの魚が採れる。今日も白魚を採るおばさん達がいた。寒風吹きすさむ中5センチくらいの大きな白魚が採れていた。
高速の出口のそばなので朝出れば1時間半で着く場所である。ちょっと可能性のある場所ではないだろうか。
なんだかこのところ毎日大学の話題。2月の初旬は大学に籍を置いている人は仕方ない。連日学部や修士のチェック、練習、発表に追いまくられる。
今日は理科大工学部の修士論文、設計の発表会。朝九時に始まり7時過ぎまで。論文も午前中の内はついていけるのだが、午後は段々頭もぼけてくる。そして血糖値も落ちてくる。必死にフォローするのだが構造の解析の話しで数式が出てくるとちょっと降参。そして夕方になり最後に設計。
先日理工(野田)の修士設計を見せてもらったが。彼らは論文なしの純粋設計だが工学部(神楽坂)の設計は論文付き。それなりに論を立ててそれに即して設計をするシステムである。論を立てるか立てないかは一長一短ある。論を立てると言うことは設計もそれなりにある強い提案性と論理性がある。しかし逆にそれに縛られて妙に不自由な設計になるものであるし、建築のリアリティに欠けるところもある。
理工の一番の子はその意味では素敵な使えそうな建築であった。今日見せてもらった修士設計は使えそうもない。とても思惟的である。とても理屈っぽい。でもそれなりに力作だった。僕は悪くないと思う。でも一言言えば、その思惟的な空間をリアルな世界に落とし込んで「建築」しようとしているところに無理がある。もっと原理に終始して建築作らなければもっとよかったと思う。5分の1くらいの模型を作って徹底して空間の原理を主張すすれば良かったのにと思わなくもない。
それは指導した先生の気持ちもあるだろうし、設計者の想いもあったと思う。結果はどっちに転んだほうがいいとは言い切れない。でも力作だった。修士設計として見ごたえもあっと思う。
栃木の現場。今日も寒い。このところ設備の納まりに四苦八苦。設計期間が短かったせいで納まりきっていない。
打合せを中座して夕方大学へ。一部の卒計の採点をする。今日提出し終わったばかりのできたてのほやほや。2時間かけて見て回る。今日採点しているのは僕だけなので落ち着いてゆっくり見られた。
僕の見る基準は2つあって、一つは設計の中に様々な意味で強い意志があるかどうか?二つ目はその意志に基づいて今まで僕らの知らなかったような新たな世界を見せてくれているかどうかである。
そうした視点からすると先ず強い意志が感じられるものがあまり無い。せいぜい両手で数えられるくらいである。それは現状に対する観察眼が弱いということなのだと思う。世界に対する問題意識の欠如である。こうした視点はもしかすると二部の学生の方が高いかもしれない。11月頃に始めて2.5カ月くらいでやるのだから仕方ないとも思うけれど、問題意識は大学に入った時から持っていないと手遅れである。表現したいことの無い人に表現の強い意志を求めること自体無理な話である。
そして次にそこから始まる世界の作り方であるが、これがまた少々寂しい。その辺に転がっている陳腐なボキャブラリーの継ぎはぎである。これもまた2ヶ月半でエスキスの時間が無いと言うのは余り理由にならない。少なくとも3年生くらいからは自分が作りたい世界というものが自分の中に沈殿してくるものである。しないのなら沈殿させる努力が足りないのである。
去年たまたま理科大赴任前に一部学生の展示会を見に来た時フランス人のアーキテクトがいた。彼はその時殆どすべての作品をぼろくそ言っていた。どれもこれも人真似だと言うのが理由であった。去年がそうなら今年はもっとそうかもしれない
とは言えその中にはなかなか魅力的なものもいくつかあった。数少ないががっつりと強い意志と世界が感じられるものに出会えたことは嬉しい限りである。
松原慈さんから著書を頂いた。『ゼロ年代11人のデザイン作法』六曜社2012。真っ黄色な表紙が目に痛いほど。思わず表紙をとって読み始めた。
松原さんはその昔東大で講義した時の最も印象的な学生さんだった。僕の記憶が正しければ高校時代に見たルイスバラガンの写真集が余りに美しくて涙して建築を始めた。大学に入って建築をくまなく見るために東京フォーラムに夜中潜入して一晩過ごした。最終レポートでは読み切れないほどの文章で(内容は忘れたけれど)先生を困らせた。毎回レーポートに対し、70人くらいの筆の立つ文学部の学生に混じり、全然負けない印象的なレポートで僕を楽しませてくれた。
卒業後10年くらいたってとある講評会の場でお互いゲストクリティークで呼ばれてバッタリ再会。「先生!」と呼ばれ、にわかに誰かは思い出せなかった。ゲスト席にいるからなおさらである。最近何しているのですかという質問に「建築はあまりしていません」と言うので「へえー」と思ったのを覚えている。
そしてこの本を頂いた。彼女を含め11人のゼロ年代の若いデザイナーたちが言うことをまとめることなどできないが、彼女の言説はとても真面目に空間について述べている。そしてその空間思考の結果が必ずしも建築である必要はないことが感じられる。いやむしろそれは建築では無い方がいいのかもしれない。
この本の企画者である飯島直樹氏がこの11人を選んだ理由はカテゴライズに困るヒトタチと述べている。「建築あまりしてません」という彼女の言葉は選定基準に合致する。そして彼ら彼女らは建築の仕事が無いから建築をしていませんということではなく、真剣に創作を考えていると重要なのは建築と建築からはみ出る何かと建築と関係ない何かが繋がることなのだと言いたげだ。
先日ザケンチクへの意気込みの重要性を語った舌の根も乾かぬうちにこういうのも少し憚られるが、建築の思考は建築からは生まれないとも思う。だから彼ら彼女らの考えていることはよーーーく分かる。でも大学4年生まではあまりここにのめり込まない方がいいとも思うが、、、、
http://f.hatena.ne.jp/shunshutaro/20120207022237
週末に信大建築学科の卒計、修士設計を見に行く。彼らはオフィシャルな発表会とは別に展覧会+講評会を企画している。テーマは「野生の建築思考」だそうだ。彼らがレヴィ・ストロースを読んでいるとすれば立派なものだ。加えて篠原一男がレヴィ・ストロースを引用し上原の家のコンセプトを練り上げたことを知っていたらたいしたものだ。
まあそれはよしとしてこの会で「野生の思考」をもとにレクチャーをして欲しいと頼まれた。そうは言っても僕の中にレヴィ・ストロース言うところの「野生の思考」が芽生えているわけでもなく無理な話である。しかしパワポを作りながら皆に見せようと考えている現在進行中の3つの建物に共通する性格が野生という言葉で表してもいいようなものかもしれないと思いレクチャのタイトルはそのまま「野生の思考」にしてみようと考えを改めた。
3つの建物に共通していることはなんのことはない。構造をすべてむき出しにしているということである。一つは児童養護施設。木造3棟と鉄骨造1棟の分棟だが屋根は全て構造をむき出しにした。この用途でこの規模で準耐火を逃れるために一棟を鉄骨にした。それによって小屋組はすべて露わにできた。二つ目は小さなギャラリ―これは壁も屋根も連続したツーバイ材を303ピッチで数十本並べ、これも露出。三つ目は住宅で外断熱にして内部のコンクリートを全て露出した。
期せずして、木、鉄、コンクリート全てが露わになっている。構造をむき出しに作るのはちょっと手間のいることだが建築の被服をなるべく取り去って骨を露わにしたいという欲望が強い。その理由は割と明快で建築を簡単に見せたいからである。なるべく隠蔽された場所を作りたくないと思っているからである。フランプトンのテクトニック概念と共通する部分もあるかもしれない。彼はそう言う言い方はしてなかったと思うが建築の仕組みはなるべく簡単な方がよい。
簡単であることが野生的であるとは一概には言えない。むしろレヴィストロースの発想はその逆であろう。しかし実は簡単にできていることが豊饒な現れ方をすると僕は思っている。簡単に作って豊饒に現れること。これを僕の野生的思考La Pensée sauvage と定義し直してみよう。
週末まで飽きなければこれも有効かもしれない。
午後楽しみにしていたジャクソン・ポロック展を近代美術館に見に行く。なかなか充実している。面白かった。http://ofda.jp/column/
夜受験から帰ってきた娘に試験内容を見せてもらった。国語の文章量には驚く。こんなの90分で解く自信はない。
ところで娘が受けた学部の授業料がいくらかかるのか全く気にしていなかった。聞いてみるとそこ(文系)は入学金一律20万。授業料80万。施設費がやはりあるのだろうか?初年度払込金が129万。
授業料80万かあ。理科大2部より30万高い。文系が安いのは実験室とか製図室とかいらないからなのだろうがそれでもこの値段。まあ理科大の施設よりこっちの方がゆったりしているのは事実。また僕は娘が受験した場所で非常勤講師をしているのだが、確かにこの学科は凄い量の非常勤講師を雇って面白そうな授業満載。でもそういう点で言えば理科大も負けてない。そう考えると理科大二部は安い。しつこいようだけれど、建築を学べる私大工学部の初年度納入金額ランキングを旺文社のパスナビサイトから紹介する。
1 東京理科大学 建築学科<第二部> 830,000
2 工学院大学 建築学科<第2部> 867,760
3 第一工業大学 建築デザイン学科 1,060,000
4 武蔵野大学 環境学科 1,148,600
5 明海大学 不動産学科 1,205,300
6 山口福祉文化大学 ライフデザイン学科 1,216,000
7 帝塚山大学 居住空間デザイン学科 1,265,000
8 徳島文理大学 建築デザイン学科 1,270,000
9 長崎総合科学大学 建築学科 1,332,650
10 京都橘大学 都市環境デザイン学科 1,354,000
11 崇城大学 建築学科 1,360,000
12 九州産業大学 住居・インテリア設計学科 1,373,150
13 九州産業大学 建築学科 1,373,150
14 久留米工業大学 建築・設備工学科 1,409,300
15 東京理科大学 建築学科<第一部> 1,415,000
16 福山大学 建築・建設学科 1,415,000
17 西日本工業大学 建築学科 1,418,200
18 関西学院大学 都市政策学科 1,421,000
19 日本文理大学 建築学科 1,423,660
20 愛知産業大学 建築学科 1,430,000
21 日本福祉大学 福祉工学科 1,434,300
22 近畿大学 建築・デザイン学科 1,434,500
23 日本大学 建築学科 1,460,000
24 日本大学 建築工学科 1,460,000
25 日本大学 建築学科 1,480,000
26 日本大学 海洋建築工学科 1,480,000
27 慶應義塾大学 環境情報学科 1,481,350
28 東京理科大学 建築学科 1,485,000
29 名城大学 建築学科 1,490,000
30 ものつくり大学 建設学科 1,500,000
31 福岡大学 建築学科 1,500,710
32 東北芸術工科大学 建築・環境デザイン学科 1,515,660
33 新潟工科大学 建築学科 1,530,000
34 大阪工業大学 建築学科 1,530,000
35 大阪工業大学 空間デザイン学科 1,530,000
36 岡山理科大学 建築学科 1,530,000
37 東海大学 建築学科 1,539,200
38 八戸工業大学 土木建築工学科 1,543,000
39 神奈川大学 建築学科 1,543,300
40 東北学院大学 環境建設工学科 1,550,800
41 北海学園大学 建築学科 1,552,000
42 東京工芸大学 建築学科 1,555,000
43 国士舘大学 理工学科 1,555,940
44 大同大学 建築学科 1,556,300
45 北海道工業大学 建築学科 1,562,300
46 関東学院大学 建築学科 - 建築コース 1,564,660
47 近畿大学 建築学科 1,569,500
48 東洋大学 建築学科 1,570,000
49 東京電機大学 理工学科 - 建築・都市環境学系 1,570,800
50 工学院大学 まちづくり学科 1,571,160
51 工学院大学 建築デザイン学科 1,571,160
52 工学院大学 建築学科 1,571,160
53 金沢工業大学 建築デザイン学科 1,572,700
54 金沢工業大学 建築学科 1,572,700
55 東北工業大学 建築学科 1,577,300
56 文化学園大学 建築・インテリア学科 1,582,850
57 摂南大学 住環境デザイン学科 1,583,800
58 摂南大学 建築学科 1,583,800
59 千葉工業大学 建築都市環境学科 1,584,500
60 足利工業大学 創生工学科 - 建築・社会基盤学系 1,595,000
61 関西大学 建築学科 1,601,000
62 広島国際大学 住環境デザイン学科 1,601,000
63 愛知工業大学 建築学科 1,607,650
64 明星大学 総合理工学科 1,608,600
65 広島工業大学 建築工学科 1,613,000
66 広島工業大学 環境デザイン学科 1,613,000
67 日本工業大学 建築学科 1,617,700
68 日本工業大学 生活環境デザイン学科 1,617,700
69 近畿大学 建築学科 1,621,500
70 東京電機大学 建築学科 1,630,800
71 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 1,650,000
72 東京電機大学 情報環境学科 1,652,300
73 東海大学 建築学科 1,659,200
74 東京都市大学 建築学科 1,660,000
75 中部大学 建築学科 1,673,300
76 立命館大学 建築都市デザイン学科 1,681,000
77 芝浦工業大学 建築学科 1,696,230
78 芝浦工業大学 建築工学科 1,696,230
79 芝浦工業大学 環境システム学科 1,698,580
80 東北文化学園大学 人間環境デザイン学科 1,700,000
81 慶應義塾大学 システムデザイン工学科 1,723,350
82 法政大学 建築学科 1,735,000
83 早稲田大学 建築学科 1,766,000
84 武庫川女子大学[女子大] 建築学科 1,777,700
85 明治大学 建築学科 1,785,500
86 武蔵野美術大学 建築学科 1,904,500
87 多摩美術大学 環境デザイン学科 2,019,000
(旺文社パスナビサイトの情報)
青木保の『「文化力」の時代―21世紀のアジアと日本』岩波書店2011では東アジア共同体の構想を語る上で、各国の文化力について描かれる。その中で中国上海の話となり、上海にある3つの国立大学、復旦大学、上海交通大学、同済大学、そして公立の上海大学が登場する。教育レベルの話しになるかと思いきや、どこの食堂が美味いかという話。曰く「大学は単なる知識の教伝と研究の場であっては意味が無い」。食も文化の基礎的要素だと言うわけだ。そして同済大学の料理は最高であるという。彼は美味い食堂を持つことが大学の基礎条件とさえ言う。
なるほどねえ。国際的に見たらそうなのかもなあ。アメリカの話をすれば(20年前の話しだから今は知らないが)残念ながらそこにはジャンクフードが多かった。でもハンバーガーだってしっかりとした肉で日本の生協の揚げものよりは絶対美味いと思った。加えて空間が全然違った。当時の養鶏場のような東工大の学食に比べたらUCLAのそれは雲泥の差。名前は忘れたがカフェテリアは当時のロサンゼルスの若手建築家の代表作だった。ウッドデッキのテラスにはリスが普通にやってきて心から落ち着ける場所だった。
今の理科大の学食はちょっとひどい。そもそもがオフィスビルだから限界があるが照明くらい工夫した方がいい。学生が可哀そうである。こんなところで飯食わせておいて素敵な建築デザインしろって言うのも無理がある。大学は勉強するところだけれど衣食住のレベルを上げなければトータルの文化としてはさもしいものになる。外国からお客さんが来た時恥ずかしい。
本日理科大工学部二部の社会人選抜試験をした。最終学歴も、現在の状況も様々な受験生である。高卒、大卒、20台から60台まで。有職、無職。大学も理系、文系両方ある。有職の方の職場も建築関係から誰もが知っている有名企業、そして役所まで。建築関係で働いている人の中には既に一級建築士の資格を持っている人もいれば、建設会社の社長までいる。
彼らが建築を勉強したい理由は様々であるが、理科大二部を希望する理由は概ね一つ。安くていい教育を働きながら受けられるということである。確かにそう思ってちょっとネットを検索すると旺文社のパスナビというページがあり、大学を学費で探すというボタンと建築学、私立をクリックすると下の表が出てくる。なるほど理科大二部は87大学中一番安い。因みに理科大一部が15位、理工は28位である。この額は初年度払い込み金であるから4年間のトータル費用はこの額+この額から入学金を引いて3倍して足せば算出できると思う(詳しくは下記ページを参照くださいhttp://passnavi.evidus.com/search_univ/gakuhi#000000000000-00100--0-16-l-10/33
)
国は私立大学の教育を人任せにせずもっと手厚く面倒をみるべきだと以前ブログに書いた。今でもその気持ちは変わらない。とにかく見ての通り私立の学費は高い。そんな中で初年度817,800円の国立とほとんど変わらぬ学費は驚異的でもある。受験生に指摘されるまでもなくこの学費は大いなる魅力。加えて一度社会に出て再度学ぶところには知的な展開の可能性は極めて高い。デザインに限って言えば文系を納めてから建築を学ぶ諸外国的な知にやっと追い付けるのではと期待する。
1 東京理科大学 建築学科<第二部> 830,000
2 工学院大学 建築学科<第2部> 867,760
3 第一工業大学 建築デザイン学科 1,060,000
4 武蔵野大学 環境学科 1,148,600
5 明海大学 不動産学科 1,205,300
6 山口福祉文化大学 ライフデザイン学科 1,216,000
7 帝塚山大学 居住空間デザイン学科 1,265,000
8 徳島文理大学 建築デザイン学科 1,270,000
9 長崎総合科学大学 建築学科 1,332,650
10 京都橘大学 都市環境デザイン学科 1,354,000
11 崇城大学 建築学科 1,360,000
12 九州産業大学 住居・インテリア設計学科 1,373,150
13 九州産業大学 建築学科 1,373,150
14 久留米工業大学 建築・設備工学科 1,409,300
15 東京理科大学 建築学科<第一部> 1,415,000
16 福山大学 建築・建設学科 1,415,000
17 西日本工業大学 建築学科 1,418,200
18 関西学院大学 都市政策学科 1,421,000
19 日本文理大学 建築学科 1,423,660
20 愛知産業大学 建築学科 1,430,000
21 日本福祉大学 福祉工学科 1,434,300
22 近畿大学 建築・デザイン学科 1,434,500
23 日本大学 建築学科 1,460,000
24 日本大学 建築工学科 1,460,000
25 日本大学 建築学科 1,480,000
26 日本大学 海洋建築工学科 1,480,000
27 慶應義塾大学 環境情報学科 1,481,350
28 東京理科大学 建築学科 1,485,000
29 名城大学 建築学科 1,490,000
30 ものつくり大学 建設学科 1,500,000
31 福岡大学 建築学科 1,500,710
32 東北芸術工科大学 建築・環境デザイン学科 1,515,660
33 新潟工科大学 建築学科 1,530,000
34 大阪工業大学 建築学科 1,530,000
35 大阪工業大学 空間デザイン学科 1,530,000
36 岡山理科大学 建築学科 1,530,000
37 東海大学 建築学科 1,539,200
38 八戸工業大学 土木建築工学科 1,543,000
39 神奈川大学 建築学科 1,543,300
40 東北学院大学 環境建設工学科 1,550,800
41 北海学園大学 建築学科 1,552,000
42 東京工芸大学 建築学科 1,555,000
43 国士舘大学 理工学科 1,555,940
44 大同大学 建築学科 1,556,300
45 北海道工業大学 建築学科 1,562,300
46 関東学院大学 建築学科 - 建築コース 1,564,660
47 近畿大学 建築学科 1,569,500
48 東洋大学 建築学科 1,570,000
49 東京電機大学 理工学科 - 建築・都市環境学系 1,570,800
50 工学院大学 まちづくり学科 1,571,160
51 工学院大学 建築デザイン学科 1,571,160
52 工学院大学 建築学科 1,571,160
53 金沢工業大学 建築デザイン学科 1,572,700
54 金沢工業大学 建築学科 1,572,700
55 東北工業大学 建築学科 1,577,300
56 文化学園大学 建築・インテリア学科 1,582,850
57 摂南大学 住環境デザイン学科 1,583,800
58 摂南大学 建築学科 1,583,800
59 千葉工業大学 建築都市環境学科 1,584,500
60 足利工業大学 創生工学科 - 建築・社会基盤学系 1,595,000
61 関西大学 建築学科 1,601,000
62 広島国際大学 住環境デザイン学科 1,601,000
63 愛知工業大学 建築学科 1,607,650
64 明星大学 総合理工学科 1,608,600
65 広島工業大学 建築工学科 1,613,000
66 広島工業大学 環境デザイン学科 1,613,000
67 日本工業大学 建築学科 1,617,700
68 日本工業大学 生活環境デザイン学科 1,617,700
69 近畿大学 建築学科 1,621,500
70 東京電機大学 建築学科 1,630,800
71 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 1,650,000
72 東京電機大学 情報環境学科 1,652,300
73 東海大学 建築学科 1,659,200
74 東京都市大学 建築学科 1,660,000
75 中部大学 建築学科 1,673,300
76 立命館大学 建築都市デザイン学科 1,681,000
77 芝浦工業大学 建築学科 1,696,230
78 芝浦工業大学 建築工学科 1,696,230
79 芝浦工業大学 環境システム学科 1,698,580
80 東北文化学園大学 人間環境デザイン学科 1,700,000
81 慶應義塾大学 システムデザイン工学科 1,723,350
82 法政大学 建築学科 1,735,000
83 早稲田大学 建築学科 1,766,000
84 武庫川女子大学[女子大] 建築学科 1,777,700
85 明治大学 建築学科 1,785,500
86 武蔵野美術大学 建築学科 1,904,500
87 多摩美術大学 環境デザイン学科 2,019,000
一昨日の理科大の修士設計見ても思ったけれど多くの設計は建築を作ると言うよりは街並みだったり、増築だったり、ランドスケープだったり、ザ・ケンチクを上手に回避している。特に震災以降は世の中その傾向に拍車がかかっているかもしれない。今時建築を正攻法で作るなんてナンセンスなのである。
でもそれは日本にいて日本の状況で考えるからかもしれない。一昨日一番に選ばれた学生は唯一ザ・ケンチクを作っていた。図書館である。まるで学部の課題そのもの。しかし敷地がリオ・デジャネイロ。実におおらかで素敵な建築だった。
昨日僕は事務所にオープンデスクで来ていた早稲田の4年生と一緒に食事をした。卒制で何を作ったの?と聞いたらアアルト風のデザインをピアノのエンジニアリングで作ったと言う。モノはスポーツメディアセンター。これも内容を聞くと実にザ・ケンチクである。その上アアルトとレンゾ・ピアノである。取り組み方もリファレンスしているものも僕らの時代みたいである。時間が30年くらいフラッシュバックした。全然今っぽくない。
彼に君は早稲田の平均?と聞いたらやはり早稲田でも建築作らない傾向が強いと言う。でもそういう風潮には反対だと言っていた。
彼は僕の甥っ子がお手伝いしていた先輩にあたるが。僕の甥っ子も好きな本がパターンランゲージだったり、話していると全く今っぽくない。
時流に流されないことは素晴らしい。ただ逆らえばいいというものではないが自分なりの信念を持って最後までやることが重要である。理科大一位の子が一位になったのは信念と最後までやりとおしたことを誰もが認めたからである。日本は右向け右の文化。特に建築の学生に顕著である。ザ・ケンチクにまともに向かう学生がもっといてもいいと思う。
午前中事務所。午後理科大の理工(野田)へ。修士設計講評会。常勤の先生(初見さん、川向さん、岩岡さん、安原さん、伊藤さん)に加えゲストに小嶋さん、宮本さん、駒田さん、山城さん、近藤さん、青木さん、そして僕。
発表者は全部で17名。1時から始まり1人15分。終わったのは6時。それからセッティングを変えて第一次投票。票の入らない人についても議論し学生にもコメントをさせ、第二次投票。ここでも1人ずつ議論し、第三次投票。ここまでくるとかなり絞られるが、ここでも先生方の応援演説。そして最終投票で1、2、3位を決める。この間講評者にはライトミールとドリンクが配られる。なんと優雅な講評会か。こうなると腹減ったとか飲み行きたいというような邪念もなくなり徹底した議論となる。学生の講評をしているうちに評者どうしのイデオロギーの違いも鮮明になりそこでの議論も起こる。
これほど質の高い講評会もそうはない。小嶋さんの作り上げた仕組みを助教たちが見事に受け継いでいる。設計のレベルもかなり高く面白かった。
修士の講評会はいずれ工学部と合同でコンペティティブに競うものにしたいものだ。加えてこの自由な雰囲気を工学部にも移植したい。
とても参考になる講評会だった。お呼びいただいたことに感謝。くわえて今日発表した学生達が設計者として育っていくことを願って止まない。
昼から野木の現場。この建物の依頼を受けたのが去年の1月。設計を終えたのが去年の5月。用途は児童養護施設。昨今のこの手の施設は小さなファミリー(6人が基本単位)をワンユニットとして構成するのが普通。ここでも収容人数を6つに分け二つのユニットを1棟にいれる計画。子供が入る棟は3棟。それに管理棟の4棟で構成されている。延べ床1000㎡ちょっとなのに建物は4棟。そこに設備インフラが這いまわる。納まりはとにかく厳しい。ダクトがあっちゃこっちゃで交錯しているのを現場でほぐしている。このところデザインよりダクトのことばかり考えている。頭痛い。
現場が始まり予想以上に地下水位が高いことが分かる。地下倉庫を作っているので地下防水には念には念を入れてシートでぐるっとくるむことにした。今日の現場は捨てコンの上に防水シートが敷き終わったところ。コンクリートにもベストンを混和する予定。その内側にもスタイロの防水板を入れる。それでも心配なので地下に置いていた設備関係の機械や盤を地上にあげる設計変更中。この現場には2週に一度来る予定にしていたが設備が納まらないことには心配で、当分週一。
親父+兄家族の家の図面説明を行う。朝から夕方まで3社。この建物はかなり複雑なので一社に2時間近くかかる。同じことを3回話していると図面の間違いに気付く。ある意味この時が図面の最終確認でもある(本当はそれではいけないのだが)。工務店側は図面がよく描けいているので間違いなく見積もれますと言う。間違いなく拾われるととても高くなりそうで怖いのだが、、、、
その昔図面は描き過ぎるなと言われることもあった。堂々と大きな図で難しいディテール描くと見積もり者の安全係数のようなものが無造作に掛けられてどんどん高くなると言うわけである。その代りに見落としそうな大きさで上手く紛れ込ませ、現場でいろいろ考えれば安い方法も見つかると言われた。
これも先輩に聞いた話だが村野藤吾の実施図面は縦線と横線が交わらないという。2Hくらいの細いか弱い線で描かれ、線の最後のあたりは定規が外されてフリーハンドで曲線となって消滅しているというのだ。交わってないのだからそのあたりがどうなっているか分からない。見積もり者は推測で見積もるのだが、現場で巨匠のとんでもないカーブのスケッチがでるそうだ。もちろん見積もりを遥かに超えた工事となるのだが施工者は泣く泣くやると聞いた。
図面と言うのは見積もり図書であり施工図書ではあり契約図書である。けれど実寸で描かれているわけでは無いから、そりゃそこに描ききれないことが沢山ある。それでもその図書で見積もって建物を作るのだから、その描ききれない部分は施工者と設計者の阿吽の呼吸で埋めていくしかない。そう考えるとこの契約図書はなんとも曖昧なものである。よく建築の契約はひどく曖昧であるとクライアンとに言われる。工事契約約款の内容を言う人もいれば、機械工学を学んだこの建物のクライアント(兄)のように図面の精度が低いと驚く人もいる。そりゃ機械製図の縮尺と建築図の縮尺は当たり前だが比較にならない。
まあこういうわけなので建築業界というものは何時まで経っても曖昧である。しかし建築ってある程度そんなものである。住宅が機械になることはない。
先輩がフェイスブックで渡辺靖『文化と外交―パブリック・ディプロマシーの時代』中公新書2011を勧めていたので読み始めた。渡辺靖はどこかで聞いたことがある人だと思って経歴を見るとサントリー学芸賞を受賞した『アフターアメリカ』の著者だった。並行して幕末の話を読んでいるのでパワーポリティクスとカルチャラルポリティクスの差が時代を象徴しているようで興味深い。
話の内容は現代の世界外交は必ずしも外務省が外交ルートを通して行うものばかりではなく様々な文化の位相の中で様々立場の人によって行われるという話である。もちろんその流れを大きくバックアップするのは国であり、そう考えるとやっぱり国の外交政策の一環であるとも言える。
しかしこの手の話は生意気なようだし偉そうだがどうもすっと腑に落ちるモノでは無い。文化が外交手段に利用されることへの抵抗である。この本の中でも紹介されるフルブライト奨学金を創設したフルブライトも同様の感覚を持っていたようだ。彼の1961年の上院での演説は心に染みる。演説の主旨は留学生を通した文化交流事業は闘いの武器に代わるものでもないしプロパガンダでもない。教育交流を通じてお互いが同じ人間であり、喜びや、悲しみ、残酷さや優しさを持った同じ人間であることが感じ取るためのものである。
文化は外交の道具では無く人々の共有できる価値の集合体でありそれ以上でもそれ以下でもない。
先日とある人から櫻田大造『大学教員採用・人事のカラクリ』中公クラレ2011という本をもらった。書いてある内容は概ね僕の知る範囲のことで「カラクリ」というほどのこともないのだが、もちろん学外からは見えないことであり、その意味ではカラクリである。
大学の教員は小中高と違って資格はいらないとよく言われるが、実は法律で一応規定がある。教授の場合は大学設置基準法第十四条に記されている。そこには5つの規定がありそのいずれかに該当すべしとある。5つの規定は下記の通り。
① 博士の学位
② それに準ずる業績
③ 既に他の大学で教授、准教授、講師の経歴がある
④ 芸術、体育の場合はその秀でた能力
⑤ 専攻分野の特に優れた知識、経験。
法律ではこのいずれかとなっているが、このいずれかで教授になるというのはまあ聞いたことは無い(と言っても知っているのは工学部の範囲だけれど)。ほぼ全部を兼ね備えて尚且つ人間性が問われる。
著者は大学教員を目指して人生設計をするのは殆どギャンブルであると書いてある。僕のように人生半ばで半ば偶然この道に入りこんだものにはこのギャンブル性を身にしみて分かることはなかったのだが、周囲を見ているとなんとなく分かる。しかしギャンブルとはいえどもそういう道を歩む人が0になっては困るわけで、今頑張っている人は是非諦めずに持続して欲しいものである
娘が四谷の大学へ受験に行った。学科は新聞学科。英語、国語、社会、小論文。僕は午後森美術館にLEE・BULの展覧会に行ったhttp://ofda.jp/column/。会場で偶然SETENV入江君にお会いする。
帰宅後ジグムンド・バウマン(Bauman, Z)伊藤茂訳『コラテラル・ダメージ―グローバル時代の巻き添え被害者』青土社(2011)2011を読む。コラテラルとはタイトルに沿って言えば巻き添えという意味である。一言で言えばグローバル化が拍車をかけている格差は天災が起こった時に災害分布に影響を与える。言うまでもなく貧しいものの被害を大にして富める者の被害を小にする。
例えばハリケーンカトリーヌが来た時に富めるものは速報が入った瞬間に保険がかけられた家財に何の未練もなく飛行機で逃げた。貧しいものは自家用車に家族全員で乗って逃げるものの食べるものもなく泊まるところもなくそのうちガソリンもなくハリケーンに追いつかれる。仮に生き残っても既に我が家は無いわけである。
バウマンの相手にする貧とは日本では想像できないような最低線なのだが、日本でも天災の分布を所得にクロス集計すると貧に大、富に小と出るような気がしてならない。これまではまだしも。これからは?3年で70%という数字が出た現在、富める者は必ずや免振構造のマンションに引っ越すか、外国行くか、耐震補強するか考えるだろう。一方生きることに精いっぱいの人々にそんな余裕はない。おそらく東日本クラスが来たら崩壊する木造密集地帯は分かっているのだけれど、経済弱者にそれらを補強する余裕はない。若きワーキングプアたちは漫画カフェを渡り歩き、違法建物の中で生き埋めになる可能性だって高いのである。
研究室という大学内のシステムは日本独特のもの。その昔東工大でスチュワート先生の下で卒論書いて(英語で)表紙にStewart laboratory と書いたらStewart kenkyushitsuと書き直された。諸外国にはこういう学生の居場所は無いようだ。僕の留学先にも無かったし一昨年行ったブエノスアイレス大学にも無かった。
確かに考えて見れば卒論やるにも卒計やるにもゼミ室と工房(製図室)と図書館と実験室があれば事足りる。UCLAにも大きな木工場とどでかい製図室はあったし教授室もあったがそれに附属する研究室なる不思議な部屋な無かった。
一体この部屋の効用は何かと言うとおそらく儒教的な先輩後輩、師弟の上下関係を叩きこむ場所なのである。それが証拠に欧米の大学には先輩後輩なる人間関係は殆どない。私の留学先にも無かった。お互い歳がいくつかも知らず話していた。ただ社会人大学院に入った若い僕は5つ以上年上(に見える)のクラスメートとは人間的にも能力的にも差があったのでそれに対するリスペクトはあったように思う。
繰り返すが日本の研究室は厳しい上下関係のもと軍隊の如く助手がいて、院生がいて、学部生がいるという階級制度が確立し先輩の言うことは絶対なのである。しかるに、わが研究室は初年度で学部生しかおらず先生も助手もリベラルな上に彼ら二人は学生からの何のリスペクトも受けていないのでまったくもって無秩序状態に陥っている。時あたかも卒計提出まじかということもありその無政府状態に拍車がかかっている。来年度は院生も登場し厳しい規律と管理のもとに研究室が美しく保たれることを祈るのみである。
岩波新書からシリーズ日本近現代史というのが出ている。全十巻だが以前第九巻の吉見俊哉『ポスト戦後社会』を読んだ。とても面白かったのだが幕末から始まるこのシリーズを最初から読む興味は無かった。
最近例の『中国化する日本』を読んで明治維新を中国化と捉える視点にたいそう興味が湧いた。そしてその中国化した日本は何度か再江戸化すると言うのも面白い。このシリーズの最後のまとめである第十巻岩波新書編集部編『日本の近現代史をどう見るか』岩波新書2010を読んでみる。そうすると実は『中国化する日本』と同じことが静かに書かれているのに気付く。
曰く、明治初期は政府と民権派の2極構造では無く、この他に自由競争に乗る気の無い民衆なるものがいた。つまり明治は2極構造ではなく3極だったと言う。こんなことは高校の教科書ではあまり注目されていなかった。それが明治を再江戸化する力へつながるわけだ。今でいえば新自由主義の自己責任を回避したい人々がもっと福祉をもっと保障をと訴えるのに似ている。
やはり日本人は江戸から脱却できないのか?
でもそんな必要があるのか?
あるいは江戸に代わる未だ試したことの無い新しいシステムがあるのか?
どう問うのがこれからの社会を豊かにするのだろうか?
今日は午前中電話をかける用事が多い。現場に行くまでに終わらず、行く道すがら、着いてからかけ続ける。2時からの打合せ終わると夕方。日の落ちるのが早くて現場は真っ暗。今日は見るのを諦めようと思ったら照明をつけてくれて根切り底の捨てコンを見る。この辺りは寒い東京より更に寒い。朝は-8度くらいになると言う。まるで長野。事務所に戻り明日出す確認図をさらりと見る。
明日はW大学の学生がインターンシップに来る。4年生の卒業間際にインターンシップ単位が学外でなければいけないと言われたとか(例年はコンペ提出でもいいのですがと泣いていた)。67時間が規定ということで実質一週間あれば終わるのだろうが、それにしてもこの単位のシラバスはどうなっているのだろうか?この大学の違う学部で非常勤やっているがやたらとシラバスの書き方が厳しい。しかも毎年厳しさを増し書き換えさせられる。今朝もその件で事務とやりとしていた。学部が違うからと言ってシラバスの書き方の厳しさが違うとも思えない。であればこの単位も学外でしなければいけないのか学内でいいのかは当然書いてあると思うのだが?????
朝食後、宿であるよろづやを散策。改装増築した設計者は宮本忠長さん。増築部であるエントランスロビーは2層吹き抜け。開口部はすべて障子がはまり柔らかな光が入る。ホテルオオクラを彷彿とさせる。しかし随所に打ち放し部分が現れるところが宮本流。RCの梁型の間を木の天井が覆い、梁ぎわが繊細な木の格子で作られその中に照明がしこまれている。木とRCのバランスが絶妙。宮本さんの傑作と言って間違いない。
その後車で小布施の古い蔵を改築したワイナリ―、これからコンヴァージョンできそうな蚕室を見学とても美しいエレベーション。登録有形文化財に申請すれば?と川向先生に言うとつい最近そうなったとのこと。小布施にはかなりの資源が眠っていそうである。最近おつきあい始めたカナダの大学の先生とこの辺りを回ってみるのも面白い。
昼の新幹線で東京へ戻る。1部2部の研究室配属ガイダンス。3年生相手に各先生が10分ずつ自分の研究室の紹介をする。去年は何も分からず映像も無くただ話したので今年はパワポを作って話す。10分のところを20分も話してしまう。すいませんでした。