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野生の建築思考

http://f.hatena.ne.jp/shunshutaro/20120207022237

週末に信大建築学科の卒計、修士設計を見に行く。彼らはオフィシャルな発表会とは別に展覧会+講評会を企画している。テーマは「野生の建築思考」だそうだ。彼らがレヴィ・ストロースを読んでいるとすれば立派なものだ。加えて篠原一男がレヴィ・ストロースを引用し上原の家のコンセプトを練り上げたことを知っていたらたいしたものだ。
まあそれはよしとしてこの会で「野生の思考」をもとにレクチャーをして欲しいと頼まれた。そうは言っても僕の中にレヴィ・ストロース言うところの「野生の思考」が芽生えているわけでもなく無理な話である。しかしパワポを作りながら皆に見せようと考えている現在進行中の3つの建物に共通する性格が野生という言葉で表してもいいようなものかもしれないと思いレクチャのタイトルはそのまま「野生の思考」にしてみようと考えを改めた。
3つの建物に共通していることはなんのことはない。構造をすべてむき出しにしているということである。一つは児童養護施設。木造3棟と鉄骨造1棟の分棟だが屋根は全て構造をむき出しにした。この用途でこの規模で準耐火を逃れるために一棟を鉄骨にした。それによって小屋組はすべて露わにできた。二つ目は小さなギャラリ―これは壁も屋根も連続したツーバイ材を303ピッチで数十本並べ、これも露出。三つ目は住宅で外断熱にして内部のコンクリートを全て露出した。
期せずして、木、鉄、コンクリート全てが露わになっている。構造をむき出しに作るのはちょっと手間のいることだが建築の被服をなるべく取り去って骨を露わにしたいという欲望が強い。その理由は割と明快で建築を簡単に見せたいからである。なるべく隠蔽された場所を作りたくないと思っているからである。フランプトンのテクトニック概念と共通する部分もあるかもしれない。彼はそう言う言い方はしてなかったと思うが建築の仕組みはなるべく簡単な方がよい。
簡単であることが野生的であるとは一概には言えない。むしろレヴィストロースの発想はその逆であろう。しかし実は簡単にできていることが豊饒な現れ方をすると僕は思っている。簡単に作って豊饒に現れること。これを僕の野生的思考La Pensée sauvage と定義し直してみよう。
週末まで飽きなければこれも有効かもしれない。

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