ザ・ケンチク
一昨日の理科大の修士設計見ても思ったけれど多くの設計は建築を作ると言うよりは街並みだったり、増築だったり、ランドスケープだったり、ザ・ケンチクを上手に回避している。特に震災以降は世の中その傾向に拍車がかかっているかもしれない。今時建築を正攻法で作るなんてナンセンスなのである。
でもそれは日本にいて日本の状況で考えるからかもしれない。一昨日一番に選ばれた学生は唯一ザ・ケンチクを作っていた。図書館である。まるで学部の課題そのもの。しかし敷地がリオ・デジャネイロ。実におおらかで素敵な建築だった。
昨日僕は事務所にオープンデスクで来ていた早稲田の4年生と一緒に食事をした。卒制で何を作ったの?と聞いたらアアルト風のデザインをピアノのエンジニアリングで作ったと言う。モノはスポーツメディアセンター。これも内容を聞くと実にザ・ケンチクである。その上アアルトとレンゾ・ピアノである。取り組み方もリファレンスしているものも僕らの時代みたいである。時間が30年くらいフラッシュバックした。全然今っぽくない。
彼に君は早稲田の平均?と聞いたらやはり早稲田でも建築作らない傾向が強いと言う。でもそういう風潮には反対だと言っていた。
彼は僕の甥っ子がお手伝いしていた先輩にあたるが。僕の甥っ子も好きな本がパターンランゲージだったり、話していると全く今っぽくない。
時流に流されないことは素晴らしい。ただ逆らえばいいというものではないが自分なりの信念を持って最後までやることが重要である。理科大一位の子が一位になったのは信念と最後までやりとおしたことを誰もが認めたからである。日本は右向け右の文化。特に建築の学生に顕著である。ザ・ケンチクにまともに向かう学生がもっといてもいいと思う。