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住宅が機械になることはない

親父+兄家族の家の図面説明を行う。朝から夕方まで3社。この建物はかなり複雑なので一社に2時間近くかかる。同じことを3回話していると図面の間違いに気付く。ある意味この時が図面の最終確認でもある(本当はそれではいけないのだが)。工務店側は図面がよく描けいているので間違いなく見積もれますと言う。間違いなく拾われるととても高くなりそうで怖いのだが、、、、
その昔図面は描き過ぎるなと言われることもあった。堂々と大きな図で難しいディテール描くと見積もり者の安全係数のようなものが無造作に掛けられてどんどん高くなると言うわけである。その代りに見落としそうな大きさで上手く紛れ込ませ、現場でいろいろ考えれば安い方法も見つかると言われた。
これも先輩に聞いた話だが村野藤吾の実施図面は縦線と横線が交わらないという。2Hくらいの細いか弱い線で描かれ、線の最後のあたりは定規が外されてフリーハンドで曲線となって消滅しているというのだ。交わってないのだからそのあたりがどうなっているか分からない。見積もり者は推測で見積もるのだが、現場で巨匠のとんでもないカーブのスケッチがでるそうだ。もちろん見積もりを遥かに超えた工事となるのだが施工者は泣く泣くやると聞いた。
図面と言うのは見積もり図書であり施工図書ではあり契約図書である。けれど実寸で描かれているわけでは無いから、そりゃそこに描ききれないことが沢山ある。それでもその図書で見積もって建物を作るのだから、その描ききれない部分は施工者と設計者の阿吽の呼吸で埋めていくしかない。そう考えるとこの契約図書はなんとも曖昧なものである。よく建築の契約はひどく曖昧であるとクライアンとに言われる。工事契約約款の内容を言う人もいれば、機械工学を学んだこの建物のクライアント(兄)のように図面の精度が低いと驚く人もいる。そりゃ機械製図の縮尺と建築図の縮尺は当たり前だが比較にならない。
まあこういうわけなので建築業界というものは何時まで経っても曖昧である。しかし建築ってある程度そんなものである。住宅が機械になることはない。

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