できたての卒制に悲喜こもごも
栃木の現場。今日も寒い。このところ設備の納まりに四苦八苦。設計期間が短かったせいで納まりきっていない。
打合せを中座して夕方大学へ。一部の卒計の採点をする。今日提出し終わったばかりのできたてのほやほや。2時間かけて見て回る。今日採点しているのは僕だけなので落ち着いてゆっくり見られた。
僕の見る基準は2つあって、一つは設計の中に様々な意味で強い意志があるかどうか?二つ目はその意志に基づいて今まで僕らの知らなかったような新たな世界を見せてくれているかどうかである。
そうした視点からすると先ず強い意志が感じられるものがあまり無い。せいぜい両手で数えられるくらいである。それは現状に対する観察眼が弱いということなのだと思う。世界に対する問題意識の欠如である。こうした視点はもしかすると二部の学生の方が高いかもしれない。11月頃に始めて2.5カ月くらいでやるのだから仕方ないとも思うけれど、問題意識は大学に入った時から持っていないと手遅れである。表現したいことの無い人に表現の強い意志を求めること自体無理な話である。
そして次にそこから始まる世界の作り方であるが、これがまた少々寂しい。その辺に転がっている陳腐なボキャブラリーの継ぎはぎである。これもまた2ヶ月半でエスキスの時間が無いと言うのは余り理由にならない。少なくとも3年生くらいからは自分が作りたい世界というものが自分の中に沈殿してくるものである。しないのなら沈殿させる努力が足りないのである。
去年たまたま理科大赴任前に一部学生の展示会を見に来た時フランス人のアーキテクトがいた。彼はその時殆どすべての作品をぼろくそ言っていた。どれもこれも人真似だと言うのが理由であった。去年がそうなら今年はもっとそうかもしれない
とは言えその中にはなかなか魅力的なものもいくつかあった。数少ないががっつりと強い意志と世界が感じられるものに出会えたことは嬉しい限りである。