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September 30, 2010

展覧会パネル

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事務所で打ち合わせしてから大学へ。車中『逸脱する病院ビジネス』を読む。第三章「コトリバス」を読む。コトリバスとは「小鳥バス」ではなく「乞とりバス」のことだそうだ。と言われても未だなんのことだか分からない。それは(生活保護を受けている)ホームレス(乞食)をバスに乗せて病院に連れてきて不要な治療をし保健医療でお金を儲けことなのだそうだ。そんな生活保護の乞食を確保するのに裏の世界の輩もからんでいるという。医療とやくざが繋がっているという驚きの話。
夜大学で八潮の打ち合わせ、ワークショップの打ち合わせ、後期ゼミの日程打ち合わせ、コンペの打ち合わせ、そして雑用。事務所から展覧会に送る写真パネル化と郵送費用の見積もりが届く。郵送料が高い。別の輸送機関を調べるように指示。
11時過ぎた。お腹すいたけれど食べるものが無いんだよこの辺りには。

秋雨の合間の晴天

秋雨の合間の晴天。気持ちが良くて暗いうちに目が覚めた。下村健一『マスコミは何を伝えないか』岩波書店2010を読んでいたら再び眠る。午前中事務所でコンペスケッチ。スキャンして研究室へメール。午後international architecture awardの展覧会パネルデーターづくり。プロの写真が無いので自分で撮ったものから選ぶ。色が悪いのでグレースケールにしてごまかす。外注してゲーターボードという固いパネルにマウントしてもらう。今月中にはマドリッドへ送りたい。夜は賞のお祝いをしていただけるということで麻布へ。九州のHさんMさん、始めてお会いするYさん。御無沙汰していたSさん。飛び入り参加のYさん。そして幹事をしてくれたKさんありがとうございます。散弾銃のように話が飛び交うエキサイティングな会でした。

September 28, 2010

心温まる場所

コンペの審査委員長の著作を読んでおこうと思って届いた本を開ける。細谷亮太『小児病棟の四季』岩波現代文庫2002。東北大学出て管理されるのが厭で大学に残らず病院を渡り歩き聖路加の副院長。文才もありきっと素晴らしい人なのだろう。その人となりは文章から伺える。体育会的体質が厭で外科に進まず、小児科医になったというのもいいねえ。白い巨塔をかすめて生きてきた人なのだと思う。患者との心温まるお話が50編くらい。どれもこれも涙涙、事務所で読むのははばかられる。これを読んだからってコンペの足しには正直ならないのだが、人の生があちらの世界に行く場所だと思うといろいろと考えさせられる。月並みだけれど心温まる場所にしたいなあという気持ちが強く沸く。今まで建築作るときに心温まる場所なんて想像したことも無かったからその意味ではこの本の影響力は大きいということかもしれない。

September 27, 2010

悪徳医療とボランティア医療

NHK取材班編『逸脱する病院ビジネス』㈱宝島2010を読んで驚き。生活保護を受けている浮浪者を積極的に受け入れて必要もない手術をすることで生活保護から自動的に支払われる医療費を受け取る悪徳医師がいるという話。もはや保健医療では成立しない小児ホスピスをボランティア的に作り上げようとする人たちがいる一方、保健医療を悪用する輩もいるわけである。
福祉的施設(医療もそうだと思うのだけれど)、言い換えれば国の再配分によって補助される施設は必ずやこういう悪が巣食うのである。老人施設も、児童の施設も必ずこうした輩がいるものだ。

September 26, 2010

葬式は遺族のためにある

柏木 哲夫『生と死を支える―ホスピス・ケアの実践』1987朝日選書をバルコニーでコーヒー飲みながら読んで自分の葬式の事を考えた。葬式は死ぬ人間の問題ではなく遺族の問題。だから「僕は粉にして海に捲いてほしいけれど、きちんと葬式して墓に埋めたければどうぞそうしてください。お任せします」と言ったらかみさんもそりゃ正しい。自分のも僕に任せると言ってきた。続いて松本 啓俊 、 竹宮 健司『 ホスピス・緩和ケアのための環境デザイン』鹿島出版会2010を読む。わー学会の論文みたい。こういう本苦手だなあ。これで4000円近いってちょっと辛い。データーの羅列。でも小児ホスピスも含めて一般常識がついただろうか?夕方ジムに行ってシャドーボクシングをやってひと汗流し六本木へ。センシングネーチャー展を見るhttp://ofda.jp/column/。吉岡徳仁、篠田太郎、栗林隆。スカッとする作品だけれどこういうのってできそうだなあって思った。ヒルズの蜘蛛で娘とおちあい飯食ってロビーでかみさんと待ち会わせレートショーを見る。

September 25, 2010

ロニ・ホーンのドローイング

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おとといの寝不足がたたったか?寝坊した。かみさんとブランチを食べに表参道へ。そのまま根津美術館に行く。初めてここに来たが、建物はやや期待外れ。でも展示物が結構すごい。さすが日本の大金持ちはすごいものを持っているものだ。根津を出てぶらぶら表参道の方へ歩く。ラットホールギャラリーに寄るとロニ・ホーンの個展をやっていた。ドローイングが3枚。厚紙ケントにカッターのカットラインを入れて微妙な赤、朱色で小さな矩形を描いていた。赤の色味がとても印象的だった。もう一つの立体作品は19世紀アメリカの詩人エミリー・ディッキンソンの言葉をアルミと白いプラスティックで角棒のように仕上げて壁に立て掛けてあった。こっちは大して好みじゃないのだが、かみさんは「この人見えないところにとてつもなくエネルギーかける人ね」と言っていた。その通りだと思う。タクシーで帰宅。柏木哲夫『生と死を支える―ホスピス・ケアの実践』朝日選書1987を風呂につかりながら読む。

September 24, 2010

ホスピスコンペ

10時ころ山荘を出て大学に戻る。30分で戻れるところがいいと言えばいいのだが。旅情など微塵もない。研究室に戻りコンペの打ち合わせ。「子ども用ホスピス」がコンペの課題。実例がないだけに難しい。想像力をたくましくするしかない。
振り返ってみると、都内某所の某病院で僕の兄が生まれ、娘も生まれた。一方その病院で親類2人が亡くなった。ここでは生も死も味わった。亡くなった親類の1人は当時高校生。メラノーマという脳の悪性腫瘍であり死に至る病であった。おそらくこういう子どもこそホスピスに入るべきだったのだろう思う。彼は普通の総合病院にいて最期を迎えることとなったのだが、本人にとって、あるいは肉親にとって、もっとこうあるべき何かがあったのだろうか?この辺りから考えざるを得ない。昼のアサマで東京へ。久しぶりに丸善に寄り気になる本、ホスピス関連書を2冊ほどカートに放り込み宅配。事務所に戻る。夜はスライド会。

研究室合宿

午前中たまった大学の雑用に追われる。やっと昼にけりをつけて1時ころ研究室の学生たちと車3台に分乗して飯縄に向かう。一泊の合宿。去年の合宿は昼から夜中まで建築漬け。大学でやるゼミを5回分くらいまとめて一泊でやるというようなものだった。今年は趣向を変えて山でも登るか!とも考えてもみたのだが、案の定天気が激変。雨は降るは気温は下がるわ、というわけで夏休みの学生(先生も)活動発表会ということになった。
2時ころ山荘に到着し、先ずは来月に迫ったアルゼンチンワークショップの細かな打ち合わせ。終わって近くの温泉に行き、戻って各自10分をめどにスライド会を始める。研究室員全16名のうち2人欠席で14名参加。八潮組3名はワークショップの成果発表。1人は装苑主催のファッションコンペに出した案の説明。残る11名は延々と建築探検記の披露。鳥取投げ入れ堂(学生時代を思い出す)。瀬戸内諸島のアートと建築(来月見に行く予定のものを見てしまった!!)。岐阜白川郷(先日行ったなあ)。静岡、鎌倉(いろんな建築があるもんだ)。スイス、イタリア、フランス。コルビュジエからカミナダそしてビエンナーレ(名建築は何度見てもいい、カミナダは本物が見たい、アトリエワンの模型すごい)なんてやっていたら飯を挟んで11時。それから自分のポルトガスライド。一日にこんだけ建築見たのは初めてだ。

September 23, 2010

贅沢の条件

日中事務所で仕事。夜長野へ。車中山田登世子『贅沢の条件』岩波新書2009を読む。贅沢とは金でもなく、時間でもなく働かないこと。というのが一昔前までの常識だったようだ。だから「有閑階級」なる言葉があり、かの有名なヴェブレンの『有閑階級の理論』が生まれたわけである。ヴェブレンによれば有閑階級の服とは働きやすそうに見えてはいけないのである。コルセットにロングスカートそして金を使い働かない。これが一家の富を主人に代わって世に示す行為なのである。なるほど。ところで現代の贅沢の条件とは何だろうか?働くことが美徳となったモダニズム以降、もはや働かないことを贅沢と思う人はあまりいないのではなかろうか?僕にとっての贅沢は?やりたくないことをやらないこと。これは出来そうでなかなか難しい。でもそんなわがままな人生を送ることができれば最も贅沢である。

September 21, 2010

都市のイデア

8時のアズサで甲府へ。猛暑は過ぎ去ったが未だ暑い。住宅の現場は順調に外壁の合板が貼り終わっている。クライアントは瓦の色を気に入ってくれて一安心。近隣から屋根が眩しいという苦情があったようだが、平屋住宅の屋根を瓦にして、それを眩しいと言われたら何も設計できない!!午後塩山に移動。施主定例でクローバーの葉の形に側面に穴をあけたテーブルデザインをプレゼン。そしたら天板ももっと柔らかい方がという積極的な注文。現場は底板のコンクリート打設中。今のところ遅れていない。夕方のカイジで新宿へ。車中、伊藤毅・吉田伸之編著『伝統都市①イデア』東京大学出版会2010を読む。近代都市形成の下地である伝統都市の中に現代に繋がりうる都市のイデア(それは観念であり図像である)を掘り起こし紡ぎだそうという試みである。その一編、陣内秀信の「地中海都市」を読む。地中海周辺諸都市のイデアとして陣内があげる観念は「神殿と迷宮」。幾何学的で明快で広々とした神殿的場と狭小で分かりづらい迷宮的場が時代と場所を問わず現れることを説明してくれる。とかく神殿的な街づくりがよしとされた近代において迷宮への視座は欠落してきた。僕自身学生時代リンチの都市のイメージを読みながら「都市は分かりやすい方が良い。迷子になることは不幸である」というテーゼに対してひどく憤慨した記憶がある。パブリックなスペースはそれでよいが居住地はその逆であるべきだと思い東京のフィールド調査をした。地中海都市はまさに居住地に迷宮が形成され住人のみが分かる空間性が実現されているという。僕の調査が示すまでもなく東京をはじめ日本の伝統的都市には路地性があり同様の迷宮があるわけである。本書の伊藤毅の論考「移行期の都市イデア」では日本の伝統都市が城都のグリッド性、町の道性、境内の求心性をイデアとして保持してきたことを指摘する。これは神殿と迷宮の日本版と読むこともできそうだ。グリッドの明快さと道や境内の曖昧さ迷路性である。すなわち都市とは常に分かりやすい部分と分かりにくい部分との混在の中である平衡を保ってきたのではなかろうか?どちらかしかない都市は片手落ちだと僕は思う。先日行ったポルトガルもまさに地中海都市の伝統であろう。巨大な広場と迷路が適度に混在し、めりはりのある心地よい都市であったと思う。一方、先日まで通っていた中国の大倉や蘇州などは農地収容した巨大道路が縦横無尽に走っている。その意味では実に明快である。つまりは徹底した神殿性で作られているのだが迷宮性は全く顧みられていない。むしろわずかに残る伝統的な迷宮部分は神殿へと作りかえられているのである。

September 20, 2010

代官山プロジェクト

午前中ジムに行って一っ走り。体調が徐々に日本時間に戻ってきた。事務所に行ったら川村純一さんから御本が届いていた。『代官山プロジェクトをめぐる11建築家の提案』カルチャ・コンビニエンス・クラブ㈱2010。TSUTAYAと多彩なショップ群で作る街づくりのような提案競技である。敷地が5000㎡を超すとは驚きである。中をぺらぺらとめくる。コンペの常連たちが並んでいるがどれも面白そうである。内容をよく見る時間がないのでまたいつかじっくり見よう。しかし一体誰が勝ったのか本の中には書いていないような???事務所にたまった雑用を片付け遅めの昼をとってから明日の定例に向けて打ち合わせ。夜はマンションの理事会。

八潮公園設計中間発表会

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八潮大地案
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ヤシオカコウエン案
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100活園案

昼ころ八潮へ。八潮駅前公園設計の中間発表会。前回発表された3つの案を更にブラッシュアップして発表。5大学の学生たちは昨日から一つの大学に泊まり込み最後の模型やレジメを作成した。少しずつだけれど前進してきた。今日は市長、副市長、商工会議所会長も出席し真剣トークだった。実際駅前に出来上がり、市民の評価にさらされるものであるだけに、行政にとっても重要な課題である。3つの案は市の中で検討され方向性を定め更にブラッシュアップしていく予定である。10月には神戸でワークショップの流れも含め大々的に展示する予定。夜は学生の労をねぎらいバーベキューパーティー

September 19, 2010

ウィトルウィウスは逸脱の基準

今日は昼からA0勉強会。いよいよ来月で読み合わせ終りというところまできた。今読んでいる章は「アカデミズムの伝統」要はルネサンス時代に読み返されたウィトルウィウスがどのように使用されていったかという話。それによれば、ウィトルウィウスはそのまま文字通り使用されたわけではなかったという。このルールは一つの基準でしかなくそこからいかに逸脱するかが建築家のうでの見せどころ。パラディオもそうだったという。とてもよく分かる。『建築の規則』についてインタビューされた時この規則は乗り越えていくための一つの基準であると述べたが、規則やルールは常に更新されていくものなのである。

September 18, 2010

学会缶詰

一日学会缶詰。いやはや疲れた。夜サンフランシスコから出張で来た友人と食事。太陽電池を作っている。そこにデザイナーズマンションを作っている会社の友人も合流。「これからのマンションは太陽電池載せないの?」と聞くと、「未だ怖くて載せられない。時流に安易には載らない」と言っていた。かなり慎重である。

September 16, 2010

打ち合わせしながら思い出す

飛行機の中ではかろうじて寝られたものの、あの狭い場所に長時間じっとしていると腰にくる。たびたび廊下側にださせてもらって柔軟運動などしていた。リスボン空港で通路側スチュワーデス前の広い所を機械チェックインで確保できたのに、いざボーディングパスを出すところで機械が壊れた。あちらでは公共交通機関は券売改札ともに機械だったが、よく壊れた。
東京にもどり時差ぼけ頭を抱え事務所で打ち合わせ。施工者が亜鉛めっきを嫌うとスタッが言う。よくある話。亜鉛メッキをステンに代えて欲しいと頼まれたことはたびたびある。むこうでは外部鉄部はほとんど亜鉛メッキだったなあと思いかえした。さらに言えば、サッシュは全部鉄だった。アルミサッシュなんて全く見なかったような気がする。少なくともシザとモウラとマテウスは使ってない。全く使ってない。障子も含めてとにかく鉄。これはデザインとしてそうなのかそもそもアルミサッシュなんて使わないものなのか分からない。雨が少ないということもあるのかもしれないが。しかし彼らの建築にアルミサッシュがはまっている姿は想像できないし、アルミじゃあの巨大なガラス障子はとてもできない。

September 15, 2010

スキポールで一休み

早朝の飛行機でリスボンを後にしてアムステルダムスキポールへ。乗換時間が5時間くらいある。その間こうしてブログを書いたりメールの返事をしたりしている。
何時だって何処だって自分のホームタウンを久しく離れればそれなりの新鮮な経験をするものだ。だから今回のポルトガルがことさら特別だったわけでもない。国としてはブエノスアイレスの方が総合的には好きだ。でも、こと建築に関して言えばこのポルトガルはちょっと特別だったかもしれない。それはいつもよりちょっと多く建築を見たし、見たいと思った建築を見に来られたからかもしれない。ブログにもいろんなこと書いた。書きたいことは山とあるし感じたことも数えきれない。
その昔篠原先生がアフリカの写真を見せてくれていた時にこんなことを言っていた。「旅行中に、とても印象的な空間や、これだと思うものに出くわす時がある。そういう時はそのことを人に言ってはいけない。心の中で孵化しておきなさい。使えるプロジェクトが現れるまでじっと温めておきなさい」。何時この話を聞いたのかよく覚えていないが、言われた時は「さすがプロは違う」なんて思ったからやはり学生時代だろうか?
今回建築的にはちょっと特別だったというのはすごーく久しぶりに、「これだ!」って思うようなもの(というかこと)に出会えたからである。僕は篠原先生のようにアイデアをじっと温めてというようなことも無いのだが、まだそのことをうまく言えないのでここでは書けない。いずれ頭が整理できたら書いてみよう。
さてこれからハイネケンをしこたま飲んで飛行機の中はひたすら寝て時差を解消しよう。

アズレージョ

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リスボンのやや東に国立アズレージョ美術館がある。古い教会を改修した美術館である。ポルトガルのタイルの歴史が学べる。ここでいかにタイルがポルトガル建築に根付いたものであるかを知ると、今日までみてきた多くの建物でのタイルの使用が理解できる。シザも街中での建物には多くタイルを使っていた。タイルが使われている周辺環境との連続性に気を配っている。マテウスも灯台博物館のように既存との対話をする建築にはタイルを欠かさない。またどの建築家も大々的ではなくとも必ずどこかで使っていたように思う。もちろんカーサ・ダ・ムジカでは二つの特別室がそれぞれ装飾系のタイルと幾何学系のタイルを使っていた(またタイルではないが、特別室の一つはリスボン市内の「くちばしの家」の外壁を模したものだった)。
ポルトガルタイルは基本サイズが14センチ角。確かにこのサイズ以外のものはほとんど見なかった。常に14センチのモデュールが街の最小スケールである。日本のようにとんでもなくチョイスがあるのも悪くないが、チョイスが少ないというのは瓦の色なんかもそうだけど街の統一感という意味では悪くないのかもしれない。普通にやっていればみなそれになり、そこからの逸脱をしたい数少ない新たな挑戦だけ緊張を生めばいいのである。日本のメーカーは新製品作りすぎかな?

September 14, 2010

二つの大学を訪れて

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シザの図書館。レンガの前にコンクリートエプロン
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ソウト・モウラはレンガ無視
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大理石のブリーズソレイユなんて聞いたことない
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マテウスの寮外壁は木。窓の部分は開く。だからエレベーションはいつも変わる。
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マテウスの科学技術学部。大げさに見える四角い枠もこの日差しの下ではうなずける。
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マテウスの便所。大便器と小便器が交互に並んでいるなんて見たことない。

ポルトを後にして今日は二つの大学に行く。アルベイロ大学はポルトからローカル電車で一時時間。シザ、モウラ、アダルベルト・ディアス、オリヴェイラ、ヴィトル・フィゲイレド、カリルホ・ダ・グラサ、そしてマテウス。ポルトガルの有名建築家が競演をしたキャンパスである。とはいえども、マスタープランで細かなコードが作られたそうだ。建物のフットプリントの輪郭、高さ、そして一番大きなものが外壁をレンガで統一すること。これに対して建築家たちはいかにして自らのアイデンティティを主張するのかいろいろと考えたに違いない。ディアスはレンガの積み方を変えた。シザはファサードにコンクリートのエプロンを垂らした。それでもって、モウラはレンガを使わなかった。そんなのありか?彼は建物を全部ガラスカーテンウォールにしたのだ。これなら確かにレンガ使えないよな。でもこれじゃ暑いのでブリーズソレイをつけた。そしてその素材はなんと大理石だよ。確かにレンガじゃ作れないけれどね。日本じ溶けちゃいそうだけれど、ここは雨少ないからいいのかも。
午後はさらに北に一時間南下してコインブラ大学に行く。ヨーロッパでも屈指の歴史の古い大学でありレベルも高いのだそうだ。丘の上に連綿と続く中世の香りを色濃く残すキャンパス。すげーなー。バークレーも丘の斜面に建っていたが、もちろん全然違う。バークレーは緑のキャンパス。コインブラは石のキャンパス。とにかくドライ。ここには昔ながらの文学、医学、法学などがあるようで、新しい学部はちょっと離れたところにある。そこではマテウスが学食、科学技術学部、寮を、ビルネが情報電気学部を設計している。昨日のシザのポルト大学の建築学部のように、ビルネの建物は高層部はいくつかのブロックに分かれ低層部で繋がっている。どうしてそうなるの?その理由は、双方ともに景色のいい丘の斜面に建っているからだと思われる。建物の裏側の道からの眺望を長い高層棟で遮らないための配慮ではなかろうか?マテウスの三つの建物はそれぞれがそれぞれの必然性でデザインされているように見えた。それにしてもマテウスの建物はどこ行ってもそう思うが、徹底して考えられている。建物全体の建ち方から素材からそのディテールから開口部の作り方まで。気に入っているから一生懸命見てしまうという贔屓目を差し引いても考えている量が半端じゃない気がした。シザの一貫性とも違うし、モウラのやんちゃさとも違う。ものの存在理由を問うているような感じだ。

September 13, 2010

巨匠のディテールに何が見える?

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早朝の特急でポルトへ。一昨日見つけた英語併記のポルトガル建築のガイドマップとにらめっこしながら地図を見ていたらあっという間にポルト。昨日お会いした方のお話だと、ポルトに時間をかけるより、途中のアヴェイロやコインブラの大学建築がよいとのこと。確かにガイドを読むと双方かなり充実していそうである。そうなるとなんとか今日中にポルト建築を見てしまいたい。可能だろうか?
先ずはインフォメーションに行ってバスのルートを調べる。ほー結構使えそうだ。でもバスで全部は回れない。ポルトはリスボンから本州の半分くらい北。途中霧に包まれたりしたので結構寒いかと思いきやリスボンとさほど変わりない。強い日差しの中を脱水症状寸前で歩き回る(流しのタクシーがいないのだ)。それでもシーザの建物を三つ、ソウト・デ・モウラを二つ、コール・ハースを一つ。食傷気味なくらい見た。もうこれで十分だ。これらの建物、全体感は雑誌情報の想定内。しかしディテールや素材感などメディアでは伝えきれないもの、載らないことに目を見張った。コール・ハースの最近の建物にはディテールに妥協がない。新しいことをやるために命かけている感じである。見るものすべてに息を呑む。一時間の英語ツアーで何枚写真を撮っただろうか?一方シーザは低所得者層ハウジングから有名な庭園美術館まで設計の幅が広くコストは明らかに違うのだろうが作るものが極端には変わらない。常に一つの考え方が見え隠れする。それはディテールにも見えてくる。この階段は建築学部のもの。昨日セトバルの学校同様、メンテナンスが悪く荒れているのだが、こんな石像のような階段はこわれようもない。ほのぼのとさせてくれる。

September 12, 2010

マテウスやモウラの素材感

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ポルトガルと言えば白。というのはシザのイメージ?
いやシザ以外でも白い建物は多いしこのとてつもなく強い光の下では白は似合う。ご覧のマテウスの灯台博物館も白いアプローチである。実にきれい。なのだがこの白い部分はトイレやカフェやオフィスが入っていて肝心の博物館部分(奥の木の陰に見える箱に四角すいが乗ったような形)は全面タイル張り。このタイルは既存の灯台のタイルと同じものが使われている。実は昨日のシザの大屋根の壁部分もふんだんにタイルが使われている。タイルはアズレージョ(これは装飾タイルだが)と言ってポルトガルの名産品なのである。既存のまわりに小さなスケールで貼りついたこれらの建物は色と言い、形と言い見事である。マテウスも昨日みた新リスボン大学の大きなスケールだけではなく、こういうこじんまりしたスケールもとてもうまい。灯台博物館はリスボンから電車で30分のカスカイスという町にあるがこの地にはポルトガルを代表する画家ポウラ・レゴの美術館がある。設計はソウト・デ・モウラこの建物は最近エルクロに載っていた。モウラの最新作の一つ。赤っぽい何とも言えぬ色が特徴的だけれど、これはコンクリを染めたもの。小型枠のテクスチャにこの染色でかすれた感じが何とも言えぬ表情を作っている。よく分からないが、この建物はヴァナキュラーな要素を参照しているとのこと。この色や風合いもそうなのかもしれない。ポルトガル=白。これはコルビュジエジエ のごときものかと思っていた。気候だけが頼りの周りからはちょっと浮き出た建築なのかしらと少々疑っていたのだが、どうもそうではない。彼らにとって場所や歴史などは意識しなくても表出するようなものかもしれない。

September 11, 2010

シザとカルトラバに衝撃

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今日は今まで世界の建築見てきて一番衝撃的な日だったかもしれないな。そう言うとちょっと大げさかもしれないけれど、別に衝撃的だから、それに強く影響されるという意味ではないし、心底惚れたという意味でもない。つまり、これまで見てきた建築は事前情報による予想の中に概ね入っていたのだけれど、今日見た二つの建築は予想を絶するものだったということだ。ああ!建築ってここまで行ってしまうんだという衝撃である。
カルトラバは写真で知っている範囲では大して気になる人ではなかったのだが、本物見るとすごいよな。ブエノスアイレスの橋もそうだった。しかし今回のオリエント駅はそれを超えている。複雑な機能がとんでもない形の連続でパズルのように噛み合っている。そしてとにかくでかい。シーザのリスボン博ポルトガルパビリオンの例のRCのサスペンド屋根も予想をはるかに上回り全然体感スケールが大きいのだ!!この二つはほとんど隣り合って建っており、そしてその巨大スケールが噛み合っている。。こういうのをついオーバースケールって言ってしまいそうだが、そうてはない。オーバースケールってスケールが間違って大きくてちょっと不快っていう感じだけれど、このふたつはまったくそういう感覚にならない。ヨーロッパの人って大きいスケールを心地よく作れるのだということが今日分かった。これは広場のスケールを伝統として持っているこちらの人に染みついているものなんじゃないかな?日本人は難しいよね。実際問題こんなスケールは日本の都市構造では生まれようがないのだけれど。がんばってやってみたお台場なんてひどいものだ。身体的に広場のスケール持ってない役所(といってもその内実は日建かもしれないが)が作り出しているのだから。リスボンイクスポの跡地は実に大小のスケールが人に心地よくできているのにはびっくりした(小さいスケールも連続的にあるのだ)。さてヨーロッパ行ってそんなカミロジッテみたいなこと言ってどうするの?って怒られそうだけれど、そんなスケール感さえ持ってない僕ら日本人は可哀そうだ。いや日本人なんて言わず結構自分が哀れに感じられた。

September 10, 2010

漱石と綿矢

1時半のKLMでアムステルダムへ飛ぶ。11時間もの自由時間。まずは昨日読み始めた『文化人とは何か』を通読。どれもこれも面白いのだが全体を通じて編者の意図する「ある専門的な活動における人称性は、それ独自でというよりも、それを流通させる仕組」に依存するという状況が編者が言うほど深くは読み込めなかった。というより、そんなこと大体知っているという程度で終わってしまった。ちょっと残念。機内食食べて、空港で買った二冊の恋愛小説を読む。先ずは綿矢りさ『勝手にふるえてろ』文芸春秋2010。この人、文芸春秋賞受賞作『インストール』を書いたのが17歳。それを読んだ時ファンになった。その後おそらく3年に一冊のスローペースで本書は4作目?片思いの彼とこちらを向いてくれる彼の狭間で揺れ動く女性の内面を描く。一度こちらを向いてくれる彼を振り切るものの最後は片思いの彼を忘れ「自分の愛ではなく他人の愛を信じるのは、自分への裏切りではなく、挑戦だ」というポジティブな思考で終わる。続いて夏目漱石『こころ』。先日飲んだ高校の先輩に昔読んだ本を読むとしみじみ分かると言われ『こころ』が話題になった。夏目漱石はどれもこれも中学生ころはよく分からなかったが果たして今読むとピンと来るだろうか???同じく三角関係のストーリー。漱石の文章を読み返すとこの人の文章は実に論理明晰、一点の曇りも無い。綿矢がポジティブに終わるのに対して漱石はネガティブな結末。歳とったからジーンと来るようなところは多々あるけれど、しみじみ分かると言うところまではいかない。それにしてもあるコンテンツを表現するのに文章が多い。綿矢の2.5倍くらいの字数。この内容なら綿矢くらいの字数で書かれているほうが僕の好みだなあ(決して漱石を悪く言っているのではありません)。そうこうしているうちにアムステルダム、スキポール空港へ到着。10何年ぶりにやってきたが不思議なもので一回でも着た場所は体が空間を覚えているもの。凄―く懐かしい。ここからリスボンへ飛ぶ。

September 8, 2010

初めて使うクローバー柄の特殊型枠

数か月ぶりに雨。暑いのも嫌だが雨はもっと嫌いである。8時半のあずさで甲府へ。車中南後さんにお送りいただいた『文化人とは何か?』(南後由和+加島卓編)東京書籍2010を読み始める。社会の表層の色を塗り替えていく「文化人」と呼ばれる人種の大解剖である。面白そうな磯崎のインタビューを読み始めたところで深い眠りに落ちてしまった。台風がいったいどんな経路で移動していたのかよくわからないが、甲府についたら雨はやんでいた。午前中住宅の現場。屋根もトップライトもサッシュも付いていた。順調な進み方である。今日台風が来ても大丈夫という状態だったが、雨は降らなかった。
午後塩山に移動し施主定例。外壁のクローバがらの特殊型枠見本が届きクライアントと見た。縦横20センチくらいのクローバーが5ミリ出っ張り、縦横15センチくらいのクローバーが5ミリへこんでいるそんなクローバーが壁面の窓と窓の間の壁面に風に舞ったように散らばっている。コンパネにこういう柄のメスパネルを張り付けてコンクリートを打つことになる。クライアントはなかなか納得しない様子。うるさいのでは?汚れがつくのでは?部分だけでは全体感がわからないなど。そこで事務所からフォトモンタージュをメールしてもらいお見せした。多少理解が深まり。かろうじてGOサイン。とは言うものの、我々としてもまだ細かな部分で確信が持てていない。クライアントが帰ってから引き続き打ち合わせ。6時半の電車で東京へ。車中ずーっと特殊型枠を使う壁面の見え方を議論。事務所に戻りスタディの方針を打ち合わせる。僕のいない間に作るべき模型とその順番を決め適宜メールで写真を送ってもおらように指示し帰宅。

住宅データベース

夕刻高校の建築同窓会。長野に行くようになってからこの会には義理を欠いてきたので行くことにする。事務所のKさんも同窓なので一緒に出かける。この会の最近の幹事をしているのは僕らの二つ上の先輩。どういうわけかそこには多くの建築設計者や大学の先生がいる。その中に東大の生産技研の所長もいて彼の掛け声で生まれた勉強会があるそうだ。そこでは日本全国の住宅のデーターベースを集めようとしている。初めて5年たったのだがどのくらい集まったのだか???彼の発想は建築を正当に評価するデーターの集積。設計期間、概要、敷地状況、などなど。それに協力しているのが構造計画研究所の社長Hさん。構研の社長が先輩とは恐れ入った。お話させていただきびっくり。構研は構造の会社だと思っていたらもはやそうではないらしい。それにしても新しい会社には600人も人がいるそうだ。生き延びる力を感じる。そもそも社長はボスコン出身だからさもありなん。2次会は新宿のハイボール180円の居酒屋。とある先輩の娘は今年エールの建築に進んだとか。クーパーも受かったけれどエールに決めたそうだ。外国に行ったこともない高校生がいきなりこの二つ学校に受かるというのもびっくり。でももっとびっくりはイェールの授業料。寮費込みで年間500万だとか。アイビーリーグってそんなするの?この円高でも???とある先輩に坂牛のブログは読むのが疲れると言われたので今日はこんな飲み会のよもやま話。

September 6, 2010

少子化を前提とした街を作らざるをえないのか?

8時からアルゼンチンWSの展覧会会場構成の打ち合わせ。市内の蔵を借りて展覧会とシンポジウムを行う予定。アルゼンチンから送られたデーターの中から会場の構成を考えながら展示マテリアルの取捨選択。
9時から学科会議。夏休みだというのに案件が多い。今日は12時に帰ると宣言していたのにいつになっても終わらない。ついに教授会は12時を超える。都内3時半の打ち合わせにぎりぎりのアサマに飛び乗る。車中赤川先生の『子どもが減って何が悪い』を読み続ける。この本は、仕事と子育ての両立支援を行い、男女共同参画社会を目指せば少子化が止まるという一部の主張を否定する。さらにもし女性が主婦になり、帰農するような社会になれば少子化減衰の可能性があることをデーターをもとに説明する。つまり日本を50年前に逆戻りさせれば少子化は止まるというわけだ。しかしそれはあり得ないことである。加えて、現代の自由社会において最も頼るべきロールズの格差原理が子育て支援を救済の対象にはし得ないという最後の否定が行われる。よって著者の結論はあくまで今後の社会は少子化が前提であるということになる。
少子化は政策で回避できると僕は考えていた。その可能性を見事にすべて否定されてしまった。著者の論理に破綻があるのかどうかは今の僕にはわからない。しかしもしこれが正しいのであれば僕ら建築屋もそうした見地からモノを考えていかなければなるまい。先日友人のブンヤと飲んだ時、「地方都市はもっとコンパクトにしていかないと破綻する」と主張すると、「これからの街は老人が歩いて暮らせる街になるはずだ」と賛同いただいた(彼は老人の孤独死などを団地取材から問題視してきた)。僕らはこういうことをもっともっと具体的に考えるときになっているのかもしれない。

September 5, 2010

カタルシス

昨晩僕の配偶者と娘は国立競技場に某アイドルグループのコンサートを聴きに行った。半年近く前から様々な方法で応募をして奇跡的に手に入れたチケットだそうだ。日中36度まで上がった東京は夕方になっても結構な暑さ。昼間は家で仮眠など取りながら体力を温存しコンサートの3時間にかけるあの入れ込み方は僕の理解を超えている。サッカーは好きだけれど、死ぬ気でチケットを手に入れたいとは思わないし、コンサートにしても、これまでカラヤン、小沢と難しいチケットを手に入れて聞きに行ったけれどかなりの部分は義務感のようなものだった。彼女たちの熱狂は馬鹿みたいと言えばそうなのだが、一生に一度くらいそんな気持ちを味わいたいものだと少し羨ましくなってしまった。精神のカタルシスは対象の問題じゃない。午前中起きてきた二人の顔は爽やかである。そんな二人を残して僕は長野に向かった。車中、赤川学『子どもが減って何が悪いか!』ちくま新書2004を読む。著者はちょっと前まで信大にいらっしゃったが東大に移られた。社会構築学的立場から言説分析を行ってきた人である。建築における言説分析の参考にゼミでは著書をいろいろ読ませていただいた。信大におられる内に一度お会いして教えを乞えば良かった。ちょっと残念である。「いつまでもいると思うな親と金」に先生も加えないと。

September 4, 2010

アーキテクチャはルーズであるべき

朝暑くて目が覚めて寝られなくなった。北田暁大編『自由への問い―コミュニケーション自由な情報空間とは何か』岩波書店2010を読む。最近自由とか正義とかの本が続く。
近頃よく耳にするアーキテクチャという概念がある。アーキテクチャとは我々の行動を規制する物理的環境と言われている(物理的環境といってもネット上の規制も指すのだが)。たとえば CDのコピーコントロールのようなものや、大学を取り巻く塀などを考えてみよう。この場合、我々はCDをコピーできないし大学のキャンパスに入れない。それはそういうことをしてはいけないというルールがあるからその行為をしないのではなく、端的に物理的にその行為ができない状態にあるからしないのである。つまり「アーキテクチャ」のもとでは行為の自由が最初ら与えられていない。このことを北田は「アーキテクチャは、私たちから自由の剥奪感そのものを剥奪するのだ」と表現している。この指摘は重要である。僕らは知らぬ間に不可視のアーキテクチャに包囲されて、ありうべき自由空間を見失っているかもしれないということである。レッシングはネット空間の中でのそういう規制をルーズなものにせよと指摘したがリアルな空間でもそうあるべきと僕には感じられる。禁止事項があるのはいいとして、その禁を破る可能性とその場合に起こる事態に人々の想像力が及ぶべきである。もし多くの人々がその想像の結果それを望みかつそれが正しいことであるならば、その禁は外されるべきである。しかし最初から禁の可能性が見えない世界では我々は可能性の一つを鼻からどぶに捨てていることになってしまうわけである。それは惜しいことだ。

September 3, 2010

マイケル・サンデルを読み、我を振り返りその無意味さを思う

僕が建築を今こういうかたちでやれているのはなぜだろうか?多少建築の才能があったからだろうか?学生時代に製図の成績が上位5人くらいの中にはいたのだから他の人よりかは製図に関しては多少才能のようなものがあったと言えるかもしれない。といったって高々50人のクラスの上位一割である。日本全体で見たらそんなものを才能と呼べるのかは謎だ。しかし僕はその才能のかけらのようなものを努力して磨こうとしたかもしれない。それに関しては多少の自負もある。ちょっとした才能と努力。それが僕の今の基礎にある。ではその才能と努力は僕という人間が保持している輝かしい価値なのだろうか?それによって大儲けして(なんてことは考えにくいが)豊かな暮らしを十二分に満喫したとしてそれは当然のことなのだろうか?職を失って貧困生活に喘ぐ人たちがたくさんいたとしてもそれは才能と努力が足りないといって打ち切れるのだろうか?
ジョン・ロールズの考えに従えばそうはいかない。才能はたまたま授けられたものであり、それは僕が偶然手にしたものである。では努力は?それこそ僕固有の資質ではないか?と思いたいがロールズはそう言わない。努力する資質は育った環境や親の教育によって身に付いたものであり、自分が自ら培ったものではない。つまり才能と努力は偶然と周辺環境によって授けられたものであり、それによって達成されたさまざまなことは僕が自信を持って僕のものだという権利はない。とロールズは言う。しかしだからと言ってそれを全部放棄せよということも言わない。ロールズの格差原理とは「個人に与えられた天賦の才を全体の資産とみなせ」というのである。
塩山の現場定例の行き帰りの電車でマイケル・サンデル『これからの『正義』の話をしよう』を読み終えロールズ理論を我が身にあてはめてみた。天賦の才などあるわけないのだが、思考実験としてあえてあると考えてみた(とりあえず失業して苦しんでいるわけでもないのだから)。しかし仮に僕のちっぽけな才能を社会全体の資産とみなしたところで才を持たない者の状況など改善する余裕はこれっぽっちもない。いや建築なんてやっている人間で才能のありそうな多くの人を想像しても、彼の彼女の才能が全体のものだとしても状況は全く改善されないだろう。というわけででこういう思考実験の対象とするべきはこの業界の人間ではないし、まして僕という人間でもない。

September 2, 2010

野沢北高校で出張講義

午前中のアサマで佐久平へ。小海線に乗り換えて中込。駅前で昼をとって野沢北高校へ。年に数回頼まれる県内の高校へ出向いての出張講義。去年は長野西高校で行った。そうしたら今年の四月の合格名簿みると長野西高校から建築学科に数名入学した。出張講義を聞いた生徒さんなのかどうかは定かではないが、その可能性は高い。それなので今年も僕の講義を聞いて受験してくれればと思ってやってきた。建築の楽しみと題して、自作を紹介しながら、何に苦労して、何に喜びを覚えたか、などなど語る予定だった。30名程度の受講生。プロジェクターとスクリーンを用意して頂いたのはありがたかったのだが、残念なことに、部屋が暗くならいのであった。この良い天気の南の部屋にはさんさんと太陽が降り注ぐ。カーテンはシーツのように白い。スクリーンに映し出された建物はおぼろげにしか見えない。ちょっとショック。高校の先生はあまりパワポなどは使わないのだろう。
終わって今朝来た道をもどり小海線に乗る。うとうとしていたら佐久平を乗り越してしまった。まずい。慌てて降りた駅で逆向きの電車を待つ。もちろん無人の田舎駅。1時間に一本しか電車の来ない単線路線。日陰に入って自然の中でマイケル・サンデルを読む。いやいやこの本ベストセラーになるのがよく分かる。カントの自由と道徳の説明なんて天下一品。やっと実践理性批判が理解できた。

September 1, 2010

ドンキホーテ公園

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午後から八潮のワークショップ。5大学がスカイプを駆使して3つの公園基本構想を作成した。遠く離れた人どうしで案を作るというのはなかなか面白い経験だと思う。1.4haの敷地に150あまりのアクティビティを想定して。それぞれの場を作ると言う案がある。これはなかなか凄い。平均すれば一つあたりの面積は100㎡である。住宅の敷地のようなものだ。150の住宅(地)が密集したような公園である。槻橋さんがこれはドンキホーテのような公園と言ったがまさにその通り。人々は公園の中を探検してそれぞれ自分の場所を探し出すわけである。でも人々はドンキホーテ公園を喜ぶか????