カタルシス
昨晩僕の配偶者と娘は国立競技場に某アイドルグループのコンサートを聴きに行った。半年近く前から様々な方法で応募をして奇跡的に手に入れたチケットだそうだ。日中36度まで上がった東京は夕方になっても結構な暑さ。昼間は家で仮眠など取りながら体力を温存しコンサートの3時間にかけるあの入れ込み方は僕の理解を超えている。サッカーは好きだけれど、死ぬ気でチケットを手に入れたいとは思わないし、コンサートにしても、これまでカラヤン、小沢と難しいチケットを手に入れて聞きに行ったけれどかなりの部分は義務感のようなものだった。彼女たちの熱狂は馬鹿みたいと言えばそうなのだが、一生に一度くらいそんな気持ちを味わいたいものだと少し羨ましくなってしまった。精神のカタルシスは対象の問題じゃない。午前中起きてきた二人の顔は爽やかである。そんな二人を残して僕は長野に向かった。車中、赤川学『子どもが減って何が悪いか!』ちくま新書2004を読む。著者はちょっと前まで信大にいらっしゃったが東大に移られた。社会構築学的立場から言説分析を行ってきた人である。建築における言説分析の参考にゼミでは著書をいろいろ読ませていただいた。信大におられる内に一度お会いして教えを乞えば良かった。ちょっと残念である。「いつまでもいると思うな親と金」に先生も加えないと。