少子化を前提とした街を作らざるをえないのか?
8時からアルゼンチンWSの展覧会会場構成の打ち合わせ。市内の蔵を借りて展覧会とシンポジウムを行う予定。アルゼンチンから送られたデーターの中から会場の構成を考えながら展示マテリアルの取捨選択。
9時から学科会議。夏休みだというのに案件が多い。今日は12時に帰ると宣言していたのにいつになっても終わらない。ついに教授会は12時を超える。都内3時半の打ち合わせにぎりぎりのアサマに飛び乗る。車中赤川先生の『子どもが減って何が悪い』を読み続ける。この本は、仕事と子育ての両立支援を行い、男女共同参画社会を目指せば少子化が止まるという一部の主張を否定する。さらにもし女性が主婦になり、帰農するような社会になれば少子化減衰の可能性があることをデーターをもとに説明する。つまり日本を50年前に逆戻りさせれば少子化は止まるというわけだ。しかしそれはあり得ないことである。加えて、現代の自由社会において最も頼るべきロールズの格差原理が子育て支援を救済の対象にはし得ないという最後の否定が行われる。よって著者の結論はあくまで今後の社会は少子化が前提であるということになる。
少子化は政策で回避できると僕は考えていた。その可能性を見事にすべて否定されてしまった。著者の論理に破綻があるのかどうかは今の僕にはわからない。しかしもしこれが正しいのであれば僕ら建築屋もそうした見地からモノを考えていかなければなるまい。先日友人のブンヤと飲んだ時、「地方都市はもっとコンパクトにしていかないと破綻する」と主張すると、「これからの街は老人が歩いて暮らせる街になるはずだ」と賛同いただいた(彼は老人の孤独死などを団地取材から問題視してきた)。僕らはこういうことをもっともっと具体的に考えるときになっているのかもしれない。