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September 30, 2008

言葉と建築

昨晩の夜はヨーグルトとバナナ。今朝は食事なし。昨日の3時に羽田でとった遅い昼食から今日の昼までまともな食事をしていない。そのせいか体調がとてもよい。飯のうまいところ(九州)に行くとつい食べ過ぎて体が重くなるのだが、長野に来るとうまいものにもありつけず食が細くなりそのおかげで体調がよくなる。久し振りにたっぷり寝て6時半ころ目が覚め大学に行く。長野も突如冷えてきた。この後は転がるように冬に突入する。アー恐ろしい。
8時からコンペの打ち合わせをし10時からm1のゼミ。建築を評価する形容詞を調べようというレジメがあった。そう言われると確かに形容詞は変化しているのかもしれない。これまでもそうした言葉の変化をカーサブルータスなどを対象に分析した学生はいたが、形容詞にしぼり(あるいは副詞でもいいのだが)アンケートを取ってみたら面白いかもしれない。建築を語る言葉も作る言葉も変わっている。建築に限らず言葉は変わっている。そして言葉は人を誘導する。それはジジェクも指摘している。「『人間は他者として欲望する』なわち象徴的秩序(言葉)によって構造化されいている」。

September 29, 2008

世俗政治

早朝霧と雨の現場へ向かう。新しい地縄を確認する。建物がかなり道路に近づいてきた。建物のヴォリュームを強調する意味では悪くはないが、敷地の中での奥ゆかしさがやや足りない。ここはぎりぎりの決断なのだが、クライアントを含めこの地縄で行こうという合意に至る。飛行機を遅らせ1時半のanaで東京へ、事務所に戻る。スタッフといくつか打ち合わせし帰宅。
夕食をとりながら、かみさんが聞く?「どこ行ってたんだっけ?」「大分」と返事。「そうそう大分ね、、、」「今日はどこ行くんだっけ?」と聞かれ「長野」と返事。「長野寒いわよ」。風呂に入ってさあ出かける段になり「あれ?どこ行くんだっけ」と再度同じ質問。「そう長野ね」。あと1時間いるとまた同じ質問が飛んできそうである。
車中『ラカンはこう読め』を読み続けるが、疲弊した頭にはちょっときつい。高崎でラカンは休憩。野中尚人『自民党政治の終わり』ちくま新書2008を読む。政治の話は時代劇のような娯楽である。本来は倫理と哲学の実践の場であるはずの「政治」が世俗的なワイドショーネタのように感ずるのは書き手のせいだろうか?

September 28, 2008

九州だが寒い

昼のanaで大分へ。大分国体に来られている天皇皇后両陛下と空港ですれ違う。こんなに近くで拝見したのは初めてである。空港は厳重な警戒体制。どでかい模型の箱にspの目が光る。なんだか嫌な感じである。やっと空港に入れた迎えの車に乗り込む。敷地は今日も深い霧。5時から3時間ほど濃い打ち合わせをさせていただいたが、設計変更による配置の変更は結論が出ず。明朝再度地縄を張りなおし確認することになる。打ち合わせ後は九州の山海の料理をいただく。美味しい。地方の仕事はこれがあるからうれしい。夜になると気温は10度近い。ここは九州とはいっても軽井沢のような気候である。

September 27, 2008

メール対応

研究室からコンペスタディ2案が届く。はてこれをどう発展させるか?なかなか難しい。ここを押すと何が出てくるか?こう言うとどう反応するだろうか?直したい部分は分かっているのだがそれを分からせて次の一手に持っていくために何を言うべきかを考えてしまう。建築を考える時間より人の動かし方を考える時間の方が長い。
建築ノートの坂本先生の特集原稿の最終稿が送られてくる。中国行く前にいろいろ送っていたのだがさっぱり届いてなかったようである。それらを再送する。新しい原稿は我が家のA4プリンターではプリントアウトしても小さすぎてよく見えない。だいたいの内容はもういいことにする。「てにをは」は校正のプロにまかせる。リード文の色がバックと重なって見づらいのだが、それはデザイナーの気付くべきこと。ということでこれはもう良しとする。
事務所で中国出張中のめまぐるしい展開の報告を聞き明日の出張に持っていくものとその案作り。このプロジェクトは打ち合わせの度に少しずつ大きくなってきている。そして前回の打ち合わせでダメ押しのようにまた大きくなった。別荘地の建物としては容積率が大きすぎる。敷地に対して余裕が感じられない。ゆとりがないのである。こういう建ち方をしていいものだろうか?建物の大きさを見せるのが一つの狙いでもありその点ではこれでもいいのだが。デザイン以前の問題で心が定まらない(これでいいという踏ん切りが着かない)。明日敷地を再度見て決心できるだろうか?

ラカン

昨晩深夜送られてきたpdf図面を見ながらスタッフの携帯に国際電話。設計変更中なのに今日地質調査しなければならないというぎりぎりなスケジュールである。送られてきた図面でほぼ確定できているのだが、まだ動きそうな気配。話途中で現場への迎えの車が来る。台風の影響らしく急に涼しくなった。現場でゼネコンとの会議に出たり、東京と会話したりどうも落ち着かない。一段落して昨日打ったコンクリートを再度しげしげと見ていると図面に無いはずの梁を発見。なんだこれ?ナカジに聞くと昨日取るように話はしていると言う。取れるのだろうか??
昼食をとってからタクシーで空港へ。僕はjalナカジはmu。帰りは2時間10分と早い。機中スラボイ・ジジェク鈴木晶訳『ラカンはこう読め』紀伊国屋書店2008を読み始める。その昔無謀にもセミネールの1にあたる『フロイトの技法論(上)(下)』岩波書店1991を読んだことがある。無謀だった。お金と時間の無駄だったと思われる。ラカンにはセミネールと呼ばれるレクチャーシリーズとエクリと呼ばれる論考がありセミネールの方は一般向けと言われている。しかし、それでもこれを読んでも分からないらしい。一方エクリはもっと分からないらしい。とにかく「ラカンはワカラン」のである。そんなラカンには当分足を踏み入れたくなかったのだが、とある院生が無謀にもラカンが自分の主張の背骨だというので仕方ないから先生も入門書でもよんで再度勉強しようというわけである。トホホ。東京は今日の上海のように涼しい。いよいよ本格的な秋だろうか?

September 25, 2008

コンクリート打ち

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早朝東京へいくつかのメールをしてから15元(250円)のホテルの朝食をとって現場へ。現場に到着すると2階床とエントランス階段のコンクリートを打っていた。見ると階段の鉄筋が型枠にくっついている。内部階段なので打ち上がってから補修することとする。この建物は一階の階高が5メートル以上ある。そのスラブをすべて支保坑で支えている。すごい眺めである。鉄は高いのでとにかくなんでもコンクリートで作る。そしてこちらのならわしで1階床はスラブではなく土間コン。それも最後に打つ。だから支保坑は土の上に立っているのである。なんとも原始的な風景である。日本ではまあお目にかかれまい。
午後クライアントが到着して月例会議。増額工事の話がスタック。通り雨がすごい。打ち上がったばかりのコンクリートに降り注ぐ。雨が過ぎ去った後に見に行くと、部分的に洗い出し状態。
事務所に送ったメールの返事が来ないので何度か電話したりメールしたり。昨日の九州の変更への解決策やら構造への波及の問題やら電話で話し始めたところで時間切れ。クライアントと現場を後にする。夜は施工者を含めての会食。早々に切り上げホテルへ。事務所からPDFで送られてくる案に電話で注文。

September 24, 2008

大分経由上海

9時40分のjalで大分へ飛ぶ。迎えの車に乗り1時間。昼食をとりクライアントエンジニアのIさんと敷地に行く。敷地の草は刈られ、地縄が張られ、1階、2階のレベルに足場が組まれ各部屋からの展望が見えるようにセットされていた。素晴らしい。と言いたいところだが、この地域特有の霧に包まれ景色は全く見えない。晴れていた時の風景を重ね合わせ想像力を働かせるしかない。事務所に戻り、施工者、現地の設計者、設備業者総勢10名の打ち合わせを始める。いきなりカウンターパンチを食らう。今日は欠席しているクライアントが風水を見てもらったところ駐車場上の浴室はまずいとのこと。設計変更を余儀なくされる。基本設計が終わっているというのに、、、トホホである。とにかく図面の説明、今後のスケジュールを確認したところで残りの打ち合わせをスタッフのyさんに託し退席。福岡空港まで送ってもらう。4時20分のjalで上海へ飛ぶ。福岡から1時間10分。東京へ帰るより近い。機中、中野京子『怖い絵』を読みふける。「ホロフェルネスの首を斬るユーディット」という名作。カラバッジョの有名な絵である。と思って見ていたらカラバッジョのものではなかった。アルテミジア・ジェンティレスキという画家のもの。もちろんカラバッジョも描いているのだが、それよりはるかにリアルで怖い。ホルバインの「ヘンリー8世」という絵がある。ヘンリー8世はエリザベス1世の父であるが、男の子が生まれず最初の奥さん(死んだ兄貴の妻)と離婚するために英国国教会を作った男である。そして2人目の奥さん(エリザベス1世の母)にも男の子ができなかったことからこの奥さんは死刑にしたというなんとも冷徹な男の絵はこれも男のエネルギーがみなぎる絵である。怖いというよりは脂ぎっている。
プードンでは迎えが見つからず、ロビーでしばらく佇む。リーテム中国の顧さんが待ち呆けている僕を見つけてくれた。タクシーに乗り込み大倉へ向かう。高速は大渋滞である。今日はやたら車に乗っている時間が長い。3時間かけてやっと大倉に到着。先週から現場にいるナカジと会い飯を食いながら状況を聞く。明日は施主定例。上海から専務が到着する。

September 23, 2008

林さん出版記念

昼ごろ事務所に中学生が7人やってきた。クライアントの息子さんとその友達。学校の文化祭で行うクラス発表のテーマが建築なので話を聞きたいという。研究対象は霞が関ビル。なんとも通な選択である。しかし質問のポイントは構造にあるようだ。これは聞きに来る相手を間違っている。とは言えないので、アメリカの超高層の歴史から語ることにした。あとは柔構造、免振、制振とキーワードの説明。次に模型の作り方講座。先ず材料。スチレンボード、スタイロ、カッター、スコヤ。そしてそれらを売っているお店。などなど。ちなみに霞が関の図面は鹿島建設にもらいに行くそうだ。頑張れ未来の建築家諸君。
3時にパレスサイドビル、アラスカに行く。林さん80歳のお祝い兼、『林昌二の仕事』新建築社2008の出版記念パーティーである。この手のパーティーだと帰る時に本をいただくものだが、重いだろうから郵送しますとのこと。林さんらしい気遣いである。出席者はほとんどが林さんのお友達。僕は明らかに一番若い。いやもう一人。日建の山梨。しかし日建の現役社員は彼しかいない。社長さえもいない。80の好々爺にもう少し優しくしてもよかろうが。それにしてもこの歳のお友達の集まりだからなかなかの迫力である。平均年齢70かつ、建築界の重鎮ばかり。こんな集会は滅多に参加できるものではない。6時ころ事務所に戻る。明日の九州出張の準備打ち合わせ。オープンデスクの桑島さんは休みも関係なく頑張る。

怖い絵

8時から研究室でコンペの打ち合わせ、引き続き10時からゼミ。卒業生が7人修了生が7人。今年はヴォリュームたっぷり。私大と比較すれば少ないのだろうが、普通の国立大学と比べるとちょっと多い。3時くらいには終わるだろうと高をくくっていたのだが案の定終わったのは5時。6時の新幹線に乗ろうと思ったのだが、事務関係、科研関係の雑用をしていたら遅くなった。結局乗った電車は7時半。車中、中野京子『怖い絵』朝日出版社2007を読む。17世紀から20世紀までの絵画20枚が取り上げられ、それぞれの絵に潜む怖さを解説している。ドガのエトワール。その昔バレーダンサーとは娼婦であり、エトワールのカーテンの裏に足だけ見える紳士はパトロンである。という話などはその背景を知ると絵の高貴な雰囲気とのギャップに驚くが、クノップフの見捨てられた街などは海に吸い込まれそうな建物の静謐なファサードの雰囲気自体が怖い。そうやってこれらの絵画を見ていくとどうしてこんな絵を描くのだろうかという気にもなるし、やはり本気の絵というものは人間の葛藤の結末なのだなということがしみじみ伝わる。東京に着いたのは予定よりだいぶ遅れた。事務所に直行。雑用したり、打ち合わせしたり。12時過ぎに帰宅。かみさんが明日の締切の作品を制作中。終わるのかしらん?

September 21, 2008

建築家倫理

台風が過ぎ去ったにも関わらず朝から雨模様。ついに秋雨前線だろうか?いやな季節である。そうめんを食べて事務所へ。A0勉強会。そろそろこのジョフリー・スコットArchitecture of humanismも佳境である。私の班は第九章の結論までやってきた。彼の語り口は最後まで自らが推す古典建築あるいはヒューマニズムを上げたり下げたりである。その迷路のような論旨を紡ぎだすのに苦労する。夕刻、帰宅夕食をとって一風呂浴びてから長野に向かう。車中、奥村俊宏 他『ルポ内部告発‐なぜ組織は間違うのか』朝日出版社2008を読む。企業倫理に関わるルポである。三菱自動車に始まりミートホープ、船場吉兆など昨今新聞をにぎわせた話題が事細かに記されている。これらの問題の表面化はコンプライアンスへの自覚が高まったことのみならず、内部告発者を保護する法律が制定されたことに依るところが大きいようである。
建築家としての倫理感とは何か?建築家はもちろんクライアントの利益代表者である。それはクライアントに最良のデザインを提供することである。そして同時に法を守り、施工者の施工が適正かを判断する。さらにクライアントの枠を超えて社会に対してそれが受け入れられるものであるかも考えなければなるまい。それは時としてクライアントの利益と矛盾する場合もある。
僕は日建設計時代にこうしたことを学んだ。退社後に林さんと会った時に日建で教わったことはデザインでもないし、仕事の進め方でもないし、建築家としての倫理だと言ったら。「ほーそうですか」。とちょっと意外な顔をされたのだが、それは今でもそう思っているし、そんなことはなかなか学べない重要なことだと感じている。耐震偽装を始めわれわれ建築関係者も建築技術者倫理を強く自覚しなければならないことは言うまでもない。

September 20, 2008

ダヴィンチとバカボン

新幹線で広島に向かいながら布施英利の『体の中の美術館を』筑摩書房2008読み帰りの新幹線では武井俊樹の『赤塚不二夫のことを書いたのだ』文芸春秋2008を読んだ。布施は芸大の先生で脳と美のことを書いている。武井は小学館の編集者。入社すぐに赤塚不二夫担当になって死ぬまで赤塚とつきあった人間だ。武井の話はもちろん漫画である。しかも赤塚漫画だからギャグである。当たり前だが、ダヴィンチの絵もすごいけれどバカボンも同じくらいすごい。最近赤塚漫画が文庫本のようなサイズで売られているが、いま読んでも本当に笑える。
午前中は例の大学院問題で学科の先生に大量のメールを発信する。少々面倒くさいが、まあ僕がやらざるをえまい。午後事務所でyさんと学会中の進捗状況を打ち合わせ。いろいろと未解決やら手付かずやらたくさんあるのだが、一つ一つ解決していくしかない。
帰宅後上杉隆『ジャーナリズム崩壊』幻冬社2008を読む。日本のジャーナリズムの無責任ぶりやら下らぬ質問には辟易しているだけに、著者の主張には賛意を表したい。

September 19, 2008

海底が露わになった厳島神社

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7時の電車で広島から広大のある西条へ向かう。駅から大学に向かうバスの中で構造の佐藤さんと会う。ヴィエンナーレの話を聞いた。風速20メートルを超える台風(シロッコ)が来ると壊れるのだそうだ。
私はデザイン分野での司会を担当。発表者の中に塩尻のコンペで佳作となった福屋さんの作品もあり懐かしい。私が司会をしている間に研究室の二人の学生は歴史意匠の部屋で発表中。自分の学生の発表が聞けないプログラミングはなんとかならないものか!!!司会終了してから自分の大学の先生とお会いし、学会とは関係なく学科の懸案事項の打ち合わせ、延々1時間半。早くしないと今日の予定が狂う。急いでバスに乗り西条へ。西条から電車で宮島口まで行き厳島神社に向かう計画。ところが、、、、この電車に乗ったはいいが停電で動かなくなってしまった。定刻なら2時に着く所が着いたのは3時半である。1時間で行くところが2時間半もかかった。宮島で2時間は入れた予定が、残り時間30分である。歩いている暇はない。タクシーも見つからない。フェリーの降り場からレンタサイクルを借りて疾走する。厳島神社は引き潮で海に浮かぶ優雅な姿ではなく、海底の砂に建つ建築となっていた。荒々しい感じである。

学会広島

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9月18日
朝ののぞみで広島で開かれる建築学会全国大会へ向かう。僕の司会担当、学生の発表は明日、明後日。今日は広島見物である。丹下健三の名作平和資料記念館はプロポーションが絶妙である。それだけに、増築部分とブリッジでつながれているのが残念。
市の南端にタクシーを飛ばす。谷口吉生の清掃工場を見る。ここは工場内をガラスの通路が貫通していることで有名である。アプローチの道路はまっすぐに南北軸に乗っており、そのまま海に向かって貫通ブリッジがある。ただそれだけなのだが開いた工場の設計の仕方としてはお見事。
市の中心部に戻り村野藤吾の世界平和記念聖堂を見てから電車で西条に向かう。篠原研の先輩であり、現在広大で教えられている岡河先生が、酒蔵で鯛鍋をいただきながら酒を飲むという会を催してくれた。篠原、坂本研の関係者が全部で70名くらい集った。台風が来ているのはずなのだが夕焼けが美しい。

September 17, 2008

イタリア友好

イタリアのレッチェという市が日本との交流を深めたいという。面白いことにその話を受けたのが日本のとあるイタリアンレストランのマスター。そのマスターの輪で人が集まることになった。私も航空関係の親しい先輩からレッチェと交流を深めるためにはバロック建築をわかる人間が必要だと言われ参加することになった。集まった人たちはビジネスとは関係なく皆で楽しもうという魂胆である。jtb,jal 国土交通省、イタリア語通訳、集まった場所は新宿御苑裏のイタリアレストラン。このレストランが前代未聞。こんなイタリア料理屋は初めてある。普通のイタリア料理は(まあフランス料理もそうだろうが)料理に合わせてワインが出るのだが、ここはワインに合わせて料理が出る。と言えば少し大袈裟だが、料理ごとにワインが全部入れ換わる。料理が出ると次のワイングラスがサーブされ、そこに次のワインが注がれるのである。もちろんその量はそれほど多くない。しかし、だからこそ飲み過ぎずワインの味がよくわかる。そして極めつけはデザートワイン。赤の冷えたスィートワインなのである。これがドイツワインとは全然違う深みのある甘味であった。料理もレアである。フォワグラのパテに一年に10キロしか取れない蜂蜜をつけたりする。日本のイタリア料理は洗練されている。去年イタリアに行って、イタリアのイタリア料理より日本のイタリア料理の方がはるかに美味しいのはなぜ?と疑問に思った。それは日本のイタリア料理の方がイタリア料理の本質に近いのか?それとも日本のイタリア料理は単に日本人の口に合うように開発されたのか?どちらですかとマスターに聞いたら後者ですと言われた。まあそんなことなのだろうとは思ったが。
レッチェ交流第一弾はどうするか?国交省には10月から観光庁ができるわけで彼も多いに乗り気である。坂牛が企画するレッチェバロックの町並みめぐりはどうか?と彼が提案。jtbの先輩が「それ売れないでしょう」と冷たく却下。国交省の先輩は「いやそんなことはない。是非やろう」と酔った勢い。まあレッチェの大学と提携するなんていうのが僕としてはありがたい。世界の田舎と手を結ぼうというのが今のところ信大における僕のコンセプトである。
国交省の先輩は高校の四つ上級生ということもあり、昨今の一級建築士問題で大学が右往左往していることの文句を言ったら、「本当に役人はダメなんだよ」と自戒の念をこめつつおっしゃていた。「役人はとにかくクレームに対して、何かをしたという事実を残したい人間が多い」とか。どうしたらいいんですかと聞いたら「新聞に書かせるのが一番効くよ」といい知恵をいただいた。「大学の先生はまじめだからねえ。正論を吐いても、役人は動かないんだよ」だそうだ。そういうもんだろうか?

September 16, 2008

常識はずれ

今日から信州大学3年生の桑島さんがオープンデスクで来所。初日から1/30の模型制作である。
突如決まった来週の九州打ち合わせと上海主張がバッティング。うまくずらし、九州に飛び1時間打ち合わせをして福岡から上海へ飛ぶという飛行機の調整におおわらわである。こちらの予定も聞かずに打ち合わせセットしてくれるなというところだが、この日を逃すと延々遅れそうなので文句も言えない。
来年度から始まる大学院における実務経験の審査基準の暫定案がメールで送られてくる。これは一級建築士の制度改正に伴うもの。一級建築士の受験資格は指定の建築学科を卒業すると実務経験2年で獲得できた。そして大学院の修士2年間は実務経験相当だったのだが、これからは授業内容によることになりそれを審査するというのである。来年度からこの制度が行われるにもかかわらず、その審査基準が今日まで不透明であった。
しかし、審査組織(国交省の外郭団体だと思うが)は一体何を考えているのだろうか??こんな基準を今日送っておいて、それに見合う授業内容を作って来週出せというのである。あんた、牛丼じゃないんだから授業カリキュラムが一週間でできるわけないでしょう!!そのうえ明後日からは建築学会が広島で開かれるのですよ!日本全国の建築学科の先生も学生も現在列島縦断中である。これでは学科の会議も開けない。そんな状態でカリキュラムも何もあったものではない。役所はまったく常識が欠如している。
先週末中国から戻ってきたナカジは明日からまた中国。今日まとめて報告と今週の見通しを打ち合わせ。明日はテーテンスのsさんもいっしょ。いよいよ設備工事も始まる。

八潮ワークショップ

八潮市でのワークショップ2日目。とりあえず今日で今年度の発表のまとめ。最初に昨日のキッズワークショップの発表。これがなかなか傑作ぞろい。小学生、中学生と大学生のグループ全部で7組が発表。いやー下手をすると大学2年生くらいの案と思しきものも見受けられる。もちろん大学生の応援の力があるからなのだが、発想が痛快。
その後、5大学の発表が始まる。僕も含めて先生方は自分の大学が何を発表するか戦々恐々である。どの先生も他人の芝生がきれいに見えるようである。僕もそうだが、もうじたばたしてもしょうがない。これが信大の力であり先生の指導力。まあこれを最終形に昇華させるしかない。しかしこの後の味付けが重要かもしれない。頑張ろう。
各大学の先生方と浅草で夕食。とりあえずここまで来れたことに対してお互いの労をねぎらう。学生にもご苦労さんと言いたいところだが、彼らは大学まで戻るという一仕事が待っている。無事事故なく帰っただろうか?少し心配である。先生方と浅草コンペの敷地周辺を回り地下鉄で帰宅。

September 14, 2008

エモーショナル・ドローイング

午後からの八潮市のワークショップに行く途中国立近代美術館に立ち寄り「現代美術の視点6:エモーショナル・ドローイング」展を見る。芸術の基本であるエモーション(情動)を再度見直そうとする展覧会であったhttp://ofda.jp/column/。見終わってミュージアムショップでカタログを購入するとその横に先日テレビで放映されていた石内都の『ひろしま』2008が並んでいた。集英社から出ていて1890円と写真集にしては安い。一冊購入しカフェで眺めた。しかし残念ながらテレビで(NHK特集だったと思うが)紹介されていた制作の難しさは一枚の写真からは知る由もない。さらに廉価版で売り出したがために写真が小さい。その上印刷の解像度が低いような気がした(これは単に気のせいかも知れないが)。石内と言えば人間の肉体を標本写真のようにリアルで解像度高く撮影するところに魅力があると思い込んでいる。そのせいか僕の中では勝手に期待外れなものであった。
竹橋からタクシーで秋葉原。TXで八潮市。今日は八潮の小中学生20人が集まって学生が一人ずつサポートしながら彼らの住みたい家を作るワークショップを行った。子供たちが絵を描きそれを学生が手伝いながら模型にするというものである。午前中からスタートして5時までみっちり。それでも終わらず、残りは学生が作り上げ明日子供とともに発表する予定である。子供のドローイングは未熟で未完なカオスであるがエモーショナルである。まさに今朝、国立近代美術館で見てきたドローイングと同じである。むしろ子供のそれの方がはるかに訴求力があるかもしれない。それはほんの僅かさえも秩序化されていないからである。

September 13, 2008

エネルギー

昼をとってから事務所へ。九州でもらってきた宿題、「樋をやめて軒を出す」。その形状、大きさとディテールを検討する。来週、オープンデスクで来る学生にこの模型を作ってもらう予定。そのためのスタディである。模型写真の上にいくつかのサイズを」書き込み。それなりのディテールスケッチを並べる。最終的に軒の出は1300とかなり大きなものとすることにした。都心の狭小地では軒をとるのは難しい場合が多いが、広大の土地の中で軒が無いのはむしろ不自然である。
鈴新で家族と夕食。帰宅して読みかけだった平松剛『光の教会安藤忠雄の現場』建築資料研究社」2000を手に取り風呂につかる。この本の著者はあの『磯崎新の都庁』の著者である。磯崎の本の取材は大したものだと思ったが、それに勝るとも劣らずこちらも読みごたえがある。安藤建築の是非はともかくとして、安藤さんの建築設計のプロセスや、クライアントの処し方には一つの真理があると思っている。もちろん人間として素敵であろうことは様々な人から聞く安藤像に現われている。

最近。と言ってもこの数カ月という意味ではなく、この数年、やや肉体的、精神的エネルギーが減少して来たように感ずる。昨日のポール・アーデンの言葉にこういうものがあった。「エネルギー  仕事の75%はエネルギーがものを言う。きみにエネルギーがなければ、ただのいい人でいよう」。はて?エネルギーを蓄えるためにはどうしたらよいのやら?

長野生活

9月12日
長野のマンションには冷蔵庫も電子レンジもあるが電気はつながってない。家電製品で使っているものは洗濯機とエアコンだけ。掃除機は使うが月に一度くらいである。椅子はあるが机はない。使っている家具はベッドだけである。これらは皆信大にくることになった時に無印良品でまとめて買ったものだ。普通、買ったものは元をとるまで使うほうなのだが、(使い切らないだろうと思うものは買わない)冷蔵庫と電子レンジは判断を誤った。洗濯機と一緒に三点セットにすると安くなるという甘い宣伝文句にに引っかかった。部屋の広さは、ベッドルームは6畳で畳部屋。襖を隔て中途半端に広めのキッチン。そこに連続した更衣室なしの3点セットユニットバス。
という訳で部屋は恐ろしく殺風景であり、朝起きて歯を磨き顔を洗うともはやこの部屋にいる必然性は全くない。それは夜も同じであり、この部屋には寝る時まで帰る意味がない。そのうえ行きも帰りもあまり寄り道したくなる場所がない。よってこれもほぼ必然的に残った時間いる場所は大学となる。
という訳で研究室の学生は朝早くから、夜遅くまで先生につきあわされる。今日も8時からコンペの打ち合わせ。参加者が乏しく今のところ3名である。まあ少ない方がこっちも真剣になる。
10時からゼミ。今日は参加者10人。とてもよく考えているし、論理性も高いし、僕が読みたくても読んでないような本までよく調べているようなレジメは聞いていて気分がいい。スーッと脳に流れ込む。しかしそういうものは残念ながら少ない。毎日何してるの?と聞きたくなるようなものが多い。事情はあろうから問わないが最後は自分に跳ね返る。昨晩ベッドで読んでいたポール・アーデン(広告界の天才)の本を読ませたくなる。
この本のタイトルは長い。『大事なのは今のあなたじゃない。この先、どのくらい上を目指そうと思っているかだ』なんとここまでがタイトル(ファイドン2005)。そしてページをめくるとそのタイトルのボディコピーが続く「金持ちや権力者の大部分は特に才能に恵まれていたり、高等教育を受けていいたり、人間的魅力があったり、格好がよいわけではない。彼らが金持ちや権力者になれたのは、そうなりたいと願ったからだ。どこを目指すか、どういう人になりたいかという目標がきみの最大の財産だ。目指すゴールがなければ得点を挙げるのはむずかしい」 まあ半分誇張だが、基本的にはそのとおりだと思う。
午後の会議を終えて、雑用をこなし帰ろうと思ったら八潮ワークショップのパネルを見てほしいと言われる。メールで送られてきたのを見たつもりだったが、A3で見ていたせいか、A1のプリントアウトを見ると、いろいろと荒が見えてきた。修正を指示。これは僕のミスといえばミスなのだが、指摘したことはフォントの不揃いである。怠け心ではなく本気でこれに気づいていなかったのなら進路を変えた方がいい。
東京駅で丸善に寄ったら竹中のHさんとばったり会う。しかも会ったのがハイデガー書架の前である。お互い苦笑。事務所に戻り一仕事して帰宅。


September 11, 2008

南へ行って北へ行く

7時50分のANAで大分へ向かう。スタッフのyさんと1/30の模型箱2つを機内に持ち込む。地上係員は箱が大きくて最初はためらっていたがなんとか持ち込みを許可してくれた。機中、竹内久美子の『そんなバカな』文春文庫1994を読む。著者は大学では分子生物学を学び博士課程で動物行動学に転向し、文筆家になった方。知る人ぞ知るなのか、知らない僕が無知なのか分からぬが、スタッフのyさんも読んだことがあるという有名な本(のようだ)。内容は遺伝子や動物行動などなど。いや面白いのなんのって生き帰りの飛行機の中で読み終わってしまった。こんな本を高校時代に読んでいたら生物の試験が20点台なんてこともなかったろうにと妄想をいだいた。
大分は晴れ。迎えの車に乗り40分。10時半から昼食をはさんで4時ころまで、今後のスケジュールを踏まえクライアントの用心棒のようなエンジニアの方と、実のある打ち合わせができた。この先の検討事項は山積み、そのうえ時間はないのだが、クライアントも用心棒も我々事務所に最大限のリスペクトを示そうとしてくれており、これならなんとか最後まで行けるような気になってきた。
帰りの機材は行きのエアバスより小さいせいか模型箱が荷物棚に載らず、空いている席にくくりつけてもらった。スチュワーデスに規定外のものを持ち込むなと3回説教された上に着陸前のアナウンスでも手荷物の注意が放送された。そんなに怒らなくてもいいのに。浜松町でyさんと荷物をタクシーに乗せ、僕は東京駅から長野へ向かう。車中『自由の条件』を読み続ける。因果関係に縛られた世界に自由はないのかという問いは、因果関係とは自由の上に成り立つという形に問い方が反転された。反転好きの大澤節炸裂である。そして大澤はこう言う。現在の結果を規定する過去の原因とはその当事者が原因だと認定することで初めて原因になるのであると。つまり乱暴にまとめれば現在の結果に対する原因を特定するのはその当事者の自由であるということだ。なるほどそう言えば世の中に多くの歴史(観)が存在するのは、歴史家の自由裁量があるからに他ならないわけだ。歴史家を持ち出すまでもなくわれわれは身の回りの事象を身勝手に理由づけているわけである。

模型

9月10日
九州プロジェクトの構造打ち合わせで金箱さんと担当の田村さんが来所。この建物は住宅のようなものなのだが空間が大きい。階高もスパンも大きい。大空間の建物ならそれなりの部材のディメンジョンを受け入れられるのだが、住宅だと思うと少しずつ大きい。梁せいも一番大きいものは900である。柱も6寸なんて寸法が少なからず出てくるのである。はじめての寸法がばかりである。心配なのは、お金と施工。こんなことも一度やってしまえばそれまでなのだろうが。まああわてず騒がず。
オープンデスクの竹森君は明日までだが明日は会えないので夕食を一緒に食べに行く。四谷三丁目名物激辛ラーメンへ。辛いのは平気というので、激辛3番を勧める(激辛は5番まであるので3番は真ん中である)。しかし登場したのは血のように赤いスープ。一口飲んで咳きこむ竹森君であった。事務所に戻り明日持っていく模型の撮影などなど。本当は持っていきたい模型が山のようにあるのだが、流石に飛行機でいく限り持っていくものには限度がある。その昔シンガポールのコンペで隔週、シンガポールに巨大模型を運んだことを思い出す。あの頃はいろいろと航空会社に無理行って模型をギャレーに置いてもらったりしたのだが。普通のチケットではそれも限度があるだろう。家に帰って模型を鞄につめかえたり。いろいろ大変。

September 9, 2008

自由

世の中で起こっている様々な事象には常に原因がある。つまり身の回りのあるいは自分自身の行動から精神状態にいたるまでそれらは因果関係の連鎖の上にある(場合が多い)。とするならば、そこには私の意志が介在する余地があるのだろうか?つまり私の自由というものが存在するのだろうか?まだ読み始めたばかりの『自由の条件』(大澤真幸)はこういう問題提起で始まる。クライアントの家への生き帰りこの話を読みながら、妙に納得する。建築家の仕事はかなりの部分が自由な創作だと社会的には思われているかもしれない。しかし大澤の言うように、それが大きな因果関係の連鎖の中にあることは明らかである。私とは何なのか?
午後九州プロジェクトの設備の打ち合わせで九電工が来社。図面作成スケジュールを打ち合わせる。夕刻k-projectの打ち合わせで宗田工務店の宗田所長、大工さん、材木屋さん、プレカット屋さん、金箱事務所の松原さん来所。最近の仕事は中国工場も含めて、まともな施工図が上がってこない。とにかくどこもかしこも目を覆いたくなるような体たらくである。それに比べて、宗田さんは徹底して自分で施工図を書いてくれるし、段取りよくこうした打ち合わせが実りある。ありがたいことである。クライアントの理解と施工者の技術があるレベルに達したとき、初めて設計者には自由が生まれる。

September 8, 2008

浅草

浅草観光文化センターの改築がコンペになった。六角さんが審査委員長である。浅草の雷門のはす向かいにある建物なのだがまったく記憶にない。少なくとも年に数回は訪れる場所なのだが、、、それだけ現在の建物は特徴がないということだろう。もともと銀行の建物を区が買い取ったらしく銀行と言われればさもありなんという外装である。建物をチェックしに浅草に行く。平日の午後の浅草は閑散としていると思いきや、仲見世は結構な人である。歩いているのは中国人観光客が多い。もちろんそれ以外の国の観光客もかなりいる。仲見世と垂直に走るアーケードを突っ切り縦横無尽に歩いてい見る。断片的な浅草のイメージが少しづつつながった。浅草寺に出たところでおみくじ。「凶」である。コンペをやめろという天の思し召しか?
それにしても雷門あたりから見える、アサヒビールのオフィスとビアホールはかなりシュールだ。台東区と墨田区が河をはさんで対決しているような、、、アサヒビールの本社ビルがビールの液体と泡を模したデザインだと聞いたら観光中の西洋人は驚くだろうなあ?そんなジョークで伝統的な街並みを破壊していいのか?でもこれが日本なのだろうとわけのわからぬ自虐的な諦観に吸い込まれていく。夕刻人に会いその後帰宅。大澤真幸『自由の条件』講談社2008を読み始める。こういう厚い本は最近苦手である。厚い本を持続的に読む元気がないというわけではなく、厚い本を持ち歩く体力がないのである。

September 7, 2008

暑い法事

義母の13回忌があり白金の覚林寺に行く。かみさんの兄弟、子供と会う。いつも暑い季節である。今日も暑い。毎回少しづつお坊さんの読経が上手になるように感ずる。焼香の時の木魚と鐘の響きが心地よい。墓を洗い卒塔婆を建て焼香し寺を出て裏の都ホテルで食事。別に大したものを頼んでないのにゆっくり出てくる。酒も飲まずに2時間もかけてリラックスした食事である。ホテルの車で目黒に出る。新宿を回り買い物をしてから帰宅。

タイ料理

午後一で九州プロジェクトのクライアントと打ち合わせ、赤坂の事務所に向かう。お盆明けに打ち合わせする予定だったが忙しい人で今日まで延びていた。打ち合わせ開口一番「今日はどのくらい時間が取れますか?」と聞くと「1時間」という。それでは終わらないと思いつつ山積みされた議題を次から次に話す。話すそばからクライアントの社長は横道にそれていく。それをもとに戻し内容の確認をする。たびたび秘書がやってきては社長は席を離れる。その間、社長の部下に説明をするが、結局社長がもどると再度同じ説明となる。1時から始まり、当初予定では2時までだったが、こちらの内容が多いということにも気を使ってくれたのか3時まで打ち合わせをして終了。来週は九州まで追っかけて打ち合わせ。日程を決めてお暇。
この仕事は打ち合わせごとに精力を搾り取られるような感じである。ああ疲れた。夕刻事務所にいたスタッフを誘って夕食を食べに行く。四谷駅と事務所の間くらいに「若葉」という有名な鯛焼き屋さんがあるのだが、その前にタイ料理屋があるという。今まで若葉の鯛焼きは数回買ったことがあるがこのタイ料理屋には気がつかなかった。ちょっと甘めだがタイ人ばかりでやっているようでなかなかいける。

September 6, 2008

地鎮祭

午前中k-projectの地鎮祭。ここ数年地鎮祭をするクライアントがいなかったので(中国ではそれらしきことをやったようだが僕は出席しなかった)久しぶりである。今日の神主さんは低音でヴォリュームも低め。暑い日にはこのくらいがちょうどよい。
既存家屋と緑で敷地の全貌が見えなかったのだが、解体してみると改めて都心の一等地にしては広い場所だということがよくわかる。角地であることに加え、区の緑化条例でコンクリートブロック塀を撤去するよう指導されているので更に視認性の高い場所となるだろう。ということは建物もよく見える。緊張するな。
午後は事務所で粛々と仕事。明日のプレゼンに向けて照明計画をまとめる。スキャナーをコピー室から拝借し、昨日描いたパース、色塗りした平面、カタログをスキャン。イラレでA3、2枚のシートにまとめる。
夜模型の進捗その他打ち合わせ資料の内容を見る。自分の思い入れなのか、作りこみなのか、ディテールの問題なのか分からないがちょっと前まで希薄感が否めなかったのだが少しずつ詰まってきたように感ずる。

September 5, 2008

照明計画

9月4日
朝「ヤマ」(住宅)を訪れる。しばらく話をして11時ころ事務所にもどる。午後は九州プロジェクトの照明計画を練る。照明計画を練る時はいつもいったいこの建物のコンセプトが照明で表せるのだろうか?と考える。今回は何か?ひとつは原初性。たてものがとてもプリミティブだからそれを照明も表したい。もうひとつはテラスが大きい計画なので内部と外部の連続性を照明が補強するような計画にしたいという2点である。天井の高い場所が多いの難しい場所も増える。久し振りに各社のカタログを見たのだが、まあ器具がデザインを鼓舞するようなところまではいかない。
夜10時ころ竹中でバイトをしている研究室の工藤さんが遊びにきた。遅めの夕食を一緒にする。竹中は明日で終わりだとか。

September 3, 2008

夏戻る

突如戻った夏。炎天下リーテムに打ち合わせに行く。中国工場の仕上げ材料を決めるため社長との打ち合わせ。中国から持ち帰った素材と模型写真を前に議論。外装材のほとんどは決まった。ほっとする。内装材も概略見えてきた。あと数回は建材市場に通わねばならないだろうが、方向性は出ただろう。打ち合わせが終わると4時。今日は朝から何も食べないままに夕方になってしまった。さすがに5時ころこらえきれずに食事をとる。その後九州プロジェクトのデザインの甘いところを詰めていく。1/30の模型を見ながら、家具、素材、構成を詰める。まだまだ時間がかかりそうである。見ていくとおかしな所がいっぱいある。帰宅後福岡伸一『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書2007を読む。竹内薫が現代人の必読書と帯に書いていたので思わず買った本である。

あずさ

9月2日

午前中は長野で会議。厄介な議題で座長の私としてはほとほと困り果てる。午後は大学の車で松本へ。ここでも会議。こちらは二人で座長なので気が楽だが、こちらは相手が多く各学部長である。それはそれで緊張する。終わって松本駅まで大学の車で送っていただく。松本の本部キャンパスから駅までは結構遠い。バスで15分はかかるだろうか。なんとか5時前のアズサに乗ることができた。車内では『影の歴史』を読み続ける。話はジョット、マザッチョ、フィリッポ・リッピ、デユーラー、ダ・ヴィンチらの影の描き方と続く。去年見てきた絵である。マザッチョのフレスコ画では、サンタ・マリア・デル・カルミネの窓の位置を考えて、その方向から入る光に合わせてフレスコ画上の影が描かれているという。フレスコ画ならではのテクニックである。夜事務所にもどる。僕の研究室の竹森君がオープンデスクで模型作製中であった。明日の中国打ち合わせ、週末の地鎮祭、施主打ち合わせの準備等について、各スタッフと打ち合わせ。

September 1, 2008

事務所と大学

事務所にいるときは比較的静かに作業をする習慣がある。打ち合わせの時以外は誰も話さず騒がずである。一番うるさいのはたまにやってくるメーカーの営業か、洋書屋のおじさん。夜の誘いに立ち寄る悪友も黙々と仕事をする雰囲気に驚いて帰る。用事で立ち寄るかみさんもまじめな空気に長居は禁物と、さっさと退散する。というわけで僕も必要最小限のことだけを口にする。一方大学に来るとなぜか事務所の数倍話すことが多い。それは事務所での欲求不満が爆発するからではない。大学ではとにかく人と会って何かをすることを集約しているからである。何かを考える場はここにはない。何かを聞いて発言したり、未決事項を決めたり、お願いをしたり、お願いされたり。会議、試験、面接、打ち合わせ、電話連絡、ゼミ、ワークショップ、などなどなどなど。事務所と大学ではジキルとハイドの差である!!事務所は思考の場。大学は生産の場になっている。普通は逆なのだが。

ニーマイヤー

8月31日
早朝事務所へ。施主にファックス、スタッフにメール、古いパソコンからデーターを移動。11時ころ事務所を出て汐留に村野藤吾展を見に行くhttp://ofda.jp/column/。こじんまりしているけれど村野さんの一面を浮き彫りにする質の高い展覧会。村野事務所の原図を初めて見た。ぎっしり書かれている。この時代特有の書き方であろう。断面と平面と姿が一つの紙に書かれているからよくわかる。若い人はこういう図面をよく学んでほしいものだ。帰宅後昨日の新書を読み終える。アメリカの医療の話は読めば読むほど痛しい。午後シーザとの対談が載ったニーマイヤーの作品集を眺める。ニーマイヤーは1907年生まれである。つまり101歳。そして未だ作り続けている。恐るべきエネルギー。彼の建物はサイズが大。かなり大きい。小さな住宅もあるのだが、ほとんどが公共建築。このサイズは一体周りとどう関係しているのだろうか?僕らが学生の頃はブラジリアを始めこの巨大サイズが批判されていたものだが、半世紀以上作り続けていると評価軸もまた変わるものなのか?何時かブラジルには行ってみたいものである。
夕刻降り始めた雨の中を長野に出かける。よりによって出かける時に降らないでほしいのだが、このところお決まりの夕刻の大雨である。車中ヴィクトル・I・ストイキツァ著、岡田温司他訳『影の歴史』平凡社2008を読み始める。絵画の起源は自らの影をトレースするところから始まったそうである。分厚い本である。