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南へ行って北へ行く

7時50分のANAで大分へ向かう。スタッフのyさんと1/30の模型箱2つを機内に持ち込む。地上係員は箱が大きくて最初はためらっていたがなんとか持ち込みを許可してくれた。機中、竹内久美子の『そんなバカな』文春文庫1994を読む。著者は大学では分子生物学を学び博士課程で動物行動学に転向し、文筆家になった方。知る人ぞ知るなのか、知らない僕が無知なのか分からぬが、スタッフのyさんも読んだことがあるという有名な本(のようだ)。内容は遺伝子や動物行動などなど。いや面白いのなんのって生き帰りの飛行機の中で読み終わってしまった。こんな本を高校時代に読んでいたら生物の試験が20点台なんてこともなかったろうにと妄想をいだいた。
大分は晴れ。迎えの車に乗り40分。10時半から昼食をはさんで4時ころまで、今後のスケジュールを踏まえクライアントの用心棒のようなエンジニアの方と、実のある打ち合わせができた。この先の検討事項は山積み、そのうえ時間はないのだが、クライアントも用心棒も我々事務所に最大限のリスペクトを示そうとしてくれており、これならなんとか最後まで行けるような気になってきた。
帰りの機材は行きのエアバスより小さいせいか模型箱が荷物棚に載らず、空いている席にくくりつけてもらった。スチュワーデスに規定外のものを持ち込むなと3回説教された上に着陸前のアナウンスでも手荷物の注意が放送された。そんなに怒らなくてもいいのに。浜松町でyさんと荷物をタクシーに乗せ、僕は東京駅から長野へ向かう。車中『自由の条件』を読み続ける。因果関係に縛られた世界に自由はないのかという問いは、因果関係とは自由の上に成り立つという形に問い方が反転された。反転好きの大澤節炸裂である。そして大澤はこう言う。現在の結果を規定する過去の原因とはその当事者が原因だと認定することで初めて原因になるのであると。つまり乱暴にまとめれば現在の結果に対する原因を特定するのはその当事者の自由であるということだ。なるほどそう言えば世の中に多くの歴史(観)が存在するのは、歴史家の自由裁量があるからに他ならないわけだ。歴史家を持ち出すまでもなくわれわれは身の回りの事象を身勝手に理由づけているわけである。

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