世俗政治
早朝霧と雨の現場へ向かう。新しい地縄を確認する。建物がかなり道路に近づいてきた。建物のヴォリュームを強調する意味では悪くはないが、敷地の中での奥ゆかしさがやや足りない。ここはぎりぎりの決断なのだが、クライアントを含めこの地縄で行こうという合意に至る。飛行機を遅らせ1時半のanaで東京へ、事務所に戻る。スタッフといくつか打ち合わせし帰宅。
夕食をとりながら、かみさんが聞く?「どこ行ってたんだっけ?」「大分」と返事。「そうそう大分ね、、、」「今日はどこ行くんだっけ?」と聞かれ「長野」と返事。「長野寒いわよ」。風呂に入ってさあ出かける段になり「あれ?どこ行くんだっけ」と再度同じ質問。「そう長野ね」。あと1時間いるとまた同じ質問が飛んできそうである。
車中『ラカンはこう読め』を読み続けるが、疲弊した頭にはちょっときつい。高崎でラカンは休憩。野中尚人『自民党政治の終わり』ちくま新書2008を読む。政治の話は時代劇のような娯楽である。本来は倫理と哲学の実践の場であるはずの「政治」が世俗的なワイドショーネタのように感ずるのは書き手のせいだろうか?