自由
世の中で起こっている様々な事象には常に原因がある。つまり身の回りのあるいは自分自身の行動から精神状態にいたるまでそれらは因果関係の連鎖の上にある(場合が多い)。とするならば、そこには私の意志が介在する余地があるのだろうか?つまり私の自由というものが存在するのだろうか?まだ読み始めたばかりの『自由の条件』(大澤真幸)はこういう問題提起で始まる。クライアントの家への生き帰りこの話を読みながら、妙に納得する。建築家の仕事はかなりの部分が自由な創作だと社会的には思われているかもしれない。しかし大澤の言うように、それが大きな因果関係の連鎖の中にあることは明らかである。私とは何なのか?
午後九州プロジェクトの設備の打ち合わせで九電工が来社。図面作成スケジュールを打ち合わせる。夕刻k-projectの打ち合わせで宗田工務店の宗田所長、大工さん、材木屋さん、プレカット屋さん、金箱事務所の松原さん来所。最近の仕事は中国工場も含めて、まともな施工図が上がってこない。とにかくどこもかしこも目を覆いたくなるような体たらくである。それに比べて、宗田さんは徹底して自分で施工図を書いてくれるし、段取りよくこうした打ち合わせが実りある。ありがたいことである。クライアントの理解と施工者の技術があるレベルに達したとき、初めて設計者には自由が生まれる。