« アンビルトプロジェクト | メイン | 保育室で忘年会 »

魯山人

魯山人を支援する魯山人會の発起人に名を連ねていた山田了作の息子、山田和が『知られざる魯山人』という本を書いている。それによると、山田了作は魯山人と交友が深く、彼の家は魯山人の食器、書画で溢れていたそうだ。そんな彼が魯山人の器を欲する知り合いを前に、一つの名器を差し出し「この器はすばらしいが一つかけているものがある。何か?」と問うたそうだ。答えられない知り合いに、彼は「その器にのっかるべき料理だ」と言ったという。器は見るものではなく、使うものというのが魯山人の信念だった。
もともと僕は陶芸に興味を惹かれその勉強をしてみたかったが、違う道に進んでからは興味の中心にはなくなってしまった。しかし私の配偶者のおかげで結婚後少し見る目がついた。彼女は小学校の低学年のときから魯山人のようになりたかった人で嫁入り道具の代わりに、盛岡の古道具屋で買いあさった骨董品を食器として持ってきた。そして毎日のようにそれを使い、旅行に行けば骨董品屋は旅行ルートに常にある。骨董というものは数百年の使用に耐えているだけあって落としてもそう簡単には壊れないものである。盛岡から郵送したものの中には割れたものも多々あったようだが、壊れず着いて使われたもので20年間で割れた物は数えるほどである。
魯山人の言うように使うと器はいい物である。食材が引き立つ。なんて当たり前の言い方だが、そう思うことはある。建築もそうだと皆言うが、人を引き立たせるために建築を作っている魯山人のような建築家なんてそういるわけでもない。それは無理からぬことである。魯山人は料理人でもあったのだから。人を引き立たせる建築は魯山人以上の離れ業をやってのけなければ達成できないはずである。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://ofda.jp/lab/mt/mt-tb.cgi/3454

コメント

楼主,是你让我深深地理解了‘人外有人,天外有天’这%e

コメントを投稿