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January 31, 2013

一部生の卒計を見て思う

理科大一部の卒計が昨日締切で採点が始まった。採点締切日まで全日程が埋まっているので今日必死に全部見た。会議の合間を縫って少しずつじっくり見た。3回ほど行ったり来たり。終わったら夜。40近くを見るのは結構大変である。
例年一部の方が二部よりちょっとレベルが高いような気がしていたのだが、今年は甲乙つけがたい。上位5作品くらいを比べてみるといい勝負である。いや、本音で言えば二部の上位作品の方がよく考えられているしリアリティも高い。コンセプトや論理性から見ても地に足がついていている。一部の案は少々幼いし単純な気がする。かけられる時間が少ないのも原因かもしれない。来年からはもう少し早くから準備をさせた方がいいのかな?

January 30, 2013

音のイベント


浅草にあるシュタルク設計のきんとん雲ビルの最上階はイベント会場である(ということを最近知った)そこで福永敦ハリーバリーコーラス―まちなかの交響、隅田と浅草という音のイベントをやっている。セットエンブの入江君に教えられ入場券もいただいたので夕方行ってみた。どういうものかと言えば、浅草周辺で採取した様々な音を数十個ぶら下げられた小さなスピーカから流すというもの。会場は真っ暗でいろいろな音があっちこっちで流れているわけである。駅のアナウンスとか、お店の呼び込みとか、町の雑音、車の音などなど。町のノイズを取り入れた曲のcdをいくつか持っているのでそれほど新鮮ではなかったが、音がきれいで会場が広いので立体感がした。それにしても数十分いたが客は僕一人だった。この場所でこんなことをしているなんて皆知らないだろうなあ、、、、

January 29, 2013

建築における山口晃体験


山口晃の『ヘンな美術史』の中で著者は伝源頼朝を最初に見た時の印象は最悪だったと書いている。その理由は教科書などで見て想像していた大きさより本物が大きすぎて間が抜けて見えたからだそうだ。ただこうしたスケールギャップも楽しみと言えなくもないと書いている。
建築もぼくらはたいてい写真で知っていて、気に入ればじゃあ見に行こうなんていうことになる。そうするとこの山口晃体験が起こりそうだが、あまりおこらない。そこには二つの理由があって、一つは点景である人や木や家具からスケールが推測できるから。二つ目は建築のデザインボキャブラリーである、建具や目地の慣習的スケールを知っていて全体の大きさが推測できるからである。
しかしまれに点景が無く慣習的ボキャブラリーも無いと一体こいつはどんな大きさ??と一瞬わからなくなる写真がある。いや写真だけではなく、そういう空間に入るとその大きさが把握できずに眩暈を起こしそうになる。そういうことをデザインの手法としてやる人もたまにいるように思う。

大学っていう場所はつくづく健全であると思う

午前中教室会議。午前中のはずが気付いたら1時半。議論が絶えない。
信大で働き始めたころは大学という場所は何決めるのにも民主主義でほとほと疲れた。なんでお招きした講演者のコーヒー一杯の費用を会議で議論しなければならないのかと腹がたった。民間企業では考えられない。基本的に企業なるものは上意下達の世界である。しかるに大学はそういう側面ももちろんあろうが基本は民主主義である。
信大に比べれば理科大は理事会なる経営陣が力を持っているので彼らの命が教員に発せられることもあるのだが、それでも企業に比べればかわいいものである。
加えて教員というものは実に裏表ない正直な人たちが多い。裏で人の足を引っ張ろうとすることはあまりない(もちろん無いとは言わない)。常に表で勝負となる。だから議論が真っ向からぶつかりなかなか収束しない。いらいらするものの、ほのぼのとしている。
大学っていう場所はつくづく健全であると思う。

January 27, 2013

幾何学に体を押し込める日本の服って


朝テレビを見ていたら杉本博司が那智滝を撮影する姿がドキュメンタリーで報じられていた。数日かけて撮っているのだが、晴れた日の光はいやだと少し曇った夕暮れ時を白黒で撮っていた。そのモノトーンを読む感性はとても日本的である。とまあ誰でも思うことだろうが最近読んでいた山口晃の『ヘンな日本美術史』祥伝社2012によれば日本には白描画と呼ばれる黒の線と紙の白だけで描く絵の伝統があるそうだ。まあ鳥獣戯画に始まり、水墨画もそうなのだろう。
モノトーンとは関係ないのがこの本に登場する伝源頼朝像を見ていると日本美術の別の伝統を感じる。それは抽象化。この絵を見ていると顔は写実的として、服はまるで折り紙であり二次元平面構成でも見ているようである。この当時自画像は畏れ多くて見ながら描かず、記憶して別室で描いたとも言う。だから抽象化も必然?、いや、いや、やはり日本人の美意識にはすごい抽象化作用があるのではないか。もちろん絵画に限らず、描写対象である和服自体がそうである?そもそも体に合わせて服は作られるものだろうが、そんなのおかまないしである。人間の体は階級の象徴化なのか?それとも幾何学に抽象化されているのか・

January 26, 2013

理科大卒論の独特な仕組み


朝から一部エンジニアリング系学生の卒論発表会。9時から7時まで。ちょっときついな。来週は修論の発表会。論文サーフィンである。
理科大の卒論、卒計の仕組みは独特である。先ず理科大には中間部の一部と夜間部の二部があり、夜間部は卒論、卒計は選択でどちらかやればいい。一方一部は二つの方式の一つを選択する。それらをここではα方式、β方式と呼ぶ。α方式とは卒計と卒論の両方をやる方式。β方式とは卒論だけやる方式。そうなると、将来設計をしないと決めた構造、設備、材料系のほとんどの人は(今年は実際全部)このβ方式を選択し、意匠、計画系の人はα方式を選択するわけである。去年はへー変わったやり方くらいに思っていたが、冷静に考えてみると、ちょっと違和感もある。αの学生とβの学生の一年間の負荷がだいぶ異なるようにも感じるからだ。αの方がやること多いよなt。まあその実態はわからないけれど。もちろん大変だから負荷を減らせという気持ちはこれっぽっちもない。逆に構造系で将来構造設計をやるような学生が卒計をしないというのはとてもディスアドヴァンテージなのである。あるいは設備でもこれからはそういうデザインできる設備エンジニアが必要である。そういう志の人間は自ら卒計もやるべきなのだが、残念ながらそういうポジティブな学生にまだ出会えていない。

January 25, 2013

モルタル銀塗装の外装が見えてきた。


午前中事務所の新しいホームページの打ち合わせを行う。セットエンブの入江、井上君とOFDAの伊藤君木島さんと3時間密な打ち合わせ。去年の9月くらいにはできるはずだったがのびのびで今日にいたる。
午後西荻の現場へ。足場がとれて銀色の外装が夕日に照らされ幻想的。モルタルに銀色塗り。窓のぼてっとしたプロポーションがはてどこかで見たような気にもなる。スタッフが水無瀬の町家の出窓の話をするので「ああそうかもしれないな」と思う。知らず知らずに水瀬っぽくなっているようでもある。まあそれはそれ。

January 24, 2013

劇的応接間か?


このそりのある屋根がジョギングコースにありいつもちょっと気になる。様式の専門家ではないのでこの形状の由来を説明する知識は持ち合わせていない。しかし住宅でこんな屋根を載せてベージュのモルタルリシンの外壁と濃茶の瓦、加えて正方形と思える平面で縦長プロポーション。ちょっと見たことない。2階建にしては低すぎるし、平屋にしては高すぎる。ざっくりと天井高4.5メートル。一辺3メートルくらいだろうか。一体どういう用途の部屋なのだろうか。玄関わきのちょっと離れ的な応接間だろうか?かなりドラマチックな空間だろう。でも座るとちょっと落ち着かないプロポーションのような、、、、閑静な住宅街で立ち止まってゆっくり住宅見るのは難しい。ひょこっと現れる付近の人に怪訝な顔をされたりするのでなかなかじっくり見ることができない。というわけでいつまでたってもその実態はよくわからない。

January 23, 2013

お祓い




水戸のギャラリーの建屋ができて水戸八幡の神主さんに来て頂き竣工のお祓い。建物の四方から未完のお庭の隅々まで丁寧に清めていただいた。なんと丁寧な神主さんだろう。さすが国宝水戸八幡。朝一の水戸はとても寒いのだが床暖と南の日差しで畳の広間はポカポカだった。大学に戻り会議。雑用。

January 22, 2013

宇野求先生の書かれた本に懐かしさを覚える


夕方研究室入研希望者7名と3時間ほどかけて面接。へばった。そしてこの中から3名を選ばねばならない。なんとも酷な仕事である。優秀な学生を前に贅沢な悩みでもあるが、とにかく3名を選び終える。
疲れて帰る気にもなれず、昼間宇野求先生に頂いた本、武蔵73会編『僕らが育った時代1967-1973』れんが書房新社を通読。この本は宇野先生の母校武蔵中学高校を73年に卒業されたOB16人と31人のアンケートで綴る60~70年台の精神史。中高OBでこれだけの本をまとめ上げたことに先ずは感服。単なる卒業文集ではなく、精神史としての幅と深さが感じられる。というのも各界で活躍するOBたちが執筆しているからである。
もちろん学生時代の体験から派生する話が書かれているので武蔵の校風が色濃くでているのだが、なんともわが教育大付属とよく似たものだと痛感する。文武両道、先生は好き勝手に教える、多芸、自由闊達。である。執筆者の中にサッカー部の方が数名おられ、音楽家もおられるというのがうれしい。私自身がサッカーと音楽に明け暮れる中高時代だったことが重なってくる。ついでに彼らは67年から73年までを江古田(武蔵のある西武池袋線の駅)で過ごしていたわけだが、私は59年に江古田で生まれその後75年まで江古田で過ごしており、彼らの描写する江古田が自分のことのように蘇るのである。ありふれた言葉だが懐かしい。
僕は彼らとは6年の差で生きてきたわけが、彼らの感じる60年台70年代との一番大きな精神的な差は政治に対する感覚だろうと思う。彼らは政治的には宙吊り状態であったような記述がみられるが、僕らは相対的に言えば個人差はあれど、政治に対する熱は冷めていたと思う。この差は社会が生み出したもので仕方ない。それが結果的にあまりいいことではなかったのだろうと今は思っているが、この当時小学生、中学生の我々に政治にコミットするチャンスはあまりなかったのだろうと思う。それでも僕個人的には小学生の卒業文集に社会主義革命のごとき文章を寄せていたのだから冷めていたと言えば嘘なのだが、そういう心を萎えさせる社会がそこにあったのだろうと思っている。

January 21, 2013

写真分離派宣言とは言うものの


『写真分離派宣言』(青幻舎2012)というタイトルが目に留まった。あれ写真も建築に100年遅れて分離派宣言?と思わず苦笑する。この宣言に名を連ねているのは5人いて全員1963年生まれ。鈴木理策、鷹野隆大、松江泰治、倉石信及、清水穣。写真家3名、批評家2名である。批評家の言葉はおいておき、写真家3名が言いだしっぺ鷹野を中心に二人ずつ対談している内容が面白い。素人の僕が見る限り、鈴木と鷹野は似た者同士、松江はちょっと違う。どう違うかは鈴木、松江の言葉が象徴している。鈴木は写真とは撮り損ねることがあることを前提に撮れたものとどう向き合うかが写真だと言う。被写体と自分の気分を同期させて、他者がつくるきっかけでシャッターを押すと言う。一方松江は100枚撮って一枚を選ぶと言う。つまり鈴木は被写体(他者)任せであり、松江は松江(主体)のイメージを写真にしている。と僕には思える。
さてこんな写真の二つのあり方を読んでいると、なんだか写真は書にけっこう似ていると思えてくる。書も普通は書家の主体的イメージで書いているように見えて、どうも書いている時の空気やら雰囲気のミックスが結果となるように思える。そういう姿は鈴木的である。また一方で100枚書いた中から一枚を選び取るという作業は松江のそれにもよく似ている。結局どちらかではなく両方である。たぶん写真も結局そうなのではないかと実は思う。二人(鈴木と松江)は一見対局に見えるのだが、実は自分のある一面を語っているだけで作業の総体としては両方なのではなかろうか?
ところで分離派宣言といっているのは一体何から分離しているのだろうか?と問いたくなるのだが、どうもそのあたりははっきりしない。デジタルが出てきて写真が変わるという時代の流れの中で何か言いたいということなのだろうが、、、、

January 20, 2013

リスニング上達は音読


今年は運よくセンター試験の監督者に選ばれなかった。信大時代は全教員がやらなければならなかった。それに比べると理科大はありがたい。
試験監督はそれなりに緊張を強いられる。特にリスニングの対応には気を使う。信大時代は毎年同じような模擬ロールプレイ訓練を毎年させられた。それでも毎年不具合が起こるのはどうしてと言いたいところだが、57万人受けて0.01%くらいの再試ならまあいい方では?とも思うのだがだめだろうか?
ところでリスニング試験は監督者の一人は実際に試験者と同様に問題を聞いていないといけない。昔その役をやらされて、聞くだけではなくついでに解いてみたらだいたいできた。まあ僕程度がだいたいできるなんて、このテストは日常会話程度のものだということだ。自分のリスニング力は自分が一番よく知っている。最近外国の通訳なし会議はちょっと焦る。そこですこしリスニング力の改善をしたいとおもっているのだが一体何がリスニング力増強に効くのだろうか?ある人の説(里中哲彦『英文法の魅力』中公新書2012)によると。とにかく簡単な英文をひたすら声を出して読むのがいいそうだ。この人河合塾講師なのでセンター試験受験者にもそう教えているのだろう。翻訳するときはとにかく音読しよう。


January 19, 2013

目には旅をさせよ!!


ディビッド・スチュワート先生から先日いただいた長文のメールの最初の方に「ところで、シネマライズでやっているディアナ・ブリーランドのドキュメンタリー映画見たか?見逃すなよ!」と書いてあった。
ディアナ・ブリーランドとはパリ生まれでアメリカに渡り、50年台にハーバース・バザーでカリスマ編集者となり、60年代にヴォーグ編集長としてファッション界に君臨した女性である。80年代にヴォーグ編集長となったアナ・ウィンターがあの「プラダを着た悪魔」のモデルと噂されているが、この映画を見れば「うっそー!ディアナこそがあのプラダを着た悪魔のメリル・ストリープでしょう」と言いたくなる。部屋に入るなり秘書にコートをぶん投げ、モデルの顔をわしづかみして叫び、スタッフを全員呼びつけ矢継ぎ早に命令する。これはデイアナである。アナ・ウィンターはこれほど激烈な性格とは思えない。
さてこのディアナはとんでもない人だとつくづく思わせる。先ずその発想のユニークさに目を見張る。次にその発想を実現させる粘り強さに驚く。60年代のヴォーグを並べてみればそれに気が付くはずである。しかしそれも10年しか続かなかった。長持ちさせようとしたらあんな編集はできないだろう。最高のモデルを数多連れて世界の秘境まで行くのだから金がいくらあったって足りない。だから10年なのである。しかし無味乾燥な編集を数十年続けていくのに比べたらはるかに意味があった。ファッション誌を芸術の域に高められたのは彼女がいたからである。

この彼女の発想力はどこから来たのか。おそらくとんでもない好奇心からだと思う。実はこの映画を見た後にスチュワート先生にお礼と感想をメールしたらこの映画の英題を知っているかと問われた。もちろん知らないのだが、それは"The Eye Has to Travel",だそうだ。目は常に旅をして新しいものを発見しなければならないということなのだろう。われわれも同じだあなあと改めて思うところである。

January 18, 2013

痛みは突然来る


友人からメールが来た。あの大雪の日に転んで骨折をして場所が悪かったのか入院することとなり、さらに複雑なものだったのか手術をすることになったとのこと。人ごとのようにお大事にとメールをした。転んで骨折なんて老人だなあと内心馬鹿にしていたのだが、今日研究室でちょっと屈んだ拍子に腰に電気が走るように痛みを感じた。あれまずいと思ってじっと椅子に座って本読んでいたら少し良くなったものの基本的に痛い。人のことを馬鹿にしている場合ではないと少々反省。外で配偶者と会っていろいろ用事をしていたら、彼女が急に肩の痛みを訴えた。これはよくおこることなのだが(僕も一度起こったが)五十肩(四十肩)である。急に起こって急に治る。いつものことだがかわいそうである。先日テレビで言っていたがこれは関節の中で骨がささくれだっているのだとか。まあ時の流れには勝てない。あのテニスの錦織圭も腰痛は友達ですと言っていたので、僕も腰痛、足首痛は友達。さらに友達は増加の一途をたどるだろうが。

先日研究室助手にもらったモーラステープなる貼り薬が足首には効いた。腰にも貼ってみようかな?

January 17, 2013

久しぶりに南洋堂で古ーい本をたくさん買った

久しぶりに南洋堂に行って2時間くらい二階のベンチに座りながら本を物色20冊ほど選んで大学に送ってもらった。大正13年から一番新しいものでも昭和23年。2時間そんな古書のページをくくっていたら手がカサカサになってきた。雑にめくると破けそうなほど紙は劣化している。今日はその当時の住宅の近代化をめぐる本を集中して選んだ。昭和7(8年だったか?)年の朝日新聞が行った住宅コンペの優秀作85選はなかなか充実していた。85案の全図面とカラーのパースがついている。30年代の住宅の諸相がうかがえる。しかし不思議なものでこの当時の住宅のプランを見ていると現代の商品化住宅のプランと実によく似ている。およそ100年たっているのにプランが似ているというのはどういうことなのだろうか?生活が変われば住宅も変わるはずなのにプランが変わらないというのは生活が変わっていないのか、生活は変わっているのにそれを入れる器は昔のままがいいと思う人が多いのか?レトロ趣味なのか?一周してまたもとに戻ったのか????

January 16, 2013

芸術学研究


モダニズム勉強会では建築というジャンル以外からの日本のモダニズムへの影響関係をさぐろうと試みている。その一つとしては美学、芸術学からの視点である。そこにあるまとまった書として、昭和5年に出版された、美学研究と、芸術学研究がある。これは芸術学研究全4巻の表紙である。なかなかの装丁。フランス綴じ。僕も知らなかったが袋とじになっているものをフランス綴じという。中古なのでほとんどのページはナイフで切られていたが、まだ切られていないページもある。表紙にarchitekturとあるように毎巻建築の論考あるいは翻訳が載っている。さてこの30年代の美学を核とした言説がどれほどリアルな建築にそれほどの影響を及ぼしたのだろうか?

January 15, 2013

歴史とは勝者の物語


年初からちょぼちょぼ読んでいる半藤一利の『幕末史』新潮文庫2012がめっぽう面白い。同著者の『昭和史』も面白いが勝るとも劣らず。先日高校の先輩ととある葬式であってその帰り歴史の話になり(その方が歴史を学んでいたからだが)「坂牛、歴史なんてものはなあ、戦争で買ったやつの作った物語よ!」と言っていたが半藤さんも同じことを書いていた。曰く『いわゆる明治維新史は勝った者の歴史ですから、、、、』

January 14, 2013

谷川渥の書物のエロティックス


谷川渥先生から年賀状の代わりに小さな手帳サイズの冊子をいただいた。タイトルは『書物のエロティックス』。谷川渥の官能を刺激した100冊の本の紹介という本である。スーザン・ソンタグの『半解釈』、プラトンの『饗宴』に始まり、さてそのあとはほとんど私の知らない世界に突入である。
彼にとってのエロティックスの定義はスーザン・ソンタグのそれであり「あるものがまさにそのものであるということの、輝きと艶を経験すること」。谷川さんは近代で失われた美の本質に常に迫る人であるが、エロティックスもその一つである。

January 13, 2013

カメレオンビル


今朝は寝坊しいて昼近くにジョギング。そのせいか空気が暖かくいい気分。今日は麹町のあたりを走る。遠くに茶色いスパンドレルの建物が見えた。あれあのビルあんな色していただろうか?と不思議に思い近づくと壁面緑化の蔦の葉が枯れて茶色くなっていたのだった。なるほど緑化ビルは色が変わることもある。。紅葉する葉を使えば真っ赤になったり真っ黄色になったりするわけだ。カメレオンビル?

January 12, 2013

国会議事堂改修懐かしいなあ


今日は理科大工学部二部の設計と論文の発表会。それぞれ別室でパワポで発表。設計はさらに違う部屋に図面と模型を用意して昼休みなどに見てもらい採点をした。先生型は常勤非常勤合わせて30名近い。論文は合否判定だが設計は全教員に100点満点採点してもらうので順位が付く。もちろんさまざまな視点の差はあるし、その順位がどれだけの意味を持つかは置いておいてもこうして評価をクリアにみせ、アベレジを出すことに意味はあると思っている。こうして全員の評価を見るとおそらく3つくらいの分布に分かれる。エンジニアリング系の評価、そして建築設計系の先生の評価は2つか3つに分かれる。それはそれぞれの先生の思想による。この国会議事堂を開くという案はやはり意見が分かれるところである。自分自身の卒計が国会議事堂リフォームだったのでこの案には懐かしさを感じる。

January 11, 2013

電車もLED


都営新宿線の車内照明がLEDになっているのに今日気づいた。最近はいたるところでLEDが使われているが、慣れないせいか高輝度ランプに眼がくらむ。実際写真をとると輝度が高いのでランプ周囲が真っ黒になる。午後一部の卒計のゼミやって後期最後の演習発表を行い夜は明日の卒計発表会の練習を聞く。

『αスぺース』春休み前になんとか完成

九段で会議して神楽で卒計発表会の練習に意見して、再び九段に戻り卒論発表の練習に文句言って、夜博論審査会終わってやっと自室に戻って先日届いたできたてほやほやの新刊『αスペース塚本由晴・坂牛卓のエスキスチェック』鹿島出版会を眺める。昔八束はじめさんが何かの本のあとがきに書き終えた傍から、また別の書き方があったのではないかと思うと言うようなことを書いていらっしゃった。何かを表現するということは常に不完全である。それがベストなやり方だったという確信はそう簡単には持てない。もし持てたらもう次を作る気にはなれないようにも思う。出来立ての本を見ながらそんな気持ちになる。しかしそう思いつつも結構面白いなあと自画自賛。今までのワークショップ本とは二つの点が違う。

一つ目はワークショップのテーマである「αスペース」という概念が新しいこと。僕と塚本さんがこの点を最初に結構長々と説明しているが、一言でいえばある目的の建物にほんのわずか(+α)の別の目的の場所を挿入すると建築や町がよくなるといいう考え方である。

二つ目は紙面の構成が単なるワークショップの成果品の羅列ではなく学生のエスキスとそれに対する僕と塚本さんの批評を対話のように並べている点である。

多くの学生さんたちに読んでほしいと思っている。できれば読んだ感想をも送ってもらえればとてもうれしい。


●ワークショップを行ったブエノスアイレス パレルモ大学の紹介ページ



●チーム8のエスキス1日目とそれへの僕らのコメント「ファサードを作れ」



●エスキス2日目とそれへのコメント「もっとアルゼンチンらしく」


●ファイナルレビュー「アサードじゃないの?」 見事塚本賞をゲット

January 10, 2013

心安らぐ四谷の鳩


理科大工学部二部の卒計は昨日が提出で今日から審査。12日が発表会。今日初めて全作品を見たが、去年より出来はいい。3つは主張がはっきりした作品があった。5つはクオリティの高い作品が見られた。とてもうれしい。去年の一部よりは見ごたえがある。教えている側としてはうれしい限りである。12日が発表会で一部二部の全教員に加え全非常勤講師15名は来られるとのこと。ありがたいことである。
山名さん呉さんと作品を見た後食事。四谷に戻るとプラットホームに鳩が一羽。とても平和そうである。心安らぐ。

January 8, 2013

透明なる社会


今日は長い日だった。朝からあっちこっちで人に会い、途中、青山ブックセンターで多量のアート、グラフィック、写真、ファッションのを購入して研究室に送った。2時間本屋をうろうろしてちょっと厚めの本を物色していたら完全に腰がおかしくなった。その後とある方と裏のギャラリーでゲルンハルト・リヒターの新作を見た。なぜこれを見ることになったかというと、ちょっとした理由がある。その方とある本をお互い読んでその内容ととこの作品の趣旨が共通するなあと感じたからである。その本はジャンニ・ヴァッティモ多賀健太郎訳『透明なる社会』平凡社2012(1989)である。そもそも20年以上前に書かれた本である。ポストモダンの総括のような本であり、決定的に新しいことが書かれているわけではない。内容はメディアの発達が生み出す様々な多様性(価値、場所、生活等)の中でメディアは世界を透明にするように見せて実は不透明なカオスを作っている。しかしではそんなカオスがいけないかというとこのカオスだからこそ我々はある一つのオブセッションにとり憑かれることもなく自由に放たれて生きていけるのだとこの時代の状況を肯定的にとらえた書である。だからこそタイトルも不透明な社会ではなく、逆説的に「透明な社会」としてポジティブな響きを持たせている。
今更もろ手を挙げて著者に賛意を表するまでもないが、ポストモダン的な多様でカオティックな社会を否定するつもりも全くない。明日は今日から始めるのが僕の主義でもある。ただ彼流の弱い思考(複数性と不完全性の肯定)には少々飽き飽きしているところもある。ちっとは頑固な親父みたいにふるまうところも必要だろうと10年くらい前からは思っている。
さて話は長くなった、こんなメディアのつくる透明な世界が実は不透明なカオティックというのがこの写真のリヒターの作品にはよく表れているというのが我々の一致した意見だったのである。

January 7, 2013

作品を文章化できるまで作らない


朝、家でやっとメールで送られてきた梗概に赤入れてスキャンして送り返す。事務所経由で大学へ。年末に出した人事書類が、、、、年末に上層部の人事が変わり、、、、、5通の人事書類作り直し、、、、とほほ、、、の仕事始め。卒計のエスキスをして自室で雑用メール。
年末買った『fashionista』no.001に目を通す。昨年座談会をしたアンリアレイジの森永邦彦さんのインタビューが巻頭に載っていた。座談会の時はテーマがコムデギャルソンだったのであまりご自分のことは語られなかったのだが、本書ではご自分の製作方法論の一部が開陳されており興味深い。制作の一番最初に彼がやることはアンリアレイジ全スタッフにメールでその服の説明文を送るということだそうだ。決して会って説明するのではなくメールで説明文を送る。そしてその説明文は最終的なプレスリリースになるのだと言う。これはすごいことである。建築の場合最初のコンセプトの文章が最後までそのまま残るということはおそらくとても少ないのではないだろうか?もちろんその核となる一言二言は残るにしても、、、、、、、
そして森永氏は翌日スタッフの理解度を確認する。それはスタッフを試しているというよりかは自分の言葉を鍛えるためのようである。そしてその文章を送った時には既に作り方から、素材から、全体の造形イメージまでだいたいできているのだと言う。そんな簡単にできちゃうの?と思う向きもあるかもしれないが、逆にそこまで言葉ができていないと作らないのだとも考えられる。ファッション界では稀有な言葉を大事にする彼ならではという気がする。

January 6, 2013

人を呼ぶ方法


午前中は冬休み怠けていた翻訳再開。午後は大学で頼まれていた原稿を思い出して一気に終わらせる。夕方今年最初のジムで少しハードなエクササイズをしたらちょっと疲れた。夕食後堺屋太一の『人を呼ぶ法則』幻冬舎2012を読む。しまったこんな本買うんじゃなかった。大阪万博から上海万博までの自慢話の羅列だった。一つだけ面白いことが書いてあったそれはアトランタの開発をしたアラン・フォーバスの主張する人を呼ぶための6つのアトラクティブス。このうち3つ以上は必要というのが彼の主張。
① 歴史―歴史上の有名事件の現場や建造物
② フィクション―小説などで有名になった場所
③ リズム&ティスト―音楽が楽しく食事がうまい
④ ガール&ギャンブル―女性がきれいでスリルに富む
⑤ ショッピング―名物がある
⑥ サイトシーイング―風光明媚
あれこんなの当たり前?と思いそうだが、人を呼ぶとは観光地とは限らない。例えば大学に人を呼びたくてもこれが使える。歴史的建造物を残し、だれか有名な卒業生の逸話を宣伝する(この建物で卒業試験を受けたとか)。学食の食事をうまくする。生協で売るものをハイティストにする。キャンパスの並木を整備し、楽しい音楽イベントなどを多く行う。これで全然違う。世界の大学はこういうこと必死にやっている。なかなか日本はこういうことは本末転倒だと言ってやらないけれどね。もうやっているところはやっている。

January 5, 2013

首相の年収高いか安いか?


夕刊を風呂で読んでいてこの記事に目がいった。「へー、ドイツ首相の給与は安いもんだなあ」と思ったのだが、記事の内容は「安い」と言った前財務大臣が批判されているというものだった。しかし僕は一国の主くらいはちょっとした企業の社長よりかは給与をもらったっていいと思う(文句をつけたいのは議員である)。日本の首相の給与もネット情報で見る限り昨今ではドイツより低いようである。しかし給与と年収にはおそらく大きな差があるはずである。例えばオバマも給与は40万ドルだが2010年の確定申告した年収は172万8096ドルだそうだ。日本の首相も給与以外に文章通信費というのが年に1000万以上無税で支払われる。講演、著書などの収入もあるはずである。そういう数字をしっかり公表してほしいものである。どう稼ごうが個人の勝手ということもあるが、公人なのだから。

January 4, 2013

長く楽しく、いつも楽しく


今日から仕事始めの方も多くいると思います。本年もよろしくお願いします。私もぼちぼち家で仕事を始めています。仕事があるということは素晴らしいことだとつくづく思います。そして仕事というのは大変だけれど楽しくやりたいと思います。その意味では仕事は結局自分で自分のために作っていくものなのだなと感じます。正月にいろいろな人と会ってますますそんな気持ちになりました。
そんな悠長なことを言っていられないという人も多々いると思います。でもそういう人やそういう場所でも少しでも働くということが楽しいことだと思えるように皆で変えていくべきだと思います。
大学も同じです。勉強することが楽しいことだと思えるようになったらしめたものです。年末に4年生の卒論を見ているときその学生が「論文書いているときが一番楽しい」と言っていました。素晴らしいことです。そしてそういう学生の論文はやはり目を見張るものがあります。楽しい学生は当然ですが自分の発見をしているのです。
今日はかみさんと松坂屋でやっている書の巨匠20人展を見に行きました。まあ建築で言えば、安藤、磯崎、伊東、山本、、、、なんていう展覧会です。これを見ると毎年心が洗われます。そして会場のそばで中国の篆刻家が素敵な遊印を彫っていました。思わず一つ買いました。長楽という印です。長く楽しみ、いつも楽しいという意味だそうです。今年の目標です。

スペースジャンクション展


谷中にspace junction展を見に来た。なかなか谷中は面白い場所になってきた。この建物も寺が所有して芸大生が改装してギャラリーとして使い、カフェなどが併設されるとのこと。展示自体はいろいろなフェイズがあり一言では言えないしパッと見てわかるようなものはあまりないので何とも言えない。でもこういう企画が自発的に行われる環境はいいことだ。かみさんとひょっこり来たら鈴木明さんにばったり出会った。

January 2, 2013

筑波大ラグビー劇的勝利!!!


数年ぶりに大学対抗ラグビーの準決勝を見に来た。12時から第一戦早稲田対帝京。早稲田は今年は対抗戦4位と不調。一位の帝京にものの見事に完敗である。全体のレベルも帝京が上だけれど、外人選手二人がすごいパワーである。留学生選手枠を設けないととんでもないチームができてしまうような気もする。しかしこれから大学の生き延びる道として海外からの学生を入れる傾向はますます高まるだろう。第二戦は筑波対東海。筑波大の前身である東京教育大の付属出身としては筑波の快挙はやはりうれしい。ラグビーが準決勝まで進んだなんて言うのは何十年ぶりだろう。前半風下に立たされた筑波はツートライツーゴールの差をつけられ後半、風上に立ちワントライ差まで詰め寄るも残り5分でトライをとられもうだめかと思ったが残り3分で相手キックをチャージしてそのままトライ。劇的な逆転劇である。あースカッとした。筑波おめでとう。いい試合だった。

January 1, 2013

凶にめげず今年も走る

2013年元旦。先ずは母の墓に親父、兄貴家族でお参り。そのあと深大寺で今年の祈願。家庭、事務所、大学をこれまで以上に楽しく豊かな場所にできますように。そしてなによりも皆が健康でありますようにと祈る。皆でおみくじを引いたら僕と配偶者は双方凶を引く。この寺は凶が多い。嘆いていたら親父が「凶が一番いいのだ」と勝手なことを言っていた。凶が出れば慎重に生きるので悪いことは減ると言う理屈だそうだ。
深大寺から吉祥寺に行き。朝のジョギング用のランニングシューズを買う。兄貴に勧められナイキエアーの新しいバージョンを選ぶ。いくつか履き比べたがやはりナイキエアーはかかとのクッションが違う。かかとと足首が弱い僕にはやはりこれがいいようだ。その後恒例のフグを食べる。親父ももうすぐ90だが滑舌がいいのには驚く。ビール飲んでひれ酒2杯飲めるのには驚いた。今年も元気でいてほしい。