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幾何学に体を押し込める日本の服って


朝テレビを見ていたら杉本博司が那智滝を撮影する姿がドキュメンタリーで報じられていた。数日かけて撮っているのだが、晴れた日の光はいやだと少し曇った夕暮れ時を白黒で撮っていた。そのモノトーンを読む感性はとても日本的である。とまあ誰でも思うことだろうが最近読んでいた山口晃の『ヘンな日本美術史』祥伝社2012によれば日本には白描画と呼ばれる黒の線と紙の白だけで描く絵の伝統があるそうだ。まあ鳥獣戯画に始まり、水墨画もそうなのだろう。
モノトーンとは関係ないのがこの本に登場する伝源頼朝像を見ていると日本美術の別の伝統を感じる。それは抽象化。この絵を見ていると顔は写実的として、服はまるで折り紙であり二次元平面構成でも見ているようである。この当時自画像は畏れ多くて見ながら描かず、記憶して別室で描いたとも言う。だから抽象化も必然?、いや、いや、やはり日本人の美意識にはすごい抽象化作用があるのではないか。もちろん絵画に限らず、描写対象である和服自体がそうである?そもそも体に合わせて服は作られるものだろうが、そんなのおかまないしである。人間の体は階級の象徴化なのか?それとも幾何学に抽象化されているのか・

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