« 写真分離派宣言とは言うものの | メイン | お祓い »

宇野求先生の書かれた本に懐かしさを覚える


夕方研究室入研希望者7名と3時間ほどかけて面接。へばった。そしてこの中から3名を選ばねばならない。なんとも酷な仕事である。優秀な学生を前に贅沢な悩みでもあるが、とにかく3名を選び終える。
疲れて帰る気にもなれず、昼間宇野求先生に頂いた本、武蔵73会編『僕らが育った時代1967-1973』れんが書房新社を通読。この本は宇野先生の母校武蔵中学高校を73年に卒業されたOB16人と31人のアンケートで綴る60~70年台の精神史。中高OBでこれだけの本をまとめ上げたことに先ずは感服。単なる卒業文集ではなく、精神史としての幅と深さが感じられる。というのも各界で活躍するOBたちが執筆しているからである。
もちろん学生時代の体験から派生する話が書かれているので武蔵の校風が色濃くでているのだが、なんともわが教育大付属とよく似たものだと痛感する。文武両道、先生は好き勝手に教える、多芸、自由闊達。である。執筆者の中にサッカー部の方が数名おられ、音楽家もおられるというのがうれしい。私自身がサッカーと音楽に明け暮れる中高時代だったことが重なってくる。ついでに彼らは67年から73年までを江古田(武蔵のある西武池袋線の駅)で過ごしていたわけだが、私は59年に江古田で生まれその後75年まで江古田で過ごしており、彼らの描写する江古田が自分のことのように蘇るのである。ありふれた言葉だが懐かしい。
僕は彼らとは6年の差で生きてきたわけが、彼らの感じる60年台70年代との一番大きな精神的な差は政治に対する感覚だろうと思う。彼らは政治的には宙吊り状態であったような記述がみられるが、僕らは相対的に言えば個人差はあれど、政治に対する熱は冷めていたと思う。この差は社会が生み出したもので仕方ない。それが結果的にあまりいいことではなかったのだろうと今は思っているが、この当時小学生、中学生の我々に政治にコミットするチャンスはあまりなかったのだろうと思う。それでも僕個人的には小学生の卒業文集に社会主義革命のごとき文章を寄せていたのだから冷めていたと言えば嘘なのだが、そういう心を萎えさせる社会がそこにあったのだろうと思っている。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://ofda.jp/lab/mt/mt-tb.cgi/6174

コメントを投稿