反ユダヤ主義がユダヤ人を生み出した?
「私たちは、ジェンダーがセックスと言う自然的なカテゴリーにもとづいて構築されているのではなく、むしろ、ジェンダーが存在するがために、セックスが関連事象になり、したがって、知覚対象のカテゴリーになったのだと考える。ジェンダーが解剖学的なセックスを作り出したのである」とフランス人フェミニスト、クリスティーヌ・デルフィは言った。
つまりジェンダーが先ずあってそれがセックスを生み出したというわけだ。
さてユダヤ人と言う定義困難な呼称も実は上記の通り社会構築的なので上記文章のジェンダー・セックスをユダヤ人・反ユダヤ主義と入れ替えるとユダヤ人と言う言葉の意味が鮮明になる。
「私たちは、反ユダヤ主義がユダヤ人と言う自然的なカテゴリーにもとづいて構築されているのではなく、むしろ反ユダヤ主義が存在するがために、ユダヤ人が関連事象になり、したがって、知覚対象のカテゴリーになったのだと考える」。
つまり反ユダヤ主義がまずあってそれがユダヤ人を生み出したというわけである。
昨晩受験勉強中の娘が「ユダヤ」という言葉の意味を探求することの無意味さを主張した。文系だと高三でそんなませたことを考えるのかとびっくりしたが、たまさかこの本(内田樹『私家版・ユダヤ文化論』文春新書2006第六回小林秀雄賞受賞)のこの部分を読んだばかりだったので教えてあげた。若いうちは言葉には常に不動の実態が伴うと考えるものである。しかしそうではない言葉も存在するということはそのうち分かる。高三にはまだ早いか?