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May 31, 2008

八潮ワークショップ

今日は八潮市でワークショップというのに朝から雨。信大の学生は無事到着するだろうか?この間は水戸に、今日は八潮に。このところ長野県外での学生との活動が続く。事故を起こさないか心配である。しかし人の心配などしている場合ではないかもしれない。こちらもギブスをはめた足をビニール袋で巻いてタクシーに乗る。予定の筑波イクスプレスに乗れず、駅にぎりぎりに到着である。八潮市では高齢者用の公民館を用意してくれておりそこに5大学40人くらいが集合。市で用意した自転車に雨合羽を羽織学生達は調査に散った。5大学の教員達は次回の市民とのワークショップとプレゼンの会場の視察。それが終り自転車に乗り雨の中、中川沿いを散策。3時に公民館に集合して各大学パワポを使いとりまとめ。学生と1時間つきあったら本でも読もうと思っていたがそうも行かなった。5時頃市長が来てお話。6時から懇親会。各大学の自己紹介などしているうちに市長の美声が響き、喉自慢大会に変貌。9時頃教員はお暇。学生たちは夜を徹してパワポ作りか懇親か?

May 30, 2008

昔話

午前中早稲田の講義。今日はグローバリズムvsローカリズムhttp://ofda.jp/w_lecture/2008/requirement/08/01j.phpである。講義後学生の質問を受ける。シュルツによればコルビジュエの建築もゲニウスロキを取り入れたものになっているというが、そうなのか?という問いである。建築をしらぬ文学部の2年生の問いにしてはとても高度であり、こう言う質問をしてくることがとても嬉しかった。うちの大学でこういう質問が出るだろうか?とても不安になる。講義後早稲田で落ち着いたうなぎやを発見。うな重を食う。食後タクシーで病院に行ったら、午前の診察は終っていた。午後は2時半からとのこと、諦めて事務所に戻る。雑務をこなし、あるプロジェクトのブレストをして、夕刻k-projectoのクライアント来社。夜は昔の会社の後輩先輩と会食。その先輩には7月頃信大で講演会をしてもらう予定。地方都市の今後について語って欲しい旨お伝えする。明日は八潮市でワークショップなので早々に帰宅。

May 29, 2008

木曜日

朝から雨。雨が降るといいことはない。午前中にk-projectの概算見積りが届けられた。いまだかつてこれだけ予算に近い見積書は見たことがない。1割増というところである。とはいっても未だ基本設計概算。その後金箱さんが佐久間さんと来所、構造のつめを行なう。コストダウンのためにいくつか変更をお願いする。構造的にはだいたいまとまった。午後昔のクライアントの家にアフターケアに行く。名建築はアフターケアーも大変であるがが仕方ない。ここでくじけると建築が出来なくなってしまう。たっぷり半日かかる。事務所に戻りいろいろ打合せ。コピー機を新しくするかどうか議論。それ以前に改善すべきことがいろいろあることに気付く。もう少し俟つことにする。その後僕の出版を祝いたいという友人と会食。彼は某銀行の部長になり部下が180人もいるとのこと。他友人2名。みないろいろ忙しそうな役職である。僕等も歳をとった。親父にはなりたくないのだが、そういう歳かも。あーいやだ。

May 28, 2008

再生

研究室に届けてもらっていた鈴木博之『現代建築保存論』王国者2001を飛ばし読む。保存の基準とは何か?水戸のプロジェクトで考えいている最も重要な部分である。ここでもauhenticityがキー概念としてでてくる。その日本語訳として、「由緒正さ」という鈴木先生の訳語が紹介される。確かにこの言葉はなかなかよいように思われる。続いて磯崎新編著の『建物が残った』岩波書店1998を読む。午後の製図のエスキス終え、帰りの電車の中でも読み続ける。本書の中の磯崎さんの文章は大分の古い図書館,
新しい図書館そして古い図書館のリノベーションの受託から設計過程まで刻銘に記録されている。磯崎さんの文章は本当に読ませる。建築家の中で最も文章の上手い人ではなかろうか。ストーリーが面白すぎて本当だろうかと思うことさえある。夜事務所にもどりメールで貰っている打合せ記録の確認。拙著をスタッフに謹呈。是非じっくり読んでみて欲しい。金箱さんから電話で中国プロジェクトの構造の監理について。法規が違うので、設計院の設計変更について厳密なアドバイスはできないとのこと。もっともである。10時頃帰宅。

May 27, 2008

統治

午前中卒業ゼミ。m2と4年の発表。このm2が4年の頃は何を言っているのか全く分からなかった。まるで異星人と話をしているようだったが2年たったらやっと同じ地球の人間であるようでほっとしている。とは言うものの同じ地球人として同じ言葉を話しているとなると、それだけに逆に言っていることが分からないと腹立たしい。ゆえになるべく言葉を使わず発表してくれる方がこちらは苛立たない。美しい絵と模型だけ見ていられるのならそれに越したことはない。しかしそれだとこちらもリアクションの言葉のきっかけがないし、結局それで彼等が何かを獲得できるかどうかは賭けである。難しいところである。何をさせることが彼等にとって最も伸びていくことなのかそれは相手の成果とそのプロセスを確認しながら一人一人対応せざるを得ない。
夕刻森政稔『変貌する民主主義』ちくま新書2008を読み始める。この手の本の最近の傾向は現代の主流である新自由主義を中心に話しが進む。しかしこの本はもちろんそうした側面をもちながらもより民主主義における個人の自由の問題がフィーチャーされている。僕にとっても今の自身の興味から言えば、経済的側面より、むしろ政治的な国家統治の方法と効果が気になる。その理由はそうした方法と効果が研究室、事務所、家庭という僕の当面の相手を適切に管理する方法を示唆するからである。例えば今風に言えば最小国家という概念があり、僕は比較的その考え方を指示している。そこでそれに則るならば、つまり僕自身が最小となり管理対象の自由を最大限とするならば彼等は最大の成果をあげかつ最大の幸福を得られるということになる。しかし現代政治の事例はそうした最小国家の欠点も教えてくれる。その欠点からみれば、成員の最大自由が彼等を非生産的にし、かつ不幸にする可能性も常にあるわけである。自由の目盛りをどこにセットすることがベストなのか悩ましい。言い換えればどの程度自由にしどの程度規制(指示)をしていくことがいいのかよく分からない。しかし今のところ、一律に自分のルールを決めることはナンセンスだと言うのが僕の態度である。国家としては数億人相手にケースバイケースと言ってられない。しかし高々3人の家族と、10人弱の事務所と20人程度の研究室ならケースバイケースで人の顔を見ながらやるのがいいのではなかろうか?と今は考えている。しかしこの人数がある閾値を越えるとこれは制度化していくしかないのかもしれない。それは最小の私なのか最大の私なのかは分からないのだが。

May 26, 2008

グローバルローカリティ

アサマの中でバウマン『コミュニティ』の続きを読む。本書は90年代に本格化するグローバリズムによってもたらされるコミュニティの変容を記している。権利上誰でもがこのグローバルという波に乗ることが可能ではあっても、事実上乗ることができるのは一部の人間であることがこの20年間くらいに明らかになった。そしてこの波に乗れた社会の勝者はコスモポリタンとなり世界を闊歩する。そして彼等にとってはある特定の場所に特定のつながりを持つことが出来ない。あるいは特定のつながりを持つことは精神的にも物理的にも面倒なこととなるのである(彼等の持つ性質をバウマンはextraterritorialityという治外法権を意味する言葉で表現している)。つまりグローバリズムという世界を流動化させる社会、経済、政治的な潮流はこうしてコミュニティをも溶解させているというわけである。もちろん、このことが直接グローバリズムの否定にはつながらない。しかし少なくともコミュニティを崩壊させることによって素晴らしい社会が開けているわけではないのだから、この部分はグローバリズムの弊害といわざるを得ない。そして本書の訳者奥井智之氏もあとがきに記しているように、グローバル化と言えば、馬鹿の一つ覚えのように登場する大学のグローバル化という標語が頭に浮かぶ。大学のグローバル化は常に国が提示するお題目である。それは総論としては賛成である。しかし、本書が明示するとおり、ヨーロッパ人でさえ乗り切れないグローバル化に日本人がそう簡単に乗れるものではない。そもそも日本の大学で外国語をまともに扱える学生(教員も含めて)などそうたくさんはいない。それが日本という国なのである。そういう初等教育をしてきたのである。そういう国において、大学にはいっていきなりグローバルだとかかけ声をかけていることが大きな矛盾である。その上大学の個別性も考えず、猫も杓子もグローバルというのはいただけない。ローカルズが集まる地方大学でグローバルって何だ??と逡巡してしまう。
そこで僕は一年前にある研究費を取得するために「グローバル・ローカリティ」という標語を考えてみた。つまり世界の田舎よ手を結ぼうぜという考え方である。つまりコスモポリタンを育てるのではなく国際的視野を持つローカルズを育てようという考え方である。
自分も根無し草のような生活をしながらこう言うことを言うのも矛盾しているかもしれないし、苦し紛れかもしれない。しかしバウマンの言うように世界がコスモポリタンで埋め尽くされる先に豊かさが生まれるとはとても思えないのである。

60年代の東京

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写真池田信『1960年代の東京』p112、毎日新聞社2008

毎日新聞社が出している『1960年代の東京』2008を眺めながら、その古びた東京に驚く。しかしこの驚きは、こうした風景がまるっきり過去のものではなく、確実に見たことがあるという確信があるからこそ生まれるものなのだと思うに至った。上の写真は渋谷駅である。1961年撮影だから、僕が2歳の時である。渋谷に最初に行ったのは多分東急文化会館にプラネタリウムを見に行った時で小学校の1年頃だった。そのとき渋谷がこういう風景だったかどうかそれは分からないが、そうかけ離れてはいなかっただろう。この写真集の解説を書いている松山巌がこう言う「不思議だ。六〇年代の東京が、これほど静かで落ち着きがあり、奥行きや深さをもっていたとは、、、、、。」この言葉はまったく同感である。写真を見ながらどれも既視感があるのだが、自分の記憶と少し違う。それは静けさなのである。自分の記憶は騒がしい、写真の風景は妙に静けさが漂っている。それは記憶と写真の違いなのか、記憶自体が変容してしまっているのか、それはよく分からないのだが。

May 25, 2008

ブックデザイン

5月24日

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午前中午後からの勉強会の本を読む。なんとなくいつも一夜漬けである。もう少し時間を費やせばもう少し早く進むのだろうが、怠惰なものである。勉強会に出かけようとする時にナカニシヤ出版から拙著の試刷りが届く。開けて初めてその表紙デザインを見る。なかなかよいではないか。満足である。その本を持って事務所に行く。今日はA0勉強会。辺見が事務所の前で待っていた。A0メンバーに本を宣伝。ところでこのブログをご覧の皆さん。この本は私の最初の建築論。内容は僕の博論であり、その博論の骨子は東大、信大で講義してきた内容である。そろそろ店頭に出回るかもしれない。大学では生協に並べてもらう予定。いきつけの本屋あるいはアマゾンでお買い上げあるいは注文いただければこの上なく幸福である。
事務所には、今日は珍しくスタッフは誰も来ていない。そのおかげでとても静かである。5時前に勉強会は修了。後一回くらいで本論は終わりそうである。残りは結論やらエピローグやら。勉強会修了後事務所の会計士が来所。決算書の打合せ。会計士という人たちは1円のつじつまを合わせることが仕事である。「そんなの誤差」こちらは言いたくなる。しかしそれは1ミリの誤差を許容しない建築家と同じだと諭される。夜、家族で近所に最近できた天ぷら屋「えび田」に行く。えび田というだけあってたくさんの海老を水槽に飼っており海老の天ぷらは小さいが美味しかった。帰宅して娘の物理の試験勉強につきあう。仕事と仕事率。久しぶりに中学の物理を思い出すと楽しいものである。

May 23, 2008

本完成

午前中早稲田。今日は学生の発表。前回は「おお!流石早稲田なかなかやるな!!」と思ったが、今日はなんとも凡庸な発表が多い。とはいえ2年生にしてはいい線か?今日は発表者以外が審査員となって8人の発表者の中で一番良いものを選ぶよう指示。その結果をホームページに書き込むこととなったhttp://ofda.jp/w_lecture/2008/requirement/bbs/2008/05/post_5.html。授業後事務所で湾岸プロジェクトを考える。70メートルの高さ規制のあるところではいくつかある高層塔ももはやタワーという概念でくくれるものではないことに気付く。どう頑張ったって縦横比は1:2。考え方を変えたほうよいようである。夕刻K-proのクライアント来所。平面断面は概ね固まり、外装はシルバーを提案、了承。
某企業インテリア工事の見積りが一社来たがどうも200万オーバー、減額案を作ったが、70万オーバーくらいまが限度のようである。
やっと『建築の規則』ナカニシヤ出版2008が刷り上ったとのメールが来た。奥付の校正を2ヶ月くらい前にもらった時に出版年が5月25日になっていたが嘘ではなかった。楽しみである。

May 22, 2008

生き返る

午前中にk-proの図面進捗を見る。矩形が長短二面できてきた。高さ方向の寸法の押さえがはっきりとする。階段がやはりぎりぎりの設計である。午後一で昔のクライアントに会いにいく。彼が持つ2000坪の土地の有効利用で話しが長くなる。夕刻病院に行きギブスを取り外し超音波をとる。切れた筋肉がつきはじめているが今後2週間はギブスをつけていないといけないとのこと。古いギブスは汚くなったので廃棄。新しいギブスを作り、のこぎりで二つに割り前半分は廃棄して後ろ半分だけつけて包帯で巻いた。これだと入浴の時は取り外しが可能である。夜はひたすらコンヴァージョンのことを考える。集中できる時間があるとアイデアはいろいろ出てくるものだ。11頃帰宅して1週間ぶりに左足も入浴。生き返る。

May 21, 2008

稲葉の最新の仕事

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午前中は輪読ゼミ。4年からm2まで坂牛研全員が出席するゼミ。この春は余り背伸びせず、誰でも分かる基礎的な読みものを選んでいる。今日は『ラスベガス』である。論旨は簡単なのだが、用語でつまずく。記号、サイン、象徴、などの言葉にひっかかる。こうした言葉は人によって微妙に使い方が異なるのでやっかいである。とりあえずソシュールとパースの定義を説明したがヴェンチューリの用法がどちらかに則っているわけでもない。輪読修了後恒例の名建築平面図暗記試験。今日はファンズワース邸。「こんな簡単な建物覚えて来い!」。と言いたくなる。プロポーションがおかしいもの続出。午後、4年の製図。こんな調子で終わるのだろうか?論点がおかしいとか言う前にやってこない奴が多すぎる。製図が終りアサマに飛び乗る。そう言えば同級生の稲葉なおとが先日メールで文芸春秋に写真を載せたと言っていた。キオスクで買って乗る。東工大の同期で最も名が売れているのは(だから金が儲かっているかどうかは定かではないが)稲葉であるhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%91%89%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%81%A8。彼はマンションやホテルの著作で有名である(ついでにB‘zメの稲葉氏のいとこであることでも有名である)。最近は紀行文を書き沢木耕太郎賞を受賞した。
と宣伝はこのくらいにしてその中身はというとなかなか見ごたえがある。「名匠が遺した宿」と題して村野藤吾と吉村順三の宿11を自らの写真と文章で紹介している。計18ページ。お見事。昨年彼は銀座の資生堂ギャラリーで「ザ・ホテル」と題した写真展も決行した。いつの間にか写真家にもなっているスゴイ奴である。まあ時間があったら本屋で立ち読みしてみください。

May 20, 2008

バウマン

午前中修了、卒業ゼミ、修士2年と4年を対象としたもの。今日の発表は4人。作品つき設計1名、これは覚悟の上だが至って観念的。最初はこれでもいいのだが、、、、論文つき設計は2名。就職活動で出遅れているようでまだまだ、、、、、4年の装飾論は去年のレールがあるのでまあ先は見える。午後は3年生の製図。これでエスキスは終り。後は作るのみである。さて講評会のゲストが決まらない。コンヴァージョン経験者っているだろうか??夕食後ジグムント・バウマン奥井智之訳『コミュニティ』ちくま書房2001を読み始める。著者は最近では『リキッド・モダニティ』で有名だが既に83歳の長老社会学者である。訳者の解説によればこの年になっても未だに年に数冊のペースで新刊を出しているとのこと。世の中にはエネルギーが絶えないひともいるものだ。吉本隆明のごときものであろうか?

漏水

5月19日
午前中会議午後講義、今日は「機能」について。3時から工学部学科全教員の会議、その後建築学科全学生の懇親会。午前中は快晴だったが夕方から雨が降りギブスの内部に漏水である。

May 19, 2008

コンヴァージョン

5月18日
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事務所のスタッフとそお奥方含めて5人で8時半の特急ひたちで水戸へ。目指すはR社創業の地。ここに明治時代に建てられ移築解体された木造2階建ての擬洋風建築が建っている。現地で信大からH先生以下4名の院生学部生と合流。10時からこの建物の実測調査を開始。この建物は某銀行工の機関紙での「茨城の近代建築」という特集にも掲載された。しかし全くメンテナンスされておらず痛みは激しい。更にもともと洋裁学校だったものを移築解体してこの場所に立て直した時にいろいろな変更が加えられた形跡があり本来左右対称のファサードであるだろうものが微妙にアシンメトリなのである。まるでモディリアーニの肖像画である。味があるといえば味がある。とにもかくにも創業の場所としてこの建物を再利用したいという希望でどの程度のことが可能かを調査したというわけである。またこの明治の建物の背後にはこれも他の場所から曳き屋されたという昭和初期の風情のある純和風建築が残っている。こちらも保存論争が繰り広げられたが損傷がひどく、解体の運命となるかもしれない。古いガラスや手の込んだ建具等ついている。誰か部分的にでも再利用したい人はいないものだろうか?だだ崩壊を待つのは忍びない。

May 17, 2008

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娘が修学旅行で不在。外は初夏の陽射し。そこで朝はお茶だけにして、かみさんと六本木の国立新美術館3階のレストランにブランチを食べに行く。そのついでにモディリアーニを見るhttp://ofda.jp/column/。休みだしモディリアーニだし混んでいるものと思いきやそうでもない。日本人好みではないのだろうか?見終わって地下のショップで遅ればせながらの母の日のプレゼントを物色。しゃれた革張りのスケッチブックを発見。その後ミッドタウンまで行き地下のお茶屋で休憩。「ほうじ茶あんみつ」なる不思議なカキ氷あんみつを食す。なかなか香りのよい甘味である。帰宅して小山登美夫『現代アートビジネス』アスキー新書2008を読む。小山氏は言わずと知れた、村上や奈良を世界に紹介したギャラリストである。小さい時から芸術オタクだったようである。合点がいく。

階段

5月16日
午前中は早稲田の講義。歩くのは早くなったが、地下鉄を乗り換え階段を上下するのはちょとつらい。車で行く。建築の条件4回目の講義。今日は「階級性と平準性」http://ofda.jp/w_lecture/2008/requirement/06/01j.phpというテーマ。社会の階級制度と近代におけるその瓦解、そして現代における格差、こうした社会制度の変遷がファッション、建築をどのように規定してきたかについて話しをした。ファッションと建築の並行関係は話していてとても楽しい。こちらが楽しいと学生も楽しいのだろう。30名余りの学生が一人も寝ていない。これはなかなか嬉しいことだ。
昼にk-proのクライアント夫妻来所。昼に事務所に来ていただきランチミーティング。住宅の打合せは往々にして土日にクライアント宅で行なわれお互いの休みをつぶすことになる。平日ランチミーティングだと多少忙しいが効率的である。今日は階段の勾配について議論。僕等は勾配を緩く保つために意匠を妥協した。すると急でもいいから意匠を優先しようと言う。さらに根太のかけ方から考えて勾配を緩くすることは可能ではないかと鋭い指摘。僕達以上に構造の伏図が即座にイメージできている。構造家なのだから当然と言えば当然。その昔kさんと一緒に設計していた頃を思い出して思わずおかしくなってしまった。
夕刻医者に行って昨日固定した硬化包帯の一部をのこぎりで削り風通しを良くしてもらう。来週にはふくらはぎ部分を切断して、入浴時は取れるようにしてくれるそうだ。よかった。
クライアント打合せが今日3つ集中。k-pro以外はスタッフに任したので夕刻その報告を聞く。その後、湾岸プロジェクトのコンセプトメークのためのスケッチとメモを作る。この手の仕事は日建時代にさんざんやった。だいたい最初はA3、1000分の1でスケッチしていた。しかし今回は2000分の1にしないとサイトが入らない。敷地がかなり大きいということである。

May 15, 2008

打合せいろいろ

朝一で近くの整形外科に行く。レントゲンと超音波を撮ってもらう。案の定放っておけば直るというようなものではなかった。硬化する包帯で固められた。これで歩くのは遥かに楽になったが、、、格好悪い。
事務所に戻る。西澤君からメルクリvs青木淳の展覧会の案内が届いている。彼が展示デザインを担当したようだ。楽しみである。事務所の溜まっていた雑務をこなし午後に来客。ある地方都市の湾岸デザインを依頼される。この手の企画段階の仕事はこれまでついサービスでやることもあったがそれはだんだん難しくなってきた。もちろんフィー以上に次に繋がるかどうかがポイントなのだが。それは企画会社であるクライアントの力次第である。その後k-projectの図面をチェック。展開図がまだ未完。しかし展開を見ていくとまたいろいろ考えるべきことが見えてくる。終わって中国の進展状況を聞く。いろいろと問題はある。しかし来週ナカジが渡中するのですこし進展するだろう。その他いくつかのプロジェクト打合せ。

May 14, 2008

けがその後

8時半から臨時会議。9時から大学院の講義。欠席が多い。どうしたのだろう?昨日の製図も20人くらい欠席だったが。午後4年生の製図のエスキス。少しずつ進んでいる学生もいれば、全く進歩の見られない学生もいる。僕の部屋の学生な前者の方なので安堵する。エスキス終り東京へ。車中稲葉振一郎『『公共性』論』NTT出版2008を読む。『モダンのクールダウン』は読みやすい本だったがこれはちょっと手ごわい。引用されている書物が馴染みの薄いものばかりだからなのだろうが。東京駅へ着き、足は痛いが丸善へ向かう。その途中で大手町の企業に勤める中学の同級生にばったり会う。引きずっている足を見られた。アキレス腱を負傷したらそれなりの医者に見てもらえと警告される。そうかもしれない。丸善では1960年代の東京という写真集を思わず手に取る。ぺらぺらめくり自分の生まれた頃の東京の風景を思い起こす。確かにトロリーバスが走っていた。とは言えこんなに「昔」だったのだろうかと目を疑う。美術、哲学、建築と周り十冊くらい宅配を頼み帰宅。事務所に寄ろうかと思ったが足の調子がよくならないので、電話で話しをして打合せは明日。帰宅後友人でパラリンピックコーチの盲学校の教師に電話。けがの相談をする。ひざ下のけがは内出血が足首にたまりそれを体内に戻さないと痛みは取れないと指摘される。確かにその通り。足首周りが真っ青になったまま青みが取れない。そろそろ暖めて内出血を溶かすように指導される。ここまで来るとしかたない。明日は病院に行くしかない。

May 13, 2008

台風

朝の5時頃のこのことベッドから抜け出る。外はどうも大雨である。台風が接近しているようだ。不気味である。中国の地震の惨状は未だこの時間のテレビニュースには流れていない。朝食はトーストに目玉焼きとソーセージにレタス。ミルクティーをマグカップ一杯たっぷりと飲み家を出る。足の調子はまだあまりよくない。仕方なくタクシーに飛び乗る。早朝の都心は実に早い。ものの10分で東京駅である。6時半のアサマまでまだ40分もある。まあ余裕があるに越したことは無いのだが、それにしても早過ぎた。待合室で大澤さんの本の残りを読むのだが、この本(『資本主義のパラドックス』)は眠い頭には全く浸透しない。
長野は打って変わって快晴。しかし風が強く寒い。駅から、また仕方なくタクシーである。ああ健康体で無いということはなんとコストがかかることか!!午前中ゼミ。信大でも早稲田でもそうなのだが、ディベートのようなことをしたいと思うし、それこそが最も成長する方法だろうと思っている。しかし、なかなかその機会を作れない。作って失敗すると、つまり自主的な発言を待ってそれが起こらないと時間の無駄だし、場がしらける。あるいは無意味な会話が継続することも恐れる。ディスカッション恐怖症??カナダ出身の信大の先生がどこかに書いていた。日本の学生はやる気があるのかないのかまるで分からんと。いやそりゃ本当。なにも信大に限ったことではない。皆おしのように黙っているのが日本の学生の特徴。アメリカでは学生の質問を先生が制す。日本では先生が学生に質問する。国民性の違いと言えばそれまでだが。午後製図。夕食後読書。

May 12, 2008

実施設計

午前中、事務所の雑務を終わらせ、k-projectの打合せ。実施設計とは最後になればなるほど気がつかなかった問題が表面化する。だからなるべく最初のうちは多少大枠を壊してでも易しく解いておかないといけない。のだが、今日はすでにかなり無理をして強引なディテールを考えながら解決してしまった。最後につけが回らなければいいが。
ずれ込んでいる5月の月間、来年4月までの年間ワークスケジュールを作りスタッフと調整をする。午後某企業のインテリア改装の打合せ。時間が無いのと改装なので読めない条件が多い。失敗しないように戦略をたてるのが難しい。時間があればなんでもするのだが、、、、。痛めた足がなかなか回復しない。困ったものである。夕方スタッフに湿布薬を買いに行ってもらう。今日はひどく寒く足がずきずきする。早々に帰らせてもらった。夕飯を食べながらテレビを見ていたら福岡の小学校教員である木村拓也が政治家の父親の跡継ぎで選挙に出させられる「チェンジ」というドラマをやっていた。どうもゆくゆくは総理大臣になるというストーリーのようだがこのキムタクの出身大学が信州大学という設定になっている。彼が星を見るのが好きだからというのがその理由のようだ。なるほどやはり信大=自然と言うのが世の中の方程式なのである。妙に納得してしまった。

May 11, 2008

保存

来週水戸の明治建築を調査することもあり、買いこんである保存デザイン関係の本を読み始める。最初は田原幸夫『建築の保存デザイン論』学芸出版社2003。保存デザインの手法を修復、置換、付加、その他に分類し世界中の保存再生建築を紹介している。パリのノートルダム寺院の尖塔をヴィオレ・ル・デュックが修復した時、彼はオリジナルデザインを大幅に変更したそうである。大きな批判が当時あったようだが、現在見るとそれは当時ほど明らさまではない様に思う。馴染むのである。修復とは歴史への真摯な態度であることに加え現代の刻印であると著者は言う。
夕刻かみさんが書道の勉強会から帰ってきた。講義のテキストのコピーを見るとなんとコリングウッドの『芸術の原理』からの引用である。西洋美学理論が日本の書道のテキストとはなかなか進んでいる(?)。夕食後大澤真幸『資本主義のパラドックス』ちくま学芸文庫2008を読み始める。

May 10, 2008

桐建会

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高校の同窓生の中で建築を生業としている人たちが集まる会がある。母校の校章である五三の桐に因み桐建会と呼ぶ。誰かが何か作ったり、誰かが何か賞をもらった時に集まってそれを鑑賞す会である。前回は私のリーテム東京工場の芦原賞を祝っていただいたが、今年は川村純一さんがモエレ沼公園で学会賞の業績賞を受賞されたのを祝し飲むこととなった。と言っても皆で札幌まで行くこともできないので、東京で集まって川村さんにスライドショーをしていただくこととした。この公園はイサム・ノグチとアーキテクト・ファイブの合作である。行って見たわけではないのでその作品の素晴らしさはよくわからないが、このプロジェクトには20年の蓄積があるとのこと。川村さんとイサム・ノグチとの付き合いは草月会館から始まっていると聞きその歴史の重みを感じた。
講演は国博の講堂で行なわれ、その後芸大の赤レンガ1号館に場所を移し懇親会が行なわれた。歴史のある学校には歴史的な建物があるものだ。信大でもキャンパス計画で見過ごされていた歴史的建物の保存を計画しているが、大変参考になる。赤レンガ館もこうしてOBがケータリングでパーティできるなんて素敵である。建物は明治のもので寄棟の洋小屋組が面白い。芸大の片山先生から建物の説明があったが、すかさず桐敷先生から歴史的な講釈があった。懇親会の締めでjiaの25年賞を受賞された益子先生がご挨拶(写真)。その後母校の同窓会館について意見交換。渡辺武信さんや、近田玲子さんを始めいろいろ意見続出。総じて若手幹事が今後母校に物申せとのこと。また、単に同窓会館だけではなく、キャンパスマスタープランを作れとのことである。何にもしない幹事の一人としてはどうしたらよいものやら?

黄色い室

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足の痛みは昨日と変わらない。湿布を取替え足首が動かないようにテーピング。早稲田までタクシー。近くに住んでいてよかった。しかし文学部は正門から教員ロビーまで遠い。ああ恨めしい。今日のテーマはフォトジェニック建築と体感建築。講義のまとめでフォトジェニック料理と体感料理、フォトジェニックファッションと体感ファッションとかあるのでは??と適当に言ってみた。でもきっとあるような気がする。早稲田から末広町に移動。茶室のオープンハウスである。平日の午後だし、ちっぽけな10坪の空間ということもあり暇だろうと思っていたが、思いのほかいろいろな人に来ていただけて感謝。W事務所の方は事務所総出で恐縮してしまう。私は足を負傷してこまめに動けず、説明もままならず申し訳ないことをした。しかし負傷によってこの空間での身体の置きかたを発見した。この茶室は土間部分と40センチ上がった畳部分がある。土間部分は椅子でも置いて座る場所と考えていたが、今日は椅子もまだなく、また足が痛いので土間のRのついたコーナーに足を放り出して座っていた。それはほんの偶然のことだったのだが、この姿勢と目の高さとスピーカーの位置がとてもいいことに気がついた。つまり背中を包む丸いコーナーの触覚、苔がすぐ脇に見える視覚、そして低い位置にあるスピーカーにあった耳の位置が生む聴覚。どれもが最適な感じである。来る人来る人にその姿勢を勧めてみると皆良さそうにしている。そのせいかこんな単純な10坪の場所に皆長い時間滞在していたようである。

May 8, 2008

けが

昨晩同僚の先生や学生達とフットサルをした。一ヶ月前くらいに誘われた。昨晩は泊まりだったので行くことにしていた。そういう日に限って製図がなかなか終わらない。6時半にやっと終り7時頃学生の車に乗せてもらい大学をでる。そういえばどこでやるかは聞いていないかった。「どこでやるの?」と聞くと「戸隠」と言う。戸隠と言えばスキー場ではないか。長野から普通に行けば40~50分かかるところ。殆ど冗談だと思っていたのだが、車はどんどん真っ暗な山奥に入っていく。どうも本当のようである。着いたのは正真正銘戸隠であり、町の体育館であった。とき既に8時。当たりは漆黒の闇である。しかし、とにもかくにもこうして4年目にして初めて長野で運動をする機会を得た。相当のブランクの末にサッカーをやるからにはと思い、けが予防のために連休中に二日ほどジョギングをしたのだが、案の定。悪いことは起きる。足首はがちがちにテーピングして捻挫は起きない状態だったのだが、アキレス腱からふくらはぎにかけてどうも筋が伸びた。あっと思った瞬間誰か、後ろから思いっきり蹴られたような痛み。肉離れの感覚である。そしてもう動けない状態である。なんとも情けないやら格好悪いやら。
今朝は朝から学科会議。一番最初に来て一番最後に帰る。この醜態を晒したくない。しかし午後は講義にゼミである。晒したくないなんて言ってられない。そしてゼミが終り事務所へ。明日は早稲田の講義に、オープンハウス。こう言うときに限って移動が多い。

不可能性の時代

5月7日
連休明けの大学。車中大澤真幸の『不可能性の時代』を読み直す。何故現代が不可能性を胚胎しているのか?彼によれば、現代は第3の審級(あるいは大きな物語)が薄れている時代である。そうした時代の若者にとって家族というものはどういう存在か?家族は第3の審級によって成立している部分が大きいという。つまり自分の母親とか父親というものは血のつながりというもの以前に親であるという倫理観(第3の審級)によって成立している部分が大きい。しかしてその倫理観が崩壊している現在においてコミュニケーションの無い親とは他人以上に他人である。一方ネット上では血も繋がらず、顔も見たことが無い他者と深いコミュニケーションが成立しうる。つまりこうした新たな情報機器は親族と他人の距離を逆転させる。ところがこうして成立した他人とのつながりはあくまでヴァーチャルな状態であり、本当の意味での相互理解には到達しない。あるときそうしたネット上の知人の本当の他社性に気付いた時にその関係は崩壊する。つまり現代の若者が求めるものは他者性なき他者なのだと言う。それはつまり不可能性を原理的に胚胎するというのである。
なるほど分からないではない。原理的には。ニュースに登場する若者は確かにそうかもしれない。娘を見ていてもそれは頷ける。のだが、これが95年以降の現代の主調といえるのだろうか?そう考えるとピンとこない。他に無いの?という気分になってくる。そうそれは気分であり、潜在的願望かもしれない。大澤さんを上回る分析には辿りつけないのが正直なところだが。

May 6, 2008

大澤真幸の新刊2題

大澤真幸の新刊『』逆説の民主主義』角川新書2008と『不可能性の時代』岩波新書2008を読む。前著ではハーバーマスとデリダが登場する。二人が世界の軸となる哲学者として紹介される。二人の思想はもちろん異なるものの、他者性の尊重というところで共通点があるという。しかし、ハーバーマスは他者を受け入れる時に基本的条件を作る。それはヨーロッパ的であり、デリダのそれは無条件でありアメリカ的だという。つまり前者は、ナイフしか持たない人たちのようなもの。彼等は熊を敷地に入れないように気を使う。ナイフで熊は倒せないから。しかし後者のデリダ的発想はそうした限定をしない。しかしそれは彼等がライフルを持っているからでもある。彼等にとっては熊が出て来たら撃ち殺せばいいのである。だから始めから熊を除外する必要も無いし、除外することは民主的ではないということになる。確かに世界は今こうした基軸で動いているようにも思われる。後者は大澤が『虚構の時代の果て』で披瀝した戦後の時代認識である理想の時代(45年~70年)虚構の時代(70年~95年)という二つの時代に続く時代分析である。しかし正直言うとこの本はよく分からない。どうも具体的な例示と観念的な分析の接続が新書レベルでは言葉足らずになってしまうのか、僕の基礎知識が不足しているのかあまりピンと来ない。

May 5, 2008

ジョギング

ぐずついた天気である。今日はゆっくり家で絵を書いたり本を読んだり。午後少しジョギング。四谷駅の脇にあるお堀端沿いの公園で坂道のダッシュをする。心拍数を150くらいまで上げて10本。さすがにへとへとである。帰宅して風呂につかりながら読書。シャネルの本がやっと読み終わる。

二つの建築を堪能

5月4日
午後坂本先生の水無瀬の町家増築を見学。その昔一人で外観を眺めに来たことがある。先生と素材について対談するにあたり、この外壁のやりっ放しコンクリートを見ておかねばと思ったからである。数年ぶりに見るこの銀色の表面は全く変わっていない。駐車場の脇から中へ。坂本建築でいつも感じる低めの断面設定がここでもいろいろな場所に感じられる。2階の階高、切り妻屋根の勾配の始まり高さ、手すり、吹き抜けに面する窓の位置など。そしてその低さが建物を優しい感じにする。増築部分もスケールや床の設定が巧みに考え抜かれている。母屋との間に生まれた中庭は両建物の高さが押えられているので圧迫感を感じない。水無瀬を後にして坂本先生と同級生で造形大の学長をされている白澤さんのご自宅を拝見しに行く。6メートル×12メートルの平面形に矩勾配の寄せ棟屋根の乗る母屋に二つの増築がくっつく構成。母屋が黒い空間で増築は白い空間になっている。全ては明確な幾何学形。ここが坂本一成とは少し違う。微妙な斜めの線などは登場しない。
その後蕎麦屋で飯を食い、バーで一杯。中央線で東京へ向かうも研究室の先輩後輩と共に、反省会と称しつい阿佐ヶ谷で途中下車。ベルギービールを堪能。

May 3, 2008

ノート

朝方は雨がひどく家で読書。午後雨が止んだのでかみさんとルオー・マティスを見に新橋へ行く。松下の美術館は展示量は少ないが近くから作品をみられる空間である。ルオーとマティスはモローの弟子で美術学校の同級生であり大親友だったそうだ(あれだけ作風が異なるのに)。ギャラリーをでてからモンブランの本店に行きペンの修理を頼む。どうも軸がぐらぐらする。直るのだろうか?銀座は歩行者天国。伊東屋でスケッチブックを買う。今までは手帳の中にモールスキンの一番小さい無地のスケッチブックを入れていたがどうも小さ過ぎて調子悪い。もう一回り大きいものを探す。①紙が白すぎないこと。②紙が厚過ぎないこと。③全体が厚くて重過ぎないこと。④綴じ部分が強くて開きが悪くないこと。⑤A5ぐらいの大きさ。こんな条件のものはなかなか無いものである。スケッチブック売り場のものは白すぎて厚すぎる。だからノート売り場で探す。珍しく今日はいいものが見つかった。5冊ほどまとめ買いする。

茶室(ほぼ)完成

5月2日
昼間はあっち行ったり、こっち行ったりでひどくあわただしい日だった。夜は茶室がほぼ完成し、担当者の山本さんの労をねぎらい坂牛チーム皆で食事。途中伊藤チームも合流。
その昔スペインの雑誌社から我々の某物件を掲載したいということでかなりの図面や写真を送っていたものが無事出版され、再来週くらいには届くとのこと。たかだかスペインの乱造本だろうとあまり期待していなかったが、そのシリーズはRIBAの推薦図書らしい。確かに最初に来た見本はレイアウトや図面の載せ方がしっかりしていた。到着が楽しみである。

May 1, 2008

横浜

八潮市でこれから行なう「八潮市らしい住まい方」ワークショップの打合せで横浜馬車道のみかん組に行く。1時間半前に家を出たので余裕と思いきや、乗り換えに時間がかかり馬車道駅に着いたのはもう定刻。最後かと思ったが槻橋さんが未だだった。新しい事務所に来たのは初めて。古くて素敵なビル。駅は近く、町並みは歴史を感じ、食べ物屋はいろいろあり、住みよさそうな場所である。打合せ後、曽我部氏が昼飯までの道すがら、あれが○○さんのいるビルでこの先のあそこが○○さんのいるビルと教えてくれる。さながらこのあたりは建築家村である。青空の横浜で少しゆっくりいろんな建築でも見てまわりたいところだが食後すぐに事務所へ戻る。寺内女史と自由が丘まで一緒する。3時にM工務店来所。K-project概算見積りを出すための打合。この工務店には練窓の家#2、projecting rooms、木島氏のK/Tを施工してもらっている。実に丁寧な仕事をしてくれるところである。うまくコストがあえば是非お願いしたいところ。その後出張帰りのナカジから中国の報告を受ける。ゼネコンが決まってほっとしているが、見積り落ちがかなりある。落ちている部分の再見積りをさせているとのこと。しかし着工は決まっており、杭の施工は2週間後。昔、日建時代に中国プロジェクトの胎動期、外野から彼等の仕事を見ていた。超高層なのだが、実施設計が終わっていないのに杭工事が始まるというような事態が起こっていた。そんないい加減なことでいいの?と思っていたが、同じことがここでも起ころうとしている。

happy birthday

1コマ目の大学院の授業の後に研究室の学生が大挙して僕の部屋にやって来た。大作が大きな箱を持ってきて『どうぞ開けてください」と言う。とっさにこれは誕生日かと思い、嬉しいい気持ち半分年齢を厭う気持ち半分。しかし開けて驚く。「角窓の家」が1/50でケーキになっているではないか。rcの部分はチョコレートケーキ。鉄骨の部分はショートケーキである。この感激を何と言ったらいいのやら。英語で言えばwords cannot express it,である。
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やばいねえ。これは。もちろん素直に嬉しいのである。ありがとう。記念撮影。
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午後の製図を終え東京へ。車中昨日読みかけた『シャネルの真実』を読む。題名どおり今まで隠蔽されていたシャネルの負の部分が明かされていて興味深い。著者の山口昌子氏は産経新聞のパリ支局長である。事務所に戻りk-projectのクライアントから出てきた要望に対して微妙なプラン調整。金箱事務所からは驚くべきことに、軸組みと伏せ図が全てほぼ完璧に届いてる。すごいな佐久間さんは。でも未だ安全目な設計かな??もう少しつめさせてもらいたいところである。
茶室はコケも入ったようで嬉しい。明後日の施主検収でクライアントと一緒にじっくり見よう。
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5月9日にオープンハウスをします。見たいかたはメールを下さい。案内を送ります。