宿沢広朗
7時半のアサマに乗る。車中永田洋光著『勝つことのみが善である宿沢広朗全戦全勝の哲学』ぴあ2007を読む。宿沢は僕が中学生のころ早大ラグビー部の主将であり早稲田黄金期のスクラムハーフだった。自分はサッカーをやっていたのに見るスポーツとしてはラグビーが一番好きであり、その中でも早稲田が好きだった。そしてこの宿沢が卒業後ラグビーに進まず住銀に入行するもののオールジャパンの監督になりそしてラグビーワールドカップで一勝をあげたのである。そして住銀では専務執行役員まで務め心筋梗塞のため55歳で死去した。早すぎる死であった。何故早稲田出身でもないのに、結婚して大隈講堂のすぐ脇に住み、そして早稲田のラグビーをこよなく好きだったのかよくわからない。宿沢のころの早稲田は重戦車のような明治のフォワードに挑むそんなチャレンジ精神がありそれにあこがれたのかもしれない。そんな早稲田の象徴がこの小さな宿沢だったのだろう。電車の中で思わず昔の彼の姿を思い出し胸を熱くした。
帰宅してすぐに近くの医者に行く。インフルエンザの予防接種を受ける。大学事務から必ず予防接種を受けるように通達があった。大学センター試験の時の監督員数がぎりぎりでインフルエンザが流行ろうものなら試験が成立しなくなるからである。
午後は事務所で打ち合わせ、久しぶりの中国の状況を聞く。そして九州プロジェクトの問題点を協議。中国は見知らぬ土地の建築習慣に振り回され、九州はクライアントと工期に振り回される。