ヴァールブルク
昨日の雪交じりの曇天とはうって変わって今日の長野は快晴。10時ころのんびり大学に行き4年生の卒業論文の梗概を読む。7人の4年生のうち5人は設計で2人が論文。だから2ページの梗概の2ページとも埋まっているのは論文組の2人だけ。5人はコンセプト作りのための論文として半分だけが埋まっている。残り半分は設計図面が載るはず。3時ころ読み終わり2時間かけて一人ずつ説明しながら設計の進捗も見る。しかし見るべきものがない。あと1か月。できるかな?
その後昨日赤を入れたm2の梗概を渡し説明する。もちろんm2の方はハードルは高いので、どれもこれも真っ赤になっている。できる限り換える文章まで考えて赤入れしたが、全部は手が回らない。よく考えて直すように、という部分も多い。しかしそれが思ったように直らないのが例年のこと。どうしてだろうか?直す力が無いのか、直す気持ちがないのか?
夕刻読みかけの『図書館』の続きを読む。アビ・ヴァールブルグの書斎の話になる。田中純さんの書いた『アビ・ヴァールブルク―記憶の迷宮』にも記されていたが、彼は2~3日に一度書斎の本の並べ替えをしたという。そして、毎回その分類基準が変わったとか。基準を変えるということは自らの知のマップを常に最新の状態に更新するということでこれこそが知的創造において最も必要なこと。その意味でヴァールブルグの行為には頭が下がるのだが、そんな時間があったということが羨ましい。夜早めに研究室を出てリドリースコットのテロ映画をレイトショーで見る。最近テロをテーマにした映画を立て続けに4本くらい偶然見ている。まあどれもこれも同じような筋立てで。ラストはアメリカの横暴を皮肉る形で終わる。