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朝は5時に起きることにしている。この習慣は2年前に始まった。体重が3キロ増えたので飲む量を減らし、朝運動をして、ついでにスペイン語を勉強しようと思ったからである。5時に起き、30分ストレッチして20分走る。朝の5時台は四谷近辺で道を歩く人もすくない。荒木町の飲み屋の中を走る時もあれば、若葉町の谷底に行くこともある。谷底を抜けて赤坂離宮の脇の公園に行くといつも運動をしている親子に出会う。太った親父と小学生くらいの息子と娘である。野球のトスバッティングをしていることもあればバスケットをしていることもある。ゴールすると太った親父は大声で子供を鼓舞し、子供は無邪気に喜んでいる。自分にもこうして娘と公園で遊んだ時代があったと思い出したりする。
酒の量を減らすといってもゼロにするわけではない。飲む日もある。酒を飲んで帰った夜は狭い書斎の床に枕を置いてタオルを腹の上にかけて寝る。酒が入ると鼾がひどく配偶者に迷惑をかけるからである。絨毯敷きではあるが床の上に直に寝るとさすがに体が痛い。平らな床に寝るのは背骨にはいいのだろうと勝手に思い、それでいいことにしている。それでも体が痛くて目覚めた時は本を読む。今朝もそんなわけでは目が覚めて傍の本を開く。鬼海弘雄『誰をも少し好きになる日の ——眼めくり備忘録』文芸春秋2015。著者は数年前に浅草の人々のポートレート『persona』で賞をとった写真家である。その写真集が印象深くこんな写真を撮れる人の言葉を聞いてみたいと買っておいた本である。やはり、期待どおり実にいい文章である。その昔愛読した立原正秋のような文でもあり、しかしもっと人への視線が柔らかい。そんな文章である。
夕方富士吉田市に院生助手5人とともに出かける。大月まで中央線そこで乗り換え富士急行で富士吉田へ。市の方、財団の方3人と打合せ。7時には1階のテナントにはいる保育園運営者と打合せ。
東京都の往来でジャン・ルイジ・パラッキーニ 久保耕司訳『プラダ――選ばれた理由』実業之日本社2015を読むとへーと思うような面白い話がいろいろある。現在の社長であるミウッチャ・プラダは3代目プラダのデザインをけん引するデザイナーであるが若き日にはミラノ大学で政治学の博士を取得した才女でもある。ミウッチャがプラダを引き受けた頃はまだミラノの小さなお店だったのが、彼女が出会って結婚に至るパトリッツィオ・ペルデッリが天才実業家だったというのがプラダ快進撃の始まり。そして彼女の厳格な育てられ方の反発がプラダデザインの根底にありレディースライン「ミュミュ」もその現れ。おまけだがその名「ミウミウ」はミウッチャのあだ名。「服は自分らしさ」という彼女の哲学はシンプルだが心打つ。彼女はだから夏でも毛糸のタイツを履いたり、社会通念にはとらわれない。富士吉田の設計も社会通念にはとらわれない。
午後アメリカのビジネスコンサルでパートナーをしている中高の同窓生が部下2人をつれて事務所を訪れた。前々から少し意見を聞きたいと言われていたのでそれにお答えした。お題はこれからのコミュニケ―ションとは?で、それに対する彼らの仮説は三つ。
① 気配を伝える
② モノと分かり合う
③ ありのままの自分を生みだす
なにやら禅問答のようだが僕なりにそれを建築的見地から語るなら
① 縁側的αスペース
② 人間を特権化しないニューマテリアリズム
③ ポジショニングを忘れさせるオフィスの畳空間
などなど
となるわけである。なんともビジネスコンサルタントが考えることと建築屋が考えることの底部に流れるものは同じだなと少々驚いた。
夕方坂牛研から他大の院に行った安田から案内された展覧会に自転車で行く。おお代々木にこんなおもろい場所があるとは知らなかった!!緑に囲まれた路地空間。ここで篠原先生みたいに昼からワイン飲みたいな今度!!それで展覧会はと言うとなかなかその場所が見つからずやっと見つかった場所は3畳間くらいの小さなスペースで驚いた。ついでに彼らのリサーチや提案が先程のビジネスコンサルタントの方たちが話していることと極めて似ているのに驚いた。おいおい建築の学生ならもっと建築的な未来を描けよ。こういうことはビジコンの方にお任せしたら?と思わなくもない。それとも君達は将来ビジコンで働くのかしら?まあそれも悪くないとは思うけれど。
滝沢直己(『一億人の服のデザイン』日本経済新聞出版社2015)は僕の一つ年下。だから55。ミヤケイッセイのところでチーフデザイナーをして独立後ユニクロのチーフディレクターとしてユニクロを変えたと言われている。これもデザイナーとしての一つの生き方かもしれない。
滝沢はイッセイ時代スティーブ・ジョブズのTシャツを担当していた。数百着まとめてオーダーしてきて前回と全く同じものと言う注文がついたそうだ。慎重に生地選びをして送ったところそのまま戻ってきたという。テクスチャーが微妙に違うというのがその理由。改善して送ったところOKが出てまた数百のオーダーが来たそうだ。因みにジーンズとTシャツというような究極のベーシックをノームコアと呼びNYのトレンドだそうだ。
先日内田樹編『日本の反知性主義』を読み、その言葉の輸入元であるアメリカの反知性主義が気になり森本あんり『反知性主義――アメリカが生んだ「熱病」の正体』新潮選書2015を読んでみた。そうしたらこの意味がかなり違うことが分かった。アメリカのそれはある意味ポジティブなものである。それはニューイングランドでのアメリカの始まりにさかのぼる。アメリカ宗教の始まりであったピューリタンが高学歴のエリート牧師に支えられていたのに対して、大衆的なリバイバリズムがそれを凌駕し、信仰上の平等を導いたという歴史が、政治的にも時として知性ではなく大衆性と平等感が国を導くことを良しとする伝統がアメリカにはある。一方昨今日本で使われる反知性主義とは政治的暴走を事後的に観察する言葉に過ぎない。そこには反知性であることの、これっぽっちの理由も意義もない、とてもネガティブな言葉である。同じ言葉を使うのもある意味おかしい。つまり日本にだってアメリカ的な反知性主義があるはずである。即ち権力と知性の固定的な結びつきを崩す意味でのアクティビティである。お笑いや音楽や漫画などである。それに比して政治の暴走は単なに知性の欠如、すなわち無知性なのだろう。それに主義を付けるのもおこがましい。
中野明、大久保喬樹『ナナメ読み日本文化論』朝日新聞出版社2015をナナメ読みしてなるほどと頷いた。第一章に登場するのは日本文化を世界に発信した三大名著として三冊紹介されている。最初は新渡戸稲造の『武士道』、岡倉天心の『茶の本』、そしてこれは読んだことが無かったが内村鑑三の『代表的日本人』である。これら著者の生まれたのは
新渡戸1862年
岡倉1863年
内村1861年
つまり同世代の人たちであり、
それぞれの本の出版年は
武士道1900年
茶の本1906年
代表的日本人1908年
この年代は日本が日清戦争、日露戦争に勝利し国力が増強され日本に自信がみなぎる時期である。そして自国が単に力だけでは無く精神的に文化的にも西欧に引けを取らない存在であることを主張するナショナリズムに同世代の三人は後押しされたのだと記されていた。伝統はナショナリズムで美化されるものである。昔は素晴らしかったという話の半分は誇張。と誰かが言っていた。
●Latin America in Construction Architecture 1955-1980 photo by Mario Fontenelle
この写真を見てどこか分かったらなかなかのものである。これはブラジリアの役所関係の建物が中央軸の両側に整然と並ぶ部分の工事中の写真である。2年前にブラジリアに来た時に地元の建築家に街を案内してもらった。その時にこの整然と並ぶ役所の建物だけが鉄骨造と聞いて驚いた。多くの建物をニーマイヤーが設計し、そのほとんどの建物が鉄筋コンクリート造のこの場所で、鉄骨造は意外である。その理由を聞くと工期がなかったからだとその建築家は言っていた。鉄骨はアメリカから輸入したらしい。
そんな話が頭の中に残っていたのでこの写真を見て納得した。これは今朝届いたLatin America in Construction Architecture 1955-1980に掲載されている写真である(写真撮影は1958Mario Fontenelle)。見事なラーメン構造である。
上野毛のキッチンハウスに行く。現在工事中の建物で、スペックしていた下に引っ張る換気扇(グリーン排気)のメーカーが会社を閉じるということで急遽設計変更の打ち合わせ。その後東工大で最後のエスキスチェック。僕と金箱さんが別々にチェックしているのでこっちでチェックして、あっちで金箱さんがチェックして、またこっちでやって、、、、というやり方はいかにも無駄が多いのだが、、、仕方ない。
最後のチェックだがいかにも力ずくで大スパンを持たしているものが未だいくつかあった。結局大スパンを持たせるにはアーチにするかドームにするかトラスにするか引っ張るしかないのであろう。その仕組みをさりげなく入れることが重要なのである。
修論ゼミでグアテマラからの留学生ルイスが東京という街のサステイナビリティを論じるにあたり、駅に注目したいと言う。外から見ると東京のトラフィックシステムが実に精巧に、正確に機能しているのに驚き、加えて駅が都市を組織化する拠点としてうまく機能しているという。その興味はとても正しいし面白いと思う。去年やってきたアルゼンチンの建築家二人は京都の田舎の駅に綺麗なトイレとキオスクがあるのに感動していた。駅が街のコミュニテイプレースになっているという。そうかもしれない。そのこととサスティナビリティという概念がどのように上手く関連ずくのかはまだよくわからないのだが。彼らから見るとこういう風に街を上手に統合し点在するコアこそが街の持続性を担保し、人々のアクティビティの無駄を省くと説明する。そうなのかもしれない。
ジョナサン・クレーリー岡田温司監訳、石谷治裕訳『24/7眠らない社会』NTT出版2015を読んでみようと思ったのは彼が視覚文化論の古典的名著『観察者の系譜』の著者だからである。そしてその共通点は前著が視覚にゲーテの生理光学が入ったことによる変化を論じている。今回はインターネットが人間を四六時中追っかけまわすことで人間社会は不眠になるという話だが、90年以降のドラスティックなネット環境の変化を問題にしている。そしてそれに対してどう対処するべきかということでの」著者の示唆は「「待つ」ことを知ること、誰がそれを必要としているのかと問いかけること、夢想や白日夢にその本来の価値を取り戻してやること、1960年代のカウンター・カルチャーを積極的にに再考すること」と監訳者の岡田氏が記している。結構重要な示唆である。
朝一で富士吉田の方々と製氷工場再生プロジェクト打ち合わせ。模型の山を前に、まだ決まらず。しかし来月頭に図面説明の予定。学生たちががんばって図面模型を作成中。午後市ヶ谷法政大学で秋の上越トークインのキックオフミーティング。先生が9人(川口先生、渡辺真理先生、木下先生、山城先生、安原先生、西沢先生、高橋先生、今村先生)と学生さんが40人くらい集まった。今年の幹事校は理科大ということで焦ったが、安原さんとジャンケンして、理工が幹事校ということになった。
その後理科大に戻り、建築学科のOB会築理会主催の特別講演を聞く。演者は㈱富田製作所の富田英雄氏。世界一のプレス機を持ち、厚板精密板金を行う会社である。スカイツリーの大経柱の制作を行った。ものづくりのスピリットの話が清々しかった。
先日のゼミで人間は日常性の中に埋没して堕落(頽落)するというハイデッガーの指摘が話題になった。そして僕は自分の建築思考に最も影響を与えた哲学者はハイデッガーであり、自分の建築は人間が頽落から覚醒する装置にしたいと説明した。そのためには建築自体の力よりそれ以外のものに依存している。そこで一番大きい要素は人であり、隣人の視線だったりする。つまり覗かれるというような視線に緊張感を覚え頽落から覚醒するという話をした。ちょっとエキセントリックなたとえだと思ったのだが、今日山本理顕『権力の空間 空間の権力――個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』講談社選書メチエ2015を読みながら、ああ山本さんも類似した考えがお有りではないかと感じた。氏はハンナ・アーレントを引きこう言う
完全に私的〈private〉な生活を送るということはなによりもまず、真に人間的な性格に不可欠な物が『奪われている』deprivedということを意味する」とアレントは言う(『人間の条件』87頁)なにが奪われているかというと「他人によって見られ聞かれることから生じるリアリティを奪われている」(同頁)のである。「他人を見聞きすることを奪われ、他人から見聞きされることを奪われる」(同頁)ということは、自分自信その周りの人々(他者)と共にいるという実感(リアリティ)が奪われているということである。
理顕さんの主張はもちろん公共性の意義をアレントを引いて主張しているのであり、かたや私の主張は個の頽落からの脱出である。一見異なる主張のように見えるが、ハイデッガーも人間が他者と共にあるという共存在という概念を主張しており、頽落からの脱出はすなわち共に生きるということに繋がるモノなのだと思う。アレントはハイデッガーと師弟(不倫)関係にあったわけで思考の根っこはかなり近いはずである。
元総務大臣の増田寛也『地方消滅』中公新書2014が2015新書大賞となったのんで読んでみた。896の市町村を消滅可能性都市と断定したあの本である。消滅可能性都市とは若年女性人口変化率が―50%を上回る都市を指している。若年女性とは出産可能性の高い20歳から39歳までの女性を指している。さて本書には全国の市町村のこの若年人口変化率の表が掲載されておりこれを見るとええあの都市がこの都市と同じ????とびっくりする。
たとえば
① 母の生まれた青森県十和田市も父の生まれた青森市もどちらも消滅可能性都市。青森で最も若年女性人口変化率(以下Jと表記)が低いのは観光地奥入瀬渓流のあるおいらせ町(―36.6%)。その次は原子燃料サイクル施設のある六ケ所村(-43.7%)である。
② 茨城県で僕らが小学校再利用計画を行っている茨城町では-41.2%この数字はやはり街づくりのお手伝いをしている八潮市(-42.5%)とあまり変わらない。ちなみに茨城県でJが最も小さいのが東海村(-14.1%)というのも皮肉なものである。
③ 東京は減らないだろうなんて安心しているとさにあらず。豊島区は-50.8%で消滅可能性都市である。
④ 工場再生を行っている富士吉田市は-58.1%とかな大きい。知覚の河口湖町は山梨県では-26.8%と山梨県では2番目にいい成績なのはやはり観光産業が根付いているからか。この数字は軽井沢(-33.0%)よりもいい。
⑤ 昔幼稚園を設計した富士市は-35.7%で静岡県ではいい方である。工場が多く子供も多い町だった。軽井沢はこの数字よりよく、さらに河口湖はさらにいい。富士山の力は大である。
などなど、人口動態は地方の将来をかなりの確率で言い当てそうである。もちろんそれをもとに対策を練ることでこの数字は変えられるもの。政治がそれを意識するかどうかである。
午前中施工者と打ち合わせ。この施工者は原寸を描いてきてくれるので1ミリ単位の細かなディテールとなる。午後一で東工大でエスキス。緑が丘で塚本に会う。チリは楽しかったようである。去年よりエスキス者が多く、熱心ではあるが、デヴェロップが遅々としている。夜理科大でプレディプロマエスキス。こちらも悪戦苦闘。武蔵美の院に行った大島が遊びに来てゲストクリティック(偉そう)。
今日大学の国際交流課の方と話してとある国際的な助成金の申し込みをするかしないか議論してしないことにした。その理由は出しても通るような書類を作る時間がないのとそれだけの体制を大学内に構築するのが難しいと判断したからである。全国で8つの大学に出される予定のこの助成金の額はとんでもなく大きい。そしてこれまでこの手の助成金はだいたい同じ大学に出ていることを考えると、おそらく助成の情報はかなり初期の段階で漏れていてその情報を掴んでいる大学は十分な準備期間があるのだろうと予測される。それは大学の情報網がしっかりしているというよりかは、助成を出す側が情報をあえて漏らししている可能性もあるのかもしれない。
美しいと言われるような音が世の中にはいろいろある。たとえそれが所謂音楽と言われるものではなくても。アナウンサーの声、教会の鐘の音、虫の声、弦楽器の開放弦の音、オーケストラのチューニング、などなど、世の中にある音からそうした音や綺麗だと言われる音楽を引いて残った音がある。それがノイズである。著者は一言で「どのようにしても最終的に残留し、異物として作用するものです」と言っている(ポール・ヘガティ 若尾裕、嶋田久美訳『ノイズ/ミュージックー歴史・方法・思想 ルッソロからゼロ年代まで』。そしてそういう異物は音楽に限らず、創作という行為にどこかで常に入ってくるものなのだと著者は言う。だからノイズミュージックがありノイズアートがある。そう考えればノイズアーキテクチャーだってあるはずである。この本の面白いところは、所謂ノイズだけではなく、テクノ、フリージャズ、プログレ、パンク、インダストリアル、などノイズを含むものはすべてとりあげながらそのノイズ性を議論しているところである。つまりノイズの分量を変えながらピュアな音を壊している。
建築で言えば、おそらく最初にノイズを作ったのはゲーリー自邸といえないだろうか?美しいと言われるものを全部取り除き残ったもので自分の家を増築したのがゲーリー自邸である。
朝の新幹線で軽井沢へ。北陸新幹線ができたからなのか、善光寺の御開帳が原因なのかわからないが、アサマは満席。東京も涼しかったが軽井沢はかなり涼しい(というより寒い)。現場は脱型が終わり屋根の支保工も全部取れて空間が見えてきた。この建物の技術的には一番難しかっただろう屋根のコンクリート打ちが終わりほっと一息。現場では植栽のNさんと打ち合わせ。クライアントから。道路側を完全にオープンにしようという名案が出てかなり素敵な外構ができそうである。事務所に行って定例を終えてから、塗装屋さんが外壁の色見本を持ってきて色決め。まだ数箇所色が決まらないところもあるがそこは次回定例で。その後キッチン屋さんがやってきて細かな器具を決める。今日はいろいろな懸案事項が決まった。
午後から大学院推薦希望者と面接をして大学院で何を学びたいかなどを聞いた。その後輪読。4年ぶりに読む和田伸一郎さんの『存在論的メディア論』。最初に読んだのは10年以上前でこれを読んでそれまで作ってきたもの、その時作っているものについての考えが言語化された。それほど私とってはその時の思考と波長が合うものだった。
ゼミで3度目くらいになるこの本の学生の説明と議論を聞きながらじっくりとまた10年前を思い返してみた。何を最も影響されたのか?一言で言えば自分の建築は日常に埋没して頽落の状態にあるおよそほとんど人々を覚醒させたいのだろうと過去を振り返った。そしてそれに最も効果的なものは建築という物ではなく建築の以外のもの、その中でも最も強いインパクトを持つのは人の存在、あるいは視線だろうと感じ取っていたのである。今読んでもその思いは同じである。
しかし一方で僕のもう一つの建築の考えの根底に有る質料性問題がある。これは昨今のニューマテリアリズムに接続する問題系であり、おそらくこのどちかということではなくその両方に両足を載せることが重要なのである。
昨日もモリスの共同体社会主義を読みながら、どうも共同体という言葉の行く末にちらつくナショナリズムが気になる。ギードボーたちが60年前にやろうとしたことの一つはまさにこの一点に凝縮してくるファシズム的資本主義的な視覚(ワールドカップやオリンピックのような)の熱狂を錯乱して様々な状況を作ることだった。言えばスタジアムからストリートへというような流れである。だからストリートが大事なのであり、事後的にだが、やはり祭りはやった甲斐があったと思っている。日本は2020に向けてますます熱狂的なスペクタクルが資本の力で生み出されるだろう。それは現在の自民党政権にとって願ってもないことである。こうしてナショナリズムを醸造するのが安倍首相の狙いでもある。
文化を、視覚を拡散する上でストリートが見直されるべきである。ストリートファッション、ストリートアート、ストリートミュージック、などなどである。大山エンリコイサム『アゲインスト・リテラシ――グラフィティ文化論』LIXLIL出版2015もそんなストリートアートを再考するにはいい本である。これから読んでみよう。
ウィリアム・モリス,E・Bバックス 大内秀明、川端康雄訳『社会主義その成長と帰結』晶文社2014を読んでみた。読みたくなった理由は、資本主義の調子が悪くなると頭をもたげるソーシャルという概念と同様に、社会主義が生まれるのも資本主義が問題を生んでいる時である。ではモリスと今のソーシャルを叫ぶ建築家たちに共有する発想があるのかないのかあるならそれは何かを知りたかったからである。モリスたちは結局、マルクスたちの社会主義とは異なると言われる共同体社会主義と呼ばれるものを考えた(あまり詳しいことは分からないが)。そして共同体とは何かと言うと氏族、部族、民族共同体と分類される。ファランステールを考えたサン・シモンなども同様の発想であったのだろう。その後人間は一人では生きられないとして共存在という概念を生み出したのはハイデッガーでありその「共」が民族にからめとられ、それがためにナチスとの関係を強めてしまった。
これは結構重要なのだが、モリスも現在も「共同体」が一つのキーワードなのである。しかしこの「共同体」という言葉には注意をしたほうがい。その理由はまさにハイデッガーの失敗が物語る全体主義への危険性である。個が確立していない共同は危ないものがある。その意味ではその昔解題を書いたジャンリュックナンシーの概念である無為の共同体は信頼していい。人は死を共有するという考え方である。これはつまり死を分有する人間関係には共同が生まれるというのは部族だ、民族などよりはるかに人間の親密性が高い。ここには人間の本質を通じた共同性が宿ってもいいのであろうと思われる。ここまで純化した共同性に裏付けられた共同体はそう簡単には生まれないのだろうけれど、でも基本はそこだろうという気がするし、そう安易に共同体などという言葉を使わないほうがいい。
椹木野衣は『後美術論』(美術出版社2015)の中でこう述べている。美術史というもののなかで美術はジャンル化される。ジャンル化されないものは存在しなくなってしまう。ところがジャンルを破壊して命名できない状態になった状態にこそ新しい美術があるのではないか。それを彼は「後美術gobijutsu」と命名した。そしてそういうジャンル破壊の末に現れるものは往々にして音楽と美術の結婚だという。その最も分かりやすい例が小野ヨーコとジョンレノン。正直言うとそれ以外に登場したアーティストに馴染みのある人は少なく、YOU TUBEで確認しながらページをめくった。こうしたアーティストのほとんどはヨーロッパ特にイギリスが多いように感じた。そう考えると確かに僕の狭い現代美術史の知識においてイギリスは少ない。
ところでジャンル化されないというのは面白い概念だと思う。建築においてもありうる話である。建築は建築として大きな概念としては存在し続けるだろうけれど、低成長時代の21世紀においては建築にも新たなが概念が出てきているのは言うまでもない。そこにアートと融合したようなジャンル崩壊した「建築のようなもの」がもっと出てくる可能性は高い。「後建築gokenchiku」の可能性である。
国際交流課から文科省の通知が送られてきた。興味ありますかと聞いている。大学の国際化に向けて文科省は今年度、中南米、トルコと交流する事業に5年間で2.5億出そうという助成公募である。採択は8件程度。さて、とりあえず学術振興会のウェブサイトから例によって大量の要綱などをDLして眺めてみる。出したい気持ちはもちろん高い。これだけあればアルゼンチン、チリなどとかなりのことができそうだ。しかし困難と思われることも多い。
困難その1:全学的取り組みにしなければならなく(そりゃそうだ年間5千万なのだから)建築学科のみでやれる話ではない。となるとどこかと手を結ばなければならないのだがそういう相手が思い浮かばない。国際肌の先生はいるのだが、工学系でラテンアメリカに興味のある、あるいは関係を持っている先生はあまりいないのではなかろうか?そう思うとなんだか花火を打ち上げても四面楚歌の可能性は高い。
困難その2:国際化の実績が少ないのでこの書類が通る確率はとても低い。
困難その3:学生の国際化の興味も実力もやや低い我が大学でこのプログラムを回すほど学生がついてくるだろうか??
うーん連休明けに国際課とご相談しよう。