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アメリカの反知性主義は納得がいく

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先日内田樹編『日本の反知性主義』を読み、その言葉の輸入元であるアメリカの反知性主義が気になり森本あんり『反知性主義――アメリカが生んだ「熱病」の正体』新潮選書2015を読んでみた。そうしたらこの意味がかなり違うことが分かった。アメリカのそれはある意味ポジティブなものである。それはニューイングランドでのアメリカの始まりにさかのぼる。アメリカ宗教の始まりであったピューリタンが高学歴のエリート牧師に支えられていたのに対して、大衆的なリバイバリズムがそれを凌駕し、信仰上の平等を導いたという歴史が、政治的にも時として知性ではなく大衆性と平等感が国を導くことを良しとする伝統がアメリカにはある。一方昨今日本で使われる反知性主義とは政治的暴走を事後的に観察する言葉に過ぎない。そこには反知性であることの、これっぽっちの理由も意義もない、とてもネガティブな言葉である。同じ言葉を使うのもある意味おかしい。つまり日本にだってアメリカ的な反知性主義があるはずである。即ち権力と知性の固定的な結びつきを崩す意味でのアクティビティである。お笑いや音楽や漫画などである。それに比して政治の暴走は単なに知性の欠如、すなわち無知性なのだろう。それに主義を付けるのもおこがましい。

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