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October 31, 2012

高階秀爾、岡野俊一郎、辻井喬、ご苦労様

文化勲章、文化功労章の授章など実にくだらんことだと思いつつ、夕刊の一面に載っているのでいやでも目に入ってしまう。気になる名前が三つ。高階秀爾。母校の先輩に拍手。この手の賞は芸術分野なら創作者に与えるのが常なのだが、受容者(批評者)に与えられたのは与える方も少しは利口になった証拠である。次は岡野俊一郎。まあこれはサッカー関係者なら皆知っている名前である。高々サッカー屋なのに文化に貢献した?国際的なスポーツは有利である。そして最後は辻井喬。堤にはくれないだろうが、辻井にはくれる。まあセゾン文化にお世話になった私としてはやはり拍手。
いやはや多様な人選と思ったのだが、3人とも東大である。所詮文科省の人選なんて官僚的か?

October 29, 2012

必読書『抽象と感情移入』


大学院講義の今日のテーマはフォルム。フォルムを近代的な視点で用いたのはフォルマリズム批評である。その批評家の重要な一人はヴェルフリン。しかしヴェルフリンのフォルマリズムでは様式の変遷を説明しきれない。そこに登場するのが芸術意欲なる概念で説明づけたリーグル。形式的、抽象的な様式史ではすくいきれない精神史に注目することでヴェルフリンを補完した。そしてその二つを合体したのがヴォリンゲルである。彼は様々な芸術衝動の基本を感情移入作用と、抽象作用の二つの方向性にあるとすることで、様式と精神の双方を説明する原理とした。
『抽象と感情移入』岩波文庫で絶版のようだが大学院生ならぜひどこかで見つけて読んでほしい本である。

October 28, 2012

太宰治のいたずら


だいぶ前に数人の友人と酒を飲んだ時に、そのうちの一人が井伏鱒二のKOIがいいと言っていた。KOIってロマンス?と聞くとカープと言われた。酔っていたせいもあってその話はすぐ次の話題に切り替わった。なんとなくそういう言葉は気になるもので帰宅後すぐにアマゾンで調べるのだが、鯉というタイトルの小説はなく還暦の鯉という短編集があったので数百円で中古を買った。しばらく開けてもいなかったが、今日寝転がって読んでいた。太宰治が締切間際の井伏を手伝った話が愉快だ。太宰は井伏の口述筆記をし、その時の感想を井伏全集の後記に書いた。それは一種の褒め殺しだった。しかも口述筆記の中には折口の文章の流用があり、太宰はそれを知っていながらその文章をとりあげて、「天才を実感して戦慄した」と書いたそうだ。なんとも皮肉っぽい。しかしそれは当事者の二人にしかわからないというところが太宰の何とも言えぬ遊び心だし、それをしゃべってしまう井伏もあけっぴろげでいい。

ドイツの初期モダニズム


第一回分離派100年研究会というのが本郷で行われた
東京造形大学の長谷川章先生、日本大学の田所辰之助先生に講演いただいた。長谷川先生の青島のドイツ建築はとても刺激的。田所先生の、ミースもグロピウスも登場しないドイツモダニズム建築の話も興味深かった。
ドイツ20世紀の世紀の変わり目は改革建築、表現主義、アーツアンドクラフツ的ムテジウスデザイン、幾何学的ホワイトキューブという風にそのスタイルは変化しているが、底流を流れていたのは「生活の質の向上、光を求めて郊外へ向かう、緑に埋もれて暮らす」という思想だった。今でも建築史には残らない、緑に埋もれた郊外のキューブで豊かな生活が育まれているそうだ。それがギーディオン、コルビュジエ等によってヒロイックでモニュメンタルで形式主義的で個人主義的なオブジェに変形された。我々は英雄的建築家による特権的な建築がモダニズムを作ったと教わってきたために、ドイツ初期のこんな思想を語る言葉をもっていないのである。

October 27, 2012

今時のコンクリーt


12時から西荻の現場打ち合わせ。だいぶ型枠がばれてきたので形が見えてきた。生まれて初めて全面的な外断熱設計をしたのでこの写真のまま内部は仕上がる予定。ただしこの上に塗装を行う。これは昔から培ってきたEPのスポンジたたき仕上げという方法で、コンクリートのステイン仕上げのようなものである。この場所は黒くステイン仕上げをする。
現在翻訳しているコンクリートの本によると、今時の現代建築においてコンクリート打ち放しを外装に使う人はいない。使うとすれば内部である。その理由の一つは、熱容量の大きいコンクリートは外断熱し、内部コンクリートを晒しで熱を集めてこそ効果的だからだという。期せずして今時の建物になっていることに気付く。
午後大学で日本のモダニズム研究会。今日は先日出した科研メンバー全員集合。概念としてのモダニズムを追いかけるうえで今日は戦前戦後の評論家、批評家と呼ばれる人々の相関図を作る。知識が豊富な研究者の集まりなので僕の知らない知識がわき出てきてとても楽しい。こういうディスカッションは刺激的でいいな。
4時から講義。学生が漸減し20人くらいになった。とてもいい。もっと小さい部屋で議論しながら進めたい。今日のテーマは主体性と他者性。6時から3年生の製図。金曜日は長い。

October 25, 2012

昔の四ツ谷三丁目


今朝事務所に鈴新(荒木町のとんかつ屋さん)のマスターが昔の荒木町の芸者さんの写真やスケッチを届けてくれた。芸者さんの写真も奇麗で楽しいのだが、一枚のスケッチに目がとまる。四谷三丁目交差点のスケッチである。何時頃の絵なのかはにわかには分からないのだが、地下鉄の駅への階段が手前にあり、道路の向こう側にも見える。今は駅の階段には屋根がかかっている道路の向こう側の角は消防博物館である。そして新宿通りには都電が走っている。都電は70年ころまでは走っていたらしいが、、、

October 24, 2012

世界建築史


パミラ・カイル・クロスリー(Crossley, P)佐藤彰一訳『グローバル・ヒストリーとは何か』岩波書店(2008)2012は世界史(日本史とかアジア史とかではなく)の叙述の方法論を4つに分類している。それらは
発散
収斂
伝染
システム
である。最初の二つは分かりやすい。発散とは歴史の起源のようなものがありそれが世界中に伝わっていくというナラティブである。一方収斂とは世界同時多発的に同じようなことが起こる。つまり世界があるルールの下に普遍的な動きに収束してくると言うナラティブである。
さて3つ目は少し水準の違う言葉のように見えるのだが、伝染とは伝染病のことであり、疾病が世界を変えて行くというナラティブである。4つ目のシステムとは分かりやすく言えばマルクスやダーウィンに始まり現在のウォーラー・スティンの世界システム論まで繋がる。
世界建築史を考えた場合、古代は発散し中世は収斂、伝染はないのだが、確かに現代はシステムと考えるのが分かりやすいかもしれない。そしてそのシステムの軸となるのは情報性であろうと思っている。つまり世界建築を動かしているのは技術とか風土とかというよりは建築的コモンセンスであり、それは文化圏ごとに異なる。しかしそれをこじ開けてつなぎ合わせているのがメディアである。しかしそのメディアの中を流れる内容物にはいくつかのタイプがあるように思われる、とても乾いたものと湿ったものその中間など。

タイミング悪すぎ

ある方とある話をする予定が電話が来ないので今日はかけてこないのかと思いきや夕方遅く出先にかかってきた。大学に戻ろうと思って地下鉄の駅目指して走り始めたところである。また後でと言うわけにもいかず、話始めるのだが、雨が結構強い。持っていた傘は傘を持っていないスタッフに渡し事務所に戻りなさいと言ってしまった後である。仕方なく近くのペンシルビルの軒先に入るのだが、雨が横なぐりで濡れてしまう。ビルの中まで入ると不法侵入のようでビルの人にじろじろ見られる。仕方なく雨の中に飛び出し、ラーメン屋の軒先で雨をしのぐ。しかし出入りの人が多くうるさい。雨がやんできたので道を歩きながら話す。しかし歩いているとだんだん周囲がうるさくなってくるのでまた横道に入る。するとまた雨が強くなってきてまた軒先に、こんなことを繰り返しながら30分。けっこうびしょびしょ。携帯が壊れそう。
タイミング悪い時って本当になんだかこんなもんである。

October 22, 2012

更にここからが人生

高校の同級生がメールをくれた。同学年でもぴか一の天才肌。がり勉して勉強できるやつはまあ沢山いたけれど、彼は授業以外は勉強しない珍しい奴。物理を学びたくて京都に行こうか東京か迷ったあげく遠くには行かず、その後ニュヨークで研究し、日本に戻り筑波の理論物理のエースとして教授をしていた。しかし来年の春から京大に行くと言うのがメールの内容。去年クラス会で移りたいと言っていたので念願叶ったりで良かったねという気持ちである。いや彼のような人間はここが正念場で本当にノーベル賞の可能性ありの人間なだけに、今こそ最高の環境で研究しなければいけない。もしかすると外国に行くべきなのかもしれない。
50過ぎて東大からオックスフォードに行った苅谷先生とか、今回の同級生とか、人生まだまだこれからだと再確認。僕の構想では人生60からなのだがどうもそれでは遅いかもしれない。やはりここからが楽しい時期なはずである。人間は常に可能性を求めて向上心を持って生きねばならない。さあいろいろやることがある。

October 21, 2012

SALHAUSのリノベーション


上越トークインは昼で終了。昼食をとってから渡辺真理さん運転の車で越後湯沢を目指す。途中絵本と木の実の美術館に寄る。廃校小学校にアートインスタレーションが所狭しと並んでいる。カフェもある。お値段は定食1000円としっかりとる。
越後湯沢から1時間半。東京から麻布へ。SALHAUS設計の集合住宅リノベーションを見る。信大時代の田中君が担当した最初の物件。5階建てで道路側と裏側に各階2戸。裏側の住戸は窓側にガラス張りの水回りがあった。入ったすぐの場所が広々となる。とてもいいな。

October 20, 2012

上越トークインで池田武邦さんの文明論を聞く


昼の電車で越後湯沢へ。山城悟さんと合流し日本女子大OGの井上さんの車で浦川原へ。今年のゲストは池田武邦さん。文明と文化についてお話しされた。文明とは普遍的で創造的で優劣がつき、人間主体で欲望によって突き動かされるもの。一方で文化とは個別的で、伝承で作られ、対等で、自然主体で、知足なもの。そして建築とは文明と文化のバランスの上にあるものだと話された。今このバランスは文明に傾いているが、それを文化が引っ張り返さなければいけないと言うわけである。その後学生とのディスカッション。今年は理科大も理工の安原研から4名工学部も僕の研究室以外からも小島君が参加。もっと多くの参加者がいると楽しい。

October 19, 2012

西荻の本屋「のまど」


西荻窪の現場に行った帰りにふと可愛らしい本屋が目に入った。ゼミがあるので通り過ぎようかと思ったのだが、思わず入ってしまった。ゼミに遅れたのはこのせいです。すいません。それでこの本屋だが、世界の旅行記、紀行文、ガイドブック、地図などを集めた本屋だった。本棚は地域によって分類されている。西欧、東欧、北欧、北米、中南米など、、、、思わず中南米の棚に吸い寄せられる。そもそも中南米関係の本は東京駅の丸善行ってもそんなにあるわけでは無いのだが、それより置いてありそうでびっくり。加えて丸善には売って無さそうな(いや売っているのかもしれないが)裏社会のルポが多く置いてある。その中でファベーラ(スラム街)潜入記を買ってみる嵐よういち『海外ブラックロード―南米地獄の指令編』彩図社2012。アルゼンチンでもグアテマラでも外からは見たことはあっても(もちろん)中の実体は想像の域を出ない。ファベーラの改造はおそらく役所も考えているのだが彼らにも正確な情報はないようである。

October 18, 2012

織田作之助「競馬」面白いよ


先日友人と飲んだ時、織田作之助という人の「競馬」という短編が面白いと言われ読んでみた。ものの20分もあれば読める話である。小説なんてよほどのことが無い限り読まなくなったが、たまに人に勧められると読んでみる。だいたい面白くないのだが、これは面白かった。京都大学出身の糞真面目な男が酒場の女に恋して結婚するのだが、女が癌になって死んでしまう。死ぬ間際に届いた昔の男からの手紙に「競馬場で待っている」と書かれていたのが死後も気になり競馬にはまる。そしてそこでその昔の男に邂逅し、憎悪の念が湧くのだが、有り金で最後に買った馬券がその男と同じで勝利し、その憎しみが共感に変わると言う話である。こうやって書いてしまうと何ともつまらない。いや読んでいても対してわくわくするわけでもない。そもそも僕が好きな小説はこんな普通の話が多い。映画もそうなのだが血わき肉躍るような話はカタストロフィを味わうものの面白くはない。というわけでこの小説はお勧めである。織田作之助「競馬」。

October 17, 2012

交渉とは相手を知ること

ドイツは戦後アルザスロレーヌ地方をフランスに譲渡した。長い紛争の歴史に幕を下ろす形となった。そんなドイツの政府関係者は日本が中国とつばぜり合いしているのが不思議でしょうがないらしい。力の強い方が譲歩するというのがドイツの一貫した考え方だそうだ。つまりドイツ人たちは日本が譲歩するべきだと考えているようである。元外務省の国際情報局長だった孫崎享『日本の国境問題―尖閣、竹島、北方領土』2011ちくま新書にはそんなことが書かれている。
領土を巡る議論はその証拠と言うようなものを本当に見たことが無いし、その証拠はきっと双方それなりに持っているだろうし、両方を並べて、冷静に見なければまったくその真偽は分からない。いや並べた挙句に結局判断不能かもしれない。
この本一冊読んでそこに出ている証拠を読んでもやはり分からない。そんな分からないことを分からないまま双方が双方の主張を繰り返すことは実にナンセンスである。そしてまた冷静な場が作れない状態で相手の主張の鼻っ柱を折るような行動や発言はただただ相手の感情を逆なでするだけである。
この本にも問題解決の最優先事項は相手の主張を知ることとある。先日読んだ交渉術の最優先事項と同じである。そんな基本を怠る政治って僕には理解不能である。

建築を作る相手とは?

午前中大学の健康診断。九段でやると思っていたら神楽坂。初めて大学の電動自転車を借りて神楽に向かう。おっとこの電動自転車無茶苦茶楽だわ。知らなかった。すこしこぐとモーターが作動してまるで誰かが後ろから押してくれているかのようである。身長、体重、視力その他去年と変わらず。遠くを見る力は変わっていないけれど、近くを見る力は日々衰えているのだが。午後初めての主任会議を終えてその膨大な資料を整理。4年生の梗概を4つ受け取る。チェックし始めたら時間切れ。夜事務所でスライド会。またアルゼンチン、中国、グアテマラ、セットで見せる。建築のスライド会なのに建築は殆どでてこなくて、ワークショップ、展覧会、講演会で何がテーマで誰が何言っていたかみたいな説明である。毎度思うが、日本を離れて、自分の建築を理解してもらうような話をしていると、建築は誰を相手に作っているのだろうか?とつくづく思う

October 15, 2012

ピュリツカー賞を受賞したワン・シューの位置


やっと手に入れたJianfei Zhunの書いたArchitecture of Modern China-A historical critique 2009。著者は先日の東南大のシンポジウムでご一緒したメルボルン大の准教授である。中国で中国の近代建築の英語の本が欲しいと言ったら同済大の先生にこの本を推薦された。
彼の中国近代の系統図を見ると21世紀のデザイン傾向として6つあり、その4つが○○モダニズムなのだが2つは○○Regionalism でその1つがRational/Abstract Regionalism もう1つがCritical Experimental Regionalismでありその代表的建築家として挙げられているのがピュリツカー賞をとったWang ShuでありもとMITのディーンYung Ho Chang そしてアーティストのAi Weiweiの名前も挙げられている。コールハース、ヘルツォーグを含めて外人建築家はState-Owned Mega-structural Modernismというくくりに入れられている。

日本アートのレベル


夕刻ニューヨークの友人と夕食。彼女はジャパンソサエティの芸術監督。日本韓国にアジアの舞台芸術の視察に来ている。アジア、あるいは日本のアートのレベルの話になった。僕が昨今の経験から中国建築の今後のパワーのような話をすると、まったくそれはナンセンスだと反論された。そもそも日本人は自分たちの力を過小評価することを美徳とするようなところがある。だいたい建築は日本のアートのレベルの中でもトップレベルであり、彼女の専門とする舞台芸術でも日本は低くはないけれど、建築はその比では無いという。そういう分野にいながら自己主張する前に他国の脅威を語ること自体が分からないと言われた。まあどっぷりニューヨークに腰を据えて、その中でしかも日本芸術の外交大使のようなことをやっている彼女にとっては毎日が日本芸術の素晴らしさを主張する立場にいるのだろう。そこで生きて行くためには女々しくネガティブに生きるなんてあり得ないこと。
アドビ―が主催するアンケートで世界で最もクリエイティブな国はと言う問いの一番は日本なのだそうだ。日本はもっと自国のアートやクリエイティビティに自信を持つべきだと彼女にさとされた。
彼女と話していて少し元気が出てきた。

October 14, 2012

最良の選択肢を探すことが設計であり医療である


午前中八潮の家づくりスクール。昨日これじゃ駄目と言ったことがきちんと全部直してあったので感心した。昼大学に戻り夕方まで翻訳勉強会。夕方信大の院生が修論文持ってやってきた。心理学の柳瀬先生に託した学生2人。印象実験やって徐々に面白い答えに近づきそうである。どんな修士設計になるだろうか?楽しみである。夜は九段近くで東京で働く元坂牛研も集まって食事。
瀧本哲史『武器としての交渉思考』星海社新書2012を午前中の移動中に読みながら設計というのはある種の交渉だと感じる。交渉と言うと勝ち負けのイメージがあるが決してそうではない、自分と相手が合意できる最高の地点を目指すことが交渉である。設計もクライアントの要望と設計者の使命(壊れない、合法的、美しい、などなど)をすり合わせその最高の地点に持っていかなければならない。普通に考えると設計はクライアントの要望通り何かを作ることにあるのだから、それは指令のようにも思える[上図参照)。けれどもちろん指令にはならない。指令で済むなら設計という特殊技能は要らない。もし設計が指令なら医療も指令になるがもちろん医療も指令にはならない。
交渉術にBATNA(Best alternatives to negotiated agreement)という概念ある。交渉する当事者はお互いにいくつかの選択肢をもちながら合意するための最良の選択肢を探すのである。ネット情報化社会のクライアントや患者は恐ろしい量の知識を持ち合わせて設計者や医者に対峙している。この場合、恐らく建築も医療もクライアント(患者)と設計者(医者)はBest alternative を求めて交渉しているのではなかろうか。まあ医療の場合先生に「他のやり方は無いんですか?」なんて聞くと怒られる場合もありそうだが、、、、

October 12, 2012

オックスフォードのチュートリアル教育の素晴らしさ

苅谷剛彦さんという東京大学の先生の著書を何冊か読んだ記憶があった。その苅谷さんの書かれた『イギリスの大学・ニッポンの大学』中公新書クラレ2012という本があり読んでみた。苅谷先生は2008年にオックスフォード大学の教授公募に応募し、いくつかの審査やインタビューの後、晴れてオックスフォードの教授になられた。50を過ぎて海外の教員に応募すると言うのもなかなかの勇気がいるものだと思ったが、応募を決断したのは「あなたもワールドクラスの学生を教えてみないか」という誘いの言葉だったそうだ。
ワールドクラスの学生に惹かれたと言うことは自分の教えている学生はそうではないと思っていらっしゃったと言うことの裏返しでもあろう。この本はそうして行かれたオックスフォードで経験した日本の大学(と言っても東大だが)との差が書かれている。それを読みながら羨ましくなった。
オックスフォード教育の最大の特徴は、チュートリアルと言う学生の個別指導。毎週課題図書リストをわたしそれを読んでA4、10枚程度のレポートを書かせ、それについて先生と学生がディスカッションを行うものである。学生は一日約8時間の勉強を義務付けられる(というかそのくらいやらないと課題図書を読み、レポートを書くことができない)。もちろんバイトなどしている暇はない。これがfulltime studentなのであり東大生はさしずめpart time studentだと著者は感じたそうだ。
オックスフォードの教育で最も重要なことは批判的な思考でありそのための個別のディスカッションなのだと言う。その代りオックスフォードでは講義は単位授与の役割を担わず、学生の参考書のようなもの。単位というようなものはなく、卒業は授業やディスカッションとは直結しない卒業試験で決定される。
批判的思考をするとは先人の知恵をすべて消化したうえでそれを客観的に乗り越えて行くこと。そのためには徹底したリーディング+そこに立脚した自らのオピニオンを相対化する能力を養うことなのだろう。
僕は日本の大学では財政的にも制度的にも困難なこういう教育をしたくブログを使ったヴァーチャルディスカッションを信大時代からやっているが、こんな異国の話を聞くとつくづく羨ましくなる。これが教育であると思う。
羨ましいと手をこまねいているのも悔しい。そこで今日からやれるところまでやってみようと思い、演習授業の学生発表の後の40分くらいを徹底してディスカッションをすることにした。オックスフォードと異なり学生数は多い。果たしてこんなことは白けて終わるかもしれないと疑心暗鬼でもあった。しかしやってみて多少の手ごたえを感じた。くらいついてくる学生はいるものだし、批判的な思考をきちんと持ち合わせている学生もいた。今日はそんな学生に会えたのがとても嬉しい。

October 11, 2012

ネトの新作楽しめる


青山で打合せする前にちょっとエルンスト・ネトを覗く。ヴィトンのギャラリーはエルメス同様、最上階にあるがエルメスとは異なりガラス張り、美術展示にしては明かる過ぎるし壁が少ないから絵画には向かない。こんな場所にはネトのオブジェはぴったりである。彼の作風は少し変わってきた。昔の巨大風船のようなものから今はスパイダーマンの巣あるいは故郷ブラジルを想起させるようなコーヒー豆の袋の連続のようでもある。ネットにプラスティックのボールが沢山はいっていてこの網の中に入っていける。中で昼寝もできそうだ。
ヴィトンギャラリーではいつもしっかりしたカタログを作るのだがこれが無料。よくできている。


October 10, 2012

桂の役割


現場の型枠見ながら篠原先生の東玉川の住宅増築の内部空間を思い出す。設計中は意識していなかったのだが、、、、こういうことはたまにある。
昨晩読んでいた田中辰明『ブルーノ・タウト―日本美を再発見した建築家』中公新書2012に載っているタウトの桂賛美と東照宮批判の図式に改めて注目。タウトの桂賛美がいかなる企みの上になされようとも、そして当時の政府に国家発揚として利用されようとも、そして岸田日出刀の桂賛美が既にあったとしても、でも彼の発言はきっと大きかったのだろうと思わざるを得ない。日本の近代概念が日本であり得、日本の建築家が自信を持つことができたのは日本建築の美=桂の美を土台とし得たことにあったのではなかろうか?
先日異国で日本建築の流れを説明し丹下さんと桂の写真を見せながらつくづくそう思ったのだがこの本を読んでその気持ちがまた新たになった。

October 9, 2012

これが世界の男女産み分けの実態


午前中事務所、昼大学で会議、雑務、会議、科研の書類も天内君が週末頑張ってくれてなんとか提出。明日の打合せ資料もどうにか間に合い、やっと夜一息。「今日は家で飯」と言って出てきたのだが、疲れたので研究室で読書。マーラ・ヴィステンドール(Hvistendahl, M)大田直子訳『女性のいない世界―性比不均衡がもたらす恐怖のシナリオ』講談社2012を飛ばし読む。男女産み分けの実体がここまで来ているとは知らなかった。特にインドと中国。インドのとある洲では出生性比が126。女性100に対して、男性126という数字を記録している。中国は国全体で120だそうだ。そしてもし生物学的に正常な出生性比(それは必ずしも100では無い)を維持していたならアジア大陸にはあと一億六千三百万人の女性がいたはずだという結論は耳を疑う。
そしてこの本の凄いところは単純にその統計的データ―を暴くにとどまらず、こうして増えた余剰男性によっていかなる事件が湧きおこったかまでをも取材している点である。それは人身売買であり売春であり、、、、中国の産婦人科病院の話しに思わず気持ち悪くなってきた。帰宅して飯食えるだろうか???

October 8, 2012

それってプラグマティック?


外国へ行く鞄の中にいれておいて読んでいなかった『プラグマティズムの作法―閉塞感を打ち破る思考の習慣』技術評論社2012を読む。パースのプラグマティズムの定義はどこかで読んだことがあったがこの言葉はインパクトがある。
ものの概念とはその効果、特に人間の行動に影響を及ぼすような効果と同義だというのである。別の言い方をすると人の行動に影響を及ぼさないようなものは無いも同じ、考えることも無駄であるということになる。これはヴィットゲンシュタインの言う、語りえぬものについては沈黙せよということに通じるところがある。
著者は大学の教員として、世の中の研究には効果が期待できないような、何を目的でやっているのか分からないようなものが山とあり、それらは無意味であると言う。確かに学会などに行くと、研究のための研究がいろいろあり理解困難なものも多い。
僕も大学の教員として自戒の念を持ってこの本を読んだ。自分は意味不明な目的不明な行動をしていないだろうか?おそらく僕のことで言うならば、常に建築の設計あるいは意匠を前進、展開させることに効果のある講義であり演習であろうか?読書でありゼミであろうかと問い続けないといけない。もしそんなことをしても何の効果も期待できないと言うようなことがあればそれは少し考えなければいけない。反省も必要だろう。でも世の中には遠回りと言うこともあるわけで、必ずしもプラグマティズムが全てに優先すると言うわけでもないところが難しい。

October 7, 2012

辰野登恵子


今日も頑張って、朝は翻訳メールの応答。午後は原稿そして夕方はやっと自由時間。配偶者と娘と連れだって国立新美術館。辰野登惠子、柴田敏雄二人展を見る。2年前に銀座のギャラリーで彼女の個展を見てとても好きだったので今日改めて見たかった。今日の展覧会では入った瞬間の最初の絵が素敵だった。

October 6, 2012

四ツ谷のお祭りで建築展


○四谷大好き祭り、荒木町で踊る

○四谷大好き祭り、カルミネギャラリーでの理科大3年スタジオ展示

海外遠征から帰って一週間。学科主任の重責に頭がくらくらしながら後期の授業に奔走し本当に疲れる一週間だった。今日はほっと一息の土曜日である。ああ嬉しい。朝から翻訳を進め、原稿を二つなんとか書き始めた。ほっと一息。夕方四谷大好き祭りで盛り上がる荒木町を散歩、300軒ある飲み屋さんがお店のドア開けて路地にテーブル出して、日本酒、ワイン、シャンパン、ビールと飲み物売り。蕎麦や串カツなど簡単な食べ物もふるまわれている。法被姿の子供や大人が路地を踊り進むのは実に楽しい。その中でのスリバチ展、理科大3年生のスタジオ展示がカルミネギャラリ―で行われている。今日までかと思ったら明日の4時までだそうだ。
鈴新のマスターが模型をもっといじりたいというので、ではお客参加型にしてポストイットで投票させればいいと言ったらその通りになっていた。今日はお祭りなのでお客さんも多くなかなか盛況だった。

October 5, 2012

織物サンプル帳


グアテマラで買った私の唯一の自分の為の本以外のお土産。一体これは何かと言うと伝統的な彼らの織物の見本帳。タイトルはcolors des paraiso。楽園の色である。Nua muestra de los textiles mayas de guatemaraグアテマラのマヤ織物の見本帳。
見本帳の1ページ1ページにはその織物の産地が書かれている。産地の数だけ種類がある。マヤの模様はひし形が多いのだが、グアテマラの現代建築の廊下は直線では無くひし形にクランクしているモノがある。マヤの模様だと説明されてちょっと驚いた。

October 4, 2012

MacBookAirの限界???


MacBookAirを常時持ち歩き、家でも事務所でも大学でもこれだけで仕事をしていたのだがついに限界。大学で送られてくる資料の字の小ささに(例えばカリキュラムとか)もはやMacBookAirの画面では対応できなくなった。前任の先生のcpuを再設置した。しかしこれがまた問題。大学来るとついなんでもかんでもこの大きな画面に頼りたくなる。好き好んでMacBookAirを使う気になれない。そうすると当然の結果として目が大きな字に慣れ、家や事務所でMacBookAirを開くとそのとんでもない小さな字に(とんでもなく小さな字では無いはずだが)目がついていかなくなる。ああ健全な肉体が欲しいとこの歳になると思う。30代の体力と視力と脳力を返してもらえるのなら、主任だろうと、教務幹事だろうと喜んで引き受ける。体が衰える歳になるとこう言う大変な仕事が回ってくると言うのは自然の摂理に反するとつくづく思う。

October 3, 2012

世界に一つしかない額縁


〇草土舎ホームページより

額縁ばかり作ったり売ったりしている草土舎というお店が小川町にある。とある額縁を作っておらうためにクライアントと訪れた。大正13年創業というからほぼ親父と同じ年である。そこの宣伝文句が気に入った。「さまざまな作品や大きさでも 、世界にひとつしかない額縁をお作りいたします。・・・日本に於ける額縁の歴史の中で、洋の伝統を吸収し、日本古来の美意識を加えて、独特のスタイルを創りました。」額縁とは普通その中身をフレーミングするものであり、一般的にはニュートラルな、作品をひきたたせるものなのだが、このお店はその額縁があたかも作品であるかのごとくの意気込みである。
僕がArchitecture as Frameというコンセプトで建築はフレーム(額縁)でありその中に見えるシーンが重要と言うとそのフレームがあたかもオブジェのようだと批判されたりする。しかしこの草土舎のモットーのようにその額縁が美しい作品になることは十分可能だと思っていたので草土舎の制作コンセプトに我が意を得た。

October 2, 2012

荒木町スリバチ展に是非足をお運びください


昼ごろ荒木町カルミネギャラリーに立ち寄る。理科大3年生の前期課題「荒木町を読む」の優秀作品が展示されている。これは昨今注目されているスリバチ学会(東京のすり鉢状の地形を踏破し、分析し、愛でるというユニークなグループ)を中心に荒木町をこよなく愛する人が集まり、その中でも特に荒木町を愛するカルミネさんが自らの家をギャラリーとして一部開放し、そこで荒木町にまつわる展示を行うものである。
私も荒木町に事務所を持ち、そのすぐ隣町(栄町)に住む住民として荒木町を愛する人の仲間入りをし、学生にこの面白い東京の地形と文化を味あわせるべく課題を行わせた。そしてその優秀な成果をここに発表の機会を頂いたというわけである。
展示は我々のみならず、法政大学佐々木研、陣内研なども行う。今週は私たち理科大生の展示である。12時~5時と平日はちょっと行きにくい時間だが土曜日まで理科大の展示は続き、日曜日から法政大学の展示に切り替わる。今週末は四谷大好き祭りと重なるので、沢山の人に来ていただき御高覧御批評頂ければ幸いである。

卒計の心構え

朝から会議。午後打合せ。夕方大学院の講義。『言葉と建築』を1年ぶりに話す。信大の時同様。学生の文章を学生に批評させると言う方法をとることにする。
夜今村創平さんをお呼びし、卒計の心構えについてお話頂く。敷地、プログラム、形という一連の流れの中での敷地、プログラムの重要性が強調された。というのも敷地自体に建築のポテンシャルが内在しているので、敷地を選んだ時点が0点なのか50点なのか決まってしまう。0点のところにいくら80点を作っても80点だが、50点のところに80点作れば130点というわけである。プログラムしかりでプログラムの設定ですでにデザインする前からスタート地点が異なる。しかし一方で最近はそこまでやって終わってしまう作品が多く最後のデザインが無いことを嘆いていらっしゃった。同感である。

October 1, 2012

遠くの国

つくづくトランジットには悩まされる。今回はLAに夜中の12時に着いて次の日の昼の12時に飛び立つ。入国の時のオフィサーが飛行場内にいるのかと聞くので初めて外にでるというオプションがあるのに気付く。でもこの深夜行くならどこかのホテル。だがここの乗り継ぎは荷物を一度出さなければならず、この荷物持っての移動は面倒臭い。飛行場で寝るオプションをとる。でも不気味だな、誰もいない飛行場に一人寝ると言うのは。
共同運航便というのも混乱する。日程表にはユナイテッドの便名が書いてあるけれど、機材が違うのでチェックインカウンターが違う。グアテマラ~LAは地元の会社。グアテマラの飛行場にぎりぎり滑り込んだら、ユナイテッドのカウンターがすべて閉まっているのに焦った。また乗り遅れたのかと思った。
そしてLAではユナイテッドの東京行きが昼の12時には無いのに焦った。夜が明けてから旅程表を通りがかりの黒人おばさんに見せるとそれはアーニパンだと言う。最初は何のことやら分からなかったけれどオール日本のことだとやっと分かった。となるとターミナルが違う。結局帰りはほとんど30時間。アルゼンチンと変わりない。ラテンアメリカ遠し。
東京着いたら台風の歓迎。リムジンで東京駅へ。タクシーに乗りたそうなラテンアメリカ系の4人のグループをタクシー乗り場に連れて行く。何処行くのと聞くと「ギンザ」と応える。すぐそこだよと言うと日本のタクシーは高いから東京駅のそばのホテルにしたと言っていた。確かに日本のタクシーは世界一高い。