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November 29, 2012

師走である


研究室で作っている本の校正が上がってきた。時間が無いので研究室と出版社で同時並行校正中。最終がどこかが分かりづらくうまくいくのかやや心配だが、、、、校了の締切とJapan Fondationの申請の締め切りと八潮のワークショップとするが幼稚園での座談会と現場の追い込みと各種忘年会と、、、予定がつまってきて、、、師走である(ちょっと早いか?)

ハーパーの新作


某ゼネコンの方と夜食事の予定でお店に着いたら急なトラブルで1時間遅れるとのメール。どんな仕事にもこういうことはあるのだろうけれど、こと建設現場のそれは命にかかわることもあるし、大きなお金にもかかわるし、大変である。
彼は空港の専門家で世界中の空港をクライアントと飛び回っているらしい。建設中のドーハはすごいとか、どこどこの何空港はこうだとか。予算も千億のオーダーになる場合もある想像を絶する。100㎡の住宅も数ヘクタールの空国も同じ建築だろうけれど、技術的にも、経済的にも、文化的にも異質である。
お店でいただきました。ハーパーの新作。と思いきやアンブレラ。

November 27, 2012

平成史は歴史というより現実


小熊英二編著『平成史』河出ブックス2012を先週末から読んでいる。厚くてまだ3分の2くらいだが少し感想を記しおく。歴史というには近過ぎるなんていう風には思わないが、同時代を生きてきたのでこれは歴史というよりかは現実である。
話はそれるが今日葬式であった高校時代の先輩が「歴史っていうのは戦勝国が勝手に作る物語だからそんなもん嘘っぱちであって、結局真実なんて誰も知らないのさ」。と言っていたが80%同感である。
平成史が僕にとっては歴史ではなく現実だというのはこの意味においてである。総論で編著者の小熊は歴史とは社会を代表するものを記述することなので昭和史と言えばなぜ戦争をしたのかということにフォーカスされる。その意味で平成史には代表が無い。つまり「代表が成立しない」という状況を生んでいる社会構造と社会意識の変遷史として描くしかないと言っている。しかしそういわれても戦後世代の僕にとっては僕が生まれた時から考えれば平成に代表がないのなら昭和にも代表はないし、その意味では昭和史、平成史と分けて考えることに何の意味も感じない。まあそう固く考えず、90年代と0年代の合体論、あるいは冷戦後史、と考えればいいのだろうか?
そう思って読めば、諸論考の中では小熊の「国際環境とナショナリズム」における冷戦後の日本のナショナリズムの変遷は興味深い。小熊によれば冷戦期の日本のナショナリズムの理念型は3つ。1つめはアメリカにおんぶにだっこの現実主義史観に支えられた親米保守ナショナリズム。2つめはその逆を行く平和主義史観に基づく革新ナショナリズム、そしてもう一つが富に最近目立ち始めた反米保守ナショナリズムであるという。これは対米自律、重武装、戦前回帰志向が特徴で、反中国、反韓国の意識が強いというものである。そしてそれを担っているのは若年層であり、領土問題、経済競争でまさに追い抜かれんとする危機感も拍車をかけているのだという。なぜ三つ目が前景化してきたかというと最初の二つは冷戦の両陣営を基盤にしているからであり、保守革新の二極分化を知らない若い世代は3つ目に流れるということのようである。
昨日タカ派政治家にうんざりと書いたがどうも彼らはどこにも属さないようにも見えるのだが、、、

November 26, 2012

タカ派にうんざり


我が家の中庭(と言ってももちろんマンションだが)からはかの防衛省の巨大な塔が我々を睥睨しているかのごとく聳え立っているのがよく見える。昨今タカ派の政治家たちが日の丸掲げた集会をあちこちでやっているのにうんざりする。自衛隊を国防軍と呼ぶなど悪い冗談である。悪いけれど僕には彼らの気持ちに全く感情移入できない。70近いおじいさんと言葉が通じないことにはあきらめがつくとしても僕と同じくらいかあるいは下にもそういう人間がいると思うとちょっといやーな気持ちになってしまう。

November 25, 2012

石に見えるコンクリート


昼から翻訳勉強会Adrian FortyのConcrete and Cultureを翻訳中。コンクリートにまつわる美学的、社会学的、経済学的側面からの系譜学である。美的歴史の中にコンクリートを石に見せようと努力した時代があったと書かれていた。それを読みながら「コンクリートだって元は石だもんなあ」と改めて思った。
先日荻窪の家の型枠がとれた後の定例でクライアントがコンクリーベンチに座ってコンクリートの天井を見ながら「いいなあ、、、、、、石みたいだ」と呟いた。石に見せようとしなくても見えるんだと思った。

ベランダの木


ベランダにはカエデ、トネリコ、マンサク、オリーブ、レッドロビンの木がある。最初は大きな植栽升にたっぷり土を入れていたのだがキャンチレバーの先端に並べておくには重すぎるということで土を半分にした。そのせいか枯れはしないのだが葉があまり茂らない。やたらと大きくなる木もこまりものだが、葉が少ないのも少し寂しい。
カエデだけはポットがちがって土が過不足ないのだろう葉っぱがたくさんついていて元気。

November 23, 2012

日本のアヴァンギャルド


『美術家たちの証言―東京国立近代美術館ニュース「現代の眼」選集』美術出版社2012の大正期の新興美術運動のあたりを読み、二科会、アクション、マヴォなどの日本のアヴァンギャルドの流れを少し理解した。自称日本最初の抽象絵画は神原泰の「スクリアビンの『エクスタシーの詩』に題す」で1922年の作。カンディンスキーに遅れること約10年である。建築は、ウィーン分離派から遅れること約20年。

November 22, 2012

いい夫婦の日に銀婚式


11月22日はいい夫婦の日。僕は25年前のいい夫婦の日に結婚。なので今日は銀婚式である。このボールはサッカー部の友人たちが結婚式の日に寄せ書きしてくれたもの。昔の縫いボールである。今じゃこんなボール売ってない。25年はアッと言う間だったけれどあと25年生きて金婚式を迎えられる気はしない。だからこそこれからの人生は濃密に生きたいものである。しかるに今日は10時から委員会、1時から入試決定会議、2時半から建築専攻会議、3時45分から臨時学科主任会議、4時から教授総会、5時半から教授会議、6時から二部教員研修会。まあ会議はばらばらいろいろな日にあるより、こうしてパックされていた方がいいと言えばいいのだが、、、、、濃密な人生にとっては無駄な内容も多々ある。

寂しい同期会


久々の同期会。大谷や吉野がいないのが寂しいが。寂しいと言えば、西村と僕のお頭も寂しいが。

November 20, 2012

会田を読んだら恐怖が少し飛んだ


現場に行く車中、会田誠『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』幻冬舎2012を読み続ける。いやーこの本痛快!!会田はこう言う。現代美術の半分は屑だけど半分は将来残っており、この歴史に残る作品を選んだ人だけがそれを選んだ精神自体によって「次」の時代に行ける。そしてそれこそが現代美術の正しい機能である。
会田ファンであるからではなく、ああ現代美術ってそうだよねってとても納得した。
さらに彼はこう言う。ロンドンが最近ある研究機関の調査で企業にとって魅力的な都市ナンバー1に選ばれた。それは彼らが古いノスタルジーとプライドを捨てて、肥溜めから這い上がってきた結果である。そしてそのこととロンドンが現代美術を評価する眼を持つことは無関係ではない。
会田が言いたいのは現代美術を評価する国は「次」にかける魂がある国で、そういう国がこれから勢いを持つのだということである。同感、共感!!
あほみたいな、遊びみたいな、何だこれ?っていうようなものに国を挙げて応援しようという韓国や中国やイギリスの魂に伝統芸能しか称揚できない日本のおんぼろ役人の保守根性はもはや比較の対象ではない(と、急に力がはいった。もちろん現代アートに力を入れようとしている役人さんだって少しはいるのでしょうけどね、スイマセン)

久しぶりに明るく、無邪気で、闘志あふれる言葉を読んだら元気が湧いてきた。細い手すりと薄い階段を施主に見てもらう恐怖の打ち合わせ前の緊張が少しほぐれた。


November 19, 2012

スクラッチタイルのような吹付タイル?


今日は朝からとても冷える。そろそろジョッギングやめようかなとも思う。先日テニスを週三回やっている大学の同僚先生にジョギングなんてだいたいつまらないし、朝早く走るなんて心臓によくないと言われてその通りだと思った。信大時代にはよく心臓麻痺で死亡する学生や先生の話が漏れ伝えられていたので、確かに早朝寒いときに走ると危険だと思う。走っているときはいいとしても戻ってシャワー浴びた時が危ない。
とはいえジョギングはつまらない分だけ散歩のように考え事したり発見があったりするものである。というわけで今日はIPHONE持って走って発見を撮ってきた。都心でも結構緑は沢山ある。このあたりは本当に素敵な環境だ。でもそんな写真はつまらないので家の近くの四谷税務署の写真を載せよう。遠目だとなんということもない経済スパンの4階建てで窓はスパン間の横連想。まるで一級建築士の模範解答のような普通の建物である。しかしその外装の肌理はちょっと面白い。タイル張りのごとく目地が入っている。スクラッチタイルのような粗さがある。でもタイルではない。とはいえ吹付タイルにも見えない。じっくり見ても僕の知っている材料の記憶の引き出しにはない。なんでしょうかねこれは?

November 18, 2012

直近の記憶が消える


朝食をとりながら森美、会田誠展に午前に行くか午後に行くかという話になり、午前にした。のだが1時間後さあ行こうと言うと彼女はまだ支度をしていない。それどころか笑いながらさも勝ち誇ったように「午後行くって決めたじゃない!」と言うのである。そうだったかなとその気になったのっだが、少し考えた。いや午前中と決めたはずである。「午前中に行って僕は帰り、あなたはそのあと映画を見るって言ったじゃない?」と言ったら、「あっそうだった」と思い出した様子。最近こういう直近の記憶があやふやになってお互いが壊れる時がある。
さてそれでは仕方ない30分待つことにした。手元にあった蓑豊『超<集客力>革命―人気美術館が知っているお客の呼び方』角川新書2012を読んで待つ。近年まれにみるタイトルと内容に整合性のない本でびっくり。編集者が勝手に派手な名前付けたのだろうか?
その中に美術館が人を呼ぶためにはデザインが重要という話がある。そこでのデザインとは建築、ポスター、オリジナルグッズなどだそうだ。それが売れるためのクライテリアをスタンフォード大の教授が提唱しており著者はそれに共感するという。
1) 単純
2) 意外性
3) 具体性
4) 信頼性
5) 感情に訴える
6) 物語性
がそれだそうだ。これを見てわかるのは単純、具体、感情、物語は人にものを伝える時の基本で信頼性は安心感を与える。ただそれだけだと平坦だから意外性というやつがある。
30分経て森美に行って会田誠を見ながら、ああ会田自身がこれだなと思った。実に単純具体感情物語である。そしてたまにそれを上手に裏切ってくれる。とにかくうまいからあまり深みは必要ない。端的にわかりやすくあとは技術で押しまくれば伝わる。
このクライテリアは繰り返しになるが展示作品のものではなく、建築やグラフィック用である。そう考えると、ああ会田誠みたいな建築家いるようなあって気が付く、単純でわかりやすく、信頼感があってでもちょっと意外性も入れておくなんて言う人、、、、

November 17, 2012

かかわりの指数SQいくつ?


国際交流基金で去年作ったCREA LAB(ブエノスアイレス、バルセロナ、東京を結ぶ都市建築研究グループ)の日本ミーティングを来年度末にやろうと企画している。ブエノスアイレスから二人、マドリードから一人招いてレクチャー、展覧会、シンポジウム、ワークショップをやろうというものである。朝からその書類をひたすら書き続けていたら夜になった。このミーティングのコンセプトの一つはグローバル化する世界の中でローカリティをいかに担保するのかを一緒に考えようというものである。
夕食後鈴木謙介『SQ“かかわり”の知能指数』ディスカヴァー・トゥエンティワン2011を読んでいたらこれからのSQ社会で求められる人材は「グローバルに考え、ローカルに行動する」人と書いてある。つまりある地域のことをうまく考えるにはアイデアを世界中から持ってきてそれらをつなぎ合わせるコーディネート能力がいるというわけだ。まさに午前中やっていた作業はローカルに行動するためにグローバルに考える作業だった。そしてこのコーデ能力の指数がつまりsocial quotientである。知能指数(IQ)ではなく心の指数(EQ)ではなくかかわりの指数(SQ)がこれらかは大事だというわけである。
しかしこういう言葉が出てくると確実に「なにを言おうとIQの低い奴は使いものにならない」と言う輩も後を絶たない。

November 16, 2012

何も考えない時間


先日テレビを見ていたらレディガガの靴をデザインしているノリタカタテハナ氏がこう言っていた。「一日の内で何も考えない、何もしない時間を作るように努力している」とてもいいなあと思った。教師やって、事務所やって、そんな時間はなかなか取れないし、そんな時間あったら本読みたいし、ジョギングしたいし、やりたいことは山とある。小学生の頃から一日が30時間あればいいなあと思っていた人間にとってこんな贅沢はない。家路について家の寸前で思い出した。今日は配偶者のお稽古日。10時過ぎまで生徒さんが沢山いて食事もままならぬ。しからばそのまま何も考えない時間を楽しもうと知り合いのレストランにふらりはいる。、、、そうしてブログ書いてたらなんだかなあ、、、、

November 15, 2012

メタ合理性


朝から現場に張り付いて階段取り付けの調整を見守る。今日はひどく寒い。8時間くらいたちっぱなしで寒くてもうエネルギー切れ。現場を見回りながら合理性ってなんだろうかとふと思う。というのも車中読んでいた『日本史の終わり』の中で著者の一人池田信夫氏が「メタ合理性」ということをしきりに主張していたから。曰く「愛情や信仰などの感情は不合理に見えますが、進化の過程ではメタ合理的だったはずです」。つまり宗教も突如カリスマが現れ意味もなく伝播したわけではなく、人間が進歩していく上で最終的(事後的)にはそうあるべきだったという理由が見つかるというわけである。建築も一見非合理に見えながら、この建物が生きながらえていくためにはこうあってよかったのだという理由が事後的に理解されるということもあるのではないかと思うわけである。たとえばリダンダンシーなんていう概念も一見非合理だけれど、数十年たったらああそうしておいてよかったねと思うのである。

November 14, 2012

目の力


家に帰るとこのシマウマを見てドキッとする。最近我が家で飼い始めたシマウマのトルソーである。いや実に似ている。この目がすごい。酔って帰ると飛び出てきそうだ。人間でも動物でも目の力は大きい。
6月頃行ったコムでギャルソンをめぐる座談会が文字になって送られてきた。ゲラを校正しながらしゃべったことを思い出した。コムデギャルソンのショーではモデルを使わないで一般の人を使うときがある。スタイルは悪いし顔も今一つなのだが、逆にいろいろな目が出てきてそれに惹かれて服が見えなくなる。一方で顔をストッキングで隠した、のっぺらぼうのモデルを使うときもある。目が見えないと顔には注意が向かず服が前景化する。目の力はすごい。

イメージを引っ張る言葉

卒計の中間発表会で磯さんにショートレクチャーをしていただいた。建築における言葉の重要性という話。日経アーキ時代の話から始まり、雑誌作りは見出しづくりであり、見出しがかける建築はいい建築だと言う。そしてモダニズムの言葉、次に言葉で作る建築へと話は進みパターンランゲージまで。アレグザンダーは図面を描かず日本で学校を作ったときはかなりもめたとか。
最近の建築はドライな名前が多いけれど確かに70年代はすごかった。反住器、幻庵、反射性住居などなど。磯さんいわく、建築家の名前もなんだかすごいと毛綱毅曠とか梵寿綱とか、、、、
言葉を論理構築の道具としては考えてはいたが、イメージを引っ張る言葉というのも確かに重要である。

November 12, 2012

日本が江戸化すると日本史も終わらないか?


6時から大学院の講義。フォーティー『言葉と建築』の歴史の章。最近は本の内容を語るのに飽きたので毎回違うことを話している。今日は歴史とは過去の事実の列挙ではないという話をするために、歴史の終わりの話をする。
アレクサンドル・コジェーブ『ヘーゲル読解入門』の注について。歴史の終焉以降の日本のスノビズム、アメリカの動物化、そしてフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』、そしてコジェーブを受けた東浩紀の『動物化するポストモダン』。ここまでまず現代的歴史認識としての歴史というものを話した。そしてヴィドラーの20世紀建築の発明、先日の中国シンポジウムのテーマである過去の発明(invention of the past)。歴史というナラティブの説明。
授業を終えてゼミ終えて部屋に戻ると池田信夫、与那覇潤『「日本史」の終わり』php2012が届いていた。ここでも歴史の終わりである。与那覇潤の『中国化する日本』によれば日本は維新で一度中国化(中国宋のネオリベラリズムを念頭に)しその後江戸化するが現在また中国化している。ネオリベ化はフクヤマの歴史の到達点であるからつまり日本史も終わったことになる。まあ世界史が終わったのだから日本史も終わって当然と言えば当然かもしれないが、ここで日本が再度江戸化すると日本史も終わらないということなのだろうが。

November 11, 2012

探していた本が出てきた


超整理法で有名な野口悠紀夫氏の『超「超」整理法』講談社文庫2012になるほどと思うことが書いてあった。Gmailはどでかい自分検索エンジンだということ。何か気になることは自分あてにメールしておくと後で検索できるというわけである。
彼は押し出しファイリング法を昔推奨しており、分類するな時間順位並べよと言っていた。今回の本でも分類するな、ヴァーチャル空間に並べておけ、ただし検索しやすいようにと言っている。なるほどそうかもしれない。僕も最近では事務所にファイルボックスは置かないし、研究室にもほとんどない。必要書類はスキャンしてなるべく捨てる。
さてそれでも検索しきれないものが残る。本である。そこで決めた。ある程度のまとまりで研究室と事務所と家で置く本を分類する。モダニズム、建築論は研究室、人文系のほとんどは家、プラクティカルな建築本は事務所。という作業を少しずつやっていたら探していた本がでてきた。日本の西洋建築史はどんなふうにいつ始まったのかというのを示す資料。伊東忠太序、井上一之著『西洋建築史』中央工学会対1924。こういう資料はいくらネット検索してもそう簡単に出てこない。デジタルオフィスを補完するのは古本屋めぐり。

西荻の家躯体が上がり学生見学会

お昼頃西荻の現場へ。型枠が全部ばらけたので研究室の学生を呼んで躯体の状態を見せた。外断熱の建物なので内装は打ち放しのままである。コンクリートの家は3件目だが、内装を全面的に打ち放しにするのは今回初めてである。2時には施主が来て定例。3時半頃終わって新宿へ。久しぶりに紀伊国屋でどっさり本を買い込み宅急便で送る。夜は根津のはんていで理工学部建築と工学部建築の教員親睦会。明日は入試なので2次会は失礼。
(写真は研究室の中東君が撮ったもの)

November 10, 2012

暗闇坂


先日大学の先輩が突如事務所に来られた。篠原研の隣の平井研(建築史)にいた先輩は卒業後照明のFLOS入り、その後家業をついでファシリティマネージメントをやっていた。のだが、いただいた名刺はなんと飲食店。自分の名を冠したレストランである。場所は愛住町。さっそくその夜うかがった。靖国通りを曙橋から新宿方向へ歩いて5分まるで自宅のような隠れ家的レストラン。奥さんと二人で経営されている。なんだかほのぼのとしていいなあと思った。老後の生き方候補がまた一つ増えた。
このあたりよくジョギングするのだが、ご存じ四谷は台地と低地の境にあるから坂ばかり。お店の裏はすぐ上り坂である。その坂の名が暗闇坂(暗坂)。東京にはここ以外に港区元麻布、文京区白山、文京区本郷、大田区山王、品川区、目黒区上目黒と複数存在する。暗くて急坂で妖怪幽霊が出没するという伝説が生まれ、実際追剥などが現れたらしい。確かに夜は歩きたくないといった場所である。

November 9, 2012

薄い階段


外国人建築家招聘助成金の相談に国際交流基金に行く。なんと家から歩いて行ける距離。韓国大使館の隣である。小さなオフィスを想定していたらビル一つ丸ごとこの組織であった。いろいろお聞きしていたら、私がこの組織の助成でグアテマラに招かれていたこともすでにご存じであった。びっくり。
事務所に戻り現場から帰ったスタッフと打ち合わせ。階段が取りついた。まるで模型のようにきゃしゃに見える。構造の長坂さんとは以前にもこんな階段を「ヤマ」という住宅で作ったがそれより薄い。さてこれで揺れないか?たわまないか?

November 7, 2012

建築の知情意ってあっただろうか?


モダニズム研究会の最近のテーマは戦前戦後を貫くモダニズム思想。なので調べる対象は、美学、美術史学者、民俗学者、哲学思想家が中心。美学者というと建築に関係した黒田鵬心がいるが、その先生は大塚保次という新カント派の美学の教授だと昨日天内君から聞いた。さてたまさか今日読んでいた吉田亮『美術『新』論―漱石に学ぶ鑑賞入門』平凡社2012によれば、この大塚保次は『吾輩は猫である』に登場する迷亭先生のことだと知り、急に親近感がわいた。ついでに芥川龍之介は教え子だそうだ。
さてそんなことはどうでもよく、漱石には『文芸の哲学的基礎』なる書があり、知、情、意で心は構成され、その心が一体となって美を感ずるものだと説くのだそうだ。そしてもちろんこれは同級生である大塚先生の教えでもあった(当時のmental philosophy の常識なのだそうだ)。
大塚が新カント派だと聞くまでもなく、この知、情、意の理想となるものは認識上の真、倫理上の善、審美上の美でありカントの真善美(3つの批判書)で探求されたものに他ならない。
さておもしろいのはこの漱石の美論の知情意は明治絵画の流れに見事に当てはまっているということ。知は主として、明治10年代まえのリアリズムであり(高橋由一など)、次に正確に描くではなく、何を描くかに夢中になった(つまり意を貫こうとした)のは20年代になってから(横山大観など)、そして正しさや対象に拘りを捨て美に対峙したのが30年代(青木繁など)なのだそうだ。
こんな説明の仕方が日本美術史の常識かどうかなど全く知らないけれど、さてこんな真善美が当時の建築界に意識されていたのだろうかと考えると面白い。ちょっと気になる。

November 6, 2012

莫言と王澍


村上春樹がきっととるだろうと思っていたノーベル賞を受賞した莫言に興味がわいた。でも興味は莫言自身にあったというよりは、村上ではなく莫言であったというその差にあった。そこで莫言『赤い高粱』(井口晃訳、岩波書店、(1987)2003)を数日前から読み始めた。今日も夜、読み進めながら思い出すものがあった。今朝ぺらぺらめくっていた建築雑誌の写真である。この雑誌はラテンアメリカで編集者がくれたなかなか素敵な世界の建築を載せた雑誌である。その中の一枚の写真。それは今年の建築のノーベル賞と言われるプリツカー賞をとった中国の建築家王澍(ワン・シュー)の作品である
思い出した理由はおそらく、『赤い高粱』の野性味、自然の荒々しさが王澍(ワン・シュー)の作品にも感じられるということではなくて、世界がそんな属性を生み出す、田舎っぽさ、地方性に思いを寄せたそのベクトルの近似に思い当たったからだと思う。

November 5, 2012

一部の卒論発表終了


一昨日卒論の発表会があった。理科大の4年生は、一部は卒論と卒計両方やる人(これは主として計画系)これをαと呼ぶ。次に卒論だけやる人(これは主としてエンジニアリング系)これをβと呼ぶ。そして二部は卒論か卒計の選択である。ぼくの部屋は一部の4人は全員αで二部の13人の内2人が卒論、11人が卒計である。つまり3つのグループが1学年にいるのでそれぞれ別個に指導することになる。これだけでも普通の大学から比べればとんでもない負担増である。本当しんどい!!
さて卒論のできは?
テーマ探しから初めて、あっちやって駄目で、こっちやって駄目でという試行錯誤の末にほとんど1.5か月くらいでまとめ上げたにしちゃよくまとめたなと思う。でも卒論って4年間の自分の建築観の総集成だし、ここで自分の言いたいことが一つまとめられると思うと、もっと「私はこれが言いたい」という強い熱があるはずだと思う。その萌芽は皆に十分感じられるのだけれど人に伝わるレベルになっていないと思う。つまり背景はとてもいいのだが、そこからのプロセスと結論が陳腐整理されていない。いい卒論は1分で説明できるものだ。
因みに僕の部屋の論文タイトルは
現代住宅における白の言説―建築家が白に込めた意味
大型住宅の計画手法―延べ床面積500㎡以上の住宅を対象として
現代住宅の指標について―多木浩二の現象学的考察から見たポストモダニズム期
美術館内部から見える風景とシークエンス―谷口吉生の美術・博物館における設計手法の再構成
二部の卒論はこれを超えることを願っている。

November 4, 2012

銀座で書展



昼頃配偶者といっしょに市澤静山氏の書展を見に銀座へ。今日は天気も良く歩行者天国がとても気持ち良い。場所は伊東屋の二つ隣のメルサビルの8階東京銀座画廊。とても広いギャラリー。引きがとれて見やすい。照明も単なるスポットではなく蛍光灯にアクリルカバーで面光源にしてから間接光にしているので目に優しい。
市澤先生の書は力強い信山ばりなのだが、ちょっと歪んだ豊作という字が好きだった。実がなってたわむ穂のようにも見える。
メルサを出て右斜め前のポーラアネックスに寄ったら八木マリヨという作家の縄の彫刻が置かれていた。ポーラを出てギャラリー小柳にも寄ろうかと思ったが帰宅。ネットで見たら内藤礼をやっていることを知る。やはり見に行けばよかった。

November 3, 2012

2冊本をいただく:南先生、山岸綾さん


先日本を二冊いただいた。一つは相模女子大教授の南明日香先生の『コルビュジエは生きている』もう一つは建築家の山岸綾さんが山奥の小学校をリノベした美術館(絵本と木のみの美術館)のブックレット。
南先生とは分離派研究会でお会いして著書を送っていただいたのだが、『荷風と明治の都市景観』三省堂の著者とは知らなかった。出身が早稲田の文学部とのことで文学畑の人が建築を語るのは大好きである。今後ともよろしくお願いします。
山岸さんもそういえば早稲田出身(建築ですが)、昔から飲み会の席でよくお会いする。先日上越トークインの帰りに渡辺真理さん、木下さん、北山さん、山城さんでこの美術館に立ち寄った。なんだかしみじみいいなあと思っていたところが彼女の設計だと後で知ってうれしくなった。

東利恵さんの個展を拝見


午前中西荻の現場。来週には全部型枠がばれるので学生を連れて見学会をしよう。午後大学に行き昼をとって東利恵さんの個展を見に行く。大学で自転車を借りて5分。市ヶ谷駅そばにある山脇ギャラリー。ビルの一階にある70平米くらいありそうなガラス張りの空間に東さんの主として星野リゾートシリーズの建築から家具まで並んでいる。学会選集の審査で星野リゾートは以前みせてもらっていたのだが、こうやってドローイングや模型、家具、素材などを見せていただくとシンプルな形に込められた思いが伝わってくる。
大学に戻り明日の卒論発表会のリハを聞く。いやー明日が本番の割にまだ駄目だよな。昔なら激怒していたかもしれないが、最近は何とかなるだろうと思ってあまり言わなくなってしまった。でもきっとその期待に応えてくれるものと信じて4時からの講義を終えて6時から3年製図の合評会、亀井、青島、多田、川辺、僕+呉スタジオにゲストは松田達さん。相変わらずキレのいい講評に感謝。

November 1, 2012

「フレームとしての建築」におけるフレームの射程

アン・フリードバーグ(Friedberg, A)著井原敬一郎・宋洋訳『ヴァーチャル・ウィンドウ―アルベルティからマイクロソフトまで』産業図書[2006]2012を現場往復で読み始める。大部の書なので興味のある部分を飛ばし読んだだけだがとても興味深い。
タイトルを読むとコンピューターというウィンドウの向こうにあるヴァーチャルな世界の話だろうと思ってしまう。確かにそれは半分正しいのだが、重要なのはそうした世界はじつはアルベルティの時代から始まり現代まで連続しているというのが著者の言わんとするところである。
アルベルティの「絵画は窓」という謂があるが、それは額縁に囲まれた絵画世界とフレームに囲まれた窓の向こうの世界の共通性を指摘するものである。しかしこれは文字通りの窓の向こうの現実世界を意味していたのではないようである。アルベルティはフレームの向こう側は絵画同様ヴァーチャル(非物質的)な世界だと考えていた節もある。
時代が近代に入ると、ハイデガーは「近代とは世界が像となった時に始まった」と言った。それはハイデガーにとってはデカルトの謂「考えることを通して世界を表彰する主体」が生まれたことにつながっている。そしてハイデガーはここでこの像を見るフレームを哲学的に設定している。ここでは世界が個々の内面のフレームの内に立ち上がっているのだが、それももはやリアルな何かではなくヴァーチャル(非物質的)な世界なのである。
そして現代ではコンピューターのフレームの向こうにヴァーチャル(非物質的)な世界が広がっているのである。つまりアルベルティからマイクロソフトまでという副題の言わんとするところはここである。
僕が「建築はフレームだ」と言っているときのフレームはまさにハイデガーの言う世界を像化したいという観念的なレベルと同程度にお隣さんとお話ししたいというくらい具体的なレベルの双方にまたがるフレームなのである。
いずれにしても、、我々の目はフレームを通さないと世界が見られないように飼いならされてきたのである。世界を見るにはフレームが必要なのである。

保坂猛さんの上手なお話


午後一で水戸の現場、オレンジ色の不思議な建築が姿を現し始めた。夕刻研究室で出版社の方とデザイナーと打ち合わせ。だんだん完成形に近づいているのだが、あと一歩である。7時から2年生製図の合評会。保坂猛さんをゲストに招いてショートレクチャーをしていただく。ほうとう不動やガラス張りの保育園の成立のいきさつが聞けて楽しかった。ほうとう不動は和風を頼まれこれが50年後の和風ですと言ったそうだ。富士山にたなびく白い雲が日本の風景だと言ったら施主は30分黙った後にこれで行こうと決めたとか。ガラス張りの保育園は森と建築、2歳児から高校生、それらを混ぜこぜにするのが狙いとのこと。なるほどどれも説明が上手である。