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May 30, 2012

建築もモードだな


連日現場。今日は野木。階段手すりのモックアップを見る。なんだか凄い鉄の塊。
往復の車中でモードの本を拾い読み。井上俊編『ポピュラー文化』世界思想社2009:ジンメル曰く「流行とは与えられた凡例の模倣」。ロラン・バルト山田登世子訳『ロラン・バルトモード論集』ちくま学芸文庫2011、バルト曰く「モードとは定期的に現れる新作の集団的模倣」鷲田清一『ちぐはくな身体』ちくま文庫2005。鷲田曰く「モードと言う制度」は「流行の人間イメージを振りまいては季節ごとにそれを取り換える」こと。
モードの定義はかくの如しだがでは何故流行が現れるのか?ジンメル曰く「社会への依存の欲求を満足させる」「大衆行動は羞恥感を解消してくれる」というわけだ。しかし人と同じになりたい欲求と同時に人と同じになりたくないというもう一つの欲求も忘れることはできない。二つの本能的欲求のいたちごっこがモードを生みだしているはずである。
建築も含めておよと作ると言う行為はすべてそんなものである。

May 29, 2012

いつか原宿に住みたい


午前中水戸の現場へ。松の木の脇にある井戸をお清めして埋める。巨大な丸いレンガで組み上げられた井戸には歴史を感じる。きちんと清めないとばちがあたりそうである。この丸穴を除いていると村上春樹『ねじまき鳥のクロニクル』を思い出す。落ちれば異空間に誘われるあの井戸である。
現場往復のフレッシュひたちで高橋靖子『高橋靖子表参道のヤッコさん』河出文庫2012を読む。表参道のセントラルアパートでスタイリストとして活躍した高橋さんの原宿物語りである。セントラルアパートは表参道と明治通りの交差点、今のGAPの場所に建っていたクリエーターの溜まり場。僕が学生時代は現役。90年代の中ごろ壊された。あのアパートや表参道ヒルズの場所に建っていた同潤会はそれこそ井戸のような場所だった、一歩入りこむと半世紀前の世界に引き込まれるようなところ。同潤会では配偶者が友人とアートスクールをやっていたのでよく遊びに行ったものだ。もう一戸空いていいたら絶対住んでいたと思う。そんな二つの建物が消えた表参道は少々魅力が減ったとはいえ。それでも未だに僕はいつの日か原宿に住みたいと思っている。

May 28, 2012

thinkers for architectsというシリーズ本


Thinkers for Architects と言うシリーズ本がある。出版社はイギリスのRoutledge。内容は建築家に影響を与えた思想家の言説分析であり、それに影響を受けた建築家分析である。このシリーズ結構いろいろあって、最初に出たのが、ドゥルーズ&ガタリ、ハイデガー、イリガライ。それに続いて、ガダマー、デリダ、メルロ・ポンティー、カント、フーコー。
今日ハイデガーが届いたので内容を見ると、まあ言説分析は有名な3冊の本が対象。一方彼に最も影響を受けた建築家として分析されているのはズントー、次がシャローンである。なるほどこの部分は結構楽しい。他のシリーズも買ってみたい。
学生向けのこの本は英語がかなり平易でこの手のことを身につけたければ日本語より確実に楽に習得できそうである。英語得意な人ならお勧めである。

May 27, 2012

「ざっくり」は湘南連合体の共有価値

湘南ライナーで鎌倉へ向かう。車中で見田宗介と大澤真幸の対談を読む。その中に社会形式の4分類と言うのが登場する。横軸に個人の顔が見えるゲマインシャフト的な社会⇔近代化され脱人格的なゲゼルシャフト社会。縦軸に意志以前の関係⇔自由な意志による関係性のとると四つの場所ができる。
① 意志以前の顔の見える社会。これが共同体(community)
② 自由意志で顔の見える社会。これが交響体(symphonisity)
③ 意志以前の顔の見えない社会。これは集列体(seriality)
④ 自由意思で顔の見えない社会。これは連合体(association)
見田さんはゲマインシャフト(顔の見える)かゲゼルシャフト(顔が見えない)かはさほど問題ではなく、自由意思で自覚的に作り上げることが重要だと言う。つまり交響体や連合体を重視する。確かに我々の地域社会がディープに人格に食い込んだ関係の網目の上に作られることは考えにくい。とは言えゲマインシャフト的な共有価値(shared value)で社会が下支えされている必要はあるだろうと説く。
1時間こんな話を読みながら鎌倉についてタクシーで材木座に向かう。海岸近くには沢山のサーファーがいてカフェでお茶をしている。海沿いの建物と言うのはなんとなくざっくりと「海の家」と言う風情である。そんな海を通り過ぎ材木座の裏山を少し登ったところに柳澤邸が現れる。斜面に半分食い込んだ3層の家。中に入ると広がる海の景色。夕日が海に沈むのだそうだ。ウインドやヨットの帆が沢山見える。バルコニーに出ると潮風が気持ちいい。斜面の下から見た時はこんなガラス張りでは暑いだろうなあと思ったが、中に入るとこれをガラス張りにしないことは考えられないし、バルコニーをつけないことも考えられない。
外壁はセメント板にランデックス。バルコニーはラワンにキシラデコールもうとてもざっくりとしている。そうださっきの「海の家」のあの感じである。この辺りに建物を作ると言うことはこういうことなのだろう。「海の家」なのである。あえてこの辺りの共有価値と言うまでもないのだろうがでも自然な建築作法なのではなかろうか。柳澤を始め湘南で若き日を過ごした建築家たちがザックとした建築を好んで作る理由がなんとなく理解できる。もちろんこれだけが理由ではないのだろうが。彼らにとって海は切っても切れない建築の源泉。「ざっくり」は湘南連合体の共有価値である。

三代目の建築


今日は親父の家の地鎮祭。雨が降ったら中止の予定だったが快晴で無事開催。アルゼンチンの新聞記者ミゲルはこのプロジェクトを気にいっていた。コンセプトがうまく表現されていると言う。ボルヘスのアレフ、村上春樹の井戸を作りたいと言えば確かにこの建物はそれに近いかもしれない。
現地への行き帰りに見田宗介、大澤真幸『二千年紀の社会と思想』太田出版2012を読む。管が脱原発を明確に打ち出した時なぜ日本人はそれを全面的に支持しなかったのか?結局日本人の原発反対派の多くは原発がある限りでの脱原発論者、成長日本を前提にしているのではないか?と指摘する。
日本人は現在0から頑張った一代目の結果を更に成長させた二代目から三代へ代替わりする時期であると説く。全く同じことを先日読んでいた柄谷も言っていた。自然エネルギーと言って騒ぐ輩も結局金儲けのため、もっと根本的に成長し終わった成熟社会日本のあるべき像を議論すべきと嘆く。
そんな三代目の建築とは何だろうか?

May 26, 2012

ショックで熱が出てきた

母校の同窓会館のコンペ結果が夜遅く届いた。結果は惨敗。川村純一さんが当選。負けるのならこの案だろうなあと思っていたらその案に負けた。でも選評を見るとどうもわれらの案の評価は一つも書かれてなかったので川村さんがいなくても負けたのだろう。
コンペ案制作中に伊礼智さんと会った時「その審査委員ならまじめにやらないとだめですね」と言われたのを思い出した。我々の案はもちろん真面目だが彼の言う意味での真面目ではないのは分かっていた。そうは言っても審査委員によって案を変えられるほど器用ではない。結局僕らのラブレターは届かなかったということである。
うーんショックで熱が出てきた。

May 24, 2012

消費社会の反抗者

昨日柄谷の政治論読んで「デモをせよ」という言葉に引きずられ五野井郁夫『デモとは何か』NHKブックス2012を読む。現代が世界的なデモの時代という認識があり、そして日本のデモ史が語られる。そして80年代(バブルの時代)には中曽根内閣が国鉄などの民営化を進める中で労働組合を弱体化させ、その結果としてデモを支援していた社会党を骨抜きにした。社会はバブルで浮かれ相対的に世の中の不満も減っているかに見えた時代である。その中でしかし、世の中にモノ申す人たちがいたというのが著者の認識である。消費社会の反抗者は例えば川久保令だという。
80年代に学生だった私にはとてもじゃないけれど彼女が同じ視線を持った反抗者とは思えない。でも彼女のスタート地点にそういう考え方はあったのかもしれない。彼女がスタートしたのは1968年だったのだから。
そう言われるとその頃の建築界の反抗者とはだれなのだろうか?と思わず考え込む。皆バブリーなポストモダンに回収されてしまったのだろうか?

May 23, 2012

デモをしよう


今日は一転して夏の陽気。現場は季節外れの鶯が鳴いている。現場の往復で柄谷行人『政治と思想1960-2011』平凡社2012を読む。社会主義は倫理の問題だという言葉は目から鱗。マルキストを父に持った私は幼少のころから資本主義はオートマティックに社会主義に移行すると教わったものである。もちろんそうならなかったことは歴史の示す通りだけれど、社会主義は倫理の問題だと言われれば再度、社会(民主)主義への道は再考に値する気になる。さらに柄谷がこの本の中で強く主張しているのは「デモをせよ」である。
議会制民主主義においてはデモ(民衆の率直な意思表示)無くして政治はダメになるという彼の主張はその通りだと思う。アルゼンチンではデモは道路を練り歩くことを認められている。前に行った時も市内観光バスがデモで立ち往生して全く予定外のルートを通り降ろされた。でも誰も文句言わない。むしろデモやっている人に「がんばれー」なんて応援したりする。「こんなデモを認める政府は馬鹿なもんだ」と知人は言っていたが僕はそうは思わない。実に健全な国だと思った。
日本人も何かを率直に過激ではなく、暴力的ではなく主張すると言う健全性があるべきだと思う。そんな各自の倫理性が政治を作りだすべきだと思う。「世の中こうなっているのよ」と訳知り顔で言う輩はさっさと退場した方がいい。

素直に生きよ

4年生前期の製図課題が終わってとある学生と話をした。就職の内定を3つもらって考え中とのこと。聞いて見るとその3つとは中堅ゼネコン、マンション管理会社、もう一つは忘れてしまった。それで君は何したいのと聞くと設計をしたいという。それで何処行くつもりと聞くと3つの中からマンション管理会社を選ぶという。その理由はユーザーの視点で建築を学べるからという。
うーんこれには唸ってしまった。最もユーザーに近い観点でマンションを学びたければマンションに住んで理事会の理事にでもなればいい。マンションの理事は成り手がいなくて困っているのだから。そこで議論する内容こそがマンション管理会社の仕事である。それ以上でも以下でもない。
ゼネコンも設計で入らないなら現場監督である。そしてもう一社は忘れたが、彼の論理に則れば、もちろんどれもが設計に役立つものである。でもそんな遠回りをして設計にたどり着かなくたっていいのではと溜息がでる。どうして設計したいならストレートに設計事務所を探さないのだろうか?もちろん事務所入ってついていけなくて止めた学生はいる。でも後悔したと言う話はあまり聞かない。逆に設計したくてゼネコンやデベ行って後悔している人間は沢山知っている。
一回の人生、素直に生きた方がいい。

May 21, 2012

GOTAN project かっこいい

土日仕事で月曜朝から会議はへばる。午後は他大からの院進学希望者と面接。その後溜まったメールの返事を書き、雑務をこなすべく学内に電話をし、夕方ゼミ。昼働いているので進捗はそれなりなのだが頑張って欲しい。僕のアメリカ時代も社会人がいて彼らも進捗は遅かったが的確に着実に前進していた。ゼミ後講義。今日はだいぶ学生が少ないようだが、、、、終わってさっさと帰宅。今日は疲れた、、、、
最近帰るといつも聞く曲がgotan projectこれはtangoをもじった命名である。彼らは伝統的なタンゴミュージックを現代的にアレンジしている。BAで見たタンゴショーでは最後の方でこんな現代的な音が鳴っていた。
http://www.gotanproject.com/

May 20, 2012

八潮で休憩フォリー完成


●会所橋と命名した休憩フォリー
昨晩のビールが抜けない。アルゼンチンを思い出し30分ほど近所をジョギング。汗とアルコールが揮発した気分になってシャワーを浴びて「荻窪らーめん」という名のカップラーメンを食べて八潮に向かう。
八潮駅で槻橋さんに会う。彼は気仙沼から着いたところ。珍しくon timeである。さっき食べたばっかりなのにまたお腹が減ってきたのでコンビニでサンドイッチを買ってキックオフミーティングの会場に。そこには既に大勢の学生が集まっていた。信大が復活している。よくよく見ると、今帰や京谷などの懐かしい面々がいる。嬉しいね。理科大も心機一転日工大に負けない布陣である。
室内でのミーティングを終え。昨年の一つの成果である会所橋を見学。数十万円の予算で殆ど日工大の努力によって完成した。立派なものである。その後今年のヤシオノツカイカタの対象候補である用水路の親水空間を見に行く。ちょっと水の流れが悪くて水質が悪そうだが、雨が降ると結構流れるそうだ。今年はここに何ができるか???
今日はさっさと帰ろうと思ったのだが、曽我部先生、寺内先生、小川先生と浅草で夕食。槻橋先生は飛行機で神戸へ。

桐陰会館プロポーザル審査会

母校東京教育大学附属中高(現筑波大附属)の同窓会館(桐陰会館)のプロポーザル審査会が行われた。プレゼンのため久しぶりに附属中高に行った。土曜日は中学校が授業をしているし高校は部活動でグラウンドは大賑わい。女子フットサル部が練習をしている。最近の女子はとても上手である。天気もいいし本当にサッカーでもしたい気分。
10時に提出者全員が集合して各自A3二枚のプロポ案を提出。午後のプレゼンまでは一般公開とのこと。
なのでしばし学校内をぶらつき早めのお昼を食べる。スタッフのS君が「模型持ってきませんか」という。なるほどそれはいい考え。コラージュ作成用に1/50模型を作っていたが提出は要求されていないし、出していいものか分からず、持ってこなかった。しかしH先輩が1/200模型を持ってきていたので、それなら出そうと思い事務所に取りに戻る。屋根を一部剥ぎ取り、人を沢山立たせタクシーで運ぶ。午後の部ぎりぎりに間に合った。審査は専門委員として、益子先生、片山先生、家城先生、そして附属高校、中学それぞれ校長、生徒代表男女一人ずつ、父兄代表、先生代表などなど総勢15人くらいいらしゃった。
各発表に対し、専門委員は固より、父兄、生徒からも質問が続出。なるほどうちの学校の人たちは元気がいいや。
僕も生徒から「色はどうするのか?」「ガラスで囲まれたホールの音響はどうか?」など鋭い質問を浴びた。
全員の発表が終わり発表者は労をねぎらいビール。審査員は審査会。そしたらいつしか審査員たちもビールに合流。でも1位は教えてくれなかった、さてどんな審査結果になったのか?楽しみである。

May 18, 2012

人間疎外反対建築

アルゼンチンの週刊建築新聞ARQが僕らのパレルモ大学でのワークショップを4ページほどの記事にしてくれた。書いているのは、建築家であり、ジャーナリストのミゲル・フラード。彼は1週間我々と毎日数時間を過ごし、昼飯、夕飯は常に一緒に摂っていた。加えて我々のワークショップのオリエンテーション、レクチャーを聞き最後に我々にインタビューする念の入れようだった。
この記事の内容は練習のために読んでみたいが、今のところお手上げである。ただ表題だけ見ると,imcomoda arquitectura は居心地の悪い建築であり、もう一つのidea japonesa contra la alienacionは日本の考え方は人間疎外に対立する。つまりは人間中心的だと言っているようだ。
我々は学生のデザインプロセスは全く逆だと口を酸っぱくして毎日のように言っていた。彼らは先ずフォルムを持ってきてそこに人のアクションを入れ込もうとする。なのでわれわれは人のアクションがフォルムを作るのだと言い続けていた。しかしこれは彼らの受けている教育とはどうも逆なのである。つまりはこの著者のミゲルも恐らく僕らと逆のことを行っている張本人なのである。だからこそ彼らは我々のこういう指導に驚きその自らの驚きを記事にしているのだろうと思われる。




大友良英さんの音づくりを見る


アルゼンチンに行く前にリーテム東京工場を舞台にしたビデオを作りたいと思ってセットエンブの入江君とリーテムの社長に相談した。そうしたら社長が「一緒に作ろう。だけど条件がある。音楽は大友さんね」と言う。「それは素晴らしい、そうしましょう」僕は二つ返事で了解した。
ところが大友さんは三月とても忙しくて音づくりの時間がとれない。そこで東京工場は二瓶さんの映像に大友さんの既成の曲を合わせて一つの作品とし、水戸工場は大友さんに先ず音を作ってもらい、それに合わせて二瓶さんが映像を作ると言う普通の流れとは逆をすることになった。これも社長の方針である。普通映画だってなんだって映像を見ながらミュージシャンが音作るものだろうに、音楽作ってそれに合わせて映像撮るって普通じゃない。
吉祥寺のスタジオには大友良英さんサチコMさんなどすごいミュージシャンが既にだいたいの音入れを終えた状態だった。僕は大友さんの『MUSICS』岩波書店2008を片手にミーハー少年となってスタジオに行った。
5分程度の曲二本がとられた所で二本目の曲が流れていたのだが、それを聞いて驚いた。涙が出るほど美しいピアノの旋律にアコースティックギターがかぶさりあたかも大自然をバックした映画のラストシーンのようである。大友さんってこんな音作るんだ????あまりのその叙情的な音にただただ驚いた。その昔六本木でレコードぐるぐるまわしてノイズをぶんぶん出していたあの大友さんと同じ人とは思えない感じだった。
でも大友さんが「この音に工場のガチャーンとかギーンとか勝手に入れてね、この音消えちゃっていいから」とこう言うのを聞いてああそうなのかと納得した。
二瓶さんの映像がこれにどうかぶさるのかとても楽しみである。

May 16, 2012

プロセスの省略


野木の現場では大工さんが斜め斜めの屋根と格闘している。本当に頭が下がる。今日は夏のようないい天気。このまま梅雨がなければいいのに。工期との闘いは天気に大きく左右される。
現場の行き帰りに1カ月くらい前に半分読んでいた西谷真理子編『ファッションは語りはじめた』の後半の座談会を読んで面白い話に遭遇。川田十夢がAR(拡張現実)の話しをしているあたり。ARってIPHONEを店にかざすとメニューが見えてきたりするというあれである。現実強化とも言うらしい。
川田はそれをプロセスの「省略」と呼んでいる。「作品を対する人のフィードバックがどんどん短くなること」とも言う。そしてテクノロジーを使わない「省略」として富士そばでヒップホップを流すことだと言う。立ち食いソバやの富士そばではだいたい演歌が流れているけれど結構若い人が多く客としているのだから様々なプロセスを飛ばして、若い人=ヒップホップとつなげればいいと言うわけだ。
それをARと言うならば、タンゴ好きの多い荒木町で例えばとんかつ鈴新でタンゴショーなんて言うのも発展形としてありだな。
このプロセスの省略ってなんだろうね??とあるニーズに滅茶苦茶ダイレクトに反応するモノの作り方かもしれない。なんかそういう欲望が突如肥大化するような現れってありそうだよな。

70人分の仕事を63人でできるオフィスを作る

午前中とあるクライアントと新しく借りるビルを見に行く。ネットで250㎡くらいあり都心ながら景色の良いビルの7階。ここに創造的なオフィス空間を作りたいという。流れるプールのように人が常時移動する空間にしよう、コア周りを真っ赤に塗って白熱ブレストスペースにしよう、ストレッチする場所を作ろう、コーヒーとクッキーが置かれている場所を作ろう、、、、アイデアはいろいろ浮かぶ。70人収容のこのスペースの仕事の効率が1割上がれば63人で70人分の仕事ができることになる。そう考えれば7人分の年収をこのオフィス改修にかけてもいいのでは??と社長に言ったら笑っていた。
午後事務所でコンペの打合せ。構造設計者と電話で話す。大きな問題はなさそう。耐火被覆を逃れるために軒高を4メートル超にするかどうか???
夕方大学へ大学院進学希望者と面接。推薦枠は成績上位者に限られるというのもお堅いルールである。デザインの研究室なんだからデザインできる人を採れる仕組みにしたいのだが、、、、
夜4年生の製図。パワポで発表させると個別のエスキスに比べて話が学生全体で共有できる反面、前回と同じものにほんの僅か+αの発表が横行する。加えてパワポで作りやすいようなマテリアルが並ぶ。スケッチや模型が殆どないと言うのはちょっとまずい。

May 14, 2012

名を名乗れ

今日は朝から大慌て。経理的な書類に追われ、大学来ると作らなければいけない書類に追われ、返事してない外国へのメールに追われ、そしてゼミと講義。ゼミや講義は楽しいのだが、山のような雑用に追われるのは本当に鬱陶しい。というわけでそういう雑用をしている時はとても機嫌が悪いし、とにかく早く終わらせたいので一心不乱にノートパソコンと格闘する。そしてそういう時に限ってコンコンとノックをして入ってくる輩が名前を名乗らない。僕の席はドアの逆側を向いているので誰が入ってきたかは分からない。幽霊のように入ってくる輩にますます気分を悪くしていると、前回もそうだったが学科長である。坂牛は本当に愛想悪い奴だと思われているだろうがそうではない。こんな理由なのである。ご容赦。

欧米人はモニュメントを欲する


朝からアルゼンチンで買ってきた本を読む。Gustavo A Brandariz‘OBELISCO Icon de Buenos Aires` My special book Buenos Aires, New York 2011. ブエノス・アイレスの中心軸である世界で一番幅広いと言われるAv. 9 de Julio(7月9日通り)はグリッド都市ブエノスアイレスの1ブロック分あるので約100メートル。その大通りとコリエンテスの交点に1936年に建てられたのがBAのオベリスクですある。
オベリスクはエジプトで最初に作られそして20世紀にいたるまで世界各国で作られてきた。一番大きいのはアメリカワシントンのそれで169メートル。ブエノス・アイレスのものは67メートル。ローマサンピエトロのそれが25メートルとだいぶ低く、パリコンコルドは23メートル。
3年前このオベリスクを見た時に、どうしてこんな何処にでもあるものをこの街のとても重要な場所に作らなけれならなかったのか不思議に思った。そして今回は時間が無くてこの通りにさえ行っていないのだが、この本を読みながらその謎は少しずつ解ける。
西欧の都市には実態としての、つまり目に見える形象としての中心が必要なのである。その際その形象は高くて細いものでないとどうも上手くない。特にBAの場合は道路の真ん中にあるのだから。そうなるとエジプトの昔からあるこの形が選択されるのは自然の成り行き。
ロラン・バルトが東京で著した『表象の帝国』の中で東京には虚の中心があると書いたのは言葉の遊びではない。フランス人にとって実態の無い、目に見えない中心があることが不思議なのであろう。そこにあるのは江戸城址でありエンペラーの住居だがそれはその場所の内容であり視覚化されていない。
実態の前に内容を問うという我々の建築作法と欧米人の作法との差はワークショップでも鮮明になった。彼らは先ず視覚化できる実態を持ってくる。我々はそこでの意味を問う。しかし彼らにとって建築とは先ず実態なのであろう。都市とは先ずそれを規定する形態でありその中心にあるべきオベリスクを作ることなのである。内容を問うことは彼らにとって最初にやるべきことではないのである。

May 13, 2012

東京の空気はいい


昼にジェクサーで走る。こんな天気が良いのだからアルゼンチンにいた時を思い出して街ウオッギング(ウォッチ+ジョッグ)もいい季節。
四谷から銀座へ。ポーラミュージアムアネックスで岡本光一展を覗き、その裏のギャラリー小柳もついでに立ち寄る。杉本博司の水平線が並んでいた。
岡本光一のオルゴールは傑作。無数のオルゴールのそれぞれから一音だけでるように針がはずされcpuでコントロールされている。
土曜日の晴れた銀座ほこ天で車がいないから静かで空気がいい。ブエノスアイレスより東京が勝るのは空気。
午後理科大建築のOB会(築理会)に出席。特別講演は藤島学長。光触媒の権威。内容も話術も素晴らしい。

May 12, 2012

エスキスは3回見る

ゴールデンウィーク明けの早稲田の演習。今日は学生発表。皆なかなか面白いがもう一歩突っ込みが欲しいところ。三朝庵で昼。ここではいつも親子丼。今日は時間があまりないのであゆみbooksには寄らず事務所へ。コンペの打合せ。さあこれで勝てるだろうか?いい所まで来ている気はするのだが。夕方大学へ。2週分たまった1時間設計の採点。上位陣は盤石。皆線を丁寧に。まだ素人のスケッチに見える。4時半から4年生の卒論ゼミ。分析対象が無ければ研究はできない。やりたいことだけ先行してもだめです。6時から製図。僕と呉君で最初に見て宿題を出してTAがそれをフォローしまた僕らで見る。なるべく一人三回見る。次にやるべきことを明確にしてから帰るようにさせる。これはなかなかいいやり方かもしれない。

May 10, 2012

爆笑施主定例


今日は「松の木のあるギャラリー」第一回現場定例。現場は松の木を残して一部解体整地進行中。工務店は土浦の郡司建設。このあたりの建築家建物を多く手掛ける工務店。そこの専務がなかなか面白いおじさん。決断が早い。金計算も早い。できるできないの読みも早い。なんでも早い。それを茨城便でまくしたてるとまあ愉快な響きになる。
そしてクライアントのお母さんと娘コンビの会話がこれまた愉快。まるで漫才のようである。というわけえで施主定例は5分に1回爆笑。
アルゼンチンから帰って来て新規着工物件二つと大詰めを迎えた現場に追われ息きつく暇もない。

伊礼智さんの住宅発想


GWの日本は嵐だった。竜巻が栃木の現場近くを襲った。もうすれすれだった。その現場で外壁の色決めをする予定だったが行ってみたらモルタルのモックアップに塗られたランデックスは殆ど発色せず染み込んでしまっている。再度もっと濃い色でモックアップを作り直してもらう。
夕方事務所に戻りコンペの打合せ。アルゼンチンに送られてきた図面だけでは分からなかった隣地との関係やエレベーションが気になる。気になるのだがいい案が浮かばない。時間切れで大学へ。2年生製図の合評会。ゲストクリティークは伊礼智さん。伊礼さんの「居場所」にこだわった住宅設計はとても素晴らしい。8畳の居間に3つくらいの「居場所」を作ると言う発想は彼の美しい展開以上に魅力的な設計作法だと思う。自身おっしゃるように派手なそぶりはないけれど様々な工夫とディテールにあふれている。
伊礼賞は彼の新刊『伊礼智の住宅設計』479ページの大部の書である。合評会後食事をしながら聞くと伊礼さんは年間12棟の住宅を設計するとのこと。いやはや10年で100棟。どうやってそれらをコントロールしているのだろうか凄いものだ。凄い番頭さんがいるのかと思いきや彼がベテランと呼ぶのは6年生くらいである。入所したてから2棟くらい任すとのこと。そのくらいした方がスタッフは育つのだろう。

May 9, 2012

60ドルワインに30ドルの箱代

成田に2時に到着。日本の入国って簡単だと痛感。アメリカもアルゼンチンもだいたい1時間はかかると言うのに、日本は入国荷物のチェックは殆どない。
それにしても、アルゼンチンで一本20USドルのワインを3本買ったら、トランジットのヒューストンで機内に持ち込めず、チェックインしろと言われ専用の箱を20ドルで買わされた。日本に着いて宅配で送ろうと思ったら、宅配会社の専用の箱に入れろと言われ10ドル払わされた。60ドルで買ったのに30ドルの箱代というのもなんだか納得いかない。東京はかなり暑い。そのせいなのか時差ボケで頭が回らないからなのか、コートを成田イクスプレスに置いてきてしまった。
夜の製図の授業の為にそのまま大学へ。大学でいろいろな先生と話すと我々のアルゼンチンの状況をよく御存じなのでびっくり。学生達のブログやツイッターのようである。10時ころまで製図のエスキスして皆で少し夕食をとって帰宅。アルゼンチンとの時差は12時間。今向こうはちょうど昼の12時。眠いようで眠くない。明日は朝から栃木の現場。さああ頑張ろう。

May 7, 2012

他者性を受けいれよ


ブエノスアイレス、エセイア空港を夜出て今ヒューストンの朝。トランジット中である。昨日はブエノスアイレスの日曜日。間違っても外人が来ないような地元のイタリアンレストランに招かれた。ここは日曜の昼に家族連れでやってきて3時間くらいかけて食事をするコミュニティレストラン。来れば知り合いにも会ってそこら中でハグ大会。築80年くらいの古ーい建物の壁にはタンゴスター、映画スター、サッカースター、の写や風刺画が貼られている。店の片隅で作る生パスタがゆっくりとサーブされる。その間ハウスワインを炭酸入りの水で1:1くらいに割って飲む。ハウスワインは美味しくないので水で割るのだと説明された。もちろんあまり酔わないようにするためもあるし、子供にも飲ませるからだそうだ。
今回のレクチャー、ワークショップ、展覧会はとても学ぶことが多かった。先ずはワークショップの課題が理解されづらかったこと。それは学生のみならず向こうの教員にとってもそうだったこと。そこには遠く離れた地球の裏側の地理的な差が必ずやあること。次に一緒に教えたり、話したり、展覧会をしたYOSHIとの間に了解し合える多くのこと(そこには同じ系譜の下で学んだ共同性がある)がある一方で差もあること。そんなことはあたりまえのことで行く前から分かっていることだが2週間2人で生活をする中でその重なることとそうでないことが正確に明確になるのだと思う。
月並みなことばではあるが、人間を成長させるのは他者性であり、他者性を受け取るためにはそれなりの努力がいると言うことを改めて感じた。

May 6, 2012

ワークショップファイナル

今日はワークショップ最終日。9チームのファイナルプレゼンテーションを11時くらいか2時まで聞く。2人で少し相談。いいと思うものはほぼ同じ。僕の選択基準は、αスペースのプログラムのリアリティとαスペースと住宅の相互関係性の建築的な面白さ。選んだ案は角地で1階にラーメン屋を作り上部はアーティストの工房とレジデンス。敷地の高低差を使ってスロープで屋上まで行けるようになっているもの。Congratulations!!
午後はサンテルモに行ってからMARQ( 建築博物館)へ。昨日は展示の撮影などをしている暇がなかったので全部の階を見て回る。この博物館ちょっと分かりづらい所にあるけれど空間が魅力的。
夜は塚本先生の発案で徹夜して頑張った学生の労をねぎらいステーキ三昧。

●ワークショップ講師陣

●エントランス1階市澤静山、書の展示

●2階は僕の部屋

●3階はアトリエワン

May 5, 2012

いよいよ展覧会オープニング

今日はYOSHIとMOMOYOと3人でジョギング1時間。朝は野菜だけ食べる。とにかくこっちの人たちと食事行くと野菜0なのです。
午前中ワークショップのエスキス。昨日よりだいぶいいねえ。吸収は早い。学生はオールラテンアメリカ+ヨーロッパなので英語が上手い人もいれば上手くない人もいる。
●今日のエスキスはあまりストレスない

1時にMARQ(建築博物館)に行き状況をみるが未だ床掃除中なので傍のカフェで昼食。そうしたら博物館から電話。日本大使があと15分で来て10分いて帰るとのこと。あれあれ困った。会場には配偶者もMOMOYOもいるからお任せしようという判断でゆっくり昼食をとる。会場に戻ると大使は待っていてくれて建築、書道の話をする。きさくな楽しい方だった。
●真っ赤な3本のバナーはアトリエワン、OFDA,市澤静山、坂牛静山の名前が表示されている

●大使を真ん中に博物館入口で

3時半から配偶者の書のレクチャー+書のデモンストレーション。こういうのは一番受けるよねえ。そしてレクチャー参加者に実際に書を書かせる書道クリニックを開催。来ているのは建築家、画家、彫刻家などのアーティストなので、初めての経験でもなかなかの味のある線を書く。
●凄い盛り上がりの書道クリニックでした

後1時間でオープニングパーティー。その間に新聞の取材を受けるのだが、どんどん時間が無くなって来て、取材中断でセッティング調整に戻る。多くの方が来られるなかで模型のわきで建築の説明。水戸のギャラリーがとても評判がいい。
9じ頃パーティーも終わりというころに、日本公使が来られお話をする。大使も気さくだが公使はもっと気さくな方で面白かった。外務省は国あるいは言葉によって配属グループができて、スペイン語系は国がおおらかだから大使館もそれに染まらざるを得ないようである。
10時ころから夕食。10人くらいでステーキを食べに行く。指三本の厚さのこれにしろとヘルナンが勧めた肉を皆オーダー。本当に肉とワインだけしか食べないところがいいよなあ。ああブエノスアイレスの夜も後一日だけ。

May 4, 2012

UPエスキス+SCAレクチャ


●パレルモ大学のエスキス

●SCAのレクチャー

2時に寝ても6時には目が覚める。YOSHIと40分ジョギング。9時半に大学。ワークショップ一日目のエスキス。工場を改装した天井の高いホールは昨晩レクチャーをしたところ。今日はアトリエに様変わり。かしこい使い方である。
ワークショップの課題は荒木町に住宅とそれに+αのスペースをくっつけろと言うもの。課題の主旨はうまく伝わっておらず、どのチームも形の話しに終始し、使い方の曖昧なヴォイドやプラザがαスペースと呼ばれているだけ。皆制作のプロセスが逆。形が行為を規定するのではなく、行為が形を規定するのである。殆どすべてのチームはやり直し。日本人学生はもう少し僕らの主旨を理解しているはずなのだがチーム構成がアルゼンチン3に日本1なのでまったく負けちゃっている。弱いなあ。
学生の準備不足でスタートが遅れ、あまりの思い違いにエスキスが延び、ランチは3時。寝不足と、ジョギングと空腹でもう死にそうだ、、、
4時ころMARQ(建築博物館)に行って準備状況を確認。書の展示はほぼ終わっているが建築はまだまだ。レクチャー映像が映るか確認。終わるともう5時。タクシーでアパートに戻りシャワーを浴びてから今晩のレクチャー会場SCA(アルゼンチン建築家協会)に向かう。
通訳してくれる喜納さんに簡単に今日話す内容を説明。日本大使館から来られた広報局長とご挨拶。今日は僕が最初に話しYOSHIは後半。昨晩の同時通訳と違って今晩は逐語訳なので時間はかかるが聴衆の理解はかなり高かったようである。
YOSHIの映像トラブルがあり終ったのは10時半。ワインパーティを終えて空腹を満たすために3年前も行った伝説のピザ屋へ。美味ーーーい。

パレルモ大学のワークショップそしてレクチャ

9時にパレルモ大学でワークショップのオリエンテーション。先ず塚本氏が東京の生成の過程を説明。ヴォイドメタボリズムの話は日本で見た時から面白かったが改めて説明を聞いて納得。荒木町は彼の理論で行けばアーバンヴィレッジであり、世代的には第一世代から第四世代まで様々ある。
午後はロベルトの事務所で昼をとる。なんともリッチなオフィスである。日本だったらこのスペースに20人は詰め込むだろうと言う空間に8人くらいが働いている。いいなああ。そこからUBAの模型博物館を見てからMARQへ。配偶者は既に書の展示の準備を始めている。予定していたより壁面が小さくて四苦八苦している。我々はと言うとまだパネルの印刷が終わってない。模型をいくつか出して置いて見る。そうしたら案の定天吊りプロジェクターの画像に影を作る。プロジェクションの位置を変えないといけない。
まだ床掃除が終わってないので模型を段ボールに閉まって。今日は終わり。
パレルモ大学に戻りレクチャーの準備を始める。同時通訳がついて聴衆はヘッドホンで聞くシステムである。昨日までは日本語通訳がつくと思っていたのだが、英語でね、と軽く言われてあれあれ、、、
7時から塚本氏がビヘイビオロジーの話し、8時から僕がフレームの話し。最後に流したリーテムのビデオが受けました。何人かが質問に来た。特に音楽は誰?という質問が数名。さすが大友良英!!!聴衆は300人だそうだ。凄い熱気でけっこうびっくり。10時半ころ終ってワインパーティーマルベックを堪能。余ったマルベックを二本もらい夜は塚本ルームであけました。

●ブエノスアイレス大学の製図板かっこいいい

●塚本レクチャー

●質問に答える

May 3, 2012

50年代の家に住む

今日はアルゼンチンの祝日、労働の日である。いくつかのカフェとキオスクを除いて街は殆どクローズドである。ちょうどアルゼンチン滞在も折り返し点。アパートでゆっくりしようなんて思うものの、貧乏根性丸出しで行けるところは行こうと南部のボカに足を延ばす。前回見られなかったスタジアムを拝む。例によってここもコンクリートがペンキで塗られている。ボカのチームカラー黄色と青。大統領執務建物をピンクに縫ってピンクハウスと呼ぶのだからもう驚かない。
午後はアパートで午睡。一週間たっても時差ぼけが解消できないのだから歳だ。夕食はパレルモ大学建築学科長のダニエル・シルベルファーデンのディナーに招かれる。1950年にできた築60年のコンドミニアム。レコレタ地区の中でも最も高級なエリア。250㎡3ベッドルームに巨大なキッチンと二つのサービスルーム。そこには勝手口がありサービス階段とサービスエレベーターに繋がる。木製の巨大な玄関ドアを開けると8畳くらいの前室がありそこからテラスのついたリビングと低いソファの置かれたラウンジに繋がる。学科長なのだから特別な人思いきや、こっそり友人に「彼はリッチ?」と聞くと、「ここは借りものだからそうでもない」なんていう答えが帰って来る。
それにしてもいろいろなことに驚かされる。
① 60年前にこれだけのデザインがなされていること。日本の50年代にはもちろんこんなもののかけらもない。
② 例えば、天井高3.6メートル、大きな部屋間の間仕切りドアは全て壁に引き込まれ、キッチンの吊り戸がアールデコ調機能主義、アパートなのに勝手口がありサービスエレベーター設置、各部位の美しい素材、etc.
③ 60年前のデザインを大事に残そうとする精神。日本にはない。
さてパーティーのしめは僕らの為に周囲の散歩をしながら建築レクチャー。周囲をワンブロック歩くだけで20世紀の重要な建物がいろいろと出てくる。帰りはアルゼンチン製フィアットで送ってもらう。



May 1, 2012

スペイン語文化圏の建築に浸る

今回アルゼンチンに来たのは展覧会、講演会、ワークショップをするためです。全体のタイトルはantipodas12(地球の裏側2012)と言います。2009年にブエノスアイレスで行われたantipodas日本建築展に始まり、翌2010年に信州大学でantipodas10(展覧会、講演会、シンポジウム、ワークショップ)を開きました。そこで今年はブエノスアイレスで同様のことをしようという企画です。
過去2回のプロジェクトを発展させようと今回は3つの点が変りました。
① 開催国のみならず参加国(今回は日本)の学生も多く参加
展示模型を作る学生に「せっかくなら見に来る?」程度の気持ちで聞いてみたのがきっかけで結局7人の参加になりました。
② 展覧会は建築家として2チームに加え書が参加
どうせやるなら坂牛ともう一人くらい建築家がいてもいいなあ、という話でたまさかヴェネチアビエンナーレのアルゼンチン館をデザインしたロベルトが日本館のアトリエワンを知っていたことがきっかけでした。加えて建築以外に写真か書を入れたいと言う先方の要望から、書家である配偶者が書の展示をコーディネートすることとなりました。
③ 模型主体の展示
私と塚本氏との話し合いの中で2次元じゃ書に勝てないよなという認識から頑張って模型を作ることとしました。
そうやってスケジュールを決めたのが去年の秋。しかし後で分かったことですが、実はアルゼンチンもこの時期は4連休。そこで連休後を本格的な活動の開始とし、それまでは準備(会場づくりや学生への軽いオリエン)期間としました。そんなわけで今日明日はオフな日。市内建築観光にでかけました。
アルゼンチン独立200年記念館(これがなかなか素敵)。設計者と記念撮影。

近代美術館(設計はエミリオ・アンバース。彼がアルゼンチン出身だったとは知らなかった)

その他いろいろ観察して疲れたところでカフェへ。すかさずメールチェックです。

すると突如Iphoneが鳴り出しました。日本からかかってくることさえないのにいきなりラテン系の英語が聞こえてきます。どうも相手はグアテマラのUNIS(Universidad de Ismo)の建築学科長。夏に開く年に一度の建築デザイン会議に招待したいとのこと。インターナショナルアーキテクトとしてもう一人ラファエル・モネオの娘が呼ばれ、10名程度のセントラルアメリカのアーキテクトが参加するとのことです。周りの騒音と彼女の早口で半分しか聞き取れないのですが、日程は調整すればなんとかなりそうなのでひとまず了承しました。こうしてどっぷりとスペイン語文化圏の建築に沈潜することがここ10年くらいの僕の興味です。