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「ざっくり」は湘南連合体の共有価値

湘南ライナーで鎌倉へ向かう。車中で見田宗介と大澤真幸の対談を読む。その中に社会形式の4分類と言うのが登場する。横軸に個人の顔が見えるゲマインシャフト的な社会⇔近代化され脱人格的なゲゼルシャフト社会。縦軸に意志以前の関係⇔自由な意志による関係性のとると四つの場所ができる。
① 意志以前の顔の見える社会。これが共同体(community)
② 自由意志で顔の見える社会。これが交響体(symphonisity)
③ 意志以前の顔の見えない社会。これは集列体(seriality)
④ 自由意思で顔の見えない社会。これは連合体(association)
見田さんはゲマインシャフト(顔の見える)かゲゼルシャフト(顔が見えない)かはさほど問題ではなく、自由意思で自覚的に作り上げることが重要だと言う。つまり交響体や連合体を重視する。確かに我々の地域社会がディープに人格に食い込んだ関係の網目の上に作られることは考えにくい。とは言えゲマインシャフト的な共有価値(shared value)で社会が下支えされている必要はあるだろうと説く。
1時間こんな話を読みながら鎌倉についてタクシーで材木座に向かう。海岸近くには沢山のサーファーがいてカフェでお茶をしている。海沿いの建物と言うのはなんとなくざっくりと「海の家」と言う風情である。そんな海を通り過ぎ材木座の裏山を少し登ったところに柳澤邸が現れる。斜面に半分食い込んだ3層の家。中に入ると広がる海の景色。夕日が海に沈むのだそうだ。ウインドやヨットの帆が沢山見える。バルコニーに出ると潮風が気持ちいい。斜面の下から見た時はこんなガラス張りでは暑いだろうなあと思ったが、中に入るとこれをガラス張りにしないことは考えられないし、バルコニーをつけないことも考えられない。
外壁はセメント板にランデックス。バルコニーはラワンにキシラデコールもうとてもざっくりとしている。そうださっきの「海の家」のあの感じである。この辺りに建物を作ると言うことはこういうことなのだろう。「海の家」なのである。あえてこの辺りの共有価値と言うまでもないのだろうがでも自然な建築作法なのではなかろうか。柳澤を始め湘南で若き日を過ごした建築家たちがザックとした建築を好んで作る理由がなんとなく理解できる。もちろんこれだけが理由ではないのだろうが。彼らにとって海は切っても切れない建築の源泉。「ざっくり」は湘南連合体の共有価値である。

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