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February 28, 2011

このオフィス暗そう??

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●プランが想像できないなあこのオフィスビル。

午前中に四谷の医院で健康診断。帰りがけ見なれたビルの横っ腹が見えてびっくり。となりのビルが解体されたんだっけ?それにしてもこんな奥が深くて両側挟まれていると暗そうだなあ。
午後事務所に戻る。レクチャーの内容の確認でスイスのハンス・ユルグ・ルッフとのメールのやり取りをしているのだが、時差があるのに昨晩から3往復の交信である。いやはやスイス人は几帳面である。
夕方金箱さんが来て構造打ち合わせ。5時に始まり終わったら10時。構造模型見ながらなかなか決まらない。今度の施設は分棟で4棟あるが3つデザインが違いそれぞれ木構造を見せようとしているので一筋縄ではいかない。内装制限がかかる建物で木を見せようとすると構造を見せるのが一番効果的なような気がして、構造模型を早々に作り始めている。ヤマでもそうだったけれど構造見せようとすると設計はえらく時間がかかる。あれも大変だったけれど大変な設計はその痕跡が残るものである。

八潮フォーラム

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●立派なポスターが貼られていてびっくり

今日は今年度最後の八潮仕事。市民参加のフォーラムである。第一部は小川、寺内先生による我々の公園案の説明。第二部は槻橋先生司会で僕と曽我部先生、筑波大の渡和先生、トデックの中村さんによるシンポジウム。シンポジウムには市長、商工会議所所長、学生も振られ意見を述べうまく来季に話は繋がったようである。
今日は今年度最後ということもあり、先生連中もまあお疲れさん会でもするかということでつい浅草下車でワインのお店へ。
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●大変調子いい感じのO先生とS先生

February 27, 2011

東京都知事の力

午前中に若松均さんのオープンハウスを拝見しに麻布へ。麻布はもちろん一等地だが不便な場所。そんなわけで今まであまり足を踏み入れたことは無かったが、気持ちのいい住環境である。相変わらず少し乱暴で、でも見ごたえのある設計を見せてもらう。いい気分で駅近くのカフェへ。昼食後行こうかどうしようか迷ったが南北線一本なので不動前の藤村さんのオープンハウスにも足を伸ばす。http://ofda.jp/column/。午後事務所に戻り大きくなった模型を見ながら次に検討すべき項目を挙げていく。やることはまだいろいろある。
帰宅後風呂で佐々木信夫『都知事』中公新書2010を読む。東京のGDPはカナダを抜き世界第9位の国に匹敵し、世界上位500企業の都市別本社数51社で2位のパリ27社に大きく水をあける。都市別GDPは文句なく世界トップ。国内的に見ても日本のGDPの2割、国税収入の4割が東京から生まれ、本社本店外国企業の5割が東京にある。この辺まではまあ想定内だったのだが、一番驚いたのは大学生の4割弱が東京で学んでいるという事実。そんなに学生がいる都市なんだ。やはりマンモス大学が多いのか?
知事と言うのは直截選挙で選ばれているので議員の互選で選ばれる首相より市民の代表という意味合いが強い。政治ゲームの中で決まる首相とはわけが違う。首相がどうなっても日本の政治は今のところあと5年くらいこの体たらくが続くような気がする。それは首相の資質の問題ではなく政治のルールの問題でありルールを変えていくのに時間がかかると思うからだ。一方知事と言うのは権力が集中しているのでやろうと思えばいろいろなことができる。横浜、大阪、宮崎と見れば分かる。だから次の知事の資質は首相とは異なり直接政治に影響を及ぼす。そして東京都の施策は半ばイコール日本の進む方向に大きく左右する。その意味では次の都知事選はとても大事な選挙だと思う。

February 26, 2011

レオナルド・ダ・ヴィンチの魔法の手帳

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今日は前期日程の試験監督なのだが補助要員なので研究室待機。結局出番はなく一日研究室の雑用を沢山こなすことができ嬉しい誤算。午後某市役所の方が来研。こちらのお願いしていたことが結局殆ど受け入れられないという報告を受け依頼された仕事は残念ながら受けられなくなってしまった。でも仕方ない。筋の通らないことをやるわけにもいかない。
夕方五十田先生の企画してくれた最終講義に向かう。キャンパス外でやりましょうというお誘いにのり、しかも飯付き酒付きにしましょうというお誘いにものった挙句がホテルになった。なんだかホテルの宴会場と言うのは委員会のようだなあとも思ったが贅沢は言えない。こんな企画をしてくれただけで身に余る光栄である。2年生からm2そして学外の建築家まで来てくれた。レクチャ中に質問事項やら印象に残ったことを書いてもらったら僕が実行しているレオナルド・ダ・ヴィンチの「魔法の手帳」の話を挙げる人が多かった。
これはダ・ヴィンチが常に手帳を持ち歩き発見を書きとめていたという話であり、僕はそれを梅棹忠夫の『知的生産の技術』で知った。高校時代にそれを読んでからダ・ヴィンチになろうと思い(笑)「魔法の手帳」をつけ始めたのである。毎日発見がないかと夜一日を振り返る。日記ではなく発見である。発見なんてそう毎日あるわけもないのだがそれでも毎日続けた。酔っぱらった日のそれはもう滅茶苦茶な字で読めたものではないがそれでも書き続けた。そして信大通いが始まりこの手帳を持ち歩くのが重くてついにブログにしてしまったというわけである。そうしたら発見を書くのが気恥ずかしくなり日記っぽくあるいは読書感想文みたいになってしまったが発見することへの習慣は言葉にしないが今でも残っている。これは大人になって身に付けた習慣の中では(だいたい大人になって身に付けたものにろくなものはないのだが)貴重なものの一つなのである。

February 24, 2011

思想地図β?

早朝の新幹線に乗り越後湯沢経由で金沢へ。学会北陸支部での最後の仕事である北陸建築文化賞の審査。午後一杯かけて4作品を選出。これで北陸支部の仕事の99%は終わった。明日の入試のために直江津経由で長野へ向かう。
移動の車中新しくなった思想地図『思想地図β vol.1』コンテクスチュアズ2010 をめくる。巻頭の鼎談猪瀬直樹、村上隆、東浩紀を読むが猪瀬の独壇場で鼎談になっていない。続いて特集のページへ。テーマはショッピングモール。どうしていまどきショッピングモール?。?頭で最初の座談会を読む。東、北田、南後、速水のタイトルは「ショッピングモールから考える―公共、都市、グローバリズム」。
この特集はポイントが曖昧だし、議論されていることの85%は無意味に思えた。多少意味を感じた残り15%の論点は北田と東の論戦の中にある。
それはショッピングモールが現代都市の公共領域を作る力を持っているのではないかという東の仮説でありそれに対する北田の批判の部分である。
先ず北田はルーマンによるハーバーマス批判を引き、公共性作りには時間がかかると指摘する。確かに我が身に引きよせて考えれば、住んでいる地との人間的接点は飲み屋のオヤジとの会話くらいである。一方配偶者は商店街の花屋さんとか鞄屋さんとか医院の先生とかに何気なく話ができる人たちを持っている。これは明らかに二人のコミュニケーションに割ける時間の差である。現代政治哲学がいかにコミュニタリアニズムを標榜しようともコミュニティ形成には時間がかかるのである。となると大都市のかなり多くの人々にとっては(それは成人男性とは限らない塾に通い詰める受験生の群れだってそんな時間がなかったりするわけだ)都市の公共性なんて言ったってそんな場所を意識することもないしそんな場所の必然性すら感じない。そんな状況を鑑みると地に足をつける必要のない人々にとっての公共領域とは何なのかと感じざるを得ない。そしてそれを考えるきっかけがショッピングモールにあるのではないかというのが東の問題提起である。それに対して北田はその提言は検討の対象ではあるものの、一方でショッピングモールは地に足がつけられないような人々(要はホームレスのような人々)を排除する思想でできていることが問題であると批判する。
さてこの座談会の意味のあると感じた15%ではあるが、現代社会で作られる全ての建築物はそもそも地に足がつけられない人々を排除するようにできている。ショッピングモールに限ったことではない。それは建築や都市の問題ではなく政治の問題である。明らかに北田はこの座談会に強引にひっぱり出され結果的にこうした言動を吐くに至ったという感じである。一方東の仮説も強引さを隠せない。そもそも郊外の巨大モールに訪れる人達を見れば明らかであるが彼らの多くは地に足のついた家族連れである。当該人種が訪れるオフィス街の足元は彼らが住む地からは程遠いし、そこに帰属意識を持つことはないし、他者と会話が生まれる状況ではない。そこにあるのは逆に都市の匿名性と浮遊感である。
ショッピングモール(という言葉を現代状況に使うのはそもそも当てはまらないと思うが)現象を肯定する切り口はあるのかもしれないがそれを公共性に求めるのはいささか強引の感を免れない。

February 23, 2011

ハンス・ユルグ・ルッフのinterventionを日本に紹介したい

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●昨年出版されたハンス・ユルグ・ルッフの作品集タイトルはintervention(介入 )

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●挿入された新しい木の箱の中に作られたシャワー室

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●挿入された入れ子の箱

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●その箱の中が古い殻の向こうに見える

夕方理科大に行き4月からのスタジオの件で打ち合わせ。遅れてTNAの武井君がやって来て4月に行うレクチャーシンポジウムの打ち合わせ。
武井君はスイスで小さな迎賓館を設計している。その関係でスイスエンガディンの建築家ハンス・ユルグ・ルッフ(Hans Jorg Ruch)http://www.ruch-arch.ch/と知り合ったそうだ。ハンスは最近大部の作品集が出たが日本では未だあまり知られていない。僕はたまたま出入りの洋書屋さんの勧めで去年この作品集を買ってあっという間に魅了された。彼の建築はスイスの古い小屋をコンヴァージョンしたものが多い。そして古いものに手をつけるべきではないという理由から基本的には新たな箱を入れ子状に挿入する。そして自らのそうした方法をintervention(介入)と呼ぶのである。その新旧が対峙する空間の緊張感は身震いするほど美しい
というわけで武井君からハンスがやって来るので何かしませんかと言われた時に驚いた。今最も会ってみたい建築家と邂逅するチャンスが向こうからやってきたわけである。そこでいの一番にパリにいた山名さんに電話をして是非理科大で企画しましょうとお誘いして今日の打ち合わせとなった。4月29日というゴールデンウィークの始まりでしかも祝日だがレクチャーとシンポジウムをやることにした。4時からスタートだが興味のある人は是非ともご来場ください。理科大の神楽坂で行います。

February 22, 2011

制度解体

先日一級建築士講習会を受けて今日管理建築士講習会を受けた。そこそこ為になるお話だが総論なのでだいたい分かっている。これに1万5千円払うのは少々不満。
というわけで猪瀬直樹『霞が関「解体」戦争』ちくま文庫2011を読みながら聞いていた。著者は東京都副知事をしながら国の地方分権委員会の委員を任された。その中で霞が関から権限を剥ぎ取り地方に任せろという主張をマシンガンの如く撃ち放つ。本書はこの地方分権委員会での委員対官僚の戦争、いや正確には著者が打ち放つマシンガンをひたすらよけまくる官僚の防戦の記録である。
読んでいくと著者のマシンガンも的を外し乱射と見えるところもある。しかし、霞が関の厚い壁にライフル銃で狙い撃ちして的を射たところで、的は数え切れないほどあり全く効果は無い。乱射といえども量を繰り出さないことには厚い壁は崩れないだろうことはこの答弁を読んでいるとよく分かる。
昨日、子供の施設の打ち合わせで構造基準が子供一人当たり3㎡から4.95㎡に変わったことが話題になった。タイガーマスク効果である。しかしこういう基準に猪瀬は怒る。例えば保育所のほふく室は一人あたり3.3㎡以上2歳児以上が使用する保育室は一人当たり1.98㎡以上。この数字に決定的な根拠があるのか?はるか昔に制定されたこの数字に現代的リアリティがあるのか?都会では待機児童が山のようにいるのだから多少小さくてもいいのではないのか?要はそういう数字は基準ではなく標準として細かくは地方行政が地方の実情に合わせて決めればいいのではないのか?そしてそこに与える補助金は全て地方に渡し、地方の権限で交付すればいいのではないのかと主張するわけである。そうすると官僚は子供行政に対してまじめに考えるところとそうではないところがあるからナショナルスタンダードが必要だと主張するわけである。
官僚の言うことは一見まっとうに聞こえる。しかし僕は猪瀬の意見に大賛成である。結局国は補助金を傘にかけ権力を行使し地方をかしずかせているだけである。その実態は一度補助金の仕事をしてみるとよく分かる。中央ばかり見ている地方の姿が手に取るように分かる。国は地方の怠惰を指摘するが、国が権力を握るから地方が怠惰になるのであってその逆ではないということをまだ霞が関のおバカ役人は気付いていない。いや気付いていてもその権力を手放したくないだけなのである。
昨日「制度を最大限に利用し制度の想定外のものを作る」と威勢のいいことを書いたのだが、もちろん今の自分の立場ではそれしかできないのだが、誰かがこの制度を解体してくれることを願うばかりである。

February 21, 2011

制度の中で、制度を利用し、そして制度が想定しないものを作る

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●Tさんと住友館の仕事を始めた時のスケッチブックの1ページめ

共同設計者Tさんと新宿で待ち合わせ湘南新宿ライナーに乗る。Tさんが言う
T:坂牛今日は3つの提案がある
S:はい何ですか?
T:一つ:共同でやっていく時の指針(ミッションステートメント)を決めたい。それは「制度の中で、制度を利用し、そして制度が想定しないものを作る
二つ:規定の設計料はお前の事務所で契約してもらえ、おれは成功報酬でクライアントが気に入ればもらう
三つ:この建物のタイトルは女子棟をアリス、男子棟をテレス、全体でアリスとテレスとしたい。

思わず笑いそうになったが、これが彼の持ち味。

T:行けてるんじゃないですか・

クライアントのトップにこの3つの話しを最初にバーンとぶつけた。クライアントはびっくりしたり、困ったり、笑ったり。そして最終的にはすべてお任せしたいで終わった。

Tさんは前も書いたが日建時代の僕の師匠1である。1987年林昌二は自分直属の日建ゲリラ部隊を作り「東京スタジオ」と命名してマンションの一階に部屋を借りて意匠設計部員として3人を起用した。その一人がTさんであり僕だったのである。そしてTさんの下で僕は横浜博覧会住友館を設計してSDレビューに入れていただいた。あの時もTさんがクライアントにバーンと強いコンセプトをぶつけてくれたことを思い出す。僕が思う存分にやれる環境を最初に作ってくれた。今回も全く同じである。頼れる親分である。最近はこんな粋なことを言える上司は少ないだろうなあと思う。むかしはこんな人が日建にもいたのである。

February 20, 2011

最後の講義の準備

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配偶者と神楽坂に遅めの朝食をとりに出かける。カフェクレープリー・ル・ブルターニュ という名のクレープ屋。神楽坂は日曜日も結構人が多い。そしてこのクレープ屋も混んでいる。そば粉で作るクレープの皮を巻くと卵もトマトもチーズもアイスクリームも値段を1.5倍にできるこの発明はすごいものである。今日は結構寒く足が冷えたので車で帰宅。来週の最終講義のパワポを作る。「僕はいつ誰に何を教わったのか?そして何時から自分で何を考え始めたのか」という長いタイトルの話をすることにした。そこでその昔の製図やらスケッチやらその時の先生の言葉などをひっくり返してみた。学部三年生の時の伊東豊雄さんが非常勤講師でいらっしゃった時の課題が出てきた。テーマはシティホテル。場所は渋谷の現東武ホテルがあるところ。オルブリッヒがなぜかテーマになっていた。伊東さんは当時あまり語らず。じーーっと図面を見てたまにぼそぼそと呟いていた。こんな正面から見るアクソメが流行り。ストイックな表現に豊饒な意味がこめられていた。1981年である。
夕方事務所に行き明日の栃木での打ち合わせ資料をチェック。写真をとり図の修正を依頼。

坂牛研OB、現役パーティー

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午前中整形外科へ先日伸ばしたふくらはぎと、古傷の足首をみてもらう。午後スポーツショップでアンクルブレースを買って足首に装着。伸びきってぶらぶらになった靭帯が固定されて痛みが無くなった。
その足で表参道に行きラット・ホールギャラリーで2人展を見てからルイヴィトンの新しいギャラリ―を覗く。表参道をぶらぶら歩きカフェで一休みしてから原宿駅近くの謝恩会場へ。今日は坂牛研OB、現役で僕の6年間の謝恩をしてくれるとの嬉しい企画。
原宿裏の天井の高い素敵な会場。受付で卒業生現役一人2ページずつ僕への言葉と研究室の思い出をつづった本をいただく。これがまあ泣ける。表紙は3パターンあり皆でコンペをしたとか。全国(いやマレーシアもいる)に散らばったOBからメールで原稿を集め3カ月で編集したそうだ。すごいなあ。教師冥利に尽きるなあ。もう思い残すことはないなあ。みんな本当にありがとう。来られなかった人もありがとう。本に書かれた言葉一つ一つ僕の宝。

来た人に一言ずつ少なくてごめん
中根・・・松本からありがとう。建築を忘れずに。
深沢・・・これからは覚えた技を一段ステップアップさせる時期。
芦田・・・甲府の現場は桃の季節。遊びに行くよ。
高橋・・・静岡からありがとう。いい建物設計期待している。
中尾・・・なによりこの本感激。そして名司会。四谷駅楽しみ。
松永・・・本職に戻ってからこそが日建で得たことを生かす本当の時。
田中淳・・あまり話せなかったけれど、地道に建築を。
松尾・・・札幌から来てくれて感激。Be an architectの言葉忘れていてくれなかったね。
片岡・・・春のオープンハウスを楽しみにしているよ。
山田・・・社会人になってからこそ思考を止めず、少ない時間に効果的に読書を。
鈴木・・・無事YGS修了おめでとう。これからだね。
兼子・・・静岡からありがとう。役人が馬鹿だと町がダメになる。頼むぞ。
平岩・・・新潟からはるばるサンキュウ。「やめる??会社??」
松田・・・神戸からありがとう。久々に毒舌を聞いて気持ちよかった。Continue.
望月・・・東京タワーの見えるマンションに引っ越したら遊びに行くよ。
小倉・・・富山からありがとう。就職活動頑張れ。相談にのるよ。
山卓・・・建築史家になるだけではなく。建築すべてを語れるように。
高木・・・ゼネコンでしこたま学んで屋代で独立を。
香川・・・BAの経験がどう生きるかあせらずじっくりと。
丸山・・・自分のどこかが変わったはず。
田中くに・4月からの東京生活がんばって。遊びにおいで。
藤岡・・・藤岡も光も2年生のころの感覚が院になってもしっかり残っているものだ。それは自分の持っている原型なんだ。
西浦・・・西浦と光とノブとでもっとサッカーしたかった。
朝日・・・だいぶぼろくそ言ってきたけれどその分すごく成長したね。
久保・・・さてさて4月のファッションショーが楽しみだ。連絡くれよ。
林・・・・T工務店惜しい。でも就活はその連続だし、惜しいなんて思わず次へ。
植松・・・子供施設で張り合おう。いい建築ができたら皆へ連絡を。
門井・・・残りは仙台でうさを晴らしておいで。
竹之内・・装苑賞お祝いパーティ楽しみにしている。
鶴見・・・エキセントリックで口が早くて。英語ができて。その調子。
長田・・・地道にしっかり建築を作れる人。君の原型だ。
松崎・・・卒計、面白かったよ。ぼろくそ言ったものって、気になるものなんだ。

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毎年やろうね!!!!!

February 18, 2011

自立できない若者

一級建築士の定期講習に行った。9時から5時まで結構長い。殆どが法律改正に伴う新たな事項の説明だが、ここ数年の仕事の中で直面した事項ばかり。まあおさらいである。しかしよくよくテキストを見るとこの講習は事務所に所属している人の義務であり大学の教員などはこの限りではないとのこと。無理に来る必要もなかった。
授業の合間に岡田尊司『なぜ日本の若者は自立できないのか』小学館2010を斜め読む。著者は発達障害の臨床医であり、若者が自立できない理由として初中等教育における多様な子供の型に対する画一的記憶教育をあげ批判する。そして子供には以下の3つの型があると説明する。
① 視覚空間型―行動的で、感覚的で瞬間的な反応や処理に長けている。
      例えばスティーブ・ジョブズ、安藤忠雄などなど
② 聴覚言語型―聞き取り能力に長け、共感性や情緒的反応が豊か、具体に関心が向く。
      例えばバラク・オバマなど
③ 視覚言語型―言語記号が好きで抽象概念に強く完璧志向。
      例えばビル・ゲイツなど
この3つのタイプに対し画一的に③に適合した言語記憶教育を押し付けることが間違いの始まりだと言う。教育なんてそんなものだろうと言うのは間違いでオランダやフィンランドでは子供自らがカリキュラムを作るような教育がなされているそうである。そしてそのフィンランドがOECDのPISAテストで1位2位を独占したのは記憶に新しい。しかしだからと言ってそういうことをいきなり日本でやれるかどうかも分からないしやることがいいかどうかも分からないのだが、多様な子供に画一教育が間違いだと言うのはつくづくその通りだと思う。僕も中高のころそういうスタンスの教師には腹が立ち授業は聞かずスパイク磨いていた。そしらた外に追い出されたのだが、追い出されてせいせいしたものである。
僕は初中等教育の教員ではないからこういう問題には手がつけられないのだが、そこで不適切な教育を受けた挙句に発達障害を起こしてしまった学生と直面するのである。そんな子供が大学まで来るのか?と聞くかもしれないが昨今頭がいい(マークシートには答えられる)のに障害を抱えた子はどんどん増えているのである。常勤のカウンセラーが雇用されているくらいである。本来初中等教育の抜本的見直しをすべき問題なのかもしれないけれど、大学まで来た彼らを少しでも軌道修正させてあげる道があるとするなら、まさに画一化してない教え方しかない。自由に考えさせ自由に語らせる。そういう場所を作ってやるのがせめてもの大学教員の役割かもしれない。

February 17, 2011

大学破綻

午前中長野からのお客様。先日もらった要望を取り入れた案を説明しご理解いただく。荒木町で昼食をご一緒し別れる。午後栃木の子供施設のスケッチ、打ち合わせ、マンサード屋根と切妻がぶつかるとどういう稜線が出るかを考える。かたや模型を作り、かたやフォームGでモデリングする。
検討の合間を縫って、諸星裕『大学破綻』角川新書2010を読みながら憂鬱な気分になる。日本の大学は778あるのだがこの10年で1割は消滅すると書かれている。危ない大学は学生数1万以下の小、中規模大学のようである。ちなみに在籍中の信州大学は11446人、4月に異動する東京理科大学は20755人でありどちらも大規模に属している。
もちろん大きければ安泰というわけではない。重要なのは教育力と研究力であるが、経営的視点で考えれば教育力の方が重要である。その意味で教員一人当たりの学生数はそれを示す一つの指標である。ちなみに教員数は信大1228人に対して、東京理科大は728人。よって教員一人当たりの学生数は信大9.3人、理科大28人である。国立と私立にはこういう差が歴然とある。しかし私立大学は非常勤講師でこの差を補っている。非常勤は経営的安全弁ではあるものの、研究没頭教育棚上げ型常勤教員よりはるかに教育熱心であるからこの数字が教育力を直截示すものとも言い切れない。
さて教育3極化(上位大学卒、普通大学卒、高校卒)の時代に大学はそれぞれのミッションを持つべきだと言うのが著者の主張である。それはこの著者に限らず、昨今の一般論のようであり、大学はそうしたミッションの再考をせまられている。しかし加えて重要なことは教育にかかるコストの低減である。著者はその遂行に向けて教員の質の向上以上に職員の質の向上を訴えている。とにかく大学とは無駄の塊である。民間会社から来た人なら皆そう思うはずである。場所も人もシステムもルーズに管理されている。その無駄がゆとりと感じられる部分もあるのだが、そのために浪費されているものも計り知れない。こういう問題に教員は興味が無い。一方職員は決定権が少ない。この実情では何時まで経っても無駄の宝庫はそのままである。

February 16, 2011

教育格差

下宿学生の仕送りが80年代並みに下がったというニュースが流れた。一方で学費は80年代並みにはなっていない。橘木 俊詔『日本の教育格差』岩波新書2010を読みながらこのニュースを思い出した。現在の日本の不況は仕送り以前に、経済的理由で子供の進学を断念する状況を生んでいる。まるで戦後の大学進学率10%代の出来事のようである。
僕が入学した1979年、国立大学の学費は144000円。現在は50万を超えている。この上昇率は物価上昇率をはるかに上回る。そしてこの高騰は私大のそれよりはるかに大きい。
信大で学生の留学先をいろいろ調べながらつくづく日本の教育は国民任せであることに腹が立った。本書の統計を挙げだしたらきりがないが、例えば、OECD諸国との比較を見てみよう。教育機関への財政支出のGDP比は28カ国中27位で3.3%(平均4.9%)同じく教育機関への財政支出の政府総支出比は28カ国中28位で9.5%(平均13.3%)である。とにかく教育は自分たちで勝手にやれよというのがこの国の方針である。
今年アルゼンチンとリヒテンシュタインへ学生二人が旅だったが学費は殆どただである。ヨーロッパ系の大学はごくわずかの例外を除いて学費は国が負担しているようだ(進学率が低いということもあるようだが)。一方アメリカは高いので選択肢に無かったが本書によればアメリカの奨学金制度はかなりよいようでもある(僕はその恩恵にはあずからなかったが)。小泉純一郎という人はアメリカの真似してネオリベラリズム的教育方針を打ち出したのだが、この奨学金のことは頭から抜け落ちていたようだ。
豊かな社会を作る上で教育がどういう役目を持つべきかは単純ではないが、少なくとも家庭の経済状況で教育が受けられなくなるような社会であってはいけないと思う。

February 15, 2011

人は社会を変える力がある

午前中は書類書き。資料を掘り起こし10枚くらいをやっと書きあげる。午後事務所。模型見ながらスケッチ、、、、、、そろそろ大きな模型をいじりたいところである。
夜親父の本の残りを斜め読む。その昔聞かされていたさまざまな言葉が断片的に目に飛び込む。いろいろ書いてあるが、要は人は社会を変える力を持っているということに尽きるように感じた。その後、門脇厚司『社会力を育てる―新しい「学び」の構想』岩波新書2010を読む。著者は筑波大学名誉教授の教育学者である。日本の現在の教育が子供の社会における力を育んでいないことを嘆く。彼の提唱する教育は社会力をつけること。社会力とは社会性と似て非なる概念のようである。社会性とは社会に順応する性質であるが、社会力とは社会を変えていく力なのである。はて、先ほど読み終えた親父の書は煎じつめれば「人は社会を変える力がある」ということであった。門脇氏はその力をつけるのが教育だと言う。偶然二つの書が繋がった。確かに今、僕たちは与えられたレールの上を進むと思ってはいけない。自らの頭で考え自らの欲する社会を目指すことが必要なのである。それはテレビや本に書いてあることではない。自分の頭で考え抜いたものなのである。

February 14, 2011

雑木林に作る―子供と老人の融合

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午前中事務所で雑務。年末は書かねばいけない書類が大量にある。一日じゃとても終わらないのだが、少しずつ手をつける。午後今度の仕事の共同設計者であるTさんと打ち合わせ。Tさんとはその昔SDレビューで入選した横浜博覧会住友館を設計した間柄。我々の設計案を持っていき説明。だいたいの方向性を決める。
敷地の奥に既に設計の終わっている老人の施設があり僕らの設計する子供の施設の中を通ってアプローチをさせようと考えた。果たして老人と子ともの融合は可能か?まるで学生の設計のようなべたなコンセプトだがクライアントもその気だから可能性を追い求めてみたい。
事務所に戻り長野のプロジェクトの敷地が少し大きくなったことをファックスで知る。それに合わせた修正案を考える。
夜父親の著書を読み始める。日本の資本主義はたかだか140年。有史以来人類はさまざまな経済システムを変化させてきたのに今なぜ矛盾を抱えながらこの経済システムを維持する必要があるのか?その必然性の希薄さから話は始まり、夏目漱石、宇宙の発生、物理学の法則まで登場し妙に説得力がある。

February 13, 2011

長野マンションがらんどう

朝、学生3人とその友達がやってきて家財道具をすべて彼らに差し上げそのまま運び出してもらった。あげるのは申し訳ないようなものもあったがそういうものは捨てるようにお願いした。お掃除もしてもらい、すっかりきれいになった。
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●長野じゃよくある1Kの間取りである。このKが2畳くらいの不思議サイズ

大家さんと不動産屋さんが来るまで小一時間がらんどうの部屋で本を読む。のだが、、、寒くて寒くて凍えそうである。
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●そして1は畳敷きの小さな6畳間

立ち会いをしてもらい、鍵を返して敷金の清算をしてもらう。契約書に書いてある通り、クリーニング代と畳表の張り替え代を引いたら残りは3000円。敷金が無くなるようにできている。この寒いマンションにもう来る必要が無いと思うと嬉しいような少し寂しいような。
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●外観は結構堂々としている

夕方のアサマで東京へ。車中宇沢弘文の『社会的共通資本』を読み終える。彼の言う社会的共通資本は農村、都市、教育、医療、金融となるのだが、その中での農業行政に対する批判は少々考えさせられる。曰く農業行政の一番の間違いは農業を工業と同等な経済性を得られるものとして、一農家を一企業と同等な資本主義的効率性で競わせる考え方にある。そして農業を農の営みと呼び、これは人間が衣食住を満たすための基本的な営みなのだと指摘する。さらに自らの一高時代の経験より、都市居住者が農村居住者と交わることでいかに心を豊かにしていったかを訴えた。なるほど農村が農村のままではいかんそれが都市と交わる接点を作らないといけないと改めて思う。
事務所に戻り明日用の模型と図面を見る。少々修正を依頼して帰宅。

長野のマンションともお別れ

最後の研究室合宿を終えて長野のマンションへ戻る。明日はこのマンションともお別れである。赴任した時は駅の近くの宮本忠長さん設計の打ち放しの新築マンションに住んだ。1kだけれど結構1が広かった。角部屋だったから寒かったけれど新築だから最低限の断熱はされていたと思う。2年過ぎて一月10日も過ごさないのに5万の家賃はもったいないと思いもう少し安い所を探して今のマンションへ移り住んだ。ここは14階建ての堂々としたつくりだが古いせいか家賃3万2千円と破格だった。しかしここは古いせいかおそらく断熱があまり入っていないのだろう。かなり寒い所であった。この寒さともお別れと思うとほっとする。赴任した時無印良品ですべてのものを買った。一人住まいセットなる冷蔵庫、洗濯機、電子レンジの3点セットの中で使ったのは洗濯機だけ。冷蔵庫も電子レンジも電源抜いていた。ベッド、羽毛布団、枕、プラスチックケース6つ、プラスチック書類建て8つ、スリッパ、掃除機、椅子、机、スタンドライト、カーペット二つ、ビーズクッションなどなど、明日はこれらのものを全部学生にあげてこの部屋を出る。

February 11, 2011

二人のローマ法王の回勅

事務所での打ち合わせを終えて夕方のアサマに乗り宇沢弘文『社会的共通資本』岩波新書2000を読む。ゆたかな社会とは何かを考える書である。その冒頭は経済システムから始まるのだが、それを考える上で著者は二人のローマ法王の言葉を引用する。最初は1891年に出されたレオ十三世の回勅である。それは「レールム・ノバルム」(新しきこと)と題され19世紀末のヨーロッパが直面した問題を「資本主義の弊害と社会主義の幻想」と特徴づけた。二つ目はそれから100年後1991年ヨハネ・パウロ2世による「新しいレールム・ノバルム」と題された回勅である。それは「社会主義の弊害と資本主義の幻想」をテーマとしたものだった。
19世紀後半資本主義国はマルクスの予言通り多く社会主義に転じるのだが法王レオはそこでの移行へ警鐘を鳴らした。そして100年後マルクスの予言を逆行する現象(社会主義の瓦解)をヨハネは予言するだけではなくレオの言葉を流用しながら再度逆の警鐘を鳴らすわけである。その後社会主義国が相次いで崩壊し一方資本主義もリーマンショックを始めとする問題に直面する。余りに見事なこの二つの予言に溜息が出た。
これに関連する話だが、昨晩帰宅すると父親の新しい著書が届いていた、タイトルは『日本はどこへ向かうか』である。本を開いてもいないのだが、内容は現在の世界資本主義に対する警告であろうことは想像に難くない。宇沢氏の描く豊かな社会と親父の描く日本の向かう先がどのように重なってくるのか分からないが80を超える二人の考え耳を傾けてみたい。

February 10, 2011

ぶっ飛ばない修士設計

さて今日は修士論文設計発表会。発表会連ちゃんである。さすが修士は大人だね。この時期の2年は大きい。先生の質問に勇敢に立ち向かうやつも多い。だいたいはずしているんだけれどたまに的を射た答えも返ってくるところが修士である。
さて我々の部屋4人いて全員論文付き設計。今年は純粋論文なし。昨日のぶっ飛び学部設計とは異なり少し大人である。

①ハンス・ユルグ・ルッホのintervention(介入)概念を基に数百の介入型建築事例のタイポロジー化を行いそのいくつかを用いながら工場を美術館に。梅干野先生にするどくつっこまれた。「結局ハンス・ユルグ・ルッホで創っているんじゃないの?論文の分析は生かされているのですか???」
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②生物概念に基づく市庁舎の設計。彼粘菌の研究ずっとしてたのだけれど、どういうわけか最後は巻貝になっちゃった。 「もっとべたに巻貝みたいな方がいいんじゃないの?可愛らしくて人気出るんじゃない??」とある教授に冗談とも本気ともつかない突っ込みを受ける。
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③一室空間住居の数百の事例分析に基づき長野市役所の設計。全部可動壁。「本当に動くのかこの可動壁????」と思いつつ。これも膨大な分析がもうひとつ生かされていないよな。
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④アナロジー手法の分析の末、鳥の巣使って小学校設計。小学校でこういうことすると子供が登って落っこちるのだよ。違う施設でやりなさい」とある教授の鋭い指摘。おっとそれに気付かなかったのは指導教官の責任だな。アナロジーで具象と抽象の中間を狙ったデザインとしては理解できるね。
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学部生はわけもわからず論文のようなもの書いてその論文と制作がもう一つ繋がらない。それで勝手にぶっ飛んでいる。一方修士は少し連続性をつけるべく必死にもがくのだが論文が創造の加速器にはなれないで終わっている。知性の無い四年はぶっ飛べて、知性がついた院生は飛べない。建築ってこんなもんだなあ。でも知性つけて飛べるようにならないとな。

修士発表会の後は毎年手伝ってくれた下級生を招いて40人くらいの大パーティなのだが、今日は事務所に直行で戻る。車中菅原克也『英語と日本語のあいだ』講談社現代新書2010を読む。この先生東大で英語教えているのだが、現代英語のコミュニケーション力重視の指導方針の中で、文法、読解軽視に疑義を呈する。大賛成。英語の授業を英語でやるなんて日本でやっても無意味。中学校で外人に英語を教えてもらうのも無意味。そういう教育は毎日2時間英語漬けみたいな状況で始めて意味を持つ。日本なら徹底して文法と読解やった方がいい。英語を話したり聞きたかったりするならさっさと英語使っている国に行った方がいい。東京駅で丸善寄って宅配頼み事務所へ。

February 9, 2011

ぶっ飛び卒業設計

今日は9時から卒論と卒計の発表会。信大は論文か設計の選択だが、設計は僕の研究室以外は殆どやらない。今年は最後だから(いや別にそこに因果関係はない)悪く言えば地に足が付いていない。よく言えば斬新である。午後4時ころ発表会が終わり、展示室の方に行ったら構造の先生が横に来て「今年はぶっ飛んだ作品が多いね」と一言。


①服飾制作原理で建築を作ろうとか
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T先生の質問「雨降ったらどうするんですか?雪は?ゴアテックスなら分かるけど、、、」

②バタイユのエロティシズムを造形原理にしようとか、
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T先生の質問「禁止の侵犯とは何を侵犯しているんですか、、、?」

③スラブだけで学校を作ろうとか、
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だれかの質問「音はどうなっているんですか?」

④身体を意識する偏差のある空間とか、
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誰かが質問していたなあ、、、、

⑤人の敷地に自分の家の一部分を作らなければならない開発ルールでできた町の計画とか、
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Ta先生の質問「ルールを作るのは勝手だけれど建てる人が嫌だっと言ったらどうするんですか?」

どの先生もよく質問してくれたものだ。感謝しないと。そしてそれに対して笑っちゃう答え連発。ああ面白かった。質問は門外漢のナイーブなものではなく、本質的なのだ。こういう素朴な質問にスパッと答えられれればこういうことやる意味と信念を感じるんだけどなあ。

こちらも付き合いきれないところはあったけれどまあ何とか終わった。発表もリハのころは「こいつ分かってしゃべっているのかよ?」と思うくらいの非論理性だったがまあ聞ける状態にはなっていた。

何のチャレンジもないただの建築を見せられるよりはるかにスリリングではあったのだが、、、、、せめて完成品を出してくれ、、、、


夜は明日の修論発表会を前に主査論文を読み直し審査報告書の下書きを書く。そしてまたスケッチ描いて事務所に送る。

雑木林に作る

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●武蔵野的雑木林

午前中スタディ模型を整えてスタッフと一緒に事務所を出る。昼に新宿でTさんと会い湘南ライナーで古河に向かう。クライアントの迎えの車で現場へ。人口15万の市らしい風情である。駅のそばには昔サッカーが強くて有名だった古河一高がある。住宅街を通り抜け大きな雑木林を抜けると風景は突如農村になる。田んぼの中に雑木林がところどころに残る。そんな雑木林が敷地である。これは東京郊外の武蔵野の風景である。もちろんここは定義上は武蔵野(武蔵野台地)ではないのだが風景はそれに近い。
夕方まで打ち合わせをして駅で飯を食ってスタッフは東京へ僕は大宮で降りて長野へ。時間の無いプロジェクトなので車中スケッチ。長野について研究室について引き続きスケッチ。最初のスケッチの時はまだコンセプトなんてありゃしない。ウォーミングアップみたいなものである。言葉にならないおぼろげな空間の質のようなものは何か有るのかもしれないがそれがつかめるようになるのは10個くらい模型ができてから。だいたい描いたのだが、あれあれ、面積がだいぶオーバーしている。太りすぎた。
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●二つのダイニングと中央に共用広間、そして宿泊を分節すると自然と三ツ矢型プランが生まれる。三つの空間が流動的に繋がる方策は他にもあろうかと思うのだがとりあえず最初のスケッチ。

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●木造小屋組みを見せながらマンサードと切妻の融合ができないものかと??

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●個室がある三ツ矢の一本は南北軸合わせながら、建物の入り隅を利用して大小3つの外部空間をつくりたい。できればこの雑木林を残したいのだが、、、、そもそも敷地からはみ出ているかも??敷地図はスタッフに渡しているのでよく分からない。

もう少し贅肉落とさないとはいらないなあ!!!というわけで、「これをそぎ落として敷地にはめてみてくれ」と事務所にメール。

February 7, 2011

ソニーはなぜサムスンに抜かれたのか

菅野朋子『ソニーはなぜサムスンに抜かれたのか―朝鮮日報で読む日韓』文春新書2011を読む。そう言えば21世紀に入ってから韓国はすごい国なった。サッカーは昔から強かったとはいえワールドカップで4位になったし、冬季オリンピックでは金メダル5個でアジアナンバーワン。知力を見ても読解力じゃあ韓国2位、日本8位。数学力では韓国3位、日本は9位。そして産業でいえばこの本のタイトル通り、ちょっと前までサムスン?安いモニター売っている会社くらいに思われていたのがあっという間にその辺の携帯はサムスンだらけ。そして芸能界を見ても日本でAKBが騒れている横からKARAや少女時代が圧倒的実力差で日本に上陸してきた。
韓国のこの力は素直にすごいと思う。見習うべきところは見習わないといけない。でも僕は、国家とはバランスであり、金の使い道は1位になるためにあるのではないと思う。女性大臣が言っていたように「2位じゃ駄目なんですか」という精神を忘れてはならない。競争心の旺盛な日本人は悔しい思いをしているかもしれないが、韓国が日本をさまざまな面で抜いていくことはある意味、歴史の必然のような気もする。
僕がアメリカに行った80年代エズラ・ボーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が英語の教科書になっていた。出版されてからすでに5年以上たっていたのに終身雇用制から始まり、日本社会はお手本になっていた。戦後35年で日本はアメリカを追い越していたのだが、それから20年で次の国にある部分では追い抜かれたということである。同様に何年後かは分からないけれど韓国も次の発展する国に追い抜かれるだろう。しかし問題は日本も韓国もその後ではなかろうか。2位だろうと3位だろうとそんなことよりも成熟した社会が本当の意味での豊かさをどのように維持していけるのかという点である。韓国に助けてもらおうと、中国に助けてもらおうとそれで日本が豊かになれる道があるのならそれでいい。ただし、当然、指をくわえてボーっとしていたらインドにだって、ベトナムにだって追い抜かれプライドも実力も皆無のアジアの貧国になる可能性だってある。知恵を働かせて先を見る努力は最低限皆がやり続けなければならないことである。

住宅のローカリティとは

7時半のあずさで甲府へ。駅でカメラマンのUさん、雑誌社のNさんと会いい現場へ。撮影開始。
この住宅は平屋で43坪。3人で住むにはかなりゆったりしている。廊下が東西方向に3本通っているのが特徴である。この3本の廊下はクライアントの住み慣れた家の形式を踏襲したものである。中廊下は日本の明治後半、客人と住人のプライバシー確保のために生み出された。しかしその後都市部の狭小地からは消滅した。そして田舎のゆったりした敷地にのみ残り、クライアントの記憶の中にも染みついている。そんな記憶に少々過剰な(過激ではない)味付けをしたのがこのプランだ。
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建築の地方性は長野に6年間いながら少々考えた。それは外観の問題よりもむしろ使われ方ではないかとある時から思い始めた。それは善光寺門前町で外観の形式のみを大事にする風潮に辟易していたこともある。むしろ生活の記憶をカスタマイズしながら連続させ、そして新た世界へつなげる方法をとらないことにはディズニーランドを量産するだけだと思うに至った。
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住み慣れた廊下を過剰に図式化し、本来の機能であるプライバシーの確保を越え新たな世界への入り口を作れればと思った。3本廊下によって生まれた各部屋の二つの入り口は住人の動きに偶有性を生み出す。
建築はフレームであり重要なのは生きた世界。3本廊下図式はフレームに過ぎない。偶然性を付与された人の動きがフレームの中でちょっとした意外性を生じさせることが重要である。
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遠路はるばる見に来てくれた方には感謝である。天気も良く快適な撮影とオープンハウスだった。

February 5, 2011

長続きしない本

朝のヨガを終えて新宿へ。子供施設の設計を頼みたいという新たなクライアントにお会いし昼食をともにする。すでに多くの施設を運営されているお医者さん。老人の施設も子供の施設もこれは福祉ではなく、医者の職能としてやるべきことなのだと言う。現在工事中の塩山の施設と同様のスケジュールだから時間が無い。塩山は正式には去年の4月に認可が下りて3カ月で設計を終わらせた。しかし一昨年の夏に基本設計は終わっていたのである。今回は今から始めて2月中に役所に出す青写真が欲しいという。「ええええええええそんなこと可能なわけないでしょう!!!!!!」と喉まで出かかったが普通に頷いた。そして設計の終わりは6月半ばくらいだろう。4か月で基本と実施が終わるなんていうことは住宅だって滅多にない。でもやるしかないな。
帰宅後昨日から読んでいた新渡戸稲造著、山本博文訳『現代語訳武士道』ちくま新書2010を読む。新渡戸家は母の実家青森県三本木の開拓者。義、勇、仁、礼、信、名誉、忠、、、という倫理観は大事だと思う。でも嫌いだったわざとらしい小学校時代の道徳を思い出し半分読んで放り投げる。続いて伊藤乾『指揮者の仕事術』光文社新書2011を読む。イントロダクションにこれでもかというくらい自分の自慢話が並ぶ。自分は音楽大学には進まず一般大学で初の音楽実技を教える准教授となり、指揮のコンクールにも入選し、有名な指揮者にも教わり、ついでに自分の同級生がオームの犯人でそれを題材に本書いたら良く売れて、そういう仕事も舞い込んで、などなど。本論に入る前に気分が悪くなった。こういう品性だと出す音もひどいだろうなあと思ったら本も読む気がなくなった。明日早いので寝よう。

February 4, 2011

点点点を好きな感性とは

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今朝の長野は雪である。模型を運んできたので駅から自転車には乗れない。タクシーで大学へ。研究室に荷物を置いてゼミの部屋に向かう途中で綿のように落ちてくる雪をたどりながら空を見上げる。立ち止まりその雪の行方を追う。白い点々の空間の中に体ごと放りこまれ。点々点々の中でしばし時間が止まる。額に落ちた一片の冷たさで我に返る。「ゼミに行かないと」。綿のような雪に包まれながら今自分の心の中に接触、粘着したできごとを振り返る。「ああ、これはまさに桜を愛でる感性!!」昨日読んだ佐々木健一の『日本的感性』に記されていた日本人が桜を愛でる感性そのものである。意識を集中し何かを対象化する西洋的感性ではなく、何かに包まれ身体的に感じ取る日本的感性なのである。佐々木氏はそれを触覚的と呼んだが。まさに雪が額で溶けることで包みこむ雪は実体化した。白い空のなかで夢の中のような距離感のない白い点が額の上で質量を持つものとなった。
対象が明確な中心のある西洋絵画はモネのころからどこに中心があるのだか分からい多中心な絵に変化した。モンドリアンだって、ポロックだって、そして草間弥生だってみんな多中心になった。そして草間はまさに文字通りの多中心で点点点点になったのだ。その点点点は今日見た雪とそういえば近い。いや、雪そのものかもしれない。点点点を見るとどうにも気持ち良くなる僕の感性はこの雪を愛でる感性であること分かってきた。いつも点点点が好きな自分をどうにもうまく説明できなかったのだがこれからは堂々と点点点が好きだと公言できそうである。
午前中論文発表会のリハ。少し進化したパワポ。こういうのは粘り強く先生も我慢しながらやるしかない。午後市役所で市民会館の建設検討委員会。しばらく出られなかったらすごい活発な議論が交わされる。結構なことだ。もう僕の出番ではない。研究室に戻ると某市の商工会議所の方々来研。東京から運んだ改築案の模型を説明。持ち帰り検討いただくことにする。夕方雑務。夜のアサマで東京へ。

February 3, 2011

チューリップ=コールハース VS 桜=石上純也

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なんだか毎日山梨に行っている。現場も佳境に入ると毎週施主定例やってもごろごろ懸案事項がでるものだ。午後のあずさで新宿に。車中『日本的感性』を読み続ける。日本的感性の一つとして佐々木氏のオランダ経験が語られる。オランダでは桜が咲いても誰も関心を示さない。でもチューリップやバラが咲くと興味を示す。これってどういう感性?つまりオランダ(ヨーロッパ)では愛でる花を視覚的に対象化し、日本では花に包まれて身体的に感じ取るということである。これを読みながらああ!コールハースってやっぱり一輪のバラを作る人だし、石上純也は桜を作る人だなあと感じた。まあそれを日本的感性とつなげるとわざとらしい理解になるので敢えて日本と言うつもりはないのだが。夕方事務所に戻り明日の施主打ち合わせの図面と模型を見る。いろいろ注文出しているうちに今晩の電車で長野に行くのを断念。それなら模型写真も撮ることに。

February 2, 2011

言葉と感性

7時に長野のマンションを出る。さすがにこの時間の長野は耳が凍りそうに寒い。駅で朝食をとり特急に乗り松本経由で甲府へ向かう。車中『現代思想のコミュニケーション的転回』を読み続ける。言語的転回を言い始めたのはローティーと書かれていたのでコミュニケーション的転回までの3つの転回を筋道立てて述べたのはやはり彼なのだろう。先日のいい加減な要約をもう少しきちんと書けばこうなるか。カントはそれまで物の存在を追求してきた哲学を転回させ、物自体ではなく人の認識側に立脚点を置き、物は仮像として取り扱った。次にソシュールは人が物を認識する上で言葉を用いることで自らの中に像を結ぶことから物自体ではなく言葉が人間世界を生み出しているとした。ではその言葉とは何かというと言葉とは規則であり規則は自分一人では成り立たないことから言葉の成立のためには自分と他人の共存在が必然となる。他人とは自己の対概念であり対概念とは双方の存在が必然である。すなわち自己を認識するとは他を認識することに他ならず、そして他を認識するとは言葉によって合意を生み出していくしか道が無い。それゆえ現在、人は自己を生み出すために他とのコミュニケーションを必然として生きていかざるを得ない。とこうなる(あまりにいい加減な要約です間違っていたら許してください)。
午前中、甲府で住宅の施主検収。時間はかかったが殆ど大きな問題もなく終了できた。一安心。今週末は撮影とオープンハウスだが、甲府の住宅じゃあまあ誰も来ないだろう。3時半のかいじで新宿へ。車中佐々木健一『日本的感性』中公新書2010を読み始める。佐々木氏はわが学兄の師匠。毎回氏の親書は拝読している。先日「感性無き言葉は不毛だが、言葉なき感性は空虚」だなどと偉そうなことを言ってしまったので、言葉の本を読んで感性の本を読み始めたというわけだ。彼は先ず感性とは何かという問いから始めこう定義する「感性とは刺激に応答する身体化された記憶の活性である」見事な定義としか言いようがない。つまり「感性がいい」とはいかに無意識の底に多彩な印象の粒を沈殿させそれを常に発酵させているかにかかっているということである。
言葉と感性を同時に考えいていくととてつもなく深いつながりが感じられる。

February 1, 2011

論文、レポート、、、

朝一で主査の意匠系修論4通、副査の歴史系3通、心理系3通を受け取る。全10通の1000字要旨を精読する。悲しいことに歴史系の3通と心理系の3通の論理的で分かりやすい文章に比べるとわが研究室の意匠系4通の文章は何を言っているのか分からない。もちろんフィールド調査をして何かを明らかにする歴史系、実験をして何かを評価する心理系に比べて、何かを創造する意匠系の論文(論文付き設計)は論理性をどこかで飛び越えなければいけない。その宿命を負っているだけ大変である。しかしそこを分かりやすく言えるようにならないとレベルの高い設計を今後進めていくのは難しい。つまり社会に出れば嫌でも分かりやす説明が求めらる。その時に言葉の無い設計者は自分の持つ志の高い設計理念など説明困難になり、誰でもが分かる凡庸な言葉で説明される俗な建築を提示するしか道がなくなるのである

9時からの学科会議後昼締切の2年生のレポートを受け取る。飯もそこそこにレポートを読む。1時に引っ越しやが見積もりにきたけれど、レポートを読み続ける。試験期間中なのに良く書いたと褒めてやりたいところだが、どうも参考文献やネットの写しのようなものが多くみられる。自分の問題意識に引きつけられているものは数えるほどだ
2時半に某市役所の方がやってくる。プロポーザルの審査の依頼。最後の長野奉公と思いお受けしたいところだが、プロポーザルは何時でもどこでも提出側の不満が募るもの。その原因は二つある。一つはプロポーザルと言っておいてコンセプトのプロポーズを判断するのではなく単に事務所の経歴と規模を国交省の採点基準で判定すること。二つ目は応募資格のハードルが高いこと。もし業績と規模と同様施設の実績を重視するなら最初から大手事務所の指名にでもすればよい。プロポーザルにするなら先ずはアイデアを評価する仕組みにして業績の点数を下げ、応募資格のハードルを下げること。これを理解してもらえれば引き受けると返事をする(本当は出したいところだが、先方の応募条件のままならそもそも自分も提出できないからまあいいのだが)。
夕方修論、卒論の発表リハ。提出したその日のリハだからどれもこれもひどいものだ。どいつもこいつも腫れぼったい眼で。まああと一週間で人に分かるプレゼンをしてくれ。
本日帰宅を予定していたが、山のような雑務に追われてとても帰れない。明日の甲府は長野から行こう。