思想地図β?
早朝の新幹線に乗り越後湯沢経由で金沢へ。学会北陸支部での最後の仕事である北陸建築文化賞の審査。午後一杯かけて4作品を選出。これで北陸支部の仕事の99%は終わった。明日の入試のために直江津経由で長野へ向かう。
移動の車中新しくなった思想地図『思想地図β vol.1』コンテクスチュアズ2010 をめくる。巻頭の鼎談猪瀬直樹、村上隆、東浩紀を読むが猪瀬の独壇場で鼎談になっていない。続いて特集のページへ。テーマはショッピングモール。どうしていまどきショッピングモール?。?頭で最初の座談会を読む。東、北田、南後、速水のタイトルは「ショッピングモールから考える―公共、都市、グローバリズム」。
この特集はポイントが曖昧だし、議論されていることの85%は無意味に思えた。多少意味を感じた残り15%の論点は北田と東の論戦の中にある。
それはショッピングモールが現代都市の公共領域を作る力を持っているのではないかという東の仮説でありそれに対する北田の批判の部分である。
先ず北田はルーマンによるハーバーマス批判を引き、公共性作りには時間がかかると指摘する。確かに我が身に引きよせて考えれば、住んでいる地との人間的接点は飲み屋のオヤジとの会話くらいである。一方配偶者は商店街の花屋さんとか鞄屋さんとか医院の先生とかに何気なく話ができる人たちを持っている。これは明らかに二人のコミュニケーションに割ける時間の差である。現代政治哲学がいかにコミュニタリアニズムを標榜しようともコミュニティ形成には時間がかかるのである。となると大都市のかなり多くの人々にとっては(それは成人男性とは限らない塾に通い詰める受験生の群れだってそんな時間がなかったりするわけだ)都市の公共性なんて言ったってそんな場所を意識することもないしそんな場所の必然性すら感じない。そんな状況を鑑みると地に足をつける必要のない人々にとっての公共領域とは何なのかと感じざるを得ない。そしてそれを考えるきっかけがショッピングモールにあるのではないかというのが東の問題提起である。それに対して北田はその提言は検討の対象ではあるものの、一方でショッピングモールは地に足がつけられないような人々(要はホームレスのような人々)を排除する思想でできていることが問題であると批判する。
さてこの座談会の意味のあると感じた15%ではあるが、現代社会で作られる全ての建築物はそもそも地に足がつけられない人々を排除するようにできている。ショッピングモールに限ったことではない。それは建築や都市の問題ではなく政治の問題である。明らかに北田はこの座談会に強引にひっぱり出され結果的にこうした言動を吐くに至ったという感じである。一方東の仮説も強引さを隠せない。そもそも郊外の巨大モールに訪れる人達を見れば明らかであるが彼らの多くは地に足のついた家族連れである。当該人種が訪れるオフィス街の足元は彼らが住む地からは程遠いし、そこに帰属意識を持つことはないし、他者と会話が生まれる状況ではない。そこにあるのは逆に都市の匿名性と浮遊感である。
ショッピングモール(という言葉を現代状況に使うのはそもそも当てはまらないと思うが)現象を肯定する切り口はあるのかもしれないがそれを公共性に求めるのはいささか強引の感を免れない。