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制度解体

先日一級建築士講習会を受けて今日管理建築士講習会を受けた。そこそこ為になるお話だが総論なのでだいたい分かっている。これに1万5千円払うのは少々不満。
というわけで猪瀬直樹『霞が関「解体」戦争』ちくま文庫2011を読みながら聞いていた。著者は東京都副知事をしながら国の地方分権委員会の委員を任された。その中で霞が関から権限を剥ぎ取り地方に任せろという主張をマシンガンの如く撃ち放つ。本書はこの地方分権委員会での委員対官僚の戦争、いや正確には著者が打ち放つマシンガンをひたすらよけまくる官僚の防戦の記録である。
読んでいくと著者のマシンガンも的を外し乱射と見えるところもある。しかし、霞が関の厚い壁にライフル銃で狙い撃ちして的を射たところで、的は数え切れないほどあり全く効果は無い。乱射といえども量を繰り出さないことには厚い壁は崩れないだろうことはこの答弁を読んでいるとよく分かる。
昨日、子供の施設の打ち合わせで構造基準が子供一人当たり3㎡から4.95㎡に変わったことが話題になった。タイガーマスク効果である。しかしこういう基準に猪瀬は怒る。例えば保育所のほふく室は一人あたり3.3㎡以上2歳児以上が使用する保育室は一人当たり1.98㎡以上。この数字に決定的な根拠があるのか?はるか昔に制定されたこの数字に現代的リアリティがあるのか?都会では待機児童が山のようにいるのだから多少小さくてもいいのではないのか?要はそういう数字は基準ではなく標準として細かくは地方行政が地方の実情に合わせて決めればいいのではないのか?そしてそこに与える補助金は全て地方に渡し、地方の権限で交付すればいいのではないのかと主張するわけである。そうすると官僚は子供行政に対してまじめに考えるところとそうではないところがあるからナショナルスタンダードが必要だと主張するわけである。
官僚の言うことは一見まっとうに聞こえる。しかし僕は猪瀬の意見に大賛成である。結局国は補助金を傘にかけ権力を行使し地方をかしずかせているだけである。その実態は一度補助金の仕事をしてみるとよく分かる。中央ばかり見ている地方の姿が手に取るように分かる。国は地方の怠惰を指摘するが、国が権力を握るから地方が怠惰になるのであってその逆ではないということをまだ霞が関のおバカ役人は気付いていない。いや気付いていてもその権力を手放したくないだけなのである。
昨日「制度を最大限に利用し制度の想定外のものを作る」と威勢のいいことを書いたのだが、もちろん今の自分の立場ではそれしかできないのだが、誰かがこの制度を解体してくれることを願うばかりである。

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