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大学破綻

午前中長野からのお客様。先日もらった要望を取り入れた案を説明しご理解いただく。荒木町で昼食をご一緒し別れる。午後栃木の子供施設のスケッチ、打ち合わせ、マンサード屋根と切妻がぶつかるとどういう稜線が出るかを考える。かたや模型を作り、かたやフォームGでモデリングする。
検討の合間を縫って、諸星裕『大学破綻』角川新書2010を読みながら憂鬱な気分になる。日本の大学は778あるのだがこの10年で1割は消滅すると書かれている。危ない大学は学生数1万以下の小、中規模大学のようである。ちなみに在籍中の信州大学は11446人、4月に異動する東京理科大学は20755人でありどちらも大規模に属している。
もちろん大きければ安泰というわけではない。重要なのは教育力と研究力であるが、経営的視点で考えれば教育力の方が重要である。その意味で教員一人当たりの学生数はそれを示す一つの指標である。ちなみに教員数は信大1228人に対して、東京理科大は728人。よって教員一人当たりの学生数は信大9.3人、理科大28人である。国立と私立にはこういう差が歴然とある。しかし私立大学は非常勤講師でこの差を補っている。非常勤は経営的安全弁ではあるものの、研究没頭教育棚上げ型常勤教員よりはるかに教育熱心であるからこの数字が教育力を直截示すものとも言い切れない。
さて教育3極化(上位大学卒、普通大学卒、高校卒)の時代に大学はそれぞれのミッションを持つべきだと言うのが著者の主張である。それはこの著者に限らず、昨今の一般論のようであり、大学はそうしたミッションの再考をせまられている。しかし加えて重要なことは教育にかかるコストの低減である。著者はその遂行に向けて教員の質の向上以上に職員の質の向上を訴えている。とにかく大学とは無駄の塊である。民間会社から来た人なら皆そう思うはずである。場所も人もシステムもルーズに管理されている。その無駄がゆとりと感じられる部分もあるのだが、そのために浪費されているものも計り知れない。こういう問題に教員は興味が無い。一方職員は決定権が少ない。この実情では何時まで経っても無駄の宝庫はそのままである。

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