自立できない若者
一級建築士の定期講習に行った。9時から5時まで結構長い。殆どが法律改正に伴う新たな事項の説明だが、ここ数年の仕事の中で直面した事項ばかり。まあおさらいである。しかしよくよくテキストを見るとこの講習は事務所に所属している人の義務であり大学の教員などはこの限りではないとのこと。無理に来る必要もなかった。
授業の合間に岡田尊司『なぜ日本の若者は自立できないのか』小学館2010を斜め読む。著者は発達障害の臨床医であり、若者が自立できない理由として初中等教育における多様な子供の型に対する画一的記憶教育をあげ批判する。そして子供には以下の3つの型があると説明する。
① 視覚空間型―行動的で、感覚的で瞬間的な反応や処理に長けている。
例えばスティーブ・ジョブズ、安藤忠雄などなど
② 聴覚言語型―聞き取り能力に長け、共感性や情緒的反応が豊か、具体に関心が向く。
例えばバラク・オバマなど
③ 視覚言語型―言語記号が好きで抽象概念に強く完璧志向。
例えばビル・ゲイツなど
この3つのタイプに対し画一的に③に適合した言語記憶教育を押し付けることが間違いの始まりだと言う。教育なんてそんなものだろうと言うのは間違いでオランダやフィンランドでは子供自らがカリキュラムを作るような教育がなされているそうである。そしてそのフィンランドがOECDのPISAテストで1位2位を独占したのは記憶に新しい。しかしだからと言ってそういうことをいきなり日本でやれるかどうかも分からないしやることがいいかどうかも分からないのだが、多様な子供に画一教育が間違いだと言うのはつくづくその通りだと思う。僕も中高のころそういうスタンスの教師には腹が立ち授業は聞かずスパイク磨いていた。そしらた外に追い出されたのだが、追い出されてせいせいしたものである。
僕は初中等教育の教員ではないからこういう問題には手がつけられないのだが、そこで不適切な教育を受けた挙句に発達障害を起こしてしまった学生と直面するのである。そんな子供が大学まで来るのか?と聞くかもしれないが昨今頭がいい(マークシートには答えられる)のに障害を抱えた子はどんどん増えているのである。常勤のカウンセラーが雇用されているくらいである。本来初中等教育の抜本的見直しをすべき問題なのかもしれないけれど、大学まで来た彼らを少しでも軌道修正させてあげる道があるとするなら、まさに画一化してない教え方しかない。自由に考えさせ自由に語らせる。そういう場所を作ってやるのがせめてもの大学教員の役割かもしれない。